たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

倭人に対する呉・越などの影響

倭人は古来より、中国人の影響を色濃く受けていました。古代の中国人は、倭人にどんな影響を齎したんでしょうか。

紀元前8世紀か恐らくそれよりもっと以前から、中国大陸から日本列島への大規模移住、民族大移動は滞ることなく行われていたようです。
渡来人とも呼ばれる弥生人の発生源の1つが、呉・越と呼ばれる、中国東方の沿海地方にあったことは、米のDNA分析、弥生人と呉越地方人の骨格の比較分析、遺跡から出土する遺物の比較などからも明らかなようです。

魏書の「倭の風俗は儋耳・朱崖に似ている」や晋書にある「倭人は呉の太伯の末裔を自称」との記述からも、少なくとも一部の倭人は、呉越地方から渡ってきている事に間違いはないように思えます。

呉人は三国志の魏・呉・蜀の、呉に住んでいた人々であり、孫権の出自に呉人が無関係だとしても、呉が中国人の歴史の一部で、中国人を構成する民族だったことは、倭人の一翼を担った弥生人の一部は、元々は呉人だったとの解釈も可能かもしれません。

日本の伝統衣装の一つである着物の別名が呉服であることは、昔の影響が今に伝わっている証です。同じく日本の文化の代名詞的な役割を果たしてきたものに、歌舞伎があります。歌舞伎の起源は猿楽、猿楽の起源は伎楽と言われ、日本書紀によれば伎楽は、612年の推古天皇の時、百済人味摩之(みまし)によって呉の国から伝えられた呉の文化ということで、呉と日本文化とは、切っても切り離せない関係のようです。

中国浙江省のあたりの越の人々は、単純に越人と呼ばれますが、元は百越、または百粤(ひゃくえつ)と呼ばれる、諸民族の集合体で、中国の南部内陸部に起源があったようです。
多くの民族・部族の集合体という意味で、倭国三韓を想起させるものがありますが、特に馬韓は後に百済となっており、また百済の王は扶余族の王であり、百越には扶余と同じく卵生神話が伝わっていたこと、同じ百の漢字を用いているというところでも、密接な繋がりが見えます。

現代のベトナム人は、この百越を受け継いだ民族だそうです。照葉樹林文化圏といって、ヒマラヤ山脈の中腹から東南アジア北部を経て日本列島に至る広域的な地域には、伝統的文化の中に同一性が見られることから、倭人の文化の基礎があちらのほうなのではないか、という話を聞いたことがあるでしょうか。

倭国王帥升など、倭人による中国歴代皇帝に対する朝貢と交易は、中国からの先進文化、取分け信仰に用いられる銅鏡といった神器や、形を持った言霊である「漢字」を倭人に齎すことになりました。

銅鏡の種類によっては、四方を意識した形のものがありました。
漢の時代を代表する銅鏡「方格規矩四神鏡」は、その名の通り東西南北の四方にそれぞれ、青龍・白虎・朱雀・玄武を配した意匠を持っています。銅鏡には青龍三年(二三五年)の文字が刻まれていました。大阪府高槻市の古墳時代前期初頭の長方形墳、安満宮山古墳(あまみややまこふん)などから見つかっています。
三角縁神獣鏡も同様に、四神四獣を用いてあって、これらの神鏡は、四方の方位と密接に関わる祭事の道具だったかもしれません。