たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

正確な方位を知ってた?3世紀の倭人。9

前回取り上げた、延喜式神名帳名神大社51社を、各時代ごとに分類調査していきました。

ここでの留意点は、神代の時代から欠史八代にかけて創建された神社は、伝承される創建年代に実際に建てられたかどうかは怪しいという点です。

神武天皇の伝承上の即位元年は辛酉(かのととり)で、西暦に直すと紀元前660年ということになってます。つまり記紀で言う神代の時代というのは、前660年より以前の出来事ということになり、この時代は縄文時代晩期に相当してます。そのような古い時代に、日本列島各地に神社の社殿が、現在地に存在したか、神道が存在したかという問題にもなってきます。別の考え方もあり、第十代崇神天皇が3世紀の天皇である場合には、神武天皇はそれより百年前後ほど前に実在したのかもしれません。或いは神武天皇崇神天皇は同一人物とか、架空の存在、と考える向きもあるかと思います。自分としてはまた別の考えに至っていますけど・・・。

発掘調査で創建伝承が神代の、全ての神社の境内を調べても、紀元前の神社建築の建物跡は出てこないケースのほうが多いのではないかと思います。境内を発掘し、土器や木片が出土したとして炭素年代測定で縄文時代のものと確定されても、それが社殿の無い祭祀場の祭祀具だったと判断することは不可能に近いです。境内の地下を調べて縄文晩期から2世紀前後までの社殿跡がでないことは、記紀の神代の時代の伝承には、信憑性がないと言われる理由の一つに挙げられるかと思います。

というような事実を踏まえた上で、神代の創建に信憑性と確証が薄いことは明白でも、調査した結果かなり参考になる数値が出ているので、公表していきたいと思います。

今回の対象神社数は51社で、全て延喜式神名帳式内社中、明神大社のみです。他にも該当する神社はありましたが、情報量が足りなかったので51社に限定しました。ウィキペディアのページなども活用しました。

調査のルールについて。
方位を表す際、通常は北を0度・360度という基点として、真東を90度、真南を180度、真西を270度と規定されますが、今回は真南を0度とし、各社殿の方位関係と照らしあわせたものです。東西南北の方位に即した社殿を持つ神社が、より方位に正確であると判断されます。仮に四角形の社殿の場合、角は4箇所あり、角と角を結ぶ1辺も4箇所あります。四角形の社殿の、より南北軸に近い一辺が、方位の南北軸に正確かどうか。正確な南北軸から、社殿の角度が何度ずれているかで判断しました。0度に近いほど、方位に正確と考えられます。

対象神社51社の内訳は次の通り。
伝神代(神武天皇期含む)創建神社21
欠史八代綏靖天皇開化天皇)期創建神社6
崇神天皇期創建神社17
垂仁天皇期創建神社8
(創建伝承が神代と崇神期の2説ある、重複する神社1社含む)

10に続く。