たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

田道間守の行った常世と非時香果の正体1

 非時香果・・・ときじくのかぐのみ。

 

 これは垂仁紀に登場する。

 垂仁天皇90年、天皇は田道間守(たじまもり)に、

「常世の国へ行き、非時香果を手に入れてきてほしい」と命じた。

 日本書紀によれば非時香果とは、橘のことであるという。

 10年後、田道間は非時香果と八竿八縵(八串八連)を持参し、常世の国から帰国した。ところが天皇は前年に崩御していた。 

 田道間さんは次のように言った。

「命じられて遠く遥か、万里の浪を超えて、帰ってきた。常世の国は神仙の秘密の国で、普通の人は行けない。往復10年かかった。本土に戻れるとは思わなかった。しかし神様のご加護で帰れた。垂仁天皇はすでに亡く、復命できない。手前は生きてて何のためになるんだよ~・・・。」

 そして田道間さんは天皇陵で、泣き叫んで死んだ。悲痛な最後であった。

 

ここに幾つもの謎が横たわっています。しかし登場する謎は、実は奇抜な想像力を働かせると、ある程度解くことができる気がします。

 まず、常世の国に関する情報は次のようなものでした。

1・常世国(とこよのくに)
2・非時香果(ときじくのかぐのみ)が在った処
3・八竿八縵(八串八連)(やほこやかけ)が在った処
4・遠く遥かな国
5・万里の波を超えて
6・ 神仙の秘密の国
7・俗人の行ける所ではない
8・行って帰ってくるまで10年

 この田道間守の情報は、さらに大別することが出来、地名、物の名称、距離、常世国の特徴などです。

 

 この垂仁天皇の時代は、いつだったか。日本書紀によれば、垂仁天皇の時代に殉死の風習が終わったとされます。殉死の記録といえば、魏志倭人伝の卑弥呼の死の際に、100人余りを一緒に葬ったとする記述があります。私見としては、倭迹迹日百襲媛命の「百襲媛」がこの卑弥呼の死の際の殉死を示しているものとして、卑弥呼=倭迹迹日百襲媛の同一人物論に展開しています(拙著『崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与』参照・・・)

 つまり魏志の殉死の記録が真実ならば、卑弥呼の死が247年なので、垂仁天皇の時代は卑弥呼の247年より後であると確定されます。野見宿禰が埴輪を人間の代わりにしようと提言しました。日本最古の埴輪は3世紀中葉であると言われます。卑弥呼の時代にすでに埴輪はあったが、埴輪を用いる風習は倭の一部で行われていたのであり、邪馬台国の女王の死の際には埴輪は導入されてなかったということみたいです。つまり垂仁天皇と野見宿禰の逸話は、卑弥呼の時代の後です。

 崇神天皇を卑弥呼と壱与の習合とする私説の場合、壱与の年齢を考えると、壱与はおそらく3世紀後半の280年前後まで生きたと考えているので、崇神天皇の後の垂仁天皇の時代は西暦300年前後のことだと勝手に思ってますが。でもそれを裏付ける証拠は、未だどこからも発掘されてないと思います。

 

 上記の崇神天皇の在位年代と、殉死と埴輪に関わる理由から、ここでは垂仁天皇が西暦300年前後の人と考えていきます。ということは田道間守も300年前後の人ということになります。

 この田道間守、海を渡って倭の但馬国へ定住したとされる、新羅の王である天日槍(あめのひぼこ)の子孫です。だから日本列島と朝鮮半島の間を往還していても決しておかしくない人でした。実際片道数年かかる場所まで行ったとの記述は、事実なら大陸の奥地まで行ったという話になります。

 非時香果とは橘(柑橘類)で今の蜜柑と言われてます。蜜柑の原産地は中国の南東部らしく、田道間守はここへ行って蜜柑を持ってきたのだとも言われます。

 

 しかし次のような解釈を導いてみる。

・「万里の波を超え」とは、幾重にも連なる万里の長城を超えた
・中国そのものが神仙思想の国だった。よって神仙の秘密の国とは、中国の秘境
・道教の神仙思想の源流は、黄河の源流地帯、当然遠く遥かな俗人の行けない国
黄河の源流は西域、常世国とは、万里の長城を超えた西域にあった
・「常世」とは、実際に存在した国名か民族名の音写である 

 

 つまり総合すると、

「田道間守は万里の長城を越え、中国の西域にある常世国へ到達し、非時香果を得て帰ってきた」

 

 西暦300年頃の万里の長城の様子を知ることのできる画像はこちら。

wikipedia英語ページより)

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 西域とは、この地図上の西の端っこ、東トルキスタン西トルキスタンと呼ばれ、現在の中国新疆ウイグル自治区を中心とした地域に相当する。万里の長城は紀元前3世紀の段階から秦の始皇帝によって、外敵から領土を守るために建設が始まっており、西暦300年の時点ではさらに大陸の各地へ広範に拡大を見せてました。

 神仙の秘密の国とは、中国西域の崑崙山に住む仙女・西王母の地で、ここは黄河の源流にあたり、羌族は中国の道教神話の原点であると言われます。分かりやすい例でいえば、日本で出土する三角縁神獣鏡には西王母が描かれており、倭人西王母信仰があったとすれば、その原点「神仙の秘密の国」へ行こうとする意思が働くのはおかしくもなんともないとおもいます。

 田道間守が大陸を西域へ縦断したとすれば当然、幾重もの万里の長城の波を超えた、というワケです。西暦300年頃に、倭人が中央アジアへ旅をしたとすれば驚愕の展開・・・そしてそこには非時香果と呼ばれる謎の物体が在った・・・ここは蜜柑発祥地などではないらしい。では非時香果は柑橘類の実では無いことになる。

 

 では常世とは、西域のどこの国の名称だろう?

 

2に続く