たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

邪馬台国の彌馬と御間城2

 遅ればせながら、安本さんの「天照大神は卑弥呼である」を読み始めました。冒頭に魏志倭人伝の卑弥呼の居城には矛を持つ兵隊が常駐していたので、矛の大量出土地が邪馬臺国の居城に他ならない云々の文章があり、これは尤もなお話です。魏志倭人伝の卑弥呼の居城についてのみならず、倭人伝自体に祭祀具である銅鐸は全く登場してこないので、邪馬臺国のあった場所は、畿内では無いということです。何故ならば畿内の遺跡からは、魏志にある居城の兵隊が持っていた筈の矛の欠片も全く出ず、銅鐸と鏡ばかりが出土するからです。 銅鏡こそが卑弥呼の祭祀具であるとの考えを持つ人は多いのですが、こちらのサイト「《「真説・古代史」拾遺編》(68) 「邪馬台国」論争は終わっている。(7)で明らかな通り、近年の出土遺物の数と構成は、北部九州邪馬臺国説に有利な方へと徐々に傾いているように見えるのですが、どうですかね。

 

 ところで邪馬臺国の官吏の名は、地名を元にしている可能性を探っていたのですが、記紀の中に邪馬臺国の官吏の名によく似た地名が登場することに気づいたのです。これは崇神天皇=卑弥呼+壱与説でしか、解読が不可能かもしれませんよ。

 邪馬臺国の官吏に彌馬升と彌馬獲支が登場しますね。彌馬獲支というのは、崇神天皇の宮殿の名に、良く似ていると思いませぬか。臭い人の戯言ですけども。

                  1 - 2 - 3 - 4
崇神天皇の宮殿(日本書紀)瑞籬宮  mi-zu-ka-ki
崇神天皇の宮殿(古事記) 水垣宮  mi-zu-ka-ki
邪馬臺国の官吏(魏志)  彌馬獲支 mi-ma-ka-ki
邪馬臺国の官吏(魏志)  彌馬升  mi-ma-sho

発音を4分割した際に、1と3と4が一致し、2だけが間違っている。つまり瑞籬及び水垣と彌馬獲支の一致率は75%となります。75%が一致して、全然違うとは、言えないのではないかと思います。馬はどう読んでもmaかmeかbaかnmにしかならないと思うので、zu・duとは相容れない感じがしますが、これはどうしたことか。

 ちなみに伊都国は別名を伊蘇とも言ったらしいです。現在は糸島市であるとの説が有力な一つで、一昔前までは怡土郡と言ったのですね。伊都はイトと読むのかイツと読むのか不明ですが、怡土郡が伊都を継承しているとすればイトが正解と見られます。

伊都1 i-to
伊都2 i-ts(tsu)
伊蘇  i-so

怡土  i-to 
糸島  i-to-shima 

イトとイソは全然違いますが、同一の土地のことなのです。一致率は50%です。これを踏まえると、「みずかき」と「みまかき」なんて些細な違いに思えてきますが。伊都国は物部氏の拠点だった説を拙著に書きましたが、こうして並べると伊都がイツ国である場合、物部氏の拠点だった出雲(イヅモ)が同系統の名前を用いたことは明らかでしょう。古代に恐らく卑弥呼の次代以前は、九州から山陰山陽地方にかけては、伊都国が支配していた可能性を、伊都と出雲の地名・そして物部氏の活動範囲からも、推測出来ます。

 

 話がそれましたが、卑弥呼の邪馬臺国の彌馬獲支が地名を元にした名前で、崇神天皇の瑞籬宮との一致度から関連性を導き出すとするのなら、崇神天皇と卑弥呼の居た宮殿は共に「みず(ま)かき」という名称だった可能性があることになります。卑弥呼の宮殿は瑞籬宮かもしれないという可能も浮上します(自分的には)。

 

瑞籬宮(水垣宮)は、彌馬獲支宮だったんです。

 

 つまり崇神天皇=卑弥呼説を後押しする材料ですし、崇神天皇=卑弥呼+壱与説でないと、説明がつかないことになります。ではその瑞籬宮は何処に在ったか?目星は付けてますが、またいずれ。

 

おわり