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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

大和三山に対応する山を関東地方に発見した鴨(3)畝傍山編

 (1)関東の天香具山編 2014年12月28日 

(2)関東の耳成山編 2015年1月1日

(3)関東の畝傍山編 2015年1月11日

(4)関東の大和三山の結論

 

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この記事は1月3日に公開する予定だったんですが、いろいろあって伸びのび太。特に体の神経・筋肉・血管・骨川スネオが痛むという不調に襲われたので、正月早々、ほとんど何もできずにしずかに過ごした日もあり。

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奈良県の大和三山の一つである、畝傍(うねび)山。歴史上に初登場したのは、『日本書紀』の神武天皇の東征の最後の場面です。

神武天皇以前の神代には、あたかも畝傍山が全く無かったかのごとく、全く登場してきません。奇妙。

畝傍山といえば漢字表記がいろいろあり、別名も存在します。ウィキペディアによれば、うねびの漢字表記は、

畝傍山、畝火山、雲根火山、宇禰縻夜摩

畝傍山の別名としては、

慈明寺山、御峯山、瑞山

 

うねびの「び」は明確に「ひ」のことです。

太陽の日、燃えさかる火という、熱や光を表すもの。

そして太陽神天照大神の子孫の日嗣であり、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の諱(実名)を持つ神武天皇に関係する山です。

だから、び(日)、畝火、雲根火、慈明の字が用いられ、瑞(神のしるし)、御(天子を敬う言葉)などの字も選ばれて、上記の幾つかの畝傍山の名に用いられたと考えられます。

 

神武天皇が宮殿を造営したのは、記紀によれば「大和(奈良)の畝傍山の東南の橿原の地」とあります。

現在の奈良県橿原市橿原神宮の位置が、かつて神武天皇の橿原宮の所在した場所だとか。『日本書紀』によればそれは紀元前660年のこと。

しかし明治時代以前、橿原神宮の場所に神社があったかどうかは不明。現在の橿原神宮が創建されたのは明治23年(1890年)のこと。

明治時代の橿原神宮が建てられる以前には「洞村(洞部落)」という村があったようです。被差別部落だったと言われます。

『「天皇陵」総覧』に掲載される江戸後期の「聖蹟図志」という地図を見ると、山本ノ洞村とあります。山本村の洞村。

 

洞村の「ほうら」という名の由来は「火遠理命(ほおりのみこと)」のような気もします。火遠理の別名は彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)で、神武天皇の祖父のこと。洞村というのは神武天皇に関係のある地名が名づけられたのに、いつしか洞村となり、どんな理由なのか被差別部落と化した、そんな気がするだけです。

 

地図には洞村に「天之カシハ」の字があって、確かに江戸時代に天之橿原として伝承があった様子が伺えます。しかし「聖蹟図志」の地図には、橿原神宮もしくは橿原神社という社は確認できないのでした。

 

関東の畝傍山探索結果

 

茨城県橿原神宮

茨城県東部、太平洋の鹿島灘を臨む那珂川の河口付近にある、ひたちなか市

ひたちなかとは、茨城の旧称、常陸(日立)国と那珂郡を合わせたものです。

ひたちなか市那珂湊港に近い、富士ノ下というところに、橿原神宮(橿原神社)があります。関東では珍しく、神武天皇を祭っている神社。

社伝によるとこの橿原神宮は、和銅年間(709~715年)の創建だとか。元は平安時代に柏原大明神と言われたようです。その後橿原神宮に改称されました。

近くに「洞下町」があり、奈良の橿原の「洞」を移植している様子が伺えます。

しかし畝傍山という山は、神社の西北部に確認できないのでした。

 

 ひたちなか市の富士ノ下の橿原神宮は、過去に遷座された経緯があるようです。

元の場所は富士ノ下より南西方の、涸沼(ひぬま)という湖の北岸でした。涸沼北岸、東茨城郡茨城町の中石崎、昔は石崎村升原の土地にあったとのこと。

つまり709年頃に涸沼のそばの石崎村に柏原大明神が創建され、851年頃にひたちなか市の富士ノ下に遷座し、後に橿原神宮に改称したという経緯があるとのことです。

橿原神宮(ひたちなか市)に詳しいです。

 

ところでこの涸沼(ひぬま)は、振り仮名がないと読めません。伝説の動物「ツチノコ」の形状をしているように見えます、関係ないですけど。

で、水戸市茨城県庁の笠原という地名は、おそらく柏原(橿原)の名残りかもしれません。

そこで、元柏原(橿原)神社があった涸沼の西北部を探してみるのですが、やはり畝傍山は存在しないのでした。

 

ところで「大明神」とは、奈良時代以降に登場した、神を表す称号らしい。権現というのもある。

昔の日本人は「神の名を口にすることを畏れ多い」として避け、なんとか大明神、なんとか権現と言ったとか。つまり神武天皇が柏原大明神として呼ばれ、祀られたのはそんな経緯があったとか。

