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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

崇神天皇の宮殿は九州にあった自説を補強する

 拙著「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」の中で、崇神天皇の瑞籬宮が九州にあったとする説を紹介してます。ブログにも過去に書いたと思います。

 垂水神社の社伝によると、崇神天皇により東へ向かえと命じられた豊城入彦命が、最初に開拓したのは、垂水神社の附近であったのであるが、垂水神社は大和の西に位置するのでおかしい。

 つまり垂水神社の位置は崇神天皇の宮殿の東になければいけない、ということになり、崇神天皇の宮殿が垂水神社より西にあったのではないかと推測したのです。

 ではそこはどこか?九州筑紫平野です。拙著の第一章と終章を読むと、もう少し詳しく理解出来ます。

 

 ところで最近、瑞籬宮の位置に関する資料が、あることを知りました。「古代史の復元」という凄いサイトがあり、こちらのほうで次のような伝承が引用されていました。簡単に言うと、

「瑞籬宮から英彦山が見えた」

英彦山の山頂で輝く水晶の光を、瑞籬宮から見ることが出来たという伝承が、山の附近のどこかに伝わってたようなのです。

 

 奈良盆地の三輪山の西南に、瑞籬宮伝承地があります。ネット地図上では、瑞籬宮伝承地は小さな扱いで、サイトによっては載っていたり載っていなかったりします。国土地理院の地図には神社を示す鳥居のマークだけがあります。

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ここから、九州の英彦山が見えるか?と調べてみると、

f:id:kl117cr233:20130117005045j:plain

あ~、こりゃ見えませんね。途中に1000m級の山岳地帯が幾つかあるし。

 

 現在伝わる瑞籬宮は、実は真の瑞籬宮ではない。崇神天皇の宮殿は、卑弥呼の邪馬台国の宮殿であると考えます。

 実際の崇神天皇の瑞籬宮は、福岡県と大分県にまたがる英彦山から見える位置にあった。これを知るために、候補地を全て抽出し、山頂からの距離と山岳の等高線と地形の断面図を作成しているところです。

 

 (後日追記)これが事実と判明すると、従来の歴史認識がどう変わってくるか。

崇神天皇の瑞籬宮は畿内と伝承されてたが、実際には九州(筑紫平野が有力)だった

崇神天皇による四道将軍の派遣は、畿内でなく筑紫平野から派遣された

崇神天皇は卑弥呼であるので、瑞籬宮は邪馬台国(邪馬壱国)の宮殿であり、それは筑紫平野にあった(これの詳細は拙著終章を参照)

・ほかいろいろ

  別に記紀が間違ってた、というわけではなく、元々筑紫平野崇神天皇の住まう「やまと」であり、やまとは恐らく5世紀に東遷したが、その事実は記録されなかった、若しくは隠蔽されたがために、記紀では語弊が生まれたと。つまり「やまとの都が異なる時代に2ヶ所あった」が為にです。そういうことのように思いますが、果たして真相は。

 

続く。

 

 メールアドレス:fukurou1piki@gmail.com