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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

東京の象徴的河川「隅田川」と埼玉県東部の小さな河川「古隅田川」の深い関係

古典 地名 埼玉県

最近日本では「他人をノゾキ見る趣味」が流行ってるらしいのを知ってる人。

( ゚д゚)ノ ハイ

英語で書くとこうなるらしい。

Prevalent secretly voyeur hobby in Japan

.(日本では密かに盗撮趣味が流行している)

 物質的に覗くだけでなく、思考盗聴までも可能になっているとか。まことに、いやらしいこと。

これについては

科学で心が先読みできる!? 驚異の科学的読心術

秘密にしていた考えが悟られてしまっている!

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東京の北部から東部にかけて流れ、東京湾に注ぐ隅田川。

隅田川では江戸時代から花火大会が行われるなど、江戸・東京を象徴する歴史的な河川なのです。隅田川の名を持つ墨田区(なぜか字が違う)は、在原業平(ありはらのなりひら)という人物に縁のある土地でした。

 

調べによると在原業平は西暦800年代の歌人で、桓武天皇の孫だとか。『古今和歌集』などに多くの歌が収録されてますが。

 墨田区には業平という地名、そして業平橋という橋もあります。

業平橋の近くに、東武線の業平橋駅もあったのでしたが、スカイツリーが完成してから、業平橋駅はとうきょうスカイツリー駅に改称されてしまいました・・・なぜ。

 

この業平橋という橋、じつは全国に数箇所も現存します。

業平橋の一覧

業平橋は当研究所の近くにもあります。そしてこの街には、古隅田川という川が流れているのです。埼玉東部の古隅田川は、東京の隅田川と深い関係があることは、あまり知られてませんでせう。

中世(鎌倉時代頃)には、現在の埼玉県の古利根川と埼玉県の古隅田川、元荒川、東京の隅田川がつながっていた。その河川の名を隅田川と言ったとか。 

だから埼玉東部の古隅田川と、東京の隅田川は元は同じ流れだったので、2箇所に名前が残ったわけなのです。

詳しくはウィキペディア古隅田川の頁にあります。

 

以下の画像の青い線が古隅田川と、接続する河川及び用水路の現在の流れ。

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画像は歴史的農業環境閲覧システムを利用。

 

当初タイトルに含めましたが、こちらの古隅田川の水質は悪いです。流域一帯の下水道整備はされてますが、なんか濁ってます。でも川を見てると鯉か鮒のような魚が群れで泳いでいたりします。夏の名物はウシガエルの合唱。

古隅田川を上流へさかのぼって行くと、埼玉県内の網の目のように張り巡らされた荒川水系利根川水系の河川や見沼代用水などの用水路に行き着くことになります。

古隅田川に接続する河川と用水路だけを対象とすると、上流部には蓮田市の黒浜沼という沼があります。この付近は果てしなく田園の広がっている地域です。20代の頃は徒歩やら自転車で、河川の流れ、地形、神社など、頻繁に確認しに出ていたのですが、どこへ行っても怪しい臭い人が徘徊しているとして警戒されていたような気がしますです。

まことに生きづらいご時世は十代の頃から。

 

そういえば子供の頃、「古隅田川を遡ると湖がある」と言って数人引き連れて途中まで探検したことがありましたが、湖と表現したのは黒浜沼のことでした。

黒浜沼は明治時代には比較的大きな沼でしたが、いまはこじんまりと縮小した沼が2つあるばかりです。上沼と下沼というとか。

黒浜沼の水は用水路を伝って、東南へ向かいます。その流れを進むと、途中で元荒川の水が古隅田川へ入る地点があります。ここから元荒川に沿って、住宅地を南東へと流れます。日光御成街道を横切り、東武線の線路を超えたところで古隅田川は2つに分岐し、北側が新しい古隅田川、南側が旧古隅田川。「古」が付いている上にさらに「旧」が付いちゃってる川なんて、滅多にないです。

超レア。

 

旧古隅田川が北上し、県道2号線を超えるところに「業平橋」があります。こちらの業平橋は、東京の業平橋同様に、在原業平にちなむ橋。

そういえば東武線は埼玉の古隅田川と東京の隅田川を通り、在原業平業平橋で結びついていたんで脛。

2つの古隅田川は、業平橋の先で感動的な再合流を果たすと、東方面へと流れ、利根川の旧本流である古利根川に合流します。

ところで画像を見て分かる通り、かつて中世の古利根川は「高野川」の名であり、この街の地形や道路には、高野川の名残を見ることができます。

 

次に明治時代の古隅田川の流れを見てみますと。

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古隅田川は、中世には川幅が平均100メートルほどもある、一大河川でした。昭和の時代以降、古隅田川の河川敷両岸を、住宅地が埋め尽くしてしまいましたが、堤防の跡がそのまま道路や緑地帯として残されてますので、確認は容易。

そしていまは西から東へ流れる古隅田川も、中世の大河川だった頃は、東から西へと流れていたのでした。時代を経て、川の流れが逆転してたのです。そういえば地球の磁極も逆転するかもしれないらしい。太陽の磁極の逆転は起きたばかりとかいう。

 

追記・・・古隅田川は一見して小さな川で、この川に愛着を持つ人や、流れを見つめて古代の郷愁に浸る人は滅多にいないでせう。しかし関東を代表する「利根川と荒川の旧河川である、古利根川と元荒川を結びつけている」、しかも「古隅田川には旧古隅田川が存在する」という、「古、元、古、旧」の寄り集まった古隅田川・・・。この河川が何らかのキーポイントになっていたとすれば。

元荒川→古隅田川→旧古隅田川→古利根川

「皇居とこの都市の関係」や「隅田川と在原業平つながり」などと同様に、なにやら特定地域との因縁めいたものが感じられますけど。

 

歴史的農業環境閲覧システムの地図の古隅田川の河川敷幅を調査したところ、最大川幅(堤防左岸から右岸まで)推定280メートルの地点もありました。280メートルというと100メートル走が3回分くらいですので、軽く痩せるレベルです。

この頃の地形や人口の少ない環境が、仮に維持されていたら、自分の人生は違っていたんだろうかなどと考えてみたりしました。どう違ったのかと。

 

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