たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

もう1つの不弥国から邪馬台国を探してみる

 魏志倭人伝中の「不弥国から投馬国まで水行二十日」とは、馬韓の不弥国から対馬国までのことではないかと思い、馬韓の不弥国をネット検索してたら、次のような記述がありました。

 

邪馬台国は九州にあった18
awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1344468690/897

2012年9月22日 – そこで、不弥国は宇美ではない、と考えるか、 伊都国からの放射読みを採用するしかない。 しかしもう一つ盲点がある。それは馬韓にも不弥国があることである。 で、投馬国と邪馬台国への水行陸行記事は、 もしかしたら馬韓不弥国を起点 ...

 

 やはり同じようなことを考えている人がいたらしい。このAさん(仮)の記述、途中で途切れて肝心な部分が表示されない、しかもリンクをクリックしても内容が出てこない・・・。

 しかし何を言わんとするかは、想像ができました。「魏志馬韓伝」の馬韓にも不弥国があったという事実は、邪馬台国が九州であることを裏付けるものと思われます。

 

 馬韓の不弥国はどこか。

 馬韓の範囲は限られており、定説では大雑把な位置として

・韓国のソウルより南
・東経128度線より西
・小白山脈より西
・黄海に面した土地

大雑把に言えばこんな感じですが、馬韓の不弥国は馬韓55国の中で37番目 と、後半に登場します。魏志倭人伝を思い起こすと、狗邪韓国から不弥国まで、魏志の順序通りに、都市が並んでおり↓

狗邪韓国→対海(対馬)→一大国(壱岐)→末盧(松浦半島)→伊都(糸島)→奴(灘・福岡市)→不弥(宇美)

個人的に、倭人伝に記録された三十餘国全ての国名は、上記と同じく「順序どおりに並んでいる」と考えていますが、ということは馬韓の諸国も、ある程度順序通りに並んでいることは想像に難くない。とすると馬韓の南方に位置するのではないかと思われ。個人的に、韓国の全羅南道の木浦の西にある「bunmae(ブンメ?ブメ?現地発音不明)が不弥国であると直感的に思われ、ここは名前が似ているし、海に囲まれた島であったし、馬韓の南方に位置していて、さらに帯方郡から倭へ至る海路の途上に有り、全てが調度良かった。

 

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 仮に魏志倭人伝の不弥国が馬韓の不弥国であるならば、「水行20日」は馬韓の不弥国から対馬国を目指したものと判断できるかもです。

何故ならば、投馬は対馬に音が似ているからですよ。

倭国の不弥国~水行20日~投馬国 従来考えられていた定説、比定地が多くある

馬韓の不弥国~水行20日~対馬 実際の不弥国は馬韓を基準とし、対馬(投馬国)までが水行20日なのではないか

 

 編者の陳寿は、馬韓と倭の不弥国を混同し、判別が出来なかったと思われ、実際のところは、

馬韓の不弥国から対馬国まで二十日」

倭人伝中に書かなければいけないところを、馬韓の文字を入れ無かったがために

「不弥国から投馬国まで二十日」かかるように書いてしまったのではないか。とすると邪馬台国の位置「投馬国から水行十日陸行1月」はある程度確定できる。

Chen Shou.jpg

陳寿「・・・間違えちゃった?」

 

対馬から南へ水行10日で九州本土(末盧国)に到達するし、末盧国からその南方の邪馬台国まで陸行ひと月とすれば、北部九州で十分収まるから」です。

 

 筑紫平野全域と周辺が邪馬台国の範疇で、最南端であっても熊本以南には下らないと思われます。個人的に筑紫平野一帯と思ってますが、具体的に卑弥呼の宮殿(崇神天皇=卑弥呼説では瑞牆宮と同一)の位置についてはいずれまた。