たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

豊城入彦が最初に向かった場所

日本書紀の中で崇神天皇は、息子である兄・豊城入彦命(豊城命)と、弟・活目入彦五十狭芽命(活目命)に勅(みことのり)して、どちらを跡継ぎにしようかと思案した様子が書かれています。結局2人が見た夢の内容で占う「夢解き」をして、将来の役目を決することになりました。

豊城命が見た夢は、「御諸山に登り東へ向かって八度槍を突き出し、八度刀を空に振った」との内容であり、一方の活目命の見た夢は「御諸山の頂に登り、縄を四方に引き伸ばし、粟を食む雀を追い払った」というものでした。

天皇はそれらの夢を占い、2人の子に言いました。
「兄はもっぱら東へ向かって武器を用いたので、東国を収めるのに良いだろう。弟は四方に心を配り稔りを考えているので、わが位を継ぐのによい」
こうして弟の活目命を皇太子として立て、兄の豊城命に東国を治めさせました。日本書紀ではこの豊城命が上毛野君(かみつけののきみ)と下毛野君(しもつけののきみ)の先祖としています。ちなみに上毛野君は上野国(こうずけのくに)で、現在のほぼ群馬県域に当たり、下毛野君は下野国(しもつけのくに)で、ほぼ現在の栃木県域に当たります。

定説によれば崇神天皇の宮殿である瑞籬宮は、現奈良県の橿原市にあったはずなので、東国を治めよと言われて関東地方の上毛野と下毛野へ向かったことはなんら不自然さは観られないかと思います。

ところが、大阪の垂水神社には、豊城入彦命が最初に向かった意外な開拓地が伝承されています。垂水神社の創建は崇神天皇の時代で、豊城入彦命が垂水神社の地を開拓したことが始まりと伝えられています。

そしてその社伝によれば、豊城入彦命は東を治めよと命じられ、まず最初に開拓したのが、何を思ったのか、奈良県の西側にある摂津国豊島郡(現大阪府吹田市)の垂水神社の建っている辺りだったのです。蕎麦を食べに行く言っておきながら、向かった先はラーメン屋だったかのような印象です。

この話を一旦分かりやすく整理してみます。通説では次のようになります。
1・崇神天皇の瑞籬宮は大和国(奈良県)
2・崇神天皇「東国を治めよ」と豊城入彦命に命ずる
3・豊城入彦命が最初に向かったのは、「西国・摂津(大阪)」

完全に矛盾していることが分かります。豊城入彦命の耳が遠かったとか、東と西を勘違いしたとか、そういう話でもないと思います。
垂水神社の伝承を、完全に破綻しない形で解釈するには、大阪の垂水神社よりも、瑞籬宮が西にあったと考えることです。
瑞籬宮が大阪より西の九州にあったと仮定して、もう一度考えてみます。

1・崇神天皇の瑞籬宮は九州
2・崇神天皇「東国を治めよ」と豊城入彦命に命ずる
3・豊城入彦命が最初に向かったのは、「東国・摂津(大阪)」

このように、瑞籬宮が大阪より西側にあったとすれば、大阪は当然東国になり、崇神天皇の言葉「東国を治めよ」がしっくりと当て嵌まってくるわけです。
なぜ崇神天皇の都が九州なのか、そのへんは、またいずれ。