日本列島の前方後円墳は数多くあるなかで、出現期のものは前方後円墳の起こりを知る上で重要度がたかいです。
○いつも助かっております
出現期の前方後円墳をリストアップ
すると次の通りになります。たぶん合ってる。
出現期の纏向型(帆立貝形)と呼ばれるものは奈良県に集中し、ほか東は千葉県、西は兵庫県、宮崎県など散見できます。
千葉県市原市の神門4号は、残念なことに宅地開発のために消滅している。
神門5号は宅地開発で一度破壊されたが、最古級の重要性が考慮されたのか、殊勝なことに盛り土が復元された。ほか神門3号は3世紀中葉の前方後円墳だったが、これも残念無念と消滅している。
奈良県天理市のヒエ塚古墳は、どんな経緯があったのか、まんなかに道路が作られて東西に分断されている。
ホケノ山古墳は豊鍬入姫命の御陵と伝わる。崇神天皇の時代の古墳で、最も古い段階の前方後円墳と言われる。
山戸4号は丘の上の藪の中にある。
徳島県鳴門市の萩原1号・2号は、徳島県鳴門市の前方後円状の積石塚。1号は道路建設により消滅している。一昔前は遺跡より道路が重要という認識が蔓延ってたとか。
そういえば静岡県で見つかった日本最古の前方後方墳、辻畑古墳も幹線道路の建設予定地の真ん中に見つかって、破壊されてしまうかもしれない瀬戸際だとか。辻畑古墳の重要性は既に知られてるので、道路建設は回避される可能性も残っていると思われますけど。
偉そうなこと言いますが、道路のほうが大切だとか言って永久に消滅させるより、ご先祖様のたいせつな遺跡として観光資源として未来永劫残していくべきでせう。
西都市の西都原81号は最近になって出現期のものと判明したので話題になってました。
以上の出現期前方後円墳は、卑弥呼の時代に造られました。で、これらを図上に現すとこうなる。
やはり何か、卑弥呼の時代、当初の前方後円墳マスタープラン(基本計画)のようなものがあって、左右対称的な形で建設されたのかもしれんです。
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