たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

中国の歴史書に記された日本の神様1

 中国の歴史書のなかには、日本の神々が記録されている書物があります。神代の神様の研究をするには、どうしても欠かせない要素の1つであるとおもいます。今回はこのお話です。

 「魏志倭人伝」「後漢書」には、「鬼道」とよばれる信仰形態(個人的には神道のことだと思う)の名が登場し、鬼道で崇められている神の名は残念ながら出て来ませんが、それらの古文書から少し時代を下った唐の時代(643年以前)に完成した「隋書」に、日本の神の名が漠然と記録されているような印象があります。そしてどうやら「旧唐書」にも、注目すべき関連事項が存在するようです。これら2つの書物の話は後に述べるとします。

 それより更に時代を下り14世紀の半ば、元王朝に従事したトクト(托克托・脱脱、1314~1355)なる人物によって編纂された「宋史日本伝」には、多くの日本の神様が記録されています。天御中主神(あめのみなかぬし)から始まる日本の神々の名のほかにも、初代神武天皇から第六十四代円融天皇までの歴代天皇の漢風諡号律令制下の五畿七道に所属した地方諸国の名が記録されており、多くの意味で大変価値の高い書物となっています。そのなかで日本の神名が記録される原文の当該箇所を抜き出してみます。すると次のようになっています。

 

 「其年代記所記云初主號天御中主次曰天村雲尊其後皆以尊為號次天八重雲尊次天彌聞尊次天忍勝尊次贍波尊次萬魂尊次利利魂尊次國狭槌尊次角龔魂尊次汲津丹尊次面垂尊次國常立尊次天鑑尊次天萬尊次沫名杵尊次伊弉諾尊次素戔烏尊次天照大神尊次正哉吾勝速日天押穂耳尊次天彦尊次炎尊次彦瀲尊凡二十三世並都於筑紫日向宮」

 

 まあ、一見して古代史に興味のない人なら、これを見ても意味がわからないだろうし、通常は読む気しませんね。漢文だと分かりづらいので、上記の太字の文章の中から、神の名だけを抽出していくと、このようになります。

 

1天御中主・2天村雲尊・3天八重雲尊・4天彌聞尊・5天忍勝尊・

6贍波尊・7萬魂尊・8利利魂尊・9國狭槌尊・10角龔魂尊・

11汲津舟尊・12面垂尊・13國常立尊・14天鑑尊・15天萬尊

16沫名杵尊・17伊弉諾尊・18素戔烏尊・19天照大神尊・20正哉吾勝速日天押穂耳尊・

21天彦尊・22炎尊・23次彦瀲尊

 

 「日本書紀」や「古事記」と比較してみると、やはり神名の漢字は一見して無関係のものと入れ替わってしまっていたり、本来の名前の読みとはかけ離れてしまっていたり、記・紀に記述された神の順序と見比べれば、滅茶苦茶な順序に置かれていたりと、これまた突っ込みどころが満載の記述となっていることがわかりました。

 そしてどうやら「先代旧事本紀」のみに収録された神までも、このリストの中に含まれているということも判明してきました。「先代旧事本紀」と言えば、アレな書物なわけですが・・・・このあたりの謎は以下で明らかにしていきます。

 

 ところで、読めないような難しい漢字もあります。贍、龔、瀲・・・読めますでしょうか。(答えは以下に含まれます)

 

 ではこの中に記録された神が、日本神話における、どの神様であるのか調べてみようと思います。記録された神々の正体を、1番目の天御中主から順に、一柱づつ明らかにしていきます。

 ○を付けているのは正確に一致する神、▲は確証が無いものの、解釈としては十分に整合する神です。

(ー_ー)。

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○1天御中主・・・天御中主尊古事記における原初の神・天之御中主神日本書紀では別伝で高天原に現れたという神世七代の神。

 

▲2天村雲尊・・・スサノオが出雲で八岐大蛇を倒した時、八岐大蛇の尾の中から草薙剣を入手しました。草薙の剣の別名を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といいます。天叢雲(あめのむらくも)とは、日本書紀によると、八岐大蛇の頭上には常に雲がかかっていたことに由来します。つまり天叢雲=天村雲とは、八岐大蛇そのものを指す言葉思われるのですね。どうして天御中主に次ぐ2番目の神として、天村雲尊=八岐大蛇の名を記録したんでしょう。

 

