なんか最近、地球の磁場が乱れてるらしい話を目にする機会が多い。
ああ~、そういえばカセットテープと呼ばれる磁気テープとか、フロッピーも磁気ディスクだなと。他にはPCのハードディスクも磁性体を塗った記録媒体らしい。
磁気を使うと過去の出来事を記録できるんだと思い出して、ということは、地球や太陽など強力な磁気を帯びた星も、過去の出来事を記録してる可能性が高いと思いますけどね。
幽霊とか呼ばれるものが、地球が記録した過去を何かのきっかけで再生しているのだとすれば? と思って検索したら同様の発想があった。
http://etinarcdiaego.blog.fc2.com/blog-entry-4.html
幽霊とは
地球の磁気に焼き付き記録された故人の想いの残滓だ。 地球ハードディスク派
きっと地球の磁力によって記録された過去の映像を、引き出す方法があるに違いないですね。怨み憎しみ恐怖などの強い怨念のほうが、地球の磁気に記憶されやすそうな気がします。
過去の憎悪を持って死んだ人間の記録を全て再生したら、幽霊がそこらじゅうに溢れて大混乱になるかもしれない。
邪馬台国と卑弥呼の時代の記憶を再生できたら、邪馬台国論争や卑弥呼の正体論争も、全部解決するでしょうから
なんとか地球の記憶を再生する技術が開発されればいいと思いますけど。でも悪用されたら誰もが盗撮被害者と同様になってしまうので、そんな技術が実用化されると困ったことにもなりそう。
○いつも助かっております
おかしいところ
その邪馬台国の位置を示す「魏志倭人伝」の記述には、おかしいところがあります。
不弥国から投馬国まで水行20日
投馬国から邪馬台国まで水行10日陸行1ヶ月
(不弥国から邪馬台国まで合計、水行30日、陸行30日)
これです。
水行というのは「水上を行く事」、陸行は「陸上を行く事」
これを普通に敢行すると、太平洋の真ん中に邪馬台国があったことになるらしいです。ぜったいおかしい。
諸手船
ところで古代は諸手船とかいう、大人数で漕ぐカヌーに乗ってたらしい。一本の大木を繰り抜いた、丸木舟とも呼ばれる舟。日本のあちこちから、諸手船の描かれた土器が見つかったりだとか、現物まで出土します。
諸手船を調べてたら、こんな記事があった。
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/1726529/
2010/8/1 聯合ニュース
【東京1日聯合ニュース】新羅時代に東海岸を出発した人々が日本に到達したとする神話にちなみ、韓日を舟で渡ろうと、日本・島根県松江市の宍道湖で市民グループ「日韓古代の海の道をたどる会(通称・からむし会)」が先月31日午前、丸木舟の進水式を行った。行事に参加した慶尚北道浦項市の関係者が伝えた。
同団体は来年夏、全長約10メートルの手こぎ丸木舟で浦項を出発し、松江までの約300キロメートルを航海する計画だ。同日の行事には、イベントを推進する元小学校教諭の錦織明さん(61)や、同団体・浦項市の関係者ら60~70人が出席した。
錦織さんは、高麗時代の史書「三国遺事」にある、ヨノラン・セオニョという夫婦が岩に乗り日本に渡り、王と王妃になったという神話を読み、ここから古代朝鮮半島と日本の交流の跡を見い出せると考え、航海を企画したという。島根県にも同様の神話が残っていると伝えられる。
錦織さんは、浦項から海流と風に乗り手こぎ丸太舟で航海すれば、島根県に到達するという点に着目し、企画に賛同した日本市民約20人とともに半年かけモミの木で舟を作った。航海までに舟の安全性と航路を分析するという。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2010/08/01/0400000000AJP20100801000300882.HTML
日本へ渡って王となった「ヨノラン・セオニョ」っていうのも気になりますが・・・。