そういえば、日本人の「神の名を口にすることは恐れ多い」という思想は、ユダヤ人がヤハウェという神の名を避けて、アドナイ(主)やハッシェムと呼んでいることに似てますね。元はモーセの十戒に由来するらしい。

なんで日本人とアチラの風習が似ているのかと考えると、2012年にこんな記事を書いたの思い出しました。

淤能碁呂島、天御柱、八尋殿。1 (旧約聖書と、古事記の記述の奇妙な符合点について)

参考に。

 

ちなみにこの茨城県ひたちなか市橿原神宮は、九州系地名の観点からすると、日向(宮崎県)の高千穂宮に対応します。常陸(日立)国とは日向国に対応する名であります。

日向の高千穂は、天上界・高天原瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨した土地。高天原に最も近いという位置づけなのか。

以前ブログで高天原候補地をまとめていました。

高天原はどこにあったか 

 

高天原候補地として新井白石茨城県常陸国多賀郡の名を取り上げました。

多賀郡が高天原で、隣接する那珂郡神武天皇橿原神宮

ということは、ひたちなか市神武天皇をまつる橿原神宮が、神武天皇の居住地だった日向の高千穂宮に対応するようです。

九州系地名の話は長くなるのでこのへんにしておいて、別の畝傍山候補地を探索します。

 

 

美浦(みほ)村の根火 

茨城県霞ヶ浦。言わずと知れた日本で2番めに大きな湖。

霞ヶ浦西岸稲敷郡美浦村に、「根火」という地名があります。ここは流山市の三輪野山、成田市成田山香取神宮からはさほど離れてない場所。
根火の東に隣接して、標高30メートルほどの小高い山があります。現在の山域にはゴルフ場が作られていて、昔の面影はあまりないようです。

この山の中央付近に「陸平貝塚(おかだいらかいづか)」があります。

貝塚というのは縄文時代の縄文人のゴミ捨て場のこと。ゴミ捨て場といっても現代の人類にとっては宝の山。縄文人の生活を知る上で重要な遺跡です。

 

この山の遺跡が陸平貝塚という名称になっているということは、この小高い山の名称は「陸平(おかだいら)」であるようです。

近くに「馬見山」の地名もあるので、馬見山なのかもですけど。

 

陸平の真ん中に、神明社があります。

神明社は全国に5000~1万数千もあると言われる、全国的に広まった神社。主祭神天照大神となっています。つまり陸平、馬見山と呼ばれていた山は、天照大神を祭る山であったようです。

 

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この陸平は、元は畝傍山だったのではないかと発想してみました。その理由を述べます。

明治時代初期~中期にかけての地図を収めた「歴史的農業環境閲覧システム」の明治時代の古地図を見ると。

美浦村には「安中村字根火」があります。「字」は「あざ」なのですけど、どうしても「字根火」を合わせて「うねび」に見えてしまいます。

奈良の畝傍山の別名を思い出すと、「雲根火山」。

美浦村の根火とは、元は「雲根火」の根火なのではないかと十分に想像できてしまいます。

 

そして根火の周辺には、奈良の三輪山近辺の地名が見られたりもする。太田、茂侶村(三諸山)、馬見山)など。美浦村美浦(みほ)は、三輪山の三輪のことか。

流山市の茂呂という地名が三諸山(三輪山)のことだから、美浦村の地域にも三輪山があったかもですが。

奈良盆地の三輪山・大神神社に対応している、関東平野の三輪野山・三輪神社


奈良の畝傍山には畝火山口神社があります。神社の元の祭神大山津見神であるとのこと。天照大神の孫、瓊瓊杵尊の妻になった木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の父は大山津見神であるから、美浦村の陸平の神明社天照大神がいることと、奈良の畝傍山の神社は、祭神についても関係がある様子。 

根火のそばの陸平が、かつて「雲根火山(畝傍山)」と呼ばれたかも知れず、根火とは雲根火の名残であると十分に想像できてしまいます(大事なことだから2回言いました)。

 

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重要なことが、ほかにも。

茨城県美浦村の根火と、他の地点を結びつけると、ちょうどいい位置で、二等辺三角形が現れることです。流山市の三輪山を結びつけると、もう一つの二等辺三角形も現れます。

これは九州の筑紫平野の元大和三山と、奈良盆地の大和三山と比較すると、明確な証明ができるようです。

奈良盆地の大和三山と、北部九州の"元大和三山" 

 詳しくは電子書籍にあります。

 

ではどこの大和三山候補地と結びつけると、明確な二等辺三角形が現れるのか、気になって眠れない感じです。正月早々、寝不足はやめたほうがいいですので、しっかり睡眠は取りませう。

 

最後の総まとめ(4)に続く。

 

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