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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

源義経の犬岩伝説と犬吠埼のある銚子市に見られる「犬」の偶然

地名 千葉県 偶然

世間はまたクリスマスという行事らしい。あまり興味がない件・・・。

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千葉県の銚子の話。

大きな半島や岬というふうな尖った地形は、地図を見るとすごく目立つ。規模の大きな半島や岬にある都市は、それだけでかなり知名度を得ている感じがしますけど。

銚子市関東平野の最東端に位置し、太平洋に突き出た形(以下は地理院地図)。

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よく知られた大河川の利根川の流れが、最終的に到達する地点でもあります。

銚子の犬吠埼は、そんな銚子市からさらに突き出た小さな岬。

日本全域を写した地図を開いてみると、でかでかと犬吠埼の地名が載ってます。

「ベーシックアトラス日本地図帳」の「日本全図」を見ると、

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この通り。

犬吠埼は小さいのに、存在感はかなり高い。

世界灯台100選に選ばれた犬吠埼灯台があったり、犬吠埼マリンパークがあったりする。犬吠埼自体が国の天然記念物だったり、地質100選だったりとか。なんで人間は100選を選びたがるのがわからない・・・。

源義経の伝説が残る「犬岩」が観光スポットになってたりします。波風の侵食によって自然に犬の形になった岩なんだとか(googleで犬岩の画像検索結果)。

銚子市観光協会の「銚子ジオパークを巡る」を見ると、1番目に犬吠埼、2番めに犬岩が紹介されてます。

犬吠埼の名の由来をウィキペディア犬吠埼に求めると、


犬吠埼という地名には諸説があるが、中でもよく知られるものが義経の愛犬「若丸」が岬に置き去りにされ、主人を慕う余り、7日7晩鳴き続けたことから犬吠(犬が吠く)と名付けられたという説である。他にはかつて一帯にはアシカ(ニホンアシカ)が繁殖しており(近隣には海鹿島があり、明治時代には2 - 300頭のアシカが生息していたと伝えられる)、その鳴き声が犬に似ていたことから、犬吠埼と名付けられたという説もある。

 

犬吠埼も犬岩も、源義経の犬関係でした。

銚子は「犬」がキーワードな都市のようです。

そして最近、銚子と犬の関係はこれだけでは無いことに気づきましたので、発表。

 

下は、現在の銚子市の広域的な地図。

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 銚子市の市域は、利根川の流れと、太平洋に挟まれた、東西に長い形。その先端に犬吠埼

寄り道しますが、江戸時代以前の利根川は、今とは流れが全く異なっていました。

現在は群馬県の最北端にある奥利根湖の北付近を水源地として、群馬、埼玉、茨城、栃木の境界を流れています。この流れは日本で二番目に長い、全長322km。

しかし鎌倉時代以前の地図(吉川弘文館の『日本史年表地図』にある地図)を見ると、群馬県北部からの流れは、現在の埼玉県の武蔵国東部を流れる高野川の流れとなり、これが現在の古利根川です。

銚子を通過する流れは、昔は常陸川(ひたちがわ)といって、鬼怒川(衣川)の上流部に接続していました。ちなみに古代、霞ヶ浦のあたりは香取海と呼ばれる内海が広がっていました。

要するに今の利根川の322kmという長さは、江戸時代の河川の流れを変える大工事による、人工的な長さだったのです。

 

話は銚子の話に戻ります。

 銚子市は、古墳時代からの律令制下では、下総国(しもうさのくに)の、下海上国造(しもつうなかみのくにのみやつこ)と呼ばれていました。

江戸時代頃には海上郡(うなかみのこおり)、下海上郡などとも言いました。

明治時代海上郡(かいじょうぐん)になり、以下の画像はウィキペディアにあった海上郡の郡域。

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今の銚子市の形とは、全く違ってますね。これが江戸~明治時代の頃の海上郡

 その後、1889年(明治22年)町村制施行により、細かな複数の村が合併され、海上郡の町と村の境界線が明確になります。以下の画像。

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以上の2つの画像は海上郡の頁にあり。

 

 この画像を見た時に、わかったことがありました。

町村制の施工時から、銚子市は「犬」に運命を導かれて行ったようでした。

 

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1889年、銚子の付近が犬の形になり始めます。犬吠埼や犬岩が名所だから、犬の形に区画したのかは分かりませんが。確かに犬っぽく見えます。

ここまでは、偶然で済ますことができました。

しかし・・・

 

銚子市史を調べると、銚子市が現在の形になったのは、1956年(昭和31年)のことでした。銚子市の今の形を、もう一度見てみます。

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この市の区域を見て、はっと気づいたのですが。

気づきましたか。

銚子市の東の突端が犬吠埼なことと、銚子市の形状は、意識的にか無意識になのか、関係性を持たされていたようなのです。

 

画像を左に90度回転します。

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こういうことだったのではないかと。

これが偶然の産物なのか、明治~昭和にかけての意図的な計画の上なのか、分かりませんけど。

ちなみにこの銚子市の犬のしっぽの付け根(おしり)のあたりの地名が「野尻」でした・・・。

計画的なものだとすれば、

明治~昭和の時代の権力者が、銚子の犬の首のような形や、犬吠埼や犬岩に因んで、市の形状を犬の形にしよう、というふうな目論見があったかどうか。定かでありません。

 

付録として、銚子市犬吠埼・犬岩の歴史を、時系列で表します。

 

白亜紀 犬吠埼の地質が出来上がる

古代 銚子の犬岩の形が偶然、犬の形に出来上がる

古代 銚子の突端に犬吠埼と名付けられる

古墳時代平安時代 下総国下海上国造

鎌倉時代 源義経の犬岩伝説が登場する

江戸時代まで 下海上郡海上郡

明治時代 海上郡(かいじょうぐん)となる

1889年(明治22年)、町村制施行により新たな町村の境界ができる。この時、境界線に偶然なのか、犬の形が見える。

1956年(昭和31年)、銚子市が現在の市域となり、偶然か必然か、完全に犬の形となり現在に至るが、人々は気づいていなかった。

 

ところで、私見ですが、犬吠埼は九州系地名です。

九州系地名が近畿に当てはめられました。琵琶湖のある「淡海国(滋賀県)の犬上郡」の名ができ、その犬上郡に対応するのが「海上郡犬吠埼」と思うのですけど。

 

こうした一連の、銚子市にまつわる犬に関係する出来事と形状が、偶然の産物なのか、超常的な力が働いた運命的なものなのかというところに、興味を持って見ています。

 

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