たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

遣魏使は日本書紀に記録されたかどうか。2

魏志倭人伝に記される遣魏使は、単純に説明すると、「倭国(日本列島)→朝鮮半島(魏の帯方郡)→倭国(日本列島)」という経路を辿っているのですけど、これとよく似た経路をたどった神が、日本書紀の神代に登場していました。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)と息子の五十猛神(いたけるのかみ)です。

「正確な方位を知ってた?3世紀の倭人。」シリーズのほうですでに触れていましたが、より詳細に検証したいと思います。

日本書紀では「一書曰(一書に言う)」と断っておいて、一つの話にいくつもの異伝を伴うことが頻繁にあります。それら「一書」が如何なる名の書物だったのか、日本書紀内では殆ど明らかにされていませんけれど。

日本書紀の八岐大蛇の登場する場面で、素戔嗚尊五十猛神が登場しますが、ここでは本文の他、一書・第一から第六までの6パターンの、素戔嗚尊と八岐大蛇の物語が展開されていました。つまり本文・異伝を含め計7パターンの素戔嗚尊と八岐大蛇の話があるのでした。その中には、素戔嗚尊や八岐大蛇が登場しない話もあります。

それぞれの物語のあらすじを簡単にまとめると、次のようになるかと思います。

本文素戔嗚尊は出雲の簸の川のほとりに降り、八岐大蛇を斬り、天叢雲剣(草薙剣)を手に入れ、天つ神に献上し、大蛇に呑まれようとした奇稲田姫を助け娶り、須賀宮を建て、大己貴神(おおあなむち=大国主)を産み、根の国へ行った。

一書第一素戔嗚尊は出雲の簸の川のほとりに降り、稲田姫を娶り、清(すが)の湯山主・狭漏彦八嶋篠(さるひこやしましの)を産んだ。この5代孫は大国主

一書第二素戔嗚尊は安芸の江の川のほとりに降り、八岐大蛇を酒で酔わせ、斬り、草薙剣を手に入れ、奇稲田姫を娶り、出雲の簸の川へ移り、子を産み、その6代孫が大己貴神

一書第三素戔嗚尊は、奇稲田姫を娶るため、八岐大蛇を酒で酔わせ、斬り、草薙剣を手に入れた。この地は出雲の簸の川の上流。

一書第四素戔嗚尊は行いがひどかったので神々に追放され、五十猛神を率いて、新羅の曽尸茂梨へ行き、そこから東の出雲の簸の川上流にある鳥上山へ行き、八岐大蛇を斬り、草薙剣を手に入れた。五十猛神は、たくさんの木の種をもって、韓地には植えず、全て持ち帰り、筑紫から始めて、大八洲(日本列島)の国中に増やし、青山に変えた。五十猛神を有功の神(いさおしのかみ)といい、紀伊国に祀られている。

一書第五素戔嗚尊は「韓郷(からくに)の島には金銀がある。もし我が子の治める国に舟がなかったらよくないだろう」と言って、全身の体毛を抜き、それぞれ杉・檜・槇・樟に変えた。五十猛神ら三柱の神が種子を蒔いた。素戔嗚尊は熊成峯へむかい、根の国へはいった。

一書第六大国主の別名の解説等。


以上短くあらすじを並べました。この中で今回のテーマに関するのは一書第四と第五です。

素戔嗚尊五十猛神は神々のいる場所から新羅の曽尸茂梨へ行き、また出雲へと向かっていることが書かれていました。つまり、「倭国→朝鮮半島→倭国」という流れが、此の物語の中から読み取れます。一説には曽尸茂梨は、古代朝鮮語のソフル(首都という意味らしい)、古事記の曽冨理神で示される曽冨理とも同一視されます。帯方郡治はソウルあたりにあったとの説も有力なので、素戔嗚尊五十猛神の物語には、遣魏使が帯方郡へ向かった出来事が反映されているのかもしれません。

次は素戔嗚尊五十猛神が、魏志倭人伝倭人の一体誰になぞらえてあるのか、木の種とは何なのかを検証します。重要な点は、五十猛神の別名が、有功の神(いさおしのかみ)となっているところだと思われます。

3に続く