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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

前方後円墳は矢印だった

前方後円墳矢印説の概要公開

 

全国の津々浦々にまで巨大な威容を誇らしめ、またはひっそりと佇んでいる、数多くの前方後円墳前方後円墳の正体とは、従来より弥生時代末期以降の権力者の埋葬施設、権力誇示のためのモニュメント、地域の目印、そういった目的があることは知られてきました。農作業が出来ない時期の公共事業といった意味合いも、あるのかもしれません。

・・・ところがある日、武蔵の国のどん底で、どん底でもいいやと思いつつ、追っかけ回され覗き見され、馬鹿にされつつ、それでもお茶をすすり、くつろいでいたワタクシが思いついたところでは、前方後円墳には

「被葬者にとって思い入れの強い場所を指し示す矢印」としての目的が含まれているようだなと、そのように感じ取った次第なのですよ・・・。

これは一部の公開としますが、詳細な検証結果は後日に発表することになると思いますよ。

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以下に記載される記号について、簡単に解説を行います。

● は古代の天皇が埋葬されたとされる前方後円墳

◯  は皇后が埋葬されたとされる前方後円墳

━━のラインは前方後円墳の中心軸から前方部方向へ伸ばした、まっすぐな線。

□はその線上に近い場所にある、それぞれの人物の宮殿や出身地、または思い入れの強い場所。

・数字は歴代天皇の順番。

 

・全ての前方後円墳の中心軸に線を引き、前方部へ向けて線を引いてあります。

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これまでに前方後円墳が矢印であるとの指摘は無かったとすれば、従来の古代史研究の常識には無かった仮説の提唱となるのかもしれませんが・・・もし既に提唱されている場合は、教えていただけると助かります。

(で、これは井上赳夫氏が『日本古代史の謎は解けた』で主張するところの「前方向法則」とおなじ理論であると知りました。)

 

以下に記すのは、これまでに僅かに調査と研究を進めてきてたどり着いた結論の一部です。この内容は、今後出版予定となっています。

 (これは井上赳夫氏が『日本古代史の謎は解けた』で主張するところの「前方向法則」であると知りました。一応消さずに残しておきます。)

神功皇后陵から線を引くと、神功皇后の居住した「磐余稚桜宮」伝承地へ寸分の狂いも無く到達する。

応神天皇陵から線を引くと、応神天皇の居住した「難波大隅宮」伝承地へ寸分の狂いも無く到達する。

垂仁天皇陵から線を引くと、垂仁天皇の生まれた「磯城瑞籬宮」伝承地、居住した「纏向珠城宮」伝承地へ到達する。僅かに5度~7度の誤差が出ているだけ。

垂仁天皇の皇后日葉酢媛命陵から線を引くと、「纏向珠城宮」伝承地と、父・丹波道主命の名前を冠する「丹波市町」の近くを通過する。誤差5~7度だけ。

雄略天皇稜から線を引くと、雄略天皇の居住した「泊瀬朝倉宮」伝承地の近くへ到達する。誤差にして10度だけ。

継体天皇陵から線を引くと、継体天皇の居住した「磐余玉穂宮」伝承地の近くへ到達する。誤差にして6度だけ。

 ・仲哀天皇稜から線を引くと、敦賀の「気比宮」へ到達する。他にも多数当てはまる

というわけでした。

誤差が発生するのは、前方後円墳の矢印が、特定の一箇所だけを指し示しているわけでは無いからだと見られます。たとえば大和三山や大神神社も含め聖所全域をさしているとも考えられるので。

誤差が10度以内だと、古代の「たぶんあのへん」という情報を元にした測量のレベルからすれば問題の無い水準と思われます。

 

 

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