たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

美豆良(みずら)の謎から解く日本人のルーツ

美豆良(角髪)と書いてみずらと読む。これは古代の倭人の髪型でした。今回はみずらについて。


○いつも助かっております

 

 

みずらは色んな種類があった

 

埴輪でよく見られる髪型です。倭人の髪型は色んな種類があってバラエティ豊かな中でも、美頭良は倭人の一般的な髪型のひとつとして定着してたようです。

古い形では「耳の前に髪の毛を束ねる、又はもみあげを伸ばしてコヨリ状にひねって垂らす形」で、その後飛鳥時代には「紐で八の字型に結った形」となり、奈良時代以降は流行りが廃ったのか、美豆良は消滅してしまいました。

 

埴輪の頭部の形状を種類ごとに分類してみました。ここにあるものがすべてではないかもしれません。

 

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このみずらとは一体何なのか?

ξ ゚д゚ξ

 

ルーツは大陸にあるのか

 

縄文時代(2万年前~紀元前300年頃)から受け継がれてきた、日本独自の髪型?しかし縄文時代の数多くある土偶からは、美豆良を全く確認できませんね。

つまり美豆良が弥生時代以降に誕生した髪型であることが分かります。日本独自の髪型なのに、縄文時代には無かった?

 

これはWikipediaにあるDNAのハプログループの順番を、入れ替えたものです~。

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 遺伝子学については全くの素人で、全くの低学歴ですけども、なんとなく分かりますね。HAN(漢族)=中国人、韓国人、アイヌ人、アンダマン人、日本人、チベット人の順に並べ替えてあります。

青い枠で囲ったところが、民族を代表する遺伝子のハプログループです。中国人と韓国人はO3が最も多くなってます。

日本人、アイヌ人、チベット人、アンダマン人が「D」が最も多いですね。

 

アンダマン人というのは東南アジアとインドの間のベンガル湾に浮かぶ、アンダマン諸島の人々のことですよ。

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なんで日本人は、日本に近いところに遺伝子が似ていなくて、遠い国の人と遺伝子が近いのか、不思議ですね。

日本の偉い学者さんは、定期的に「日本人の遺伝子は韓国人に最も近い」なんて発表するんですよね。これも、なんでか不思議ですね。

ブームを無理やり作ろうとする人は学問の研究にも取り入って、目の前の調査結果すら、変容させてしまおうとするのですかね。

 

で美豆良の話に戻りますと。つまり古代のチベット人なりどこかの国の人が、美豆良という髪型の文化を保有しているということにでもなれば、日本人のルーツが見えてくるんですよね。

弥生時代以降に登場した美豆良の起源がどこにあるか。

まずは倭の近隣諸国、特に古代の韓国には、美豆良文化があったかどうか?が気になるところですね。

 ・・・・無いですね。

百済はどうか知りませんが、新羅高句麗、こういった古代国家の人々は美豆良という髪型は好んで無かったみたいですね。

 

下はベゼクリク(中国新疆ウイグル自治区)の壁画。

mediaevalmusingsより

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上のサイトによると、ソグディアナ人らしいのですが、ベゼクリクの位置的に見て、5世紀のこのあたりは高車、突厥烏孫、エフタルなどが入り乱れてた地域だったので、断定はできませんですね・・・。右は日本の人形塚古墳と島田一号墳からみつかった倭人の埴輪。完全に一致?

(画像引用サイト ハニワな日Glich news

 

次は古代のチベット人のご先祖様。 

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これは520年代の中国梁朝の頃に描かれた「蕭繹職貢図」の、鄧至(とうし)の使節を描いたもので、ウィキペディアから引用した画像です。

鄧至は羌族だからチベット人のご先祖の一種ということにもなりそうですが。見事な美豆良が見えますね。日本とチベットはDNAだけでなく美豆良でも一致してたんです。

 

次に、アフガニスタンのmundigakの遺跡で見つかった紀元前1500年の美豆良。

http://www.cemml.colostate.edu/cultural/09476/afgh02-02enl.htmlのサイトの写真です。

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アフガニスタン北部で紀元前1500年というと、いまから3500年前のことで、この付近はアーリア人の土地でした。

つまりアーリア人が日本の古墳時代と同じ髪型をしてたってことになると、なんか奇妙な感じがしますね。

顔の下で紐が結ばれてるのも、古墳時代倭人の服装とそっくりですね。なんでですかね。それとも年代が間違っててバクトリアの埴輪だとすると、ベゼクリクの壁画と年代が近くなるのですけどね。

 

 

シルクロードで繋がったみずら

 

倭人の美豆良と同様の髪型をもってた民族を表すと、こうなります。シルクロードで繋がってたんでしょうね。

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で、美豆良っていうと日ユ同祖論の研究者の方は、イスラエルユダヤ人の髪型ペイオトのことだとか言いますね。それでユダヤ人が日本へ渡った証拠の一つだとか。

日ユ同祖論はスタート地点のイスラエルと、ゴール地点の日本だけに注目してしまう傾向にあると思われるので、こうした中継地点について、もっと研究して欲しいです。

髪型が一致しただけで、倭人のルーツがユーラシアの遠方の民族と言い切るのはどうか?

たぶん日本のプロ・アマの古代史研究者はみんなそう思いますが、遺伝子と古代の髪型という2つの要素が合っている、少なくとも日本とチベットで確認できるという点は無視できないんではと素人ながら思います。

おわり。

 

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