ずっと気持ちが沈んでいる、いわゆる鬱状態であるし、爆笑どころかちょっと笑うことさえ無い、無表情のワタクシです。
ツイッターとブログでも過去に呟いてましたが、日本神話とは根本的に、
「日本列島内の人物と出来事と、大陸の人物と出来事を、日本列島の中に全て集合し、神話を形成している」
と考えており、云わば「多元的大陸神話日本習合説」が日本神話の真実だと思うのです。
しかしこれを説明しても信じ難いだろうし、まるで意味がわからないと思われるので、一つの分かりやすい例を上げておきます。
○いつも助かっております
保食神と書いて、うけもちのかみと読みます。
日本書紀では伊弉諾(いざなぎ)の黄泉の国についての記述の後に登場する五穀、牛馬、養蚕の神で、古事記の「大宜都比売(おほげつひめ)」と同一の神であるようです。
日本書紀に書かれる保食神の神格と、纏わる出来事を簡単に解説します。
伊弉諾が黄泉の国から逃げ延び、禊(みそぎ)をした時、天照大神、素盞鳴(すさのお)、月読(つきよみ)だけではなく、多くの神様が生まれました。
この段階で大八洲と八百万神を生み出した伊弉諾の時代から、高天原の天上界から大八洲を統治する天照大神の時代へと変遷しました。
天照大神の最初の仕事が、月読に対しての司令で「葦原中国に居るという保食神を見てこいや~」というものでした。
この時点で天照大神は、葦原中国の保食神という名前を知っていても、どんな神であるのか見たことが無かったからこそ、月読をパシリに使って確認させたのです。
月読パシリで行ってみると、保食神は口から米とか魚とか動物を吐き出して、月読を歓待したんです。
月読は「気持ち悪い」と言って保食神を一刀両断、殺してしまいました。
その出来事を天照大神に報告すると、天照は激怒して、月読を夜の世界の住人にしてしまいました。
天照大神は天熊人を遣わし、保食神の遺骸を確認させてみたのです。
すると頭に牛馬が生まれ、額に粟、眉に蚕、目に稗、腹に稲、陰部に麦・大豆・小豆が生まれており、天つ神の一族はそれにより、五穀栽培と牛馬産業利用と養蚕を始めることが出来るようになった、というお話でした。
古事記のほうでは、須佐之男が大宜都比売を殺したことになっているという違いがあります。
保食神が大陸から来た理由とは
古来より「五穀」(いつつのたなつもの)とは、古事記で「稲・麦・粟・大豆・小豆」、日本書紀では「稲・麦・粟・稗・豆」とされてきました。
記・紀の成立した8世紀序盤の時点では、五穀は日本に成立していました。
保食神(大宜都比売)とは、奈良時代以前から存在した、原始的食文化と第一次産業・第二次産業を象徴している、日本固有の神であると、外見だけ見れば確かにそう思えます。
しかし実はこの保食神、日本の神様ではなく、ユーラシア大陸で生まれ、記・紀完成の直前に日本に導入され完成した渡来神なのです。
次回はその理由を説明します。
2に続く。
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