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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

高天原はどこにあったか

日本の八百万の神様の集う、高天原がどこにあったか。

昔から長いこと議論されて、いまだに定説はありませんけど。

 

高天原の場所については諸説ありますが、いくつか例を挙げると

・天上界説

奈良盆地

・奈良金剛山地説

・宮崎高千穂町

・宮崎高原町

・熊本阿蘇

・福岡甘木説

・岡山蒜山説

・群馬生犬穴説

・茨城多賀郡説

壱岐

鳥取氷ノ山説

鳥取霊石山説

・和歌山高野山

以上がウィキペディアに紹介されている国内の候補地でした。

いずれの候補地にも高天原特有の地名(香具山、岩戸など)が見られる。

ほかに飛騨説(岐阜)があったりする。また、後に紹介するように、富山県茨城県鹿嶋市にも高天原が存在している。

また、大祓詞(おおはらいのことば)によれば、高天原は葦原瑞穂国(あしはらのみずほのくに)であり、日高見国であり高山であるとか。

飛騨説では、日高見=飛騨であり、高山=飛騨高山だからと解釈する人もいる。

 

大祓詞前半部分


高天原に神留まり坐す。皇が親神漏岐神漏美の命以て八百万神等を。神集へに集へ給ひ。
神議りに議り給ひて。我が皇御孫命は。 
豊葦原瑞穂国を安国と平けく知食せと事依さし奉りき。 
此く依さし奉りし。国中に。荒振神等をば神問はしに問はし給ひ。神掃へに掃へ給ひて。
語問ひし磐根樹根立草の片葉をも語止めて。天の磐座放ち天の八重雲を伊頭の千別に千別て。
天降し依さし奉りき。此く依さし奉りし。四方の国中と。大倭日高見の国を。
・・・・・・

 

日高見というのは、日本武尊(やまとたけるのみこと)が遠征した中に登場します。北海道の日高山脈の南山麓部の日高地方という説がある。東北地方という説も。

 

高天原海外説もある。

・中国南部説

朝鮮半島南部説

高句麗

・ダカーマ・ハラン説(日ユ同祖論)

イスラエル説(日ユ同祖論)

ギリシャオリュンポス山

よく調べてないが、以上の説があった。

 

 

日本の「高天原」という地名を調べますと以下の通り。

 

高天原 3000m級の山岳の連なる、飛騨山脈富山県側、黒部ダムをさかのぼった、黒部川の最上流部。ちょうど黒部五郎岳野口五郎岳槍ヶ岳に挟まれた場所に雲ノ平という土地があって、川沿いに高天原高天原峠という地名がある。雲ノ平で高天原なわけので、まるで八百万の神の住まう天上界かのような地名。

高天原山 長野県と群馬県の県境にある標高1978メートルの山。すぐ東には埼玉県との境の三国峠、北側には上野村御巣鷹山がある。1985年、日本航空123便が墜落し520名が死亡する大事故が起きているが、御巣鷹山高天原山の一部。ジャンボ機は高天原に墜落していたことになる。

高天原一丁目 いつから高天原が丁目で区切られたのか知りませんが、茨城県鹿嶋市には高天原一丁目、二丁目が実在してる。ちなみに高天原一丁目にはコンビニや飲食店があり、高天原二丁目は、広大な集合住宅の団地になってた。この高天原のすぐ西側には、高天原の重要な神様、武甕槌大神を祭る鹿島神宮が鎮座しており、鹿嶋市高天原という地名にはそうした由来があるのかもですが。そこでネットで検索してみたところ、ヤフー知恵袋に回答らしきものがありました。  

ヤフー知恵袋より

茨城県鹿嶋市に高天原という地名がありますが、地図を見ても、村の鎮守の小さな神...

