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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

景行天皇と日本武尊は4世紀の人物であるし、日本書紀には4世紀のお馬さんが登場しました1

 学校に通ってた時期からは、最早20年程の歳月が流れました。その頃に「日本列島が大陸の騎馬民族に征服された」という、当時としては歴史学会でも信じ難いとされ、未だに信じ難いと拒絶反応を見せる人が多い、江上氏の提唱した仮説「騎馬民族征服王朝説」が既にありましたが、これを学校で学んだかどうかは、全く覚えてませんです。

 中学・高校の学生時代の短い期間の思い出で、すぐに脳裏に浮かぶことと言えば、自律神経失調症と過敏性大腸症候群を発症し、更に体臭が気になり始めて不登校になりはじめて病院に通ったような、辛い思い出ばかりです。そんなこと書くと、不特定多数の人から中傷されるよ~、からかわれるよ~、と妻に心配されそうですが大丈夫です。もう充分に大勢の人にからかわれて来ましたし、妻はいません\(^o^)/。

 

 さて、その江上氏の著書「騎馬民族国家が発表されたのは、手元にある本によれば、初版が1967年11月25日ということになっており、今から45年も前とのことです。

 騎馬民族征服説の論拠を簡単に説明してみると、以下のようなものです。

・日本の古墳時代古墳や遺跡からは、ユーラシア大陸騎馬民族の用いた馬具や装飾品と同一、もしくはよく似たものが出土する

倭人の埋葬方式、殉死と埴輪は、騎馬民族の風習と同一、もしくはよく似ている

天皇家の行事や風習が騎馬民族のものと同一、もしくはよく似ている

・日本の神話はユーラシア大陸諸民族の神話と似ているものがある

天皇家は扶余系の騎馬民族の王家であり、崇神天皇任那から海を超えて九州へ上陸した天皇である

応神天皇は神武東征のモデルとなった、畿内への東征を果たした天皇である

 内容は勿論これだけではなくて、実際にはもっと充実してますが、江上氏の要点を導き出すとこのへんに行き当たるのではないかと思います。

 

 実は個人的には、大陸の異なる民族である騎馬民族の王が日本列島にやってきて、原住民である倭人を征服し、天皇を頂点とする大和王権が誕生したとか、妥協できる部分と、相容れない部分があります。

 古墳時代到来以前に日本にいた女王卑弥呼は、確かに騎馬民族系国家・扶余出身の孝霊天皇の王女だったでしょう。しかし被征服者である日本列島の倭人と、征服者である天皇(大王・おおきみ)は、実は元々ルーツが同じで、文化が違っただけだったと考えてるのです。

 倭人は農耕漁民の文化と言われ、古墳時代の権力者は遊牧騎馬文化だったと見られるので、彼らが海を渡ってきたことで、全く違う文化の衝突があったのは事実です。記紀中の四道将軍日本武尊に纏わる記述を見ても、幾多の戦乱が起きたことを窺い知れます。

 農耕漁民を騎馬民族王権が支配したとの考えが騎馬民族征服王朝説ですが、考えているのは、被征服者倭人騎馬民族系征服者とされる天皇も、同じ言葉を用いる倭人だったという仮説です。 つまり騎馬民族征服説ではなく、「騎馬民族倭人と日本列島系倭人の融合説」を考えてます。

 両者は扶余・朝鮮半島・日本列島と、居留した地域が異なり、離れて暮らした時間が長かったために、文化が相違し、扶余系以外の騎馬民族を除いては言葉の違いはさほどなかった(扶余系言語と倭語は同系統の言語:大和言葉だった)とはいえ、余所者に支配されると考え反発する者もおり、混乱が発生してしまってたと思うのです。

 このへんを証明する具体的根拠が、記紀と中国史書にあるのですが、いまは書くことが出来ないので、いずれ詳しく説明することにします。

 ちょっと信じ難いとおもわれるかもしれませんが。でも古代史の解釈は人の数だけあると思いますし、著名な学者さんたちの間でも、古代の日本についての解釈は一様でなく多様ですよね。皇国史観を継承し天皇家は最初から日本列島に在り続けた、と思うことも自由だとも思いますし、低学歴のくせに生意気なようですがご容赦してください。

 

 それで最近、次のような気になる記述を見つけました。江上氏はかつての講演会にて、記紀には馬に乗り活躍する英雄が一人も登場しないのは何故かと問われ、答えることが出来なかったというエピソードです。

 この質問をした方は著名な古代史の研究者だったそうです。この話、わたくしが見たところでは、納得がいかなかったです。何故ならば、日本書紀には古墳時代の4世紀の馬の記述が、ちゃんと書かれてると思っていたからでした。

 江上氏が執筆していた当時と今では、考古学調査の結果に雲泥の差が出ており、古墳時代前期の遺跡から、大陸の騎馬民族の使っていた馬具そっくりのものが、数十年前よりも一層多く出土してるので、騎馬民族が征服したかはともかくとして、騎馬民族系民族が日本列島に来なかったというような話は通用しないと思うのですけど。

 よく知られるのが箸墓古墳の周濠から出土した輪鐙(わあぶみ)があり、これは4世紀(西暦300年代)のものです。馬具だけを輸入したというにしても、お馬さんが日本列島にいたからこそ、馬具を輸入したのですよね。馬術や馬具の使い方は、誰から教わるかと言えば、やはり乗りこなせる人、騎馬民族がいないと、無理だったのではないですかね。

 それから個人的に、崇神天皇は2世紀後半から3世紀中葉までの人物であると考えており、実は崇神天皇の正体は卑弥呼と壱与の習合であるとの本を書いてまして(あと1ヶ月半で店頭販売)、倭の五王倭国王讃は4世紀末期~5世紀初頭の人と考えると、景行天皇日本武尊は、古墳時代の4世紀前期~中葉の人という解釈を導いているのです。

 

 それで先述した、お馬さんに乗った英雄が日本書紀には登場しないじゃないかという疑問に対する答えは、日本書紀の景行紀から導くことができるようです。その答えはNOだと思います。日本書紀には、兵士が馬に乗っていた事がわかる記述が登場するからです。

 景行天皇は4世紀の人で、日本武尊と同時代の人です。

 景行紀が4世紀であるとする根拠は日本書紀の記述と、先日新潟県で発掘された「城の山古墳」からもヒントを見出すことが出来ると思います。日本書紀の記述と、城の山古墳の発掘結果は、矛盾せず、よく整合していたんです。

 複合的に景行天皇の時代は4世紀であり、日本書紀には4世紀に馬に乗った兵士に関わる記述がある」ことを証明したいと思います。

 

2に続く。