たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

大陸のタングートと日本の丹後国が関係ある件

近ごろ爆音が終わらないと共に、ものすごい強迫観念が押し寄せてきて、汚いセリフが起きてる間じゅう定期的に何度も繰り返して精神を疲弊中。

文章を書く量が多くなってるのも、音楽を聴き始めているのも、エンドレスの強迫観念を消したいがためなんですが、なかなか消えないでキツすぎるんですが、はよ止めて。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

関西の日本海側、今の京都府北部のあたりにあった丹後国のことで、以前から気になってた話。

 

○いつも助かっております

 

 

丹後とは

 

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まずは丹後ってなんなのかという話から。

 

丹後

奈良時代平安時代

和銅6年(713年)4月3日に丹波国の北部、加佐郡与謝郡丹波郡、竹野郡熊野郡の5郡を割いて、「丹後国」として設置された。『続日本紀』には「丹波国の五郡を割きて始めて丹後国を置く」と記され[3]、『和名類聚抄』には35郷が記されている[2]。大浦半島の付け根に位置する志楽谷(現在の舞鶴市志楽)は、遅くとも分国前の和銅2年(709年)には丹波国に属していたが、北東部の田結(同・田井)など半島の大部分は奈良時代(710年 - 794年)前期まで若狭国に属していたことが分かっている[3]。

分国以前から、丹波国では丹波直(たんばのあたい)一族が国造や郡司など支配的地位を有していた。『先代旧事本紀天孫本紀によれば、丹波直は天火明命を祖としている。分国後の丹後国では延暦2年(783年)に丹波直真養が丹波郡国造に、貞観8年(866年)に丹波直副茂が近衛府の下級将官に任じられた[3]。

分国の背景

丹波国府が置かれていたと推定される現在の南丹市亀岡市から遠方にあることが分国の背景にあったと考えられている[3]。南部の桑田郡には国分寺国分尼寺が建立されており、奈良時代には丹波国の中心地となっていたことが知られる。

また、分国後の丹波国丹後国に対して「丹前国」[4]とされなかったのは、分国当時(和銅6年)の分国の原則が、それ以前の同等な国の分割(吉備国備前、備中、備後とするような分割)[5]とは異なり、母国から一部を割いて、分割された側に別の新国名を付ける形(備前から美作が分国するような形)がとられていた為であると考えられる。そして分割された側でありながら、丹後(二字で「タニハノミチノシリ」と訓じられた)とされて新たな国名が与えられなかったのは、ここが元々の丹波の地であるので、タニハノミチノシリとして「タニハ」の名を残した為とみられる[6][7]。

なお分国後の国名については、『大日本古文書』で丹波国を「丹波前国」、『日本霊異記』で丹後国を「丹波後国」と記した例があり、前者は「タニハノミチノクチ」、後者は「タニハノミチノシリ」(和名類聚抄)に対応したものと考えられる(いずれも「ミチ(道)」が省略されている)[3]。

丹後 - Wikipedia

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丹後の成立は他の諸国から遅れて、和銅6年(713年)4月3日なんですね。

丹波国から別れて、丹後国が成立したと。

丹波国国府から遠かったから、丹後国但馬国を分割したんじゃないかという単純な仮説が有力視されているとか。

 

それが、なんで大陸のタングートに関係すると考えているのか・・・。 

 

 

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中国のタングート

 

 中国四川省青海省のあたりに、タングートという民族がいました。この国は、7世紀頃にチベット系の羌族から分離して成立したんですね。

 

タングート(Tangut)は、7世紀~13世紀ごろに中国西南部四川省北部・青海省などに存在したチベット系民族である。

11世紀初めに西夏を建てた。中国語表記では党項。日本語ではタンガットという記法も散見される。同じくタングート族、タングート人とも。また。タングートの前身は羌である。

同時に、中国語表記で唐兀とも表記され、モンゴル化したテュルク民族とする説もある[1]。

歴史

党項の名前は正史の中で一番古いところでは『隋書』に伝があり、三苗(ミャオ族の前身と言われる)の後裔という。なお、チベットビルマ系とされるタングートと、ミャオ・ヤオ系とされる三苗との間では言語的に隔たりがある。

 
現在チャン族として知られている四川省北部の少数民族の言語は、西夏文字によって残されているタングート語と比較的近いとされている。

チベット語アムド方言を話す遊牧民のことをタングートと呼ぶ場合もあり、実際、古代のタングートの居住地域と、現在のチベット語アムド方言の話者が住む地域はほぼ重なっている。そのため、この地域のチベット族の中には、モンゴル化したテュルク民族がチベット人に同化しチベット語を話すようになったタングート人の末裔が恐らく多数含まれており[1]、古代の言語的な特徴を比較的よく残している人びとが、チャン族をはじめとする四川省北部のチベットビルマ少数民族を形成していると考えられる。

タングート - Wikipedia

 羌から出たタングートですが、実際のところはモンゴル化したテュルク人だとも、三苗族(ミャオ族)だとも言われていて、定説がないとか。

ミャオ族・・・猫?

f:id:kl117cr233:20180105002411j:plainえ?

 

それで、このタングートと、丹後が何の関係があるのか、、もうわかりましたか。以下で答え合わせします。

 

丹後とタングートの比較

 

丹後とタングートは、凄く似ているのです。キンピラとチンピラくらい似てます。

 

(1)成立年代

まず、成立年代が似ていました。

タングートが7世紀に成立すると、それをぴったり追うようにして丹後が和銅6年(713年)に成立してますので、数十年程度しか誤差がないです。

(2)分離独立

まず大陸ではタングート分離し、その後数十年して日本列島では丹後が分離下という感じ。分離したという派生理由も同じですね。

(3)名前

それに名前も似てますね。タングート、丹後。ローマ字にすれば、Tangut、Tango。なんで似てるのかと。

どこから分離したか、ですが、タングートは羌からです。羌はチベット系で、同じ系統で吐蕃という国がありました。

一方で丹後のほうは、丹波から別れていました。

これもローマ字にしてみると、吐蕃がTuban、丹波がTanba。なんかしっくりとくるものがありますよね。 

(4)別名

タングートは漢字だと党項と書くのですが、吐蕃人(チベット人)はタングートのことを「彌薬(ミニャク、ミヤク)」と呼んでたそうです。

それで丹後のほうを見れば、丹後の中心都市だった宮津城の地が、彌薬の「ミヤ」に対応するのがわかりますね。

あとは「党」という漢字は、訓読みで「なかま」なのですが、丹後に中(なか)郡があるのはそういうことなのではないかと。

タングートの居た土地は月氏の土地だったので、丹後には加佐郡月氏=加佐)があるのではないかと。

 

もうわかったと思いますが。両者を見比べるとこうなります。

地域  中国大陸  日本列島

名称  タングート 丹後国

    Tan-gut   Tan-go

成立  7世紀    和銅6年(713年)

関係国 吐蕃    丹波

    Tu-ban   Tan-ba 

別名  彌薬(ミヤク) 宮津

    党項    党(なかま)→中群(なか郡)

関連  月氏    加佐群

タングートと丹後、吐蕃丹波。もう日本国内の方言より違ってないです。「こんばんわ」と「おばんでがんす」より、ずっと一致率が高いです。

ここまで似通ってて「こんなの嘘だ、デタラメだ」なんて言えますか?

言うらしいですね・・・。

 

ということは、「丹波国国府から遠かったから、丹後を分割したんじゃないか」という仮説は、間違ってるように見えてきませんか。

ほんとは、

 

大陸で、吐蕃と同系統の羌から、タングートが出た。

その情報を耳にした日本の朝廷は、

日本列島の吐蕃(tubut/チベット)として位置づけていた丹波国から、

丹後(タングート)国を分離させた。

 

これが丹後国のほんとうの成立の経緯なのではないですかね。つまり日本列島雛形論的な思想が、ここには明らかに見て取れるんですよね。まぁ個人的な想像ですので。

 

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そういえば・・・

 

日ユ同祖論によく出てくるのが丹後国の籠神社(このじんじゃ)です。

この籠神社も、おそらく羌や吐蕃やタングートに関係していると思われます。上記のタングートの先祖の話に戻って欲しいのですが。

三苗、ミャオ族がタングートの祖先とか言う話がありますね。ミャオ族もそういえば、日ユ同祖論でよく出てくる名前なんですよね。

タングートはミャオ族、

丹後は籠神社

いずれも日ユ同祖論的にも繋がりがみえてくるでないですか。

 

日本列島雛形論との関係

 

日本列島雛形論の代表格って、北海道を北米、四国を豪州、九州をアフリカ、淡路島を南米にするみたいな感じですよね。

しかし個人的な日本列島雛形論ではですね、日本列島に対応するのは、東アジアから中東・ヨーロッパまでの古代文明圏に限定して考えるのです。これは別に自分が最初に考えたわけじゃないです。おそらく弥生時代に日本各地に地名を名付けた頃、ユーラシア大陸各地の国・民族の名称を、日本列島に名付けていっています。

古代倭人がすでに考案していたんですね。数の大小の差はあれど、ユーラシアの各地から日本に吹き溜まってきて、日本というひとつの言語と文化に馴れ合ったのが倭人ですので。

 

つまり、

よくある日本列島雛形論・・・日本の大きな島の全てが世界の大陸に対応

個人的な日本列島雛形論・・・日本に対応する土地はユーラシア大陸が基礎

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうして丹後が日本列島雛形論を証明する鍵だったわけ、なんとなくわかりましたね、独りよがりで。

 

関連記事

古代チベット・吐蕃の起源は古代トルコのタバルか

関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論

  

