たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

倭人の衣服は斑模様?

倭人の着ていた衣服の形状は、古墳から出土する埴輪を見て復元されますが、通常は衣服の色まではわかりません。
埴輪の粘土の色は黄土色、土気色ですが、時折朱色の彩色を施されたものも出土するようです。

衣服の色については想像の域を出ることはなく、純白の絹の衣服だったかもしれないし、藍染めや朱染めだったかもしれない。通常の復元図を見ますと、複雑な模様や刺繍の入った復元はあまりされていないようでした。復元した埴輪の衣服に何色を付けるかは、復元する側それぞれの判断に委ねられるのだと思います。

魏志倭人伝には、倭人の着ていた衣服の形状について簡単に触れられていますが、その色・模様・刺繍については記述がなく、分からないままです。

参考に成りうるのが、魏志倭人伝の景初二年(238年)の記述です。
景初二年、太夫難升米、都市牛利らが魏の都へ向かった際に、男女の生口(奴隷とされる)と共に、斑布が魏の皇帝に献じられていました。これは衣服ではなく、布についての記述です。

「斑」という漢字を調べると、「分ける」という意味の他に「天子(天皇)が諸侯に印の玉を分け与える」という意味合いがあります。

日本語でこの漢字に当て嵌まる「まだら」で調べると「色の濃淡や違った色が入り交じっている。ぶち」とあります。

魏志倭人伝倭人が魏に持参した布が斑布だったことは、倭国の伝統的な布製品が斑模様だったことを示すのかも知れません。

だとすると倭人の衣服には、単色の他にも、斑模様も含まれていたとして全く不思議ではないと思われます。その場合、染色法なのか、刺繍なのか、あるいは両方を含むのか。

松塚古墳の壁画に描かれた女性を見ても、斑模様の衣服は確認できません。高松塚古墳の築造年代は藤原京期(694年〜710年)の終末期であり、衣服の形状は3世紀の倭人の時代からはかなり変化しているから、かもしれません。

高句麗王朝の4世紀の古墳、舞踊塚古墳の石室壁画には、斑模様の服を着た女性が舞踊を楽しんでいる姿が描かれています。(東アジアという視点 朝鮮美術 韓国美術より)
もし倭人が斑布を倭の象徴として魏に献じたとするのなら、高句麗の壁画に見られるような、斑模様の衣服に似たものを、倭人も着ていたかもしれないです。

倭人高句麗人が、民俗学的にも言語学的にも、同じルーツを持っていたかも知れないという仮説も多くあり、興味深い所です。