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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

百済の王仁(和邇吉師)は琅邪王氏だった

王仁(わに)といえば応神天皇が百済から招聘し、孔子について書かれた「論語」などを携えてきた和邇吉師のことです。百済から来たと記紀にあるので、一般的には百済人だと考えられます。

 

韓国では王仁の記録書物は全く存在しないのですが、日本の記録を元にして「日本に先進文化を伝えてあげた韓国の偉人」として、王仁の記念碑を建てたり、何の手がかりも無いのに、王仁墓を作って自治体の史跡扱いとなってます。

一方で韓国では、日本書紀任那日本府の記録は出鱈目だとか言ってるので、自分に都合のいい王仁の記録は祀り上げて、都合の悪い話は一切認めないということらしいです(この辺はウィキペディアの王仁に詳しい)。

 

ところで、「邪」の一字で、元は山東の琅邪郡を指すとか。琅邪は琅邪王氏の土地でした。邪王氏の系図の中に、「王仁」という名前が見えます。

王仁と同名の人物が、琅邪王氏には居たということですよ。時代は違いますけど。

琅邪王氏が書家であるのを踏まえ、名前が同じ人が一族に居たとなると、「倭に渡来した文人・和邇吉師は琅邪王氏かもしれない」ということですよ・・・。

 

そういえば和珥氏といえば、そもそも渡来系と見られるのに、孝霊天皇の子孫を自称してるということですね。和珥(wani)が王(wan)を元にした名ということであれば、やはり大陸系の名を反映してると見れそうです。

 

琅邪王氏の初代は「王吉」で、wan-kichiと読めば和邇吉師(wani-kishi)の名前とそっくりになる。この王吉は後漢時代の政治家で、「論語」など五経を好んで読んでたということです。

「新撰姓氏録」によれば、王仁の子孫は「出漢高皇帝之後鸞王也」で皇帝だったとか。

ますます琅邪王氏の王吉の流れが、和邇吉師に直結している可能性が見えてきました。

 

すると王仁は百済人ではなく、中国の山東半島の琅邪王氏との仮説に、信憑性が高まりましたね。韓国人にとっては、衝撃的な考察?

 

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