 

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日本の神話と邪馬台国からにじみ出てくる北欧の世界樹・ユグドラシル

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ユグドラシル - Wikipedia

 

自宅の周辺を取り囲むのは、杉かと思いきや檜の木でした。高さは、おそらく8~15メートル・・・。

それは人によればいい環境じゃないか、ということですが、手入れしなくなって十数年が経過した家でしたので、檜の枝が屋根に覆いかぶさり、檜ぼっくりが屋根に落ちてくる、枯れ葉が延々屋根につもる、屋根が痛む、巨木は手入れが難しい、日当たりが悪いなどいろいろ大変でした。

「枝打ち一発」という長さ6.5メートルのノコギリも買ってみたけど、上まで全然届かなかったです。高さのある樹木の枝打ちや切り倒しは、1本あたり2万円以上だと言う話なので無理そう。まぁ枝の絶対数を減らし、日当たりを拡大、落ち葉を防ぐくらいは出来ると思って、時々は枝打ちをしてます。

 

○いつも助かっております

 

 

ところが1月22日の午後から大雪が降り、これまた災難を味わいました。

屋根に覆いかぶさる檜の枝に雪が積もり、深夜から翌日昼にかけて積もった雪が、屋根にドン、ドン、ドンと落ち始めたのです。

1・爆音がドンドンと際限なく飛んでくる

2・それを俺のせいにされてドンドン叩かれる

3・檜ぼっくりや落ち葉がどんどん屋根に落ちてくる

4・それに加えて雪がドンドン降り注いできた

引越した時、こんなことにドンドンなるとは、思ってなかったです・・・。

 

そんな不条理を味わいつつ、日本神話のユグドラシルの記事を書き始めたのも、1月22日のことでした。

 そういえば、1月23日の午前11時、草津白根山が噴火して、隕石が天からドンドン降り注いだとか。

youtu.be

先日こんな記事書いてたのですが。

「天からの落下物による災厄と壊滅」の予言は当たるか

 まさに天からの落下物の災厄なのかと。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ユグドラシルの世界観

 

北欧のユグドラシルは世界最大の樹木の世界。 

ユグドラシル

 

ユグドラシル(古ノルド語: Yggdrasill, [ˈyɡːˌdrasilː][1])は、北欧神話に登場する1本の架空の木。

世界を体現する巨大な木であり、アースガルズ、ミズガルズ、ヨトゥンヘイム、ヘルヘイムなどの九つの世界を内包する存在とされる。そのような本質を捉えて英語では "World tree"、日本語では、世界樹(せかいじゅ)[2]、宇宙樹(うちゅうじゅ)と呼ばれる。


原義

Yggdrasill という名前の由来には諸説あるが、最も有力な説ではその原義を "Ygg's horse" (恐るべき者の馬)とする。"Yggr" および "Ygg" は主神オーディンの数ある異名の一つで (cf. en)、その名はオーディンの馬を意味していると解釈されている。 

 

ユグドラシル - Wikipedia

 

ユグドラシル


ユグドラシルとは、北欧神話に出てくる幾つもの世界を支える大樹である。次元を超越して世界を繋ぐ文字通りの『世界樹』であり、北欧神話においてすべての世界はこの大樹の枝葉の上に存在するとされている。


概要

 混沌の時代からすべての世界を支える、北欧神話の土台というべきトネリコの大樹。
  そのあまりの巨大さとスケールの大きさから世界樹の異称を持つ。

  そしてその名に違わず、混沌の氷原・ニブルヘイムから最上界たる神界・アースガルドを貫き、その枝葉で世界の土台を支えているという、世界の神話でも類を見ない壮大なスケールを持つ樹でもある。

 

ユグドラシルが支える世界
アースガルド ―― オーディンたちなどのアース神族の棲む世界。
ヴァナヘイム ―― アース神族と対を成す巨神の一族・ヴァナ(ヴァン)神族の世界。
ミッドガルド ―― いわゆる『人間界』。
アルフヘイム ―― 妖精族の棲む世界。
シュヴァルツアルフヘイム ―― 土精など、地に棲む精霊の世界。
*ニダヴェリール ―― 鍛冶を得意とする小人たちが棲む世界
ヨツムヘイム ―― かつて世界を割拠した『霧の巨人』たちの末裔が棲む世界。
ムスペルヘイム ―― 炎に覆われた世界。火の巨人・ムスペルとその族長たるスルトが棲んでいる。
ニブルヘイム ―― 永久凍土に覆われた世界の最下層。かつて巨人ユミルが生誕し、今は冥府の女王ヘルがその管理者となっている。

ユグドラシル (ゆぐどらしる)とは【ピクシブ百科事典】

このユグドラシルが、実は、日本神話のなかに習合されてるんではないかと。

そう思ったのです。まさか入ってるわけないだろ?という、単調な発想では済まされないほど、日本神話からはユグドラ汁が煮込まれていました。 

 

日本神話の構造はユグドラシルに似る

 

まず気になったのは、実は日本神話の構造にもにている気がしたということ。というのも、以下のような構造を見るとわかりやすい。

天の世界 高天原

地上世界 葦原の中つ国

地底世界 黄泉

日本神話はこんな横割り三層構造があるのが明らか。 

素盞嗚命(すさのお)という神がいまして、このかたはイザナギが黄泉から帰還したときに鼻を洗って生まれたのですね。で、当初は海原とか夜食国(よるのおすくに)=夜の世界を治めよと言われていました。

スサノオは母のいる根の堅州国へ行きたいと言いました。ここでいう母とは黄泉大神となっているイザナミのことです。

スサノオは天界の天照大神のところで暴れに暴れたのをきっかけとして、天照大神が岩戸に引きこもった、いわゆる天の岩戸神話が起こります。

スサノオはその後高天原を追放されて、出雲でヤマタノオロチを退治した後、根の堅州国に永住するわけです。スサノオの6代子孫が大国主命ということになっていました。

 

 根の国って、そういえば草津白根山の根でした。地中なので、根っこの国は明らかに地下世界なわけで。 そうすると黄泉と根の国の関係があるということがわかります。もっとも、スサノオは「黄泉に行く」と言わずに「根の堅州国に行く」とか言っているので、黄泉と根の国(根の堅州国)は厳密に言えば微妙に違うかもですが。

そういえばユグドラシルでも、地下世界には複数の階層があったので、それに似てるのかと。

天の世界 高天原(神の居住地)+葦原+幽界(最上位の神が隠れる場所)

地上世界 葦原(現世)+海原(海域)+常世(夜の食国・幽界)

地底世界 黄泉大神の統治する黄泉(根の国・根の堅州国)

 

 ユグドラシルの構造といえば、

天の世界 樹木の上部のアースガルド、巨神が住まうヴァナヘイム、

中腹のミッドガルド(人間界)、精霊や小人の住む世界、

木の根っこの下にあるという、地底の霜の巨人がいるヨツムヘイム、

もっとも下層の、ユミルが生まれ、冥府の女王ヘラが統治するニブルヘイム

似てますね。日本の世界観を樹木に例えてしまえば、ぴったり重なるような。

 

 

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 日本の地底はユグドラシル根の国なのか

 

日本神話で、どうして地底世界を黄泉とか根の国、根の堅州国と呼ぶのかは、わかりませんね。ただ昔から黄泉だの、根の国だのと言われてきただけで。

しかしユグドラシルと比較してみると、分かってくることがありました。こんなふうに。

 

地下世界

日本神話 根の国

ユグドラシル 根の下の階層

こうやって、同じように、樹木の根っこで現してるじゃないですか。

もうひとつ。

最下層の冥界の女王がいる死者の国

黄泉  yomi

ユミル yumir

名称も役割も一致、してるじゃないですか。

しかも

冥界の女王

黄泉の支配者 冥界の女王イザナミ(黄泉大神)が統治する

ユグドラシル 冥界の女王ヘラが統治する

最下層の統治者も、同じ女王じゃないですか。

こうした一致は、偶然だとか自然発生的には、起こらないことなのでは。

 

イザナギイザナミは巨人だったか

 

じゃあユミル巨人とか、霜の巨人みたいな巨人は、日本神話にいるの?という話ですが。いました。

イザナギイザナミ自身が、巨人だった。

 

巨人から生命が生まれる神話、これは「世界巨人型神話」と呼ばれるものだそうです。たとえば中国の盤古という巨神は天地をわかち、死後に体から神や万物を生み出したといいます。

巨人盤古の左目から太陽が、右目から月が、息から風が生まれたとあります。人間はもともと盤古に寄生していた昆虫だったというのが、この盤古の神話の怖いところです。

一方日本のイザナギの神話に、「黄泉から帰還後、アワキハラでの禊の時に、左目を洗って天照大神(太陽)が、右目を洗って月読(月)が、鼻を洗って素盞嗚命(嵐)」の誕生が描かれていますね。これは盤古の神話と全く似通っています。日本神話は世界じゅうの神話を組み合わせているところが見られるのです。

すると盤古が巨人なのだから、イザナギイザナミも巨人であっておかしくないことになってきます。

盤古 - Wikipedia

 

また、イザナミの別名が「黄泉大神」で、素直に巨大な神であることを現しているんではないかと。地下に行ったイザナミを大きな神と言い換えているのは、まさに巨人の存在を絡めたかったのではないかと。

 

