読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

卑弥呼と倭人の信仰は、確かに神道だったかも

 ひとりごと。

 この世界は、無慈悲さと優しさで出来ている・・・。

 

  自分が思う優しさ・・・・・優しい人というのは、基本的に「誰に対しても、いつもと変わらぬ慈悲を持って人に接し、自分を保てる人」。

 それは「大勢からうちひしがれた者や、存在意義無しと罵倒され、人間性を完膚なきまでに否定された者を目の前にしても、同じ事ですよ。いつでもどこでも、誰に対しても、いつもと変わらぬ自分でいられる、いつもと変わらぬ心情で、その人に迫ることの出来る人。もしかして、天使ですか。こんな人いますか。

 そういうのって、誰でも出来ることじゃなくて、親からの遺伝的なもの、幼い頃からの周囲の環境、本人の意思が複合的に作り出す性格であって、大人になってから獲得するのは難しそうです。

 

 そして個人的に思う、無慈悲な人。嫌悪する対象は人間とも思わない、とことんまで罵倒し、持ちうる力の全てを駆使して死の淵まで追い詰め笑いつつ、世間体ではそんな負の感情を感じさせず、知識の奥深さ、フトコロの深さ、爽快さのいずれか、または全てを演じて生きる人。サイコパスに近いか、サイコパスそのもの。極端な人格ですが、こんな人は実際にいますから。

 

 でも多くの人は、この2つの相反する性質を併せ持っていルのですよ。どちらか一方のちからに偏っているにしても。要するに光と闇、白と黒、正義と悪、天使と悪魔みたいに。オーラなんて言葉がありますけど、光のオーラが強いか、闇のオーラが強いかなんて言われますけど。しかし時には優しい人も、悪魔の一面を見せる時があるんだと思いますけどね。

 

 ところで、長期間に渡ってボコボコに打ちひしがれた者は、両者を見分けることができる目を、感性を、養うことになるのではないですか。。そうなればサイコパスにとっての敵であり、全力で潰される憂き目を見ることもある。イジメられっ子は内向的で、人に心情を打ち明けない、人間社会に容易に溶けこむことができない。だからこそ、世の中を変える事のできる、未知の可能性を秘めているかもしれない。そういう人を、インディゴチルドレンと云うらしい。

 そんなことを思いながら、卑弥呼の境遇と重ねあわせていました。何故なら卑弥呼は、日本で記録された、最初の引き篭もり、インディゴチルドレンより遥か以前のインディゴの先駆けとも言える存在なのだからです。

 

 などと書き込んでいる鬱な筆者のことを「プギャー」なんて嘲笑してるアナタは酷いですね( ゚д゚ )。でもゴルゴ13のように狙撃などしませんし、リングの貞子みたいに呪い殺したりもしませんよ、わたくしは。

 ところで。あなたの目から見て、世の中の不自然な事件事故が起きたとして、もし筆者が誰かを暗殺したか、呪い殺したように見えたのなら、それは「巨大な力が作用させ、彼が暗殺・呪詛によって誰かを殺したかのように見せかけて、面白がっている闇の組織のしわざ」でしょうよ。信じられますか?デスブログの本質って、そういうものだと思いましたよ。最近、「おまえが呪い殺したんだろう」なんていう指摘が、遠回しにありましたもので。そんなわけないんですがね。此の話は、べつに妄想扱いでもいいし、信じなくていいですけど。

 

 さて、「三角縁四神四獣鏡に、道教の西王母と東王父が書かれているから、卑弥呼の鬼道は道教だ」。・・・というのが、昔から言われる鬼道道教説です。3世紀当時はたしかに中国では道教が盛んで、一説には五斗米道という話もあります。でもそういうのは想像の域を出ませんが、しかし畿内では、倭の神籬・祭祀場跡も見つかっており、そこには桃の実が大量に用いられていたそうです。これは西王母を祭る道教の中で桃の実が祭祀に用いられたことと符合します。

 西王母が持っていた三千年に一度実る桃の実を食べると、不老不死を得られると伝わっており・・・そんな理由もあり、だから鬼道は道教だ、という一説に繋がるわけでした。

 

 ところが「魏志倭人伝」には、これは神道を表しているのだろうっていう、そんな記述があります。

 

1・大人の敬するところを見れば、ただ手を打ち以て跪拝に当つ

 ・・・これが神社の柏手として、神を拝む際に手を打つ動作として残っているとするなら?昔は挨拶する時は、神でも人でも関係なく手を打ったとも考えられますし。

2・巳に葬れば(葬儀後)、挙家水中に詣りて澡浴し、以て練沐の如くす

・・・伊弉諾が黄泉の死者の国から帰国した後、日向の橘の檍原(あわきはら)にて禊ぎ祓いを行いましたが、死者を弔った後は斎戒沐浴にて身を清めるという神道に通じる風習が、魏志倭人伝に書かれているようです。

 

 ということで、意気揚々と人前に出たら鬱なことになるので、暫くは引き続き、卑弥呼様同様に自室内作業に勤しみます。