この前は大和三山の二等辺三角形と耳成山人工山説をお伝えしましたが、実はやはり中途半端でした。どこまで発表して良いのかという逡巡を経まして、今回はもう少し踏み込んで続きを書きたいと思います。
○いつも助かっております
この図は前回の大和三山の二等辺三角形の図に拡大解釈を付け足したものです。
見て分かる通り、大和三山の三角形(水色)に加えて、もう一つの二等辺三角形(青色)を確認することができます。
まず、畝傍山の山頂からまっすぐに三輪山の山頂へ線を到達させます。
さらに三輪山の山頂から大和三山の山頂に線を引くと、こんなふうに2つの三角形が現れるということです。
東西の2つの三角形を結ぶ線は、2つの三角形のほぼ真ん中を貫くことになります。
2つの三角形を合わせた四辺の距離は次のようになっていました。
畝傍山山頂~天香具山山頂 3.09km
天香具山山頂~三輪山山頂 6.32km
さらに中間線の距離
大和三山の中間線2.87km
三輪山側の中間線6.08km
つまり大和三山の三角形の、2倍の高さのほぼ二等辺三角形を、大和三山の東側に描くことが出来るということです。
3.14kmx2=6.28km
3.09kmx2=6.18km
(いずれの数値も、三輪山からの6.10km及び6.32kmの2倍となっている)
こんなふうに、だいたい2倍になってます。
ここで浮かび上がってくる疑問点は以下の2点。
1・なんの目的で、こんな巨大な図形を描く必要があったのか?
2・4つの山が自然地形であるとすれば、この地形が偶然形作られたことになるのだろうか。耳成山が人工の山とすれば、古代の日本人が意図して形成したことになるのではないか。
三輪山というのは、崇神天皇の御宇に、疫病と百姓の流離反逆で大混乱に陥っていた倭国に平安を齎すため、崇神天皇の命により、大田田根子によって大物主神を祭ったという伝説の山です。
この当時、天照大神を差し置いて最上位の神となったのが大物主神でした。
大物主神の正体が蛇神だったことは、何処か奇妙な感覚を覚えませんか。日本の神様が蛇神とは。
どうして漢委奴国王金印のひも通し部分が、蛇の形をしていたかという事実とも関係してきます。
崇神天皇の出自と信仰とは、実は日本人が元来考えてきた歴史と神道の中身を、根底から覆しかねない要素を秘めるものなのですよ。
三輪山の蛇神と大和三山の図形を含めて、実は古代倭国はオカルト的要素に支配されてたっていうのは、賛否両論出てしまうと思いますけども。
ということで、この2つの三角形が、一体全体何を意味するのかは、そのうち説明することにします。やはり中途半端で終わります。
追伸:ちなみにこの大和三山と三輪山の三角形の謎についての詳細が、「古代日本のフリーメーソン」(渡辺豊和・学研)という書物に、記載があることがわかりました。(2014年5月追記)
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