スサノオについても、完全に巨人だったんじゃないかとわかる記述が「古事記」にあります。

まず、八岐の大蛇(やまたのおろち)というのはその巨体が8つの丘、8つの谷に伸びるほどの巨体だと記されています。

素戔嗚尊は十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて、そんな巨大過ぎる八岐の大蛇をずたずたに斬り殺したのです。これはどうもスサノオが巨人で、八岐の大蛇と対峙できたような記述です。まさにウルトラマンと怪獣の戦闘シーンみたいなもんじゃないかと。

ユグドラシルは蛇のニーズヘッグが根っこをかじってるのですが、もしかすると八岐の大蛇が根っこ状のカタチをしているのも、八岐の大蛇のなかにニーズヘッグが習合されているから、そう捉えることもできます。

 

人間界の名前も不思議と似ている

 

これだけじゃないんですね、ユグドラシルと日本神話の関係は。

ユグドラシルの世界観では、人間が住むところは「ミズガルズ」と言っているのですが、日本神話に詳しい人ならもう気づいていてもおかしくないですね。

人間の住むところ

ミズガルズ(中央の囲い)

豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)

葦原の中つ国

日本神話で人間の住むところ、ここが「瑞穂の国」だったんですね。

何で瑞穂なのか、稲の穂がみずみずしいからだと説明されてきたのですが、どうも「ミズガルズ」のミズを瑞穂の名で保存してきたような感じがしました。

豊葦原瑞穂国は、別名を「葦原の中つ国」といってますが。葦原の真ん中の国だという話なのですが、ミズガルズの意味を知れば「中央」って言っていて全く似通っているわけなのです。

ここまで似通っていると、やはり偶然の成せる技じゃない、ずっとユグドラシルが見えないところで受け継がれてきたって見ることができますね。

 

 邪馬台国との関係

 

もう一つ、ユグドラシル邪馬台国が関係する可能性がある気がしました。

邪馬台国(邪馬臺国)あるいは邪馬壱国(邪馬壹国)とは、邪な馬と書いて、邪悪な馬かなんかのように思えるのですが、馬がいなかったはずの2世紀にどうして馬の字を用いるのかは不明でした。ここにユグドラシルが関係するかもしれないと気づいたのですが。

ユグドラシルの語源が、

"Ygg's horse" (恐るべき者の馬)

"Yggr" および "Ygg" は主神オーディンの数ある異名の一つ

となっていますよね。だから

 

Ygg(オーディン) 邪(Ya)

horse(馬)    馬

ここでも、どうしてか似てきてしまうのですね。日本神話にユグドラシルが含まれるのは、邪馬台国が関係している、そんな風にも思えますた。

 

 古代の倭人には欧州のユグドラシルの神話を持つ人々が入り込んでた 、その中心が邪馬台国だったような感じがします。日本神話は欧州神話を習合していると言って、過言じゃない感じです。

 

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(前回の続き)神武天皇ご一家はキルギスで記録されていたとの調査結果

 

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謎の猫さん「え~っ?」

 

前回

神武天皇ご一家のお名前が~何故かそのまんま中央アジアのキルギスで記録されてた件

これの続き。

 

前回はキルギスの王族のお子様、神武天皇一家のお子様の解説をこころみました。

今回は残りの父ちゃん母ちゃん。つまり神武天皇と皇后について解説をしたいと思います。 

最近はグーグル翻訳で、世界じゅうの言語の翻訳ができちゃうのです。それで日本語をキリル文字に翻訳するのも簡単。以前はキリル文字だけが表示され、読むことが難しかったのですが、いまは発音は英語表記されるようになってるから、グーグル翻訳は研究にもってこいです。

 

○いつも助かっております

 

 

キルギスの王様ビシケク

 

古代イスラエルからの流れを汲むらしきビシケクは、紀元前のキルギスの伝説的な王様であり、今回神武天皇と比較対象になっている主役です。キルギスではいわば昔話の桃太郎的な国家的英雄かもしれません。

ビシケクって、一体何の意味があるんだろう。そう思って検索してみました。すると以下のような結果が。

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なんと、ビシケクのbishを英語翻訳すると、「saver」。

これは簡単に言えば救世主のこと。

ではkekはなんだろうと翻訳してみると、「revenge」。これは原義は「復讐」のことで、なんかよっぽど腹に据えかねて復讐して、民に喜ばれることがあったのかと想像。

ようするにbishkekとは、「救世主の復讐」もしくは「復讐の救世主」という意味深な言葉が出てきたわけなのです。これは意外なことでした。

昔は復讐のことですが、近ごろのリベンジは仕返しとか雪辱を晴らす意味で使われたりする。 

そしてビシケク氏の奥方の名前はわかりませんでしたが、地名はヒントになると思って解釈を進めてみました。以下の通りになりました。 

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妃はタラス谷の娘という情報が出てきました。なんとか情報量を増やすために、valleyという言葉に関係するキルギス語も調べています。 

 

神武天皇の調査結果

 

次にビシケクと対応していると見られる、神武天皇についても詮索を進めてみました。この神武天皇は別名やら称号やら色々あるのですが、関係しそうなものを取り上げると以下の通りです。

伊波礼(磐余)については以前に書いた記事で「エフライム」の短縮だと解釈したので、それを使用します。なにしろビシケクキルギスは、古代イスラエルの民族の到達地であると判明しているので。

神武天皇の皇后については、ふたりいるうち、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)のほうを取り上げることにしました。

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 神武天皇の称号については「ハツクニシラススメラミコト(始駆天下天皇」がよく知られてますが、「日本書紀」の原文を読むと気になる文字が含まれていたのです。それも加味してみました。

すると想像以上にビシケク夫妻と一致する点が見えてきたのでびっくりしました。そのあたりを最初の謎の猫さんの表情に込めています。

 

ビシケク神武天皇の比較

 

ではひとつひとつ、一致点を見てみます。

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 (1)救世主と神

ビシケクは復讐の救世主でした。おそらく古代イスラエル人としてバビロニアに捕えられ、バクトリアのあたりで囚人となった彼らが、東方へと旅立って自らの国を建国しました。だからそのあたりで復讐、リベンジの建国者ビシケクは「救世主」という存在になったのかもしれないと考えました。

一方で神武天皇ですが、こちらは「神」を頭文字にしてます。救世主キリストは、ビシケクよりも後の時代に登場すると思われますが、救世主とは神そのものと言われることがあります。

 

 

(2)shikの一致

 

ビシケクの名前にはshikがあるのですが、神武天皇にもshikがありました。それは称号である「始駆天下天皇」から導き出すことができます。

 始駆を音読みすれば、「シク」ですからね。シックといえば病気のことなので、なんか病んだ状況から復讐したみたいな連想もしてしまいます。

始駆はshikuであるので、ビシケクのshikと一致していました。

「始駆天下」とは、普通に読んでも「ハツクニシラス」なんて読めませんね。これにはそれなりに意味があるんだろうと考えたのですが、どうやら舎人親王が、ビシケクという名前に対応させるため、音読みで「始駆(シク)」という漢字を選んだとしか思えませんね。

記紀編者の舎人親王太安万侶あたりは、この神武天皇の真相をしってたようですが。

 

(3)イシク湖の名前が含まれている

日本書紀」の原文を読むと、始駆天下天皇の前に、「而」の一字があるんですね。コの字は江戸時代ころまでは「而して(しかして)」とか使われましたが、今はとんと使われない死語です。「しかして、しかるに、すなわち」なんていう意味があります。

原文では、この「而」が頭について、「而始駆天下天皇」という文章になっているのでした。この文字は音読みをすると「二」とか「ジ」とか読むんですね。

ビシケクの方は「ishik」という言葉が含まれます。キルギスとは、イシク湖という大きな湖が象徴的な国ですから、これが名前に入っているのがわかります。

一方で神武天皇のほうも、而始駆で「nishiku」となってイシクの発音がにじみ出てくるかんじなのです。しかも奈良盆地には、磯城という土地がありますので、これがイシク湖に対応しています。

かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして

 

(4)タラス谷が含まれた媛蹈鞴五十鈴媛命

まさか神武天皇の奥様から、「タラス谷」が出てくるとは驚きました。「日本書紀」のなまえ媛蹈鞴五十鈴媛の「鞴五十鈴」が「taraisu」を含んでいて、これが「taras」に似てます。

また、「古事記」の名「比売多多良伊須気余理比売」のほうでも、「多良伊須」に「taraisu」とあり、tarasによく似た名称が含まれてたんです。

あとは「谷」についても含まれました。キルギス語で谷は合致しませんでしたが、谷によく似た「沢」を調べると、「saz」という言葉が出てくるんですね。媛蹈鞴五十鈴媛命のほうは、「鈴(suzu)」を含んでいるではないですか。

 

hime tatara isuzu himeの

「tarais suzu」が、taras saz(タラス谷)なんですね。

 

神世鈴というのは天照大神が天の岩戸開きで外に出るときに、神が用いたという神器ですね。おそらくタラス谷の娘と媛蹈鞴五十鈴媛命は、どちらも巫女的性格だったんですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 というふうに、ざっと一致点を検証してみました。

あとは烏孫の昆莫一家とビシケク神武天皇の3者の名前比較ですね。このへんもやっとこうかと。

 

 

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ニギハヤヒに対応するのがクルマンベック・ハン

 

ビシケクの物語をみると、最初のキルギスの王様として、クルマンベック・ハンなる人物が登場しています。最初の王様ですが、いつの間にかビシケクのほうに王位が移っているのですね。

いっぽう神武天皇の前には、大和にニギハヤヒという人がいました。こちらも最初ニギハヤヒが大和の王様だったのですが、同族出身の神武天皇のほうに、大和の権利を譲ってしまったのですね。

