前回
では、母方の先祖について調べました。
○いつも助かっております
今回は、父方のご先祖様について調べた
ま俺みたいなゴミが調査して偉そうに見えるかもしれませんが、これはとても大切なことで、ご先祖様の記録がちゃんと残っているのは貴重なのに、あっさり忘れ去られても困るのです。ここにメモしておくから、興味のあるかたは紙に印刷するなどで、保存してもらえれば幸いです。
父方は「榎本さん」ですが、西暦815年に編纂された氏族名鑑『新撰姓氏録』に、その姓名を見つけることができます。
それによると父方の姓名は「道臣命十世孫佐弖彦之後也」とある。道臣命とは高皇産霊神(たかみむすひのかみ)の子である天忍日命(あめのおしひのみこと)の後裔。
『日本書紀』によれば、道臣命は神武天皇の東征に随行し、活躍を見せた人物でした。
だから道臣命系の父方は、天神系氏族ということになる。その道臣命の子孫が大伴連であり、父方の姓名は大伴氏と同族ということを示します。
以上の情報があるのですが、この情報源1つだけでは、ホントか嘘かの判断は難しいところです。真偽とは複数の情報源の内容が揃ってこそ、判断できるものです。
しかし、父方にも僅かに情報が残っていました。それが「屋号」でした。屋号というのは、江戸時代に姓を名乗ることが許されなかった農民などが、一族の出身や特徴を元にして、家に名づけたもの。
江戸時代の村落で、特に豪農と呼ばれたような家には、現在になっても残されている場合が多いです。その屋号が重大なヒントになりました。父の家の屋号は「値田(ねだ)」というとか。
大伴氏の本拠地は全国にいくつかあった中で、特に奈良県の高市郡築坂邑が、神武天皇により与えられ、大伴氏の拠点となったことは『日本書紀』に見えました。ここは現在の奈良県明日香村、高取町の付近。高松塚古墳だとか石舞台古墳などがある、奈良盆地南部の著名な観光地です。
実はこの土地には、父の家の屋号と、発音が同じ土地があったのです。漢字が違っているのは長い時代を経て、元の漢字を失ってしまったが、かつての先祖の土地の発音は保存していたということでせう。
つまり『新撰姓氏録』『日本書紀』「大伴氏と同族」「大伴氏の拠点の地名」「父の家の屋号」が一致することになっていたのです。これにより父方は以下の様なルーツを持っていたと判明します。
・かつて奈良県明日香村に本拠があり、ご先祖様はその地名を屋号とした
・武蔵国(埼玉県東部)へ移住してきた
・先祖代々の墓の墓碑には、以前は16世代が刻まれていたとか。1世代20年とすれば320年、1世代30年とすれば480年ほど遡れる。江戸時代頃までに、奈良盆地から移住してきたらしい
ちなみに母方の先祖であるらしき、第十一代・垂仁天皇の皇子、五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)は、『古事記』によれば、春日部市の春日部君の先祖でもあるという。ここは春日部市。
父家と母家の家紋は共に、「丸に違い鷹の羽」。母は偶然だとか言ってた。
埼玉の父の生家のほとんど真北に、山形の母の生家がある。これも偶然か。
幾つもの偶然が重なっているということになる。本当に偶然かどうかはわからないけど。
ということで、これはほんの序の口です。
いま2015年2月18日ですが、、俺がこの家で過ごすのも、あと僅かになりました。
それを記念しまして、次回、苦悩の人生を過ごした俺の、奇妙すぎる「出生の秘密」を明らかにしてしまいます。
追伸
「 この家で過ごすのもあと僅か」は、いろいろあって延期しました。
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