たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

後漢景帝の孫である「江都王劉建」は日本書紀の「事代主神」だったか

最近もクラクション鳴らすミッションの車が、連日家の前に出るのだが、何だか可哀想なので比較的スルーしてあげているこの頃です。そして9月終盤も押し迫ってきたが、なんかあるとかないとか。

あるならあるで良い、ないなら無いで良いと思う。

 

○いつも助かっております。

 

 

 

また変なこと言いますが、

 

妄想で「日本の天皇陛下は、前漢皇帝と烏孫昆靡の末裔だったんではないか?」と考えている、引き篭もり系のいじめられてる歴史研究者です、こんばんは。

 

そして後漢の景帝の孫である江都王劉建とは、「日本書紀」に登場する「事代主神であること。

このことは、日本の文献の名前を見ても、はっきり現れてると、想像の中です。

 

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まず江都公主って誰?てことですが、

後漢の第6代皇帝である景帝、景帝の息子江都易王劉非、劉非の息子江都王劉建、劉建の娘江都公主劉細君

ということ。つまり江都公主劉細君は、後漢皇帝の曾孫。

江都公主 - Wikipedia

父親は江都王劉建。この人は雄略・武烈の如く、暴れん坊だったとか・・・。

刘建 (江都王) - 维基百科,自由的百科全书

 

江都というのは中国の江蘇省揚州市江都区

 ここは日本に近い。弥生人骨はこのへんのDNAと一致するものが多数出てる。環濠集落というのはそもそも江蘇省あたりから日本へ入っているんではないか。

江都公主劉細君は、大陸系弥生人と近い遺伝子だったかもしれず。

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 googlemap

 

神武天皇烏孫昆靡・昆莫であろうと思われることは、このブログで散々解説しましたが。

神武kan - mu
神 ka - mu
昆莫kuen-mo
昆靡kuen-mie

(上古音)

ということで。

次に、神武天皇の皇后は、冨登多多良伊須須岐比売(比売多多良伊須気余理比売)ということで、名前が一致してました。

劉細君   r - iu- sai - kun
良伊須須岐 ra-i- susu -ki
良伊須気  ra-i - su - ki

 ということで。

しかも事績も一致してました。

日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ - たっちゃんの古代史とか

 めでたしめでたし。

 

 つまり、

江都公主劉細君=冨登多多良伊須須岐比売(比売多多良伊須気余理比売

なんですけどね。想像ですが、ここまで、いいですかね・・・。

 

冨登多多良伊須須岐比売の父親は、「日本書紀」によると事代主神(ことしろぬしかみ)となってるんですが。「古事記」だと「大物主神の化身である丹塗矢」みたいになってるので意味不明で変なのですが。

事代主 - Wikipedia

 

つまり事代主神が、「江都王劉建」と同一人物ということになるので、これが名前で一致してるはずだと考えてたんです。もし一致していたら、信憑性はうなぎ登りではないですか。

すると、調べてみたところ、事代主神の「事」というのは、

事  koto

江都 koto(日本語読み)

だったわけで。一致してたんですが。わかりますね。

 

もうすこし言うと、代(しろ)は城(しろ)のことで、都と同じ意味に取れます。城とは都にあるからなので。主と王は、共に「あるじ」の意味ではないですか。

つまり、

事 koto 城shiro 主nushi

江都koto 都   王

で、めでたく事代主と江都王は、完全に一致してたんですよね。めでたしめでたし。

 

劉には「刀」の字が入ってるんですが、代の右側は「戈」なんですよ。

「事代」は「事大」と同じ発音ですが、「事大する」って「権力の下に付く」ことを言うのですよね。まさに事代主の名は皇帝の権力の中にいた劉建の立場。

 

この時点で、「江都王劉建=事代主神江都公主劉細君=良伊須気余理比売」の親子関係は、しっかり記載されていたとわかるんですが。中国人も理解できましたかね。

 

ちなみにこの事代主神は、出雲の国譲りの時にでてきた事代主神とは別人でせう。

 

さらにちなみに、中国史書だと劉建の妻の名前はわからないんです。しかし、「日本書紀」には事代主神の妻は「三嶋溝橛耳神の娘の玉櫛媛」だと書いてあるんですね。中国にない情報は、日本の古文献で補われるのです。

たぶん「橛」の字からすると突厥につながる中央アジア系で、「櫛」の字からは月氏系なのかという気がしますが(櫛=月氏)。

三嶋というのは、ふつうに読んで「みしま」ですが、音読みすると「サントウ」なので山東(サントウ)半島のことでせう。山東半島江蘇省はかなり地理的にちかいところ。

 

付け加えると、「隋書倭国伝」で、遣隋使として隋に渡った小野妹子の言葉が、中国と日本の関係を表してるようなんですが。

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや、云云」

これは倭としては、倭の天皇が漢皇帝の末裔であることを、対句で暗に示しているのです。両方共に天子なのだと。でも隋の煬帝は意味がわからなかったのか、

「蛮夷の書、無礼なる者あり。復た以て聞するなかれ」

と遺憾の意を放ってましたが。

(中国正史日本伝(1)石原道博編訳より)

 

まぁ従来型の歴史認識からすると、ここに出てきた証拠は、ぜんぶ偶然になってしまうわけですけど。神武天皇、皇后、皇后の父、息子の名前、子孫の名前、出来事、が全部烏孫のものと似通っていることが・・・。

なにが真実か、そろそろわかってきたか、それともわからなくなってしまったですかね。

さらに俺が死ぬ前に、取っておきの切り札を連続的に出していきますので。

 

 

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