今回は騎馬民族は倭にいた説でちょっとした仮説。
○いつも助かっております
かつては一大センセーションを巻き起こした「騎馬民族征服王朝説」は、考古学的調査が進むと共に、いまや否定派が多数を占めるようになっていると思います。
しかし個人的には、「騎馬民族或いは遊牧騎馬民族が、古代の倭へ流入した」という仮説は、決して夢物語ではないと思ってます。
江上さんの騎馬民族征服王朝説を否定することは自由ですが、その辺りはまず、以下に示す様々な考証を閲覧し、検証してからにしてみてください。
(このテーマは執筆中の本に載せる内容の一部とすることにしました~。)
今回は疲れきったわたくしに代わりまして、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)さんが解説してくれます。
伊弉諾尊さんは神様なので、現代語でも話せます。では伊弉諾尊さん、お願いします。
1・三世紀に牛馬が居たかも
実は魏志倭人伝の時代には牛馬がいたかもしれない、真実は隠蔽されたかもしれないという話。
魏志倭人伝には「倭には牛馬無し」と書かれているので、通常の考え方としては、騎馬民族征服王朝説は、卑弥呼の生きていた3世紀前半に当てはまらないと考えられます。
3世紀以前の牛馬の骨自体も見つかっていないので、これは考古学的にも明らからしいです。
五島列島で牛の骨が見つかってますが、肝心の九州や本州といった大きな島から、出土例がない状況は変わっていません。
ところで魏志倭人伝の諸国名は、用いる漢字の意味で、地勢や特色を反映しているものと見えます。
例としては対海国、これは対馬のことで、ご存知の通り対馬は、対馬海峡の真っ只中にあります。西水道と東水道という2つの海域が対になっているために、「対になった海の国=対海国」の意を込めて名付けられたと見えます。
伊都国、伊は「殷の知恵者」という意味があり、殷は紀元前1,500年頃、古代中国の初期に成立した王朝です。都は「みやこ」であることから、知恵者のいる都市。
これはつまり伊都国に一大率という監視組織があることで「知恵者がいる都」として相応しく見えます。
以上のように漢字の意味が、国の特色をある程度反映している場合があると見えます。一方で、単に倭人の発音した言葉に適当な漢字を当てはめた国名もあるようです。
これと同様に、倭の諸国と人物に纏わる漢字について、考えてみました。
馬がいない筈の倭国の諸国名に、馬の名が使われているケース
以下のとおりです。
「投馬国、邪馬壹国、斯馬国、邪馬国」の4つ。
「馬」の発音は古代からmag/maですが、maと同じ発音の漢字は、幾つもありました。麻(mag/ma)、摩(mua)、磨(mua)などです。
なんで投麻国、邪麻壹国じゃだめだったのか。わざわざ馬の字を使わないといけなかったのか、と考えると、妙に感じませぬか?
次に人物について
倭国の官吏・外交官の名は、
難升米、都市牛利、伊声耆、掖邪狗、載斯烏越、卑狗、卑奴母離、爾支、泄謨觚、柄渠觚、兕馬觚、多模、彌彌、彌彌那利
以上の14種が登場します。
これらの名称は、恐らく役職名と個人名が混ざっているものと見えます。青字で示したのは個人名と考えます。
この中で、倭にいない筈の、牛馬に繋がるキーワードを持っている名前は、都市牛利と兕馬觚(しまこ)を見つけることができます。
「兕」とは牛のような生き物を表す漢字で、兕馬觚がなぜ2大家畜を表す漢字を併せ持った名前を付けられたかは不明です。どうしても牛馬に関連付けたかったみたいです。
兕と同音の漢字などいくらでもある中で、なぜこの特殊な兕を用いたのか。
これはつまり魏志倭人伝では表向きは牛馬は居ないとされるだけで、実際には牛馬がいたことを示唆するのかもしれないと思うわけです。
こういう考えは恐らく多くの方が提唱してるでしょうけど。
14種のうち、牛馬の名を持つ官はわずか2名。含有率にして14%となります。
一方で、上記に取り上げなかった邪馬台国の官吏の名を見ていくと、特殊性が分かります。
「彌馬升、彌馬獲支、奴佳鞮」
「鞮」は平らな皮革、或いは革製品を表す言葉です。なんでこの漢字を使ったのか?
そして「鞮訳」と書けば「西方や北方の異民族のことばを通訳する人」の意味となり、中国から見て北方西方の異民族とは、遊牧騎馬民族に他ならないわけなのです。
「鞮」自体に「北方や西方の異民族」という意味合いが込められていることが判明します。
なぜそういった意味を込めた「鞮」が使われているのか、疑問が出てきます。
「テイ」という音を音写したいなら、より単純な発音の似た漢字、低(ter/tei)、底(ter/tei)、堤(teg/tei)などでも良かったはずなのですよ。
邪馬台国の官吏3人は、全て牛馬に関係していますし、奴佳鞮に至っては騎馬民族を表すに等しい漢字まで使われてます。含有率にして100%。
・邪馬台国以外の官吏・外交官の名に牛馬に関わる漢字が含まれる率 2/14= 14%
・邪馬台国の官吏名に牛馬に関わる漢字が含まれる率 3/3= 100%
邪馬壹国の官吏の名は、全て馬に関係している。しかも邪「馬」壹国であるから、これは偶然ではあるまいと。しかも倭国を支配した邪馬台国の人物がもし騎馬民族系の出身であるとすると、日本の従来の歴史の通説が変わってきてしまいますが・・・。
ただし、彼らが軍用馬・常用馬を用いた倭人との想像はできても、騎馬民族系渡来人そのものと、この時点では断定はできませんですな。
しかし対馬海峡上で馬を日本列島に運搬することができなかった、としても、人間が渡らなかったことにはならない。馬は無理でも人間は渡海した、その証拠は次の要素で証明ができます。
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