読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

崇神天皇が任那から九州へ移動したことを証明する新説

大和民族 記紀

本日も、生きて恥を忍んでおります。

 

江上波夫氏の著書『騎馬民族国家』に、

崇神天皇の和風諡号の「御間城」とは朝鮮半島倭人地区「任那」であり、

騎馬民族の大王である崇神天皇が、4世紀に任那から九州へわたった」

との仮説ありましたが。

 

で、わたくし、騎馬民族征服王朝説は、完全否定すべきものでは無いと捉えていまして、その理由は、江上説をさらに発展させた以下の解釈に含まれています。

f:id:kl117cr233:20140904100339j:plain

となりました。

「五十瓊=委奴」としましたが、あるいは「五十」だけでも九州の「委奴・伊都」を反映しているといえます。

 

こういう解釈が出来てしまうというのは、要するに倭迹迹日百襲姫命の「百襲姫」が卑弥呼の「百人道連れにした姫」を示唆しているのと同様だったんですよね。

これも「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」で触れていました。ちらっと。

崇神天皇の和風諡号には、朝鮮半島から九州までの移動経路(出発地と到着地)を示す情報が含まれていたということなのです。

崇神天皇の和風諡号は、奈良盆地とは全く関係無い点を踏まえても、納得の解釈ではないかと。

崇神天皇諡号移動経路説」の信憑性は出てくると思いますけど。

 

しかも崇神天皇の移動は4世紀ではなくて、2世紀末のことでした。 

この記事の内容は、電子書籍の下巻で、詳しく触れることになってています。

いま下巻のイラストを描いてるので、下巻完成まではもうすこし。

 

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村

↑ クリックお願いしますm(_ _)m。