○3天八重雲尊・・・大国主神天照大神高皇産霊尊に譲った土地は出雲でした。出雲の別名は葦原中国であると「日本書紀」に書かれています。天孫降臨葦原中国から筑紫の日向の高千穂へ向かったものです。。その際に猿田彦大神の先導により、「天の八重雲」を押し分けて高千穂へ降りました。この時の天の八重雲という、押し分けられた雲が、神として記述されている可能性があるのではないかと思います。「宋史」と「日本書紀」で、天八重雲という名が完全に一致しているからです。この場合天八重雲は葦原中国=出雲の雲(神)の神格化ということになると思います。

 

 また別の考察も十分に整合してきますので、一応述べておきます。スサノオが八岐大蛇を征伐したあと、奇稲田姫(くしなだひめ)と住まう宮殿「須賀宮」を造営しますが、その際に次の歌が詠まれました。

 「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」

 この八重垣に当たるのは、現在の島根県松江市にある八重垣神社だとされてるようです。八重雲とは、出雲の八雲に関わるように思います。

 八重垣神社の祭神は素盞嗚尊、櫛稲田姫大己貴命、素盞鳴尊の子・青幡佐久佐日古命(ウィキペディアによれば、『出雲国風土記』意宇郡大草郷条で須佐乎命の子として記載される)の4柱です。2の天村雲尊と合わせて考えると、編者トクト(托克托・脱脱)に日本の神の名を教授した人物は、出雲出身で神道に精通した知識人なのかもしれません。だからこそ出雲の神を天御中主尊に次ぐ上位に載せているのではと思えます。やはりここでも、「出雲」ですね。

 

 もう一つの考えもあり、これは天八百日尊(あめのやおひのみこと)かもしれないということです。「中国正史日本伝」の石原氏はそう述べています。。この神は「先代旧辞本紀」に登場する神ですので、そうだとすると聖徳太子蘇我馬子が記したとされる「先代旧事本紀」が、江戸時代の水戸光圀らによって偽書だと決めつけられ糾弾を受ける300年以上前に、この書物は信ずるに値するものとして、神道関係者に知られており、それが反映されたということになるようです。「八百」は「八百万の神(やおよろづの神)」という通り、八十神と同様に多くの神の集合体を表す言葉かもしれません。

 

▲4天彌聞尊・・・訓読みでの「みきき」が源となっているのだとすると、活樴尊(いくくいのみこと)のことかもしれません。いくく(i-ku-ku)がみきき(mi-ki-ki)と変化したようです。神世七代の一柱。

 

▲5天忍勝尊・・・天照大神の子、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)の略称であるようです。ところが20番目にも正哉吾勝速日天押穂耳尊の名が登場するので、別神格かもしれないし、それとも2柱の神が重複して記録されているとも考えられますけれども。

 

▲6贍波尊・・・贍は(セン・ゼン)、訓読では(掬う、すくう)。「センハ」か「すくなみ」と読むようですが、この神が一体誰なのか、当初はまるで見当もつきませんでした。しかしここから連想を始めてみますと、センハ・・・セハ・・・スハ・・・と連想して、スハ=須波。諏訪大神だと思い当たりました。諏訪大神とは出雲の国譲りの際、武甕槌神と力比べをして敗北し、出雲から長野県の諏訪へ逃走したという、大国主の子・建御名方命のことです。建御名方命諏訪神社祭神となっています。贍波=諏訪=建御名方であるとするなら、なぜ大国主の名がすっ飛ばされてるのかと疑問に思う所です。

 

○7萬魂尊・・・「先代旧事本紀」に登場する、天八十萬魂尊(あめのやそよろづたまのみこと)であるようです。トクトに教授した日本人が、「先代旧事本紀」の知識を持っていたことを、ここではっきりと確認できます。

 

▲8利利魂尊・・・これは悩んだのですが、青橿城根尊(あおかしきねのみこと)のことだと思いました。利利(きき)が「橿城」に当たり、魂(こん)は「根(こん)」と変化、橿城根を利利魂と表記したものと見られます。

 

○9國狭槌尊・・・国狭槌尊(くにのさづちのみこと)、神世七代

 

○10角龔魂尊・・・角龔を訓読みすると「つのく」になるので、樴尊(つのくいのみこと)で間違いないようです。神世七代

 

▲11汲津丹尊・・・埿土煑尊(ういじにのみこと)、沙土煑命(すいじにのみこと)、神世七代。汲が「埿(うい)、または沙(すい)」、津が「土(じ)」、丹が「煑(に)」にそれぞれ符合するものと見られる。

 別の神としては、伊弉諾の子で風の神である級長戸辺命(しなとべのみこと)またの名を級長津彦命(しなつひこのみこと)が考えられる。「級長津」が汲津に相当する。

 

○12面垂尊・・・面足尊(おもだるのみこと)、神世七代

 

○13國常立尊・・・国常立尊(くにとこたちのみこと)、神世七代

 

○14天鑑尊・・・天鏡尊(あまのかがみのみこと)、国常立の子。

 

○15天萬尊・・・天万尊(あめのよろずのみこと)、天鏡尊の子。

 

○16沫名杵尊・・・沫蕩尊(あわなぎのみこと)、天万尊の子。

 

○17伊弉諾尊・・・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、神世七代

 

○18素戔烏尊・・・素盞鳴尊(すさのおのみこと)、三貴子。

 

○19天照大神・・・天照大神(あまてらすおおみかみ)、三貴子。

 

○20正哉吾勝速日天押穂耳尊・・・正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)ですが、5番と重複します。これ以降の神は日本書紀の神代・下巻に登場する神名であり、こちらのほうが正しい位置と思えます。

 

○21天彦尊・・・天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)の「天彦」だけを表したもの。20番目に天忍穂耳尊が登場し、22番目に彦火火出見尊が登場しているので、順序的にも天彦が瓊瓊杵であることに間違いなさそうです。それにしても、あまりにも省略しすぎな印象です。

 

○22炎尊・・・炎を「火火」と解すれば、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)のことです。

 

○23彦瀲尊・・・彦波瀲武鵜葺草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)の「彦瀲」だけを表したもの。一貫して過剰に短縮化しているところが、解釈を難解なものにする要因となっています。

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 一応最後まで解釈を貫徹してみましたが、気になる点が幾つか転がり出てますので、φ(..)メモメモしておきます。

 まず八百万の神の中でも抜群の存在感を発揮している大国主神大己貴神)が登場しないことが、最も気になります。出雲の天村雲尊、天八重雲尊、贍波尊が上位にいるのに、なぜ大国主の名前がないのか。編纂者トクトに大国主の名を教えなかった日本人(神道に精通した者)は「大国主以外の出雲の神を信奉してた」とも言えそうです。

 2番目に登場する天村雲尊が八岐大蛇であるとするなら、素盞鳴尊という高天原側の勢力に攻め滅ぼされる以前に本州の地を治めていた豪族・八岐大蛇扱いされた豪族が、自らの先祖であるとの認識を、トクトに進言した出雲人は持っており、それを示唆するのかもしれません。

 

 八岐大蛇とは、奇稲田姫の両親である足名椎・手名椎の夫婦が産み育てた子を、次々と誘拐し食べてしまうという、八つの頭と八つの尾を持ち、峰八つ・谷八つを覆うほどの衝撃的な大蛇、超巨大未確認生命体(UMA)のことです。出雲の鳥上山の付近にいたとか、高志(越国、北陸道)の八岐大蛇とも表記されています。・・・夢も希望も無さ気に言わせて頂きますと、このような超常的生命体は実際には存在しなかったとしか思えないところです、すいません。

 おそらく八岐大蛇というのは、出雲大和王朝が成立する以前、本州に居を構えた一大勢力であるという印象も受けますけれども。記・紀では一方的に、英雄スサノオと戦うラスボス的なモンスター扱いとなっています。実際のところ八岐大蛇なる豪族は人攫いをしていたのかもしれませんが。

 一方で、高天原勢力と敵対する先住の豪族は、云われのない悪評を立てられ、ボコボコに打ちのめされ、挙句の果てには記・紀に悪者として記録されてしまったという絶望的な立場にいたことも事実でした。それは崇神天皇の時代以降、四道将軍などによって攻め滅ぼされた、日本各地の熊襲、土蜘蛛といった先住の豪族勢力がいたことでも確認できます。スサノオ高天原から追放された身ではあるものの、神代の世界観を大局として見れば高天原側の勢力だったことに間違いはないところです。

 ということで、八岐大蛇が高天原という強大な軍事勢力に目をつけられてしまった、悲運の先住豪族だったことも、考慮に入れておきたいと思いますけれど。

 

 次は「隋書」と「旧唐書」に記録された日本の神様です。

 

 に続く。