たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

アカルヒメの謎。1

崇神天皇の正体を知るには、アカルヒメについて、少し触れなければなりません。

日本書紀では垂仁天皇の条に、比売碁曽の社の神と称され、古事記では応神天皇の条に比売碁曽の阿迦留姫と記されています。

日本書紀古事記では、アカルヒメに関する記述内容に多少の食い違いが見られます。アカルヒメに関する記紀の記述を抜き出して、比較検証してみます。

日本書紀・垂仁紀では任那の人・蘇那曷叱智が故国へ帰ったとされる所から、アカルヒメの話に繋がっていきます。ある説によると、と別伝としても書かれており、ここで蘇那曷叱智の別名が都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)であることがわかります。比売碁曽神に関する物語をあらすじで表すと次のようになります。

この都怒我阿羅斯等(以降、阿羅斯等)は、崇神天皇の治世、加羅=任那にいた時、自分の連れていた牛を見失ってしまい、その牛はある村の村人に食べられてしまった。村人は牛の代わりに「白い石」を阿羅斯等に授けた。白い石は美しい乙女に変わり、阿羅斯等が結ばれようとしたところ、乙女は日本国の難波へ逃げ、比売碁曽の社の神となった。
豊国に入り比売碁曽社の神となったとも書かれています。このあと垂仁天皇の元へ新羅の王子、天日槍(あめのひぼこ)がやってきて、神宝を献上したとなってます。

都怒我阿羅斯等は加羅国の王とされていて、垂仁天皇は、先代崇神天皇の諱である御間城入彦の「御間城」の名を取り、加羅国のことを任那と命名していることも書かれています。つまり朝鮮半島南部の加羅任那のことで、加羅伽耶とも呼ばれ、三韓弁韓や、倭の狗邪韓国も同じ地域に当たるかと思います。。
そしてどうやらこの天日槍も、古事記の伝承を見た限りでは、都怒我阿羅斯等と同一人物かもしれません。

古事記の応神記に治められているアカルヒメの話を要約すると次のようです。

新羅の阿具沼のほとりにいた卑しい女が、陽の光を浴びて孕み、赤い玉を産んだ。身分の低い男が譲り受けたが、新羅の王子・天日矛(あめのひぼこ)がそれを手に入れた。玉は乙女に成長した。日矛が求婚すると、乙女は父の国へ行くと言って難波へ渡っていった。これが比売碁曽の阿迦留姫である。天日矛は阿迦留姫を追いかけ日本へ向かった云々。

話の流れはほとんど同じですが、日本書紀では加羅の都怒我阿羅斯等となっているところが、古事記では新羅の天日矛となっています。また、日本書紀では白い石がアカルヒメになったのに、古事記では赤い玉がアカルヒメになったという違いもあります。
もう一つは、日本書紀では第十一代垂仁天皇の条に書かれている話であるのに、古事記では第十五代応神天皇の条に書かれているという違いがあるようです。

光を浴びて妊娠するというのは感精説話、赤い玉を産んだという表現は卵を産んだことを連想させ、これは卵生説話の一種と思われます。これら2種の逸話は魏書高句麗伝に書かれている、扶余王・朱蒙の話とそっくりです。扶余の朱蒙は、河の神の娘が日の光を浴び、孕み、産んだ卵の中から誕生しているのです。
おそらく扶余系の神話が、記紀に治められたと言っても間違いなさそうです。

ではアカルヒメとは、一体何者なのか。

2に続く