Q・茨城県鹿嶋市高天原という地名がありますが、地図を見ても、村の鎮守の小さな神社すらないようです。このような地名が付いた由来、時期について、教えてください。

A・高天原という地名が付いているのは神域だからです。
今でこそ社宅やショッピングセンターがある地域ですが遥か昔は聖域です。
高天原の西に鹿島神宮があります。
ここの参道は西から東に伸びその参道の中ほどに本殿があるという特殊な境内。
この本殿は江戸期に造られたものでもともとは参道の先、つまり現在の高天原
地を祀っていたのです。
高天原の東、鹿島灘海岸に鹿島神宮の鳥居があるのもその名残です。
鹿島神宮の創建は神武天皇元年といわれてますから、高天原と地名が付いたのは
遥か大昔からです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 なるほど。

 

 

次に、日本書紀の記録からまとめてみる。

 

(1)日本書紀は奈良の高天原を記録している

神武天皇が東征を果たし、畝傍山の東南の橿原の土地に宮殿を建てるとき、こう仰せになった。

「畝傍(うねび)の橿原に、宮柱底磐(みやはしらしたついは)の根に太(ふとしき)立て、高天原に博風峻峙(ちぎたかし)りて、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)を号(なづ)けたてまつりて神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといはれびほほでみのすめらみこと)と曰(まう)す」

(『日本書紀(一)』岩波文庫より)

つまり『日本書紀』では、奈良盆地の畝傍の橿原を高天原と呼んでいる。ちなみに博風(ちぎ)とは社の屋根にある、X状の飾り「千木」のこと。

 

(2)日本書紀からは九州に高天原があったと読み取れる。

神武東征の以前に瓊々杵命(ににぎのみこと)が降臨したのは日向の高千穂の槵触峰だった。

高天原の別名は、日本書紀にこうある「天高市(あめのたけち)」と。

高千穂に「高千」が含まれるのと、高天原の別名を「高市」というのは関係しているに違いない。

要するにニニギが天孫降臨した日向の高千穂が、そのまんま高天原として設定されていた経緯が読み取れる。

 

要するに神武東征とは、九州の日向の高千穂(高天原)から、奈良の高天原へ移動した出来事、または九州の高天原が奈良に移されたということが考えられたんすね。古代の日本における「首都と地名と神話の移植」は日本書紀から十分に読み取れます。

 

(3)その他の高天原候補地について

記紀神話には、日向と奈良のほかは、「ここが高天原ですよ」と指摘する土地が、まったく登場しない。これは他の高天原候補地は、不利としか言い様がありませぬよ。

ただし『大祓詞』では、日高見だとの伝承は存在する。これが北海道か東北か飛騨かは断言できない。

しかし完全否定は自分のやり方ではない。

目の前に問題がある場合、あらゆる可能性は、捨てないで取っておくものだと思う。それがヒントになることもある。

 

たとえば奈良の畝傍の橿原の高天原というのは拙著『日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け』で指摘した「九州系地名」に含まれるとする。

九州系地名は、朝鮮半島の倭地、沖縄島、九州、近畿、関東、青森、北海道石狩平野に、同様に存在していた、同一地名で構成された土地。

すると奈良に高天原があるならば、少なくとも朝鮮半島の倭地、九州、関東には、高天原があって然るべきことになる。

九州の高千穂、近畿の奈良の畝傍橿原の高天原、そして関東の鹿島神宮東方の高天原

鹿島神宮高天原が、日向、奈良の高天原同様に、地名を移植された結果と見ることができる。つまり九州系地名の土地には、必ず高天原があったことになるんでは。

f:id:kl117cr233:20141104065621p:plain

 図で示すとこうなつた。

なんかバランスよく配置されてる。

 

ではこの他の高天原候補地は一体なんだろう。

よくわからなかったのだが、しかし図で全てを表すと、見えてくるものがあった。

図で示すとこうなつた。

f:id:kl117cr233:20141104070549p:plain

というふうに、九州系地名、中国四国系地名の土地に、高天原は全国にバランスよく設置されてるように見えますね。東西の中国四国系地名の北半分に、高天原候補地が集中していることでも頷けるところでせう。

 

実は、全国の高天原候補地とは、地名や神話と同様に、

ヤマト王権により計画的に配置されたものだったというのが真相かもしれんです。

記紀を読むと、神代の舞台は、西はスサノオが滞在した朝鮮半島から、東は建御名方神の追いやられた長野県までと、幅広い。 高天原とは日本列島と倭人の居住する地域全体を指したとも、見られます。

そういえば、ギリシャ神話『神統記』の、ゼウスの住まうオリュンポス山と、高天原の印象がかぶるようです。日本神話の中に遠くの大陸神話が導入されたことは、決して否定できず、その場合オリジナルの高天原とは、神武東征伝説同様に、大陸の果てにあったでせう。

 

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