黒潮や風に流されることを考慮すると、おそらく時速10キロ程度で進めたかもしれない。
天候が良く舟の出来が素晴らしく、アジアの伝統的なカヌーレースのように、大勢の漕ぎ手が一斉に漕ぐタイプの船。漕ぎ手が海峡渡し船専門職の手練れの猛者ならば、もっと早かったですかね。
小学校の頃に「ハジキ」って習いました。
ハは速さ、ジは時間、キは距離。
時間を求めるには、距離÷速さ。42.195キロのフルマラソンで、世界記録のランナーは時速20キロらしい。
42.195÷20=2.1時間=2時間6分くらいでした。
つまり100キロの距離を時速10キロで走ると、10時間かかるという単純な計算。
でも実際は休み休み、途中でおにぎりを食べつつ、サボりながら進んだと思うので。平均時速10キロで、一日あたり、日が暮れるまでに最低限50キロくらいを進むとしますね。
博多湾から大阪湾(弥生時代末期の大阪湾は生駒山地のほうまで内海が存在した)まで600キロの距離がある。だいたい博多湾から大阪湾まで、のんびり進んでも12日で着いてしまいますね。
当時の通信使は鍛え上げられた屈強な男たちで、日数の期限を厳しく設けられたかもしれず。
全国的に一大率の監視が強かったらしいので、上記のような怠けた者は首にされたかもしれない。実際には博多湾から大阪湾まで、一週間程度で到達しちゃったでしょうね。
実は仁徳紀に、「吾子籠を韓国から連れ戻すため、海人80人を水手(漕ぎ手)として「昼夜兼行」で韓へ向かわせた」との記述があるのです。
昼夜兼行とは、昼も夜も船を進めるという意味に他ならないので。現代人が思っているより、倭の時代の水上交通は大変速かったようです。さらに航行についての厳しい期限や決まりがあったようです。
邪馬台国まで、水行の合計日数が30日と書かれてますが、7日~12日で、水行は完了してしまう可能性があるんですね。
生駒山地の西に上陸し奈良盆地の纏向へ向かいますね。距離にしてせいぜい50キロ。
江戸時代のお伊勢参りってありました。
昔の人は朝から日が暮れるまで、歩き通して、平地なら1日50キロは平気で歩いたのですよ。
そういう記録はいくつも残ってるのですね。参考に、加賀前田家の参勤交代路
というサイトがありますが、数百=数千人の人間が120里(471キロ)の距離を12泊13日で江戸まで到達してますね。
(一日平均歩行距離36キロ)少人数で急げば、もっと早かったですね。つまり陸行1ヶ月というのは、出鱈目ですな。
大阪湾の内海の海岸から奈良盆地まで50キロも無いのだから、陸行1ヶ月どころか陸行1日で可能です。
倭の面積を広大に見せつけた説。はたまた水行説。
「不弥国(筑前)から邪馬台国(畿内)まで、天候次第では、水行10日陸行1日で行ける」
わけなので、魏志倭人伝の行程は出鱈目が書いてあるという風に思いますけど。
真相はおそらく、中国や諸外国に、倭は広大な面積を持つ大国だと魅せつけるために、倭人が陳寿に、膨らませた嘘の数字を教えたのかもしれませんが。
邪馬台国九州説だと、奴国(福岡平野)の東部の不弥国は宇美町としており、邪馬台国は不弥国の「南」と書かれてますね。
いままで書いた通り、魏志倭人伝の日数については出鱈目で信用に欠けることになるので。
方位を重視すると、九州内にしか当てはまらないんではないかと思いますですね。個人的には筑紫平野が邪馬台国です。
不弥国から邪馬台国までは、陸行1~2日程度だったろうから、よく水行30日陸行1ヶ月まで水増しをしましたね。
また別の発想もあります。「水行」を辞書で引くと、「祈願や心身の鍛練のため、水を浴びて身を清めること」とあり。
中国からの使者は、邪馬台国に至るまで合計30日間、滝に打たれる修行の身に置かれ、陸行で1か月、座禅を組まされた可能性も否定できないですね。
邪馬台国に入国するには、身を清める必要があったんですね。そんなわけあるかーい。
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