全く同じことが起きていたのです。

で、Курманбек(クルマンベック)の名前はなんなのだろと思って翻訳してみると、

Курманбе(Sacrifice)、つまり「犠牲」という意味が出てくるのです。このかたはキルギスの素地を作って、神の犠牲となった人だったんです。

Курмаだけでみると、「日付」とでてきます。

一方で鞍馬天狗の「クラマ」にも似てるのは偶然じゃないようです。サナート・クマラ信仰のあったヒンドゥー教の本拠地インドから、キルギスは目と鼻の先なので。

そういえばインドで空飛ぶ乗り物ヴィマナといいますけど、ニギハヤヒも天鳥船により天から飛来だったと伝わるので、そうするとニギハヤヒが乗ってた天鳥船とは、ヴィマーナなのかと納得ですが。

あ、クルマンベックの「クルマ」ですけどね、インドではヴィマナのことを「神の車」と呼んでいたのです。だから完全にこれ日本語と一致する言葉です、「車ンベック・ハン」とか書いて良いくらい。

というように、もしかするとクルマンベックハンとは、ヒンドゥー教の人であり、ニギハヤヒも同じ人物かもしれませんよ。

ヴィマナ - Wikipedia

 

神武天皇は西から東へ向かったとある

 

だから、この答えは、簡単に言えばこうです。f:id:kl117cr233:20180120233002j:plain

(1)神武東征とは元々ユーラシア大陸を舞台にして起きた。古代イスラエル・ユダから中央アジアへ向かった人々の話。

(2)キルギスではビシケクとして記録され、漢では烏孫の昆莫として記録し、扶余や高句麗では朱蒙として記録した。

(3)神武天皇の子孫は烏孫、扶余、三韓朝鮮半島の倭を経由して、日本列島へ向かった。

(4)ハツクニシラススメラミコトが神武・崇神の2人いるのは、神武天皇が大陸の初めての天皇崇神天皇が日本列島の最初の天皇という意味

(5)弥生時代以降、日本列島にその出来事をあてはめて、あたかも日本列島で起きたように見せかけた。それが大陸の王者である天皇家が、日本の支配者としての地位を固めるために必要だった

(6)そのために日本列島に、大陸の古代国家の名もあてはめることにした

 フェニキアの土地には肥国(ヒノクニ)、アナトリア(トルコ)の土地には穴門(アナト)、トハリスタンの場所には播磨(ハリマ)、サカの土地には大阪(大サカ)、匈奴(ションヌ)は信濃(シンノ)、漢は神奈川、扶桑(倭)は総国(ふさ)など。

(7)古代の段階で、ユーラシアの神武天皇の出来事の真相は、封印されてしまった。

 

 

 ということだった、のかもしれません。

まぁ日ユ同祖論的には、役立つかも。しかし日本の歴史学会みたいなとこの偉い人に取り上げられるとは、思ってませんので。

 

関連記事

日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ

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古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

 

 

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神武天皇ご一家のお名前が~何故かそのまんま中央アジアのキルギスで記録されてた件

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なんか「さっさと日ユ同祖論の記事かいて」みたいに、頭の中にリクエストが入った気がしたので、日ユ同祖論に関係ある話、書くことにします。

これは電子書籍化する予定に含まれてたのですが、まぁ発表しちゃいます。もう今から7年くらい前にはすでに研究がほぼ完成してたのですが、日々罵声を浴び続けるうち、発表の機会を逸していました。

 

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ちりとり持って踊ってる謎の猫さん。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○いつも助かっております

 

 

神武天皇一家が中央アジアで記録されているだって?」

 

まぁこれは、ちょっと日本の歴史について保守的なかたには、耐えられないかもしれません。日ユ同祖論みたいな証拠もはっきりしない話は。

しかし俺の場合は、別に日本に対する愛国心も希薄な感じだし、しがらみも何もないので自由に発想しております。

天皇家古代イスラエルにいたのであれば、当然ながら、日本に到達する時には必ず「中継地点」が大陸各地に存在してるわけなのですよ。駅伝競争みたいに。

それがどうやら、中央アジアキルギス民族が中継地点として実在し、日ユ同祖論の真相に迫る情報を、ずっと保存記録しているのではないかと。

しかもその証拠は、思ったよりはっきりしたものだったんではないかと。これを7年以上前に見つけたわけなのです。

 

それを見せる前に、キルギス古代イスラエルの関係についてちょっとおさらいします。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

中央アジアキルギスイスラエルの失われた支族である

 

「日本の中のユダヤ文化」(久保有政)という本があるんですね。この本、もう10年も前にamazonで入手しました。

 

日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相

 

キルギスには昔から「マナス叙事詩」という伝承があったとか。日本で言う記紀神話みたいなものですね。それが近代になってから、書いてある内容が古代イスラエルの「旧約聖書」にある「マナセ族」についての内容とそっくりで、登場人物のマナスとヤコブも同一人物なのだと、判明したそうなのです。で、キルギスでは習慣も古代イスラエルと同じものが残ってたり、明らかにキルギス人は聖書的なのだそうです。

それに加えて不思議なことに、キルギス人の言葉は日本語に似てるものが多いとか。

 

こんな話も。

キルギスの方々の間では「大昔、キルギス人と日本人が兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚を好きな者は東に渡って日本人となった。」と言われていると伺っており、またキルギス人と日本人は顔がそっくりであるともよく聞いています。
出典 在京キルギス大使館の開館


キルギスの伝説
キルギス人と日本人が兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚が好きな者は東に渡って日本人となった。」


日本神話山幸彦と海幸彦
「弟の山幸彦(猟師)は獣をとり、兄の海幸彦(漁師)は魚をとっていた。」
兄弟は争いをするが、兄が弟に服従する事で仲直りする。

出典キルギス人と日本人 みんなのM君

日本人に瓜ふたつ!?「キルギス人」とは - NAVER まとめ

というふうに、古代イスラエルキルギス、日本は、繋がってるらしい。

ではコレを踏まえて本題に入ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

キルギスで記録されたった神武天皇ご一家

 

まず、以下の伝説的な高貴な一家の名前。これを見て欲しい。これが、神武天皇一家の名前によく似ているのです。

Бишкек

Баймурат

Манаккозу

Манапбай

Ырыскул

この方々は、紀元前にキルギスを支配して居た王家だとのことです。

あちらでずっと伝承されてきたとか。

 

キリル文字だとのことですが、普通の日本人は読めません。 

だからこれに、ローマ字とカタカナ付けます。

Бишкек Bishkek ビシケク

Баймурат Baimurat バイムラット

Манаккозу Manakozu マナッコズ

Манапбай Manapbai マナプバイ

Ырыскул Iryskul ウィリスクル

 

これが天皇家の名前?

なんのこっちゃと、これだけじゃ、わけわかりませんね。

 

次に、上記の謎のファミリーと、別のファミリーをローマ字で比較した表を見て欲しい。ここには父親と母親の名前というか関係する名称も入れてみました。

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 ( ゚д゚)ポカーン・・・

これもまぁ、良くわかりませんね。一見してなんの一致点も無いで寿司。

 

じゃあ、まずこの謎のファミリーの、子どもの名前の意味を解き明かしてみる。名前のひとつひとつの意味を調べると、分かってくることがありました。

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するとこうなった。グーグルのキルギス語の翻訳を使ったり、調べるとこんな感じになるのです。

ここで注目なのは、神さま、人体(目・耳・手)、ギリシャ神話の神の名前が登場すること。

あと、謎の言葉「bai」。

manaについて補足

manaというのは、神さまに関係しているのが明らかなのです。

旧約聖書」で、空から降ってきた神さまの食べ物をマナと言って、それをマナの壷に納めたという話があるんですね。

ハワイのほうでは「神秘的な力」のことをマナと言うらしい。

日本で「真名板」と言えば食べ物を調理する板なので、不思議と「旧約聖書」のマナに通じているんですね。一説に真名とは出雲の「建御名方神(たけみなかた)」の「御名」だとか。

要するにmanaとは、世界ではどう見ても神や神秘に関係しているような言葉なんですよね。

まぁこのへん、特に囲みや太字を記憶しておいてください。

 

では次に、日本のとある一家、というか神武天皇一家についても、意味を解読してみたのがこれ。f:id:kl117cr233:20180118211027j:plain

比較しやすいようにローマ字表記にしました。

まずは神武天皇一家のお子様のほうを、こうやって解き明かしたのです。

 

すると、やはりこちらでも神さま、人体(耳)が目立っていますね。あとはyai(八井)という謎の言葉が気になるところ。

それにしても、キルギスの高貴な一家と神武天皇一家は、似た意味の名前が、使われてることがわかるじゃないですか。 

 

これってもしかして、キルギスの一家と、神武天皇一家は、全く同じなんじゃないか?

