たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

倭と韓。3

次に馬韓辰韓弁韓という、3つの連合国を構成する国(地方自治体)の地名を見ていきます。

魏志馬韓伝に記された55の国

爰襄国・牟水国・桑外国・小石索国・大石索国・優休牟涿国・臣濆沽国・伯濟国・速盧不斯国・日華国・古誕者国・古離国・怒藍国・月支国・咨離牟盧国・素謂乾国・古爰国・莫盧国、卑離国・占卑国・臣釁国・支侵国・狗盧国・卑彌国・監奚卑離国・古蒲国・致利鞠国・冉路国・兒林国・駟盧国・内卑離国・感奚国・萬盧国・辟卑離国・臼斯烏旦国・一離国・不彌国・支半国・狗素国・捷盧国・牟盧卑離国・臣蘇塗国・莫盧国・古臘国・臨素半国・臣雲新国・如來卑離国・楚山塗卑離国・一難国・狗奚国・不雲国・不斯濆邪国・爰池国・乾馬国・楚離国

魏志弁辰伝に記された辰韓弁韓24ヶ国は混ざり合って記録されてます。

已柢国・不斯国・弁辰彌離彌凍国・弁辰接塗国・勤耆国・難彌離彌凍国・弁辰古資彌凍国・弁辰古淳是国・冉奚国・弁辰半路国・弁樂奴国・弁軍彌国・弁辰彌烏邪馬国・如湛国・弁辰甘路国・戸路国・州鮮国・馬延国・弁辰狗邪国・弁辰走漕馬国・弁辰安邪国・馬延国・弁辰瀆盧国・斯盧国・優由国

辰韓弁韓は境界が曖昧であったためか、2国の国名は混ざり合っています。接頭部分に弁辰、または弁とあるのが弁韓になり、それ以外が辰韓になります。これを辰韓弁韓に分けると、以下のようになります。
魏志には24ヶ国、辰韓弁韓にそれぞれ12づつと書かれてますが、数えてみると、実際には25ヶ国(辰韓12・弁韓13ヶ国)あるようです。

辰韓の12ヶ国
已柢国・不斯国・勤耆国・難彌離彌凍国・冉奚国・如湛国・戸路国・州鮮国・馬延国・馬延国・斯盧国・優由国

弁韓の13ヶ国
弁辰彌離彌凍国・弁辰接塗国・弁辰古資彌凍国・弁辰古淳是国・弁辰半路国・弁樂奴国・弁軍彌国・弁辰彌烏邪馬国・弁辰甘路国・弁辰狗邪国・弁辰走漕馬国・弁辰安邪国・弁辰瀆盧国

では三韓の国名の中から、倭国と明らかに同一か、よく似ている名を取り上げてみます。
「不彌(ふみ)」馬韓には不彌国があり、倭国には不彌国がある。
「狗邪(くや)」弁韓には弁辰狗邪国があり、倭国には狗邪韓国がある。
「邪馬(やま)」弁韓には弁辰彌烏邪馬国があり、倭国には邪馬台国と邪馬国がある。
「卑離・巴利」馬韓には7つの卑離国があり、倭国にはよく似た巴利国がある。
「樂奴・華奴」弁韓には弁樂奴国があり、倭国には華奴蘇奴国がある。
「躬臣・古資」弁韓には弁辰古資彌凍国があり、倭国には躬臣国がある。

魏志に記された地名だけでも、倭と韓ではこれだけ完全に一致するもの、似たものがあることが分かりました。
魏志三韓地域に居住していた倭人の記述を元にすると、これらの地名は倭人に関わるのではないかと思われます。
特に彌烏邪馬国の邪馬は邪馬台国の邪馬であり、ヤマトのヤマでもある点は見逃せません。彌烏邪馬国は、崇神天皇や倭迩迩日百襲姫の大物主信仰の中心であった、三輪山の名にも似ているのは偶然でしょうか。もっと詳細に倭国の地名と比較する必要もあると思います。
狗邪は、加羅伽耶も含め、韓(から)と同義で同源の地名です。加羅の別名は日本書紀で明らかな通り、任那です。
倭国は魏から認められた、自立した王・卑弥呼がいましたが、三韓地域で魏に認められたのは、王より下の候のさらに下の邑君という称号でした。3世紀時点では、三韓よりも倭人のほうが、魏の皇帝や曹操から評価を得ていたようなのです。古代史書では三韓の人々が、倭を大国として見ていたとする記述もあります。
魏志後漢書では、馬韓弁韓倭人が多かったことは書かれていますが、倭国に韓人がいたとは書かれていません。

複合的に判断をすると、これらの地名は、韓人が倭に進出し同じ地名を名付けたというより、馬韓弁韓の地域にいた倭人が、列島に移住後も故地と同じ名を付けたことを示している可能性のほうが、高いのではないかと思われます。