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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

ご先祖さまについての調査結果1

ボクチンは親戚の中で浮いています。クラゲのようにプカプカと。

おそらく基本的には嫌われていると感じますが。その理由はさんざん書いてきました。自身の不甲斐なさと、臭い人な人生なこと、誤解と偏見、そして信じるも信じないも自由ですが、闇の組織の陰謀・・・。

こんな碌でも無い、うつけ者なんすけども、いま生きているのはご先祖様あってのことです。しかしご先祖様のルーツについては、親戚の中でもそれほど詳しくは知られてないでせう。

ご先祖様のルーツについての調査結果を、この場にメモしておくことにします。

これを知ることは、いま自身の人生に訪れている奇妙な事態の原因を突き止め、更には解決にも繋がっていくような気がします。親戚の方々のためにもなります。

なにしろ日本全国に遠い血族は多いのだから、暇な人は俺のことを少し理解する人も出てくるはずです。

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両親の両家ともに「屋号」があります。そして苗字があり、近隣に神社があり、こうしたものがヒントになります。また、著名な文献に加え、郷土史にも僅かに実家が登場している記録が残ってたので引用します。

 

まず母方の家。

 

母方の家は山形県庄内平野南西部にあります。

地元の『白鬚神社由来記』によれば、和銅5年(西暦712年)まで遡る。

元々は近江国滋賀県)から出て、山形県へ向かったとか書いてあります。

どうやらご先祖様は、移住の際に滋賀県から白鬚神社を分祀したか勧請して現地に鎮座したようです。それが西暦712年のことでした。この『白鬚神社由来記』については、図書館の方が調べて下さったとか。手元に母とおじさんが用意してくれた、いろいろな資料があるのです。

712年といえば、ちょうど太安万侶が『古事記』を完成させた、元明天皇の時代。

 

白鬚神社の主祭神猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)。

日本書紀』によれば、この神は、高天原天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が「天孫降臨」を敢行し地上へ降り立つ歳、天八街(あめのやちまた)に在り、天孫降臨時の道案内をしたと知られます。

猿田彦大神は別名を岐神(ふなとのかみ)とも云い、高天原軍神である経津主神(ふつぬしかみ)の道案内もしました。経津主神は千葉県北部の香取神社で祀られています。

猿田彦大神の妻は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。日本史で最初の巫女神であり、日本神話の重要な場面「天の岩戸」では神前舞踊を行い、天照大神の再臨の手助けをした女神。

 

 白鬚神社の総本社は、近江国滋賀県)にありますた。

滋賀県高島市鵜川の白鬚神社

琵琶湖畔にある立派な神社で、第十一代垂仁天皇25年に、倭姫命(やまとひめのみこと)により創建されたと伝わります。垂仁天皇の年代は、私的な史観によれば3世紀末から4世紀初頭のこと。

安土桃山~江戸時代にかけての慶長年間(1596-1615年)には豊臣秀吉の息子である豊臣秀頼が、境内の再整備を行ったとか。

白鬚神社本殿は慶長8年建立で、国の重要文化財となってるとか。

 

・・・つまり母方のご先祖様が、庄内平野に引っ張ってきた白鬚神社の大元は、滋賀県高島市の白鬚神社で間違いないということに。

これで一つ謎が解けた。母方のご先祖様は、滋賀県高島市に、かつて本拠があったということのように思われます。

最初、母方は白鬚神社の祭神猿田彦大神の子孫なのか、と思ったんですが、母方の姓名の由来を調べると、どうも全く違うようです。

 

母方の姓名の本拠地は、新潟県新潟市西区にあります。

「五十嵐神社」・・・

全国の五十嵐氏の拠点となっていて、わりと派手に宣伝してるようです。

調査によると、

新潟市西区には江戸時代に蒲原(かんばら)郡五十嵐浜村があり、もっと前は蒲原郡下田郷と呼ばれた土地に、式内社「伊加良志(いからし)神社」があり、それが現在の五十嵐神社(現在は場所が近隣に移っている?)。

式内社とは西暦927年に編纂された神社リスト『延喜式神名帳』に記載される神社のことで、ウィキペディア五十嵐(新潟市)にあります。

さらに詳しくは「延喜式神社の調査」というサイトで。

 

五十嵐氏の名と、五十嵐神社の名前の由来を調べると、五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)という人物が発祥であると判明します。

この五十日足彦命の両親は、

父、垂仁天皇(活目入彦五十狭芽命/いくめいりひこいさちのみこと)

母、苅幡戸辺(かりはたとべ)

つまり五十日足彦命は、第十一代の垂仁天皇の第八皇子だったのです。

 

つまり母方については、以下の様な構図が判明してきた。

 

近江国滋賀県)の白鬚神社は、母方実家に関係する白鬚神社の総本社である

・母方の実家は、第十一代垂仁天皇の皇子・五十日足彦命の末裔である

和銅5年(712年)に近江国滋賀県)から出羽国山形県)へ移住した

・近江から出羽へ、五十嵐氏が移住する途中、和銅年間の越後国(新潟)に五十嵐氏の拠点が置かれ、ご先祖様はそこに留まったことがある

・ご先祖様が、白鬚神社の猿田彦大神を現地へ持ってきたのは、五十日足彦命が皇室の人であり、先祖の瓊瓊杵尊の道案内が猿田彦大神だったからである。先祖の出自を忘れないためと、守護神としての意味合いがあると見られる

 

 

日本人は先祖を調べると、おそらく8割方は、昔の神様か天皇家のどなたかに突き当たるらしい。よっぽどな渡来人でも無い限り、そうなっている。

神様と建国主・神武天皇の末裔である皇室の存在が、今の日本人一人一人を生み出していることになり、天皇という存在がどれほど大きな日本の象徴であり、無視できぬものかというのは、ご自分のご先祖様を調べてみれば分かることです。

とは言っても、あなたの先祖の昔の記録が、しっかり残っているかどうかの問題があります。

 

母方のルーツは、文献や社伝などの記録がしっかり残っていたのは僥倖と言うべきか、ここまで調べることが可能でした。

2に続く

 

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