そんな風に考えて研究を続けました。

そして同じ特徴同士で比較した表が以下のもの。

 

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この表についての解説。

( 1)baiと八井

日子八井のや神八井耳の「八井」は、「yai」と読ませている。だけれど、日本語の別の読み方をすれば「bai(八井)」ですよね。ここでbaiが一致しました。

 

(2)神さま系

manaは神さま関係、もう一方は神で、そのまんま神さま。どっちも神さまの意味が入っていました。

 

(3)人体のパーツ

不思議なことに、神武天皇一家は「耳」を多用するのです。コレの意味は不明でした。しかしキルギスの一家のほうも、人体パーツを含めているようです。耳っぽい名前も入っていたことで、神武天皇一家が耳を多用する理由が分かるかと。

 

(4)それぞれの対応が判明

manapbaiが神八井耳ではないか、だとすれば、残りの日子八井がbaimratに当てはまるみたいだ、そしてmanakozuは神沼河耳ではないか、すると残りの多芸志美美がIryskulに対応している・・・こんな風にして考えていったわけです。

 

(5)他の特徴も似てた件

IryskulのIryは、キルギス語で「歌」なのですね。

一方で多芸志美美の「芸」というのは、修練して身につけた技能、学問、技みたいなものなんですよ。

あと、「日本書紀」では「研」をつかってますが、この字は研ぎ汁の「togi」じゃないですか。トギといえば、「お伽噺」の「伽(とぎ)」だな、お話だな、とふと思ったんですね。

「 歌、伽(話)、芸」・・・これって、全部芸能のことを言ってる、ということはIryskulと多芸志美美の共通点が、更に補強されたようでした。

 

(6)さらに名前もそのまんまな可能性

manakozuと神沼河耳ですが、この方々、名前もほとんど一致しているのです。

分解したとき、

ma-na-ko manakozu

nu-na-ka 神沼河耳kamu nunakawa mimi

 こうしてそっくりだったのですね。そういえば「manako」って、日本語で目(まなこ)のことだし。キルギス語でkozが目だと言うのですが、manakozuさんで繋がってたようです。

 

「遠く離れた古代の王家と神武天皇一家の、名前の意味を調べると非常に似通っていた」、これって不思議じゃないですか。 

あ、これ、元々同一人物だったのが、大陸を縦断して年月を経て、内容が変化してるんだろうなと。それにしても原型をよくとどめてるなと。

限られた人数と文字数で、よくここまで一致するなと関心するわけです。

 

そんな感じしませんか。

 

参考文献 ビシケクの伝説

МИФЫ И ЛЕГЕНДЫ КЫРГЫЗСТАНА

 

Легенда о городе Бишкек

3Как говорят старые люди, в давние времена между реками Аламедин и Ала-Арча в прекрасной долине разбил свою ставку Курманбек-хан. Однажды, возвращаясь с охоты в сопровождении джигитов, хан услышал шум и крики женщины: «Бишкек! Куда же ты подевался, Бишкек?!».
(А «бишкек» у кыргызов — мешалка для взбивания кумыса — вкусного и целебного напитка, получаемого из кобыльего молока). В это время из ближайшей юрты раздался плач новорожденного.
Склонясь с седла, Курманбек-хан спросил: «Чего ты шумишь, женщина? Зачем искать то, что само отзывается? Слышишь, Бишкек тебе голос подает!». У юрты, одинокой и небогатой, возле кумысного сабаа (кожаная посуда, где постоянно находилась кумысомешалка-бишкек — самое чистое, всеми почитаемое, крепкое арчовое приспособление, с помощью которого доводят кумыс до кондиции) сидел и слушал их, улыбаясь, счастливый отец новорожденного.

— Прими подарок, — сказал Курманбек-хан родителю и бросил ему свою камчу. Не зная, как отблагодарить хана, счастливый отец произнес:
— Да будет имя моего сына Бишкек и пусть Ваша камча принесет ему удачу!
Так, с легкой руки Курманбек-хана, мальчик был наречен Бишкеком.

С малых лет Бишкек отличался богатырским здоровьем, был первым в единоборствах и в вооруженных набегах. Враги не знали, откуда ждать Бишкека, потому что тактика у него все время менялась. Рос Бишкек баатыр, как говорится, не по дням, а по часам. Вместе с ним росла его слава. Враги уже боялись его и, поэтому, со временем оставили род Бишкека и его крепость в покое. Однако, поссорившись с местной знатью, Бишкек баатыр покидает родной аил Майчоку и перемещается сначала в урочище Чункурчак, в верховьях реки Аламедин, а затем переезжает на возвышенность в среднем течении этой реки, где незаметно проходила заросшая тропа, ставшая потом знаменитым Шелковым Путем. Дальновидный Бишкек, с целью объединения разноплеменных кыргызов, последовал народной мудрости «Бери не жену, а родню» и женился на дочери знатного человека из далекой Таласской долины. У него родились дети, один краше другого: Баймурат, Манаккозу, Манапбай, Ырыскул. Кстати, потомки Бишкек баатыра ныне проживают в селе Тюз Сокулукского района и насчитывают 40 семей (более 300 человек). Китайские источники свидетельствуют, что в 60-х годах 18-го века в Чуйской долине кыргызы имели свое укрепление Бишкек, противостоявшее различным завоевателям. Много позже кокандцы, завоевав Семиречье, основали на этом месте свое укрепление, которое также назвали Бишкек… Впоследствии оно появилось в искаженном написании как Пишпек, хотя в восточных сочинениях известно как Бишкек.
В 1926 году город получил название Фрунзе в честь известного полководца времен Гражданской войны, который родился и жил в Бишкеке, и только в условиях суверенитета, в 1992 году столица Кыргызской Республики вернула свое первоначальное название.

 

 ビシケクの伝説

9昔から語り継がれているように、昔々、アラメジン川とアラアルチャ川の間にあるすばらしい谷に、クルマンベック・ハンは自分の陣営を構えた。
ある日、家来とともに狩りから戻ったハンの耳に、クムィスを作っている女性が騒々しく叫ぶのが聞こえてきた。「ビシケク(*1)よ、いったいどこへいってしまったの?」
ちょうどそのとき、近くのユルタから生まれたばかりの子どもの泣き声が、それに応答するかのように響いた。クルマンベック・ハンは馬から降り、尋ねた。「何を騒いでいるのだ。なぜ応答しているのに探しているのだ?聞いているのか、ビシケクは君に答えているではないか。」
クムィス・サバア(*2)の近くにひっそり立っている、裕福ではなさそうなユルタで、幸せそうな新生児の父親が微笑みながらそれを聞いていた。

「祝いの品を受け取りたまえ」クルマンベック・ハンはそう言い、彼に自分の絹の織物を放り投げた。ハンにどうお礼を言っていいのかわからず、幸せそうな父親はこう言った。
「息子の名前はビシケクにします。頂いた絹の織物が息子に幸運をもたらしますように。」
こうしてクルマンベック・ハンの一言で、男児ビシケクと名づけられることになった。

ビシケクは小さいころから抜きんでて力強く健康で、戦いや武装襲撃で負けることはなかった。敵はどこからビシケクを向かい討てばいいのかわからなかった。毎回戦術が変わるからだ。ビシケクはみるみるうちに大きくなった。ビシケクが大きくなるとともに彼の評判も上がっていった。みな彼のことを恐れるようになり、時とともにビシケクの一族と彼のいる要塞を攻めるものはいなくなった。ところが、その土地の族長と口争いをしたビシケクは、故郷であるマイチョク村を去り、アラメジン川の上流にあるチュンクルチャクへ行き、その後この川の中流にある、草の生い茂った小道がひっそりとある高地へ移った。この小道こそが後に有名なシルクロードになるのである。
先見の明あるビシケクは、多種族に分かれていたキルギス人を統一しようと、「妻ではなく、血統を取れ」という民衆の英知に従い、遠くタラス谷の族長の娘と結婚した。子どもたちは誰よりも凛々しく、バイムラット、マナッコズ、マナプバイ、ウィリスクルと名づけられた。ちなみにビシケクの子孫は現在、ソクルク州テュズ村に住み、40家族(300人以上)にもなっている。中国の歴史家によると、1760年代に様々な侵略者に対抗するビシケクというキルギス人砦がチュイ谷にあったと言われている。その後何年か経ってから、セミレチエを侵略したコーカンド人は、ここに自分たちの砦を築いた。この砦もビシケクと名づけられた。これが後に見つけられる書簡にピシュペクとして出てくるのである。東洋の作品にはよくビシケクという名が見られるのだが。
1926年、ビシケクはフルンゼに改名された。ビシケクに生まれ育ち、市民戦争で軍の司令官を務めたフルンゼに敬意を表してつけられた名前である。そして独立後の1992年、やっとキルギス共和国の首都は最初の名前を取り戻すことができたのだ。
(*1)キルギス人にとって「ビシケク」とは、馬乳から作られた、おいしくて体によい飲み物であるクムィスを作るときに使う、泡立てるための棒のことである。
(*2)皮からできた容器。いつもクムィスを混ぜる棒であるビシケクが置かれており、清く皆から崇拝され、杜松から作られた丈夫な器具で、これによってクムィスを作ることができる。

 

キルギス共和国日本センター

 

次回明らかになること 

 

 で、これだけじゃまだ終わらないのです。

神武天皇と奥様の特徴も、キルギスの高貴な一家と似てることもわかりました。

それに、「日本書紀」の神武天皇についての伝承、これもこのキルギスの伝承の中に入っているんではないか?これも判明しています。

それにしても、どうして遠くはなれているキルギスに、神武天皇一家と似た意味を持つ人名の記録が存在するのか?という疑問があります。

以下の3つの説が考えられました。

(1)ものすごい偶然で、キルギス王一家と神武天皇一家の、名前の意味が似てしまった

(2)キルギス神武天皇一家がいたから、両国に同じ意味を持つ一家の名前が残った

(3)日本の神武天皇を先祖とするキルギス人が、キルギス神武天皇情報を持ち込んだ

この辺は知りたいところです。

実はそこには、烏孫が深く関係していました。そしてこのキルギスの高貴な一家を記録していたのは、キルギス人だけじゃなく、漢人も記録してたみたいなのです。

このへんの答えは次回に。

 

 関連記事

ちなみに古代イスラエル・ユダの神武天皇の名前については、こちらの記事。

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

キルギスの関連記事はこちら

キルギス の検索結果 - たっちゃんの古代史とか

 

 

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「天からの落下物による災厄と壊滅」の予言は当たるか

 

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映画、アニメ、漫画、小説などは、必ず何か裏の極秘情報が込められていたりする。

偉い人のトップシークレットが、人を経て、また人を経て、また人を経て、最終的に作家などクリエイティブ業界に舞い降り、作家は伝えられたネタの通りに極秘情報を込めた作品を作る、というクリエイティブ業界によくあるらしき伝統的な仕組み。

そんな術には、特定の人を中傷する悪意の目的があったり、または災厄から僅かでも人を活かすという善意も含まれたりという感じもする。

 

○いつも助かっております

 

 

2つあった「君の名は」

 

2016年から、「天から落下する災厄」を描いている「君の名は。」というアニメ映画が大ヒットだったとか。見てませんが。

実は今から66年前に、同じ名前のラジオドラマが存在して、大人気だったとか。テーマ的にも似通ったところがあるようなので、比べてみました。

君の名は(1952年・ラジオドラマ)あらすじ

第二次大戦、東京大空襲[5]の夜。焼夷弾が降り注ぐ中、たまたま一緒になった見知らぬ男女、氏家真知子と後宮春樹は助け合って戦火の中を逃げ惑ううちに、命からがら銀座の数寄屋橋までたどり着く。一夜が明けて、二人はここでようやくお互いの無事を確認する。

お互いに生きていたら、半年後の11月24日、それがだめならまた半年後に、この橋で会おうと約束し、お互いの名も知らぬまま別れた。やがて、2人は戦後の渦に巻き込まれ、お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会が叶わず、1年半後の3度目にやっと会えた時は真知子は、既に明日嫁に行くという身であった。しかし、夫との生活に悩む真知子、そんな彼女を気にかける春樹、2人をめぐるさまざまな人々の間で、運命はさらなる展開を迎えていく。

君の名は - Wikipedia

真知子巻きって、なんか聞いたことありましたが、これだったんですね。

 

作中で「半年後の11月24日」と言っているので、6ヶ月逆算すると、このドラマの東京大空襲は、1945年の5月24日か25日ですね。

東京大空襲 - Wikipedia

 

 一方の最近のほうは。

君の名は。(2016年)

 

 東京の四ツ谷[注 2]に暮らす男子高校生・立花瀧は、ある朝、目を覚ますと岐阜県飛騨[23]地方の山奥にある糸守町[注 3]に住む女子高生・宮水三葉になっており、逆に三葉は瀧になっていた。2人とも「奇妙な夢」だと思いながら、知らない誰かの一日を過ごす。

翌朝、無事に元の身体に戻った2人は入れ替わったことをほとんど忘れていたが、その後も週に2~3回の頻度でたびたび「入れ替わり」が起きた事と周囲の反応から、それがただの夢ではなく実在の誰かと入れ替わっていることに気づく。性別も暮らす環境もまったく異なる瀧と三葉の入れ替わりには困難もあったが、お互い束の間の入れ替わりを楽しみつつ次第に打ち解けていく。

しかし、その入れ替わりは突然途絶え、記憶を頼りに描き起こした糸守の風景スケッチだけを頼りに瀧は飛騨に向かう。瀧の様子を不審に思い心配していた友人・藤井司とバイト先の先輩・奥寺ミキもそれに同行する。しかし、ようやく辿り着いた糸守町は、3年前に隕石(ティアマト彗星の破片)が直撃したことで消滅しており、三葉やその家族、友人も含め住民500人以上が死亡していたことが判明する。

瀧は、以前三葉と入れ替わっている時に口噛み酒を奉納した記憶を思い出し、山上にある宮水神社の御神体へと一人で向かう。そしてその御神体が実在していたことで「入れ替わり」が自分の妄想ではなく、2人の入れ替わりには3年間の時間のズレがあったことを確信する。瀧は、もう一度入れ替わりが起きることを願いながら、3年前に奉納された三葉の口噛み酒を飲む。

目覚めると隕石落下の日の朝の三葉の身体に入っていた瀧は、三葉の友人である勅使河原克彦名取早耶香の2人とともに、住民を避難させるために変電所を爆破し町一帯を停電させ、町内放送を電波ジャックして避難を呼びかけるという作戦を画策する。しかし、その計画の要である三葉の父・俊樹を説得しようとするが、妄言だと一蹴される。

避難計画が順調に進まず、瀧(身体は三葉)は、三葉(身体は瀧)に会うため御神体がある山を登る。生きている世界には3年の時間差がある2人だったが、時間を超えて聞こえる声を頼りに互いの姿を探すも、声だけで姿は見えなかった。しかし黄昏が訪れると互いの姿が見え、入れ替わりが元に戻り、初めて2人は時を超え直接会話することができた。

三葉は、瀧から住民を助ける計画を引き継ぎ下山する。計画通りに町を停電させ、避難指示の放送を流すが、その電波ジャックも町役場にバレて阻止され、避難は進まない。三葉は改めて父(町長)を説得するため町役場に向かう。

瀧が「入れ替わり」という不思議な出来事に遭ってから5年後、「偶然にも住民が避難訓練をしており奇跡的に死者が一人も出なかった」糸守町への隕石衝突から8年後へと舞台は移る。瀧は就活の毎日、三葉たちは東京で暮らしていた。たまに町中でお互いの気配を感じることがあったが、もはや入れ替わりのことは忘れており、ただ「漠然と『誰か』を探している」切実な思いだけがあった。

さらに月日が流れたある春の日、たまたま並走する別々の電車の車窓からお互いを見つけた2人は、それぞれ次の駅で降り[注 4]、お互いの下車駅に向かって走り出す。ようやく住宅地の神社の階段で再会した三葉と瀧は、涙を流しながら互いに名前を尋ねる。

君の名は。 - Wikipedia

名前だけじゃなく内容も似た所があるようす。

ついでに書きますが、「君の名は(2016)」で、最初に気になるキッカケだったのは、なんか俺の名前をもじったような主人公がいたから。

立花瀧・・・なんか、こういうのは無性にローマ字表記がしたい。

 

 

 2つの作品大雑把な比較

 

作品名  君の名は     君の名は。

放送年  1952年      2016年

種別   NHKラジオドラマ アニメ映画

テーマ  東京大空襲    ティアマト彗星衝突

     夫婦入れ替わり  男女入れ替わり

舞台   東京       東京・岐阜

「君の名は1952」のテーマとなった「東京大空襲」は現実に10万人以上が死亡。

「君の名は2016」の「ティアマト彗星衝突」では500人以上死亡とされる。

ではここから気になったこと。

 

 

人工物の落下が気になる・・・

 

「君の名は(2016)」で気になってるのは、その元ネタが、第二次世界大戦の後に放送された1952年のラジオドラマ「君の名は(1952)」を元にしてることで下。明らかにタイトルも設定も似ていることがわかりま下。

話の重要な骨子になってるのが「天空からの飛来物による大勢の死」だと思われま下。

「君の名は(2016)」のほうで、ティアマト彗星という天からの彗星が落ちてくるのです。しかし実はコレ、「人工物」だとの話が、原作でもほのめかされているらしいのですね。

ティアマト彗星は人工の攻撃衛星だった・・・

つまり1945年の東京大空襲が人為的に焼夷弾を落としたのと同様に、ティアマト人工彗星も人為的に計画的に落とされ、大虐殺が行われたのだと。

ティアマト彗星 人工 - Google 検索

 

 

気になる天宮1号との一致

 

それで気になるのが、天宮1号のこと。

天宮1号

(てんぐう1ごう、中: 天宫一号、英: Tiangong 1)は中国の軌道上実験モジュール[3]。2011年9月29日に打ち上げられ[4]、中国初(世界で5番目)の無人ドッキング、および中国初(世界で3番目)の有人ドッキングを成功させた。2013年に全てのミッションを終了し、2018年3月までに大気圏に突入する予定[5]。


制御不能と地球への落下の可能性

訪れる宇宙船がなくなった後も、天宮1号は軌道上に留まり続けたが、科学者が宇宙船の制御不能を指摘、2016年9月に中国政府より、機械的または技術的な理由から、制御不能と発表された。制御不能になった天宮1号は、軌道上に留まれず、大気上の空気抵抗により、次第に高度を下げ、2017年後半から2018年頃地球に落下すると推測される。

この大気圏再突入で「機体の大部分は燃え尽きる」と、中国政府は主張しているものの、かなりの大きさの塊(ある推計によると最大約100kg)が地上に到達する可能性がある。北緯43度から南緯43度にかけての広範囲が、機体の落下予測地点となっており、地球上の何時に何処へ落ちるかが、全く分からない状態になっているが、ただ、天宮1号の一部が落ちてきて人の体に危害が及ぶ可能性は低く、1兆分の1とというレベルである[19][20][21]。

天宮1号 - Wikipedia

質量 8,506 kg 8.5トン

全長 10.4 m

直径 3.35 m

これはけっこうでかいやつです。中に鉄が詰まった大型バス1台落ちてくるみたいな感じ。

 

もしかして、これが「君の名は(2016)」が言いたいことなのか?と思ったりしたのですが。何故かと言えば、こんなことになってるから。

天宮1号   tien gong tie 天  宮

ティアマト tia mat  tia アマ 宮水

なんか共通した名前だし・・・偶然というか、アイデアの一部に天宮1号があったのかと。

 

「君の名は(2016)」の内容も含め、合わせて時系列で言うと、

2011年9月29日 天宮1号打ち上げ

2013年     天宮1号、全てのミッション終了

2013年     君の名は。でティアマト彗星落下(人工物)

2014年     君の名は。の原案が作られ始める

2016年3月   天宮1号、制御不能に陥る

2016年8月26日 君の名は。公開

2018年3月   天宮1号、3月までに地上に落下

2つの時期は、重なっていました。偶然というか、狙ってなのか。

そうすると気になるのは、天宮1号の落下地点が、日本の岐阜なのか?ということ・・・。それとも「入れ替わり」だから東京なのかと。

中国の「天宮1号」が来年1〜3月に大気圏再突入 日本に落下の可能性も:最新予測 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

しかし上記にある通り、

 天宮1号の一部が落ちてきて人の体に危害が及ぶ可能性は低く、1兆分の1とというレベルである

ウィキペディア 天宮1号

ということなので、ティアマト彗星や東京大空襲と、天宮1号の被害規模は雲泥の差が出るようです。しかし重さ100キロの物体が高速で落下するので、恐らく人に当たれば死んでしまいますね。

 

 

AKIRAと天宮1号と君の名は2016

 

f:id:kl117cr233:20180113142424j:plain

それで、天宮1号を知って、もう一つ気になったのが、漫画「AKIRA」との一致ですね。

AKIRAの出来事を時系列でみていくと、現実とリンクしてるんですよね。これ、陰謀だとかいって話題になってたりしますが。

作中では、鉄男が地球軌道上の人工衛星フロイド(高エネルギー兵器)を操って、東京湾に落下させ、米軍の原子力空母に衝突させていたんですよ。

AKIRAの東京では、巨大な看板が落ちてきたり、巨大な高層ビル群がタイムスリップしてそのまんま天から落ちてきたり、レーザー光線が落ちてきたり、衛星兵器が落ちてきたりアキラの冷凍カプセルが落ちてきたり、色々巨大なものが空から落ちてくるのですが。いずれも2019年という設定でした。

そう言えば最近、航空機から何か落ちてきてますよね、いろいろと。 

 

時系列で並べていくと。青が天宮1号、緑が君の名は(2016)、水色がAKIRA

2011年9月29日 天宮1号打ち上げ

2013年     天宮1号、全てのミッション終了

2013年     君の名は。でティアマト彗星落下(人工物)

2014年     君の名は。の原案が作られ始める

2016年3月   天宮1号、制御不能に陥る

2016年8月26日 君の名は。公開

2017年    北朝鮮のミサイル火星が飛び交う←

2018年3月   天宮1号、3月までに地上に落下←アタリ

2019年 アキラ復活後の東京壊滅

2019年 衛星兵器SOLとフロイドによるレーザー攻撃←

2019年 鉄男が人工衛星フロイドを落下←アタリ

2019年 アキラと鉄男の衝突による東京壊滅

2019年 東京・・・?

2020年 東京オリンピック予定(AKIRA)←アタリ

2020年 東京オリンピック予定(現実)←アタリ

というふうに重なっているような感じ。

 

AKIRAでアタリだったのは、

(1)

2017年    北朝鮮のミサイル火星が飛び交う(現実)

 

2019年 衛星兵器SOLとフロイドによるレーザー攻撃(AKIRA

(2)

2018年3月 天宮1号、3月までに地上に落下(現実)

2019年  鉄男が人工衛星フロイドを落下(AKIRA

(3)

2020年 東京オリンピック予定(AKIRA

2020年 東京オリンピック予定(現実)

1は微妙で、のこり2つは、当たってたので気になりますね・・・。ほかにもあるようです。

じゃあAKIRAの「東京壊滅」は、これからアタリなのか、どうなのか。

それは北朝鮮のミサイルなのか、ちまたでウワサの第三次世界大戦なのか。これから数年で判明しそう。

 

 

 

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<訂正>崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与(2012)の訂正か所

拝啓

2018年の戌年を迎えていかがお過ごしですか。

2012年に「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」が日本文学館から出版されました。 

しかし後に、訂正すべきところがかなり出てきました。当時の自分の知識のなさが原因でした。

 

そこで2013年以降の発売分には、訂正の紙を挟み込んでいるのです。初期の発売の頃のものでは、訂正文は存在しませんでした。 

以下に最近に挟み込んでいる訂正の用紙と、同じものを掲載します。

敬具

 

2018年1月11日

たっちゃんの古代史とか研究室 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 ○いつも助かっております

 

 

崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与』著書内の訂正・補足箇所

 

2012年11月に本書を発表した後、間違った記述と認識が、本文内より幾つか見つかりました。この書面をもちまして訂正・補足いたします。

 

まえがき(P11)
倭人の道具は主に木で出来た簡素な、飾り気の少ない道具を好んでいたように見えますし」について補足。もちろん、弥生時代中期以降には、銅製品、鉄製品が多く使われていました。

まえがき(P11)
「大陸に比べれば鉄器を使用し始めた年代は、やや遅れていました」について補足。倭人が鉄器を本格的に使い始めたのは、特に弥生時代後期以降のことでしたが、鉄器の歴史・物量共に中国には及ばないと思ったのでこう書きました。

第二章(P38)
倭人の斑布と黥面文身の謎」は当時に思いついた発想でしたが、縄文人の遺物から「まだら模様」の縄文土偶や面は確認される数が少なく、発想が軽率だったように思います。

第二章(P48)
銅鏡が方位磁針、羅針盤としての役割を果たすとの仮説は、加治木義博著『真説日本誕生 建国前夜の巨大連邦発見』で述べられていたと、本作発表後に知りました。

第二章(P51)
殉死の風習についてはスキタイより遡り、紀元前2600年頃のシュメール王朝の「ウル王墓」でも確認されているとのことです。

第二章(P53)
執筆した時点で、炭素14年代測定について、知識が不足していました。現在炭素系遺物の存在時期の特定は、短い時期に限定できるとのことです。

第二章・第三章の複数箇所
本書内に何か所か登場する「アカルヒメ」の正しい漢字表記は「阿加流比売」でした。

第三章の複数箇所
「異族」とあるところは、正しくは「異俗」でした。これが「魏の人」を表す、との解釈は変わりません。

終章(P172)
続日本紀』の情報が不足し、間違っていました。補足すると、高句麗は扶余から派生した国であり、「旧唐書」によると、渤海国王は高句麗の別種と記録があります。高句麗と扶余は同じ文化・信仰・言語・神話を保持する関係でした。その高句麗を受け継ぐ渤海王が、日本を、同じところから枝分かれした国と言っているのです。

 

f:id:kl117cr233:20180110161044j:plain当初はこの紙が無かったですが、数年前から挟んであります。

 

 

ニトムズ テープはがしカッター T087 

 

 

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日本で唯一国常立尊を国名に刻む常陸国が、「国常立尊の龍神の顔」を証明するカモ

 

こんにちは、

正真正銘、ホンモノのETです(イニシャルが)。

f:id:kl117cr233:20180108230832p:plain

そんなことはどうでもいいんです。 

 

近年、自分の名が「たつ(達)」なもので、同じく「たつ(立)」を含んでいる国常立尊国之常立神)について、考える機会が多々ありました。

大本で国常立尊と同一視する「艮の金神」についても、近ごろ思う所あったし。

過去にも国常立尊に関連する記事はかなり書いていました。

 

ずっと気になっていたのが、茨城県こと常陸国(ひたちのくに)と、国常立尊、そして龍神との関係」。

これは茨城県のローカルネタで終わるかと思いきや、原初の神国常立尊のことであるし、意外と関係が深いものだ・・・とこねくり回していると、思いもよらぬ発見に繋がったり、へんなことが起こったりするものです。

 

○いつも助かっております

 

 

 

常陸国は日本で唯一の「国常立尊の名を刻む国」だったのは何故

 

日本書紀」で原初の神である、国常立尊。その名と常陸国がにている・・・。

これは考えなくても、パッと見れば直感的に得られることでした。「同じ漢字が使われている」ということだから。

常陸国・日立国・・・常・立

国常立尊・・・・・・常・立

こうしてみると、嫌でも国常立尊と、常陸・日立は関係があるんだな、ということが見えて来ます。

国常立尊の名を冠する地方の国名、それは日本で常陸(日立)だけしか存在していません。それほどかつては、常陸国国常立尊の存在感が大きかったのか?という疑問もでてきます。

 

では実際のところ、国常立尊と関係が深いことを証明できるのか?ですが、できました。

御岩神社

所在地 茨城県日立市入四間・御岩山霊場

祭神 国之常立神大国主命伊耶那岐命、伊耶那美命

など全188柱

 創建年代 不詳(太古より)

http://www.oiwajinja.jp/jinjasyoukai.html

日本最古の霊山とも言われる標高530メートルの御岩山(おいわやま)は、古来より「常陸国風土記」に名があり、「延喜式神名帳」記載の式内社です。

江戸時代には水戸光圀をはじめ、歴代の水戸藩主が崇敬し、かつては常陸国北部随一の神社だったとか。境内には樹齢600年超え、高さ50メートル幹周り9メートルの特大三本杉があり、県の天然記念物だそうな。

 

ところで御岩山は別名を天の香具山と言ったとかで、以前に書いた記事と関係していました。

大和三山に対応する山を関東地方に発見した鴨(1)天香具山編

大和三山に対応する山を関東地方に発見した鴨(2)耳成山編

 

このくらい由緒正しき神社で、常陸国国常立尊と三拍子揃っているのだから、国常立尊がいかに常陸国内で存在感が大きかったか伝わってきます。 

 

さらに、茨城県には、祭神が国常立尊な神社が多数あるのです。

・御岩山・御岩神社(日立市

・西金砂神社(常陸太田市

・稲村神社(常陸太田市

常陸国出雲大社笠間市

御嶽神社大洗町

・足尾神社(石岡市

国常立尊を祭神としている神社は、全国的にはそれほど多くないというのですが、茨城県には6社もありました。これは無視できないところ。

 

 

常陸国の立ち位置

 

さらに常陸国から導かれる情報をまとめることによって、追い求めていたものが見えてくる感じがしました。

 

1・常陸国の別名

常陸国

茨城県

・日立国

・常国 

この他、納豆県なんていうのもあり。近ごろ、ねばーる君が有名らしい。

 

2・日本列島における位置

丑寅(牛・虎)北東

・卯(兎)   東 

・辰巳(龍・蛇)南東

常陸国の方角には、以上の3つがよく当てはまる。

常陸国東海道に所属している東国(あずまのくに・関東地方)であった。

 

3・四神での位置

・青龍 東 

・白虎 西

・朱雀 南

・玄武 北

東国=関東の常陸国は青龍にあたる。

 

4・宗教関係の東

・生と復活の象徴

・キリストを象徴する方角

お日さま(太陽)と関係する常陸国は、生と復活の象徴、そう捉えられてもおかしくない。これは創造神である国常立尊に相応しい。

 

 ということで、都(奈良・京都)から見れば、常陸国は次のような特徴ある土地だったですね。

・東国(関東)の常陸であり、

丑寅(北東)・卯(真東)・辰巳(南東)の土地であり、

・青龍の土地であり、

・生と復活の土地、太陽が登る=日立であり、

・流海という内海(香取海、現在の霞ヶ浦)の土地だった 

 東日本で1番手の霞ヶ浦が、かつて流海(ながれうみ)だったことは、以前の記事でかいています。

流海(霞ヶ浦)と龍ケ崎と常陸国から解ける龍神信仰の秘密

この記事のこと、すっかり忘れてました。事実上はこれの続きが、今回の記事ということになって来ました。 

 

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 国常立尊龍神だったかを探る

 

国常立尊は果たして龍神なのか?」について。

ちなみに漢字の「龍」と「竜」は同じ意味で、たんに異字体なだけだから、龍でも竜でもどっちも一緒。

 

国常立尊とは、原初には「葦牙」と称される三角錐の形状をしていました。普通は人間の形をした神さまとして描かれたりするのです。どの辺に龍(竜)の姿があったのか。

それは、ここまでに集めた情報から見えてくるのでした。

 

(1)国常立は立(たつ)=龍(たつ)である

立=龍なのだから、国常立を書き換えて、「国常龍・国常竜」と著しておかしくない。

 

(2)国常立が龍なことは、常陸国の位置「辰巳」「青龍」が現している

東の方角は、十二支では「辰巳(たつみ)」であり、龍と蛇という爬虫類系生物の方角が含まれるのですよね。しかも四神では青龍が付け加えられる念の入れ方なのです。

それで常陸国を象徴する動物が、龍なことは間違ってない。だから常陸・日立の名が含まれる国常立尊は、龍神の顔があったんではないかと。

 

(3)流海は龍海だったことが関係性を示している

かつての常陸国に広がっていた流海(香取海)は、元は「流海=龍海」だったとすれば、全てはしっくりと来る感じがします。国常立尊の名前を持つ常陸国、ここを代表する海域が龍海となるので。

流海の南方に接している龍ケ崎という地名が、もともと流海が龍海だった名残りな可能性があるようです。すぐ近くに竜ヶ峰があるのも、龍海を見下ろす山だから、という感じ。以下の地図参照。

 

国常立尊龍神をあらわす地図f:id:kl117cr233:20180108222129j:plain

こうして常陸国の形を線で引いてみると、なんか「龍の頭部」みたいな気がしてきました。北が龍の鼻先、東南の銚子に向かう尖ったところが龍の角みたいな。

この図のなかで、国常立尊龍神と関係のありそうな土地としては、

常陸国・日立国

竜神峡・龍神川(常陸太田市

那珂川茨城県

・竜ヶ峰(土浦市

・神立町(土浦市

龍ケ崎龍ケ崎市

・流海(茨城県

 

那珂川は全国的には珍しくない地名ですが、茨城県の場合は「ナーガ=竜」を元にして、那珂川なのかもしれません。

 

 

竜神がちゃんと居た常陸国 

 

あと注目なのは、常陸太田市竜神峡。

竜神峡 - Wikipedia

古くから竜が住んでいたという伝説があるとか。近代に造られた竜神川、竜神ダムの形状は、まさに登り龍の如し。

f:id:kl117cr233:20180108223844j:plain

竜神峡の位置(Google map)

竜神の住まう竜神峡、やはり常陸国は、国常立尊の国であり、竜神の国であったようです。

 

 

米軍の「竜」が不時着

 

と、ここ数日ブログで龍=竜の記事をまとめてたら、こんなニュースが・・・

 

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原初の神「国常立・国狭槌」の正体がピラミッド+地下構造なことは豊斟渟(クヌム神)が証明する

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開(ひら)け、ゴマ(おめ)。

 

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久しぶりにサッと描いてみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○いつも助かっております

 

 

 

前回の記事

国常立・国狭槌・豊斟渟の三神が記録したピラミッド構造

 

これ、信じられない、デタラメと思われたかもしれません。

国常立尊(くにとこたち)と国狭槌尊(くにのさつち)が、「どこか」のピラミッドと地下構造を現しているだなんて。

 

でもこれは信憑性があるんではないかと思うわけですが。そのピラミッドがエジプトに今あるものなのか、それとも別の場所にあったものかは、別の話なのですが・・・。

ともかくこれからの話によって、国常立・国狭槌・豊斟渟(とよくむぬ)の三柱の神が、原初の創造神であったこと、これが分かってくる予定です。

ちなみに俺はイルミとか新興宗教みたいな、そういう関係ではないですが、日本史を調べていくと、何故だか結果的にアッチにつながってしまいます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 豊斟渟とは何の神か

 

 「日本書紀」を読むと豊斟渟は意外と記述が多いです。それはどうしてかと言えば、別名がやたら多いから。

 

古事記』では、神代七代の二番目、国之常立神の次に化生したとしている。国之常立神と同じく独神であり、すぐに身を隠したとある。

日本書紀』本文では、天地開闢の後、国常立尊国狭槌尊の次の三番目に豊斟渟尊が化生したとしており、これらの三柱の神は男神であると記している。

日本書紀』本文では、天地開闢の後、国常立尊国狭槌尊の次の三番目に豊斟渟尊が化生したとしており、これらの三柱の神は男神であると記している。

第一の一書では、国常立尊国狭槌尊の次の三番目に化生した神を豊国主尊(とよくにぬしのみこと)とし、別名がして豊組野尊(とよくむののみこと)、豊香節野尊(とよかぶののみこと)、浮経野豊買尊(うかぶののとよかふのみこと)、豊国野尊(とよくにののみこと)、豊齧野尊(とよかぶののみこと)、葉木国野尊(はこくにののみこと)、見野尊(みののみこと)であると記している。「豊」がつく名前が多く、豊雲野神豊斟渟尊と同一神格と考えられている。第二から第六の一書には、同一神とみられる神名は登場しない。

トヨクモノ - Wikipedia

古事記

豊雲野神

 

日本書紀本文

1・豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)

一書の別名

2・豊国主尊(とよくにぬしのみこと)

3・豊組野尊(とよくむののみこと)

4・豊香節野尊(とよかぶののみこと)

5・浮経野豊買尊(うかぶののとよかふのみこと)

6・豊国野尊(とよくにののみこと)

7・豊齧野尊(とよかぶののみこと)

8・葉木国野尊(はこくにののみこと)

9・見野尊(みののみこと)

 

雲の1字を重視するなら、この神は雲神というわけです。しかし「日本書紀」の別名の中には雲を使った名が1つだけしかなかったりします。従って雲神という従来の認識は、何だか可怪しいとしか思えません。

それに国常立は原初の神、国狭槌は槌の神、豊斟渟は雲の神という三者三様で関連性の無い並び方は、何か不自然に感じます。実際神世七代は建設者的な神ばかりが集まっているのに比べてみれば、そう思ってしまいます。

神世七代の正体は「建設者」だった1

神世七代の正体は「建設者」だった2

 

重要なのはクムヌ、クモノという音、それに漢字の意味です。

 くも 空気中の水分が細かい粒となり、もやもやとまとって宙に浮かんでいるもの。

解字:云は、たちのぼる湯気が一印につかえて、もやもやとこもった姿を描いた象形文字。雲は「雨+音符云」の会意兼形声文字で、もやもやとたちこめた水蒸気。魂と同系のことば。

 

 くむ、くみとる、分量を量りながら汲む

解字:甚は甘(うまい)+匹(女色)の会意文字で、食と女とに

深入りすることを示す。斟は斗(ひしゃく)+音符(甚)の会意形声文字で、深さや分量を量りながら汲むこと

 

 とどまる 

ひと所に水がじっととまって流れない「渟水」とどめる

 以上「学研漢和大字典」より。

 

「組(くみ)」は水を汲むに通じ、

「香節(かぶ)」は水に「浮かぶ」に通じ、

「浮」はそのまんま水に浮くこと、

葉木」は水がなければ存在できない樹木や葉っぱのこと、

「見野」は水・沼に通じます。

 

というふうに、豊斟渟は、全体的に水に関係していることがわかります。だから雲の神というより、水に関係している神と捉えられるのですよ。

豊齧野尊の「齧」については水には無関係ですが