たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

筑紫国の地名考1(崇神天皇の宮殿はどこか)

すでに多くの歴史家や考古学研究者によって、日本全国の邪馬台国候補地は、長い年月をかけた綿密な発掘調査と中国正史を元にした考証が、充分に為されてきました。

それでも邪馬台国の場所が正確に特定されず、畿内だ九州だ四国だというふうに意見が統一されないのは、第一に魏志や記紀の記述が極めて曖昧なことに起因するのは明らかなことのようです。魏志倭人伝の検証には限界があり、解釈はどうしても、人それぞれの主観が反映されてしまいます。アマチュアの歴史研究者の意見まで含めると、おそらく候補地は数百箇所にも上るものと思われます。その中には日本列島の範疇を越え、太平洋上だとか東南アジアだとか、エジプトだという奇説まで存在しているのです。

ところで日本列島の地名というのは、一千数百年前から現代に至るまで、人口の増加と未開地の開拓に比例して新たに名付けられる地名が増加する一方で、上古の地名が完全に失われる比率は低かったように思います。つまり古地名は、その地に一旦刻まれると消えにくく、7世紀以降には文書として刻まれてきたために、完全に忘れ去られることもあまりなかったようなのです。

尤も近代に至ってからは、古代から続いてきた地名が、新しい名前に取って代わられる頻度が高くなったようですが。

さて、和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)という、平安時代中期に源順(みなもとのしたごう)によって編纂された書物があります。体の各部位や病気の種類、動植物、全国津々浦々の名所、名産品、地名までも網羅したこの書物は、謂わば昔の百科事典のようなものだったようです。この和名抄では10世紀序盤時点での全国の群名・郷名が網羅されています。

この和名抄の中に治められた古地名を見ると、当時の郡郷の名だけでなく、特定の氏族がどの地方へ分散していったかも知ることができます。

例えば大昔から倭国の有力氏族として、権力を握っていた物部氏の末裔の住む郷は、物部郷として知られますが、日本全国のあちこちに物部郷があったことが、和名抄から窺い知ることができます。同じように古代氏族として知られる海部氏、平群氏、秦氏などの郷は、それぞれ海部郷、平群郷、幡多郷として全国に散見できます。

この古地名を収めた和名抄の中で、特に筑紫国(筑前国筑後国)の地名に注目して眺めていると、意外な事実がわかりました。どうやら筑紫には、崇神天皇の時代に関わりそうな秘密がありそうなのです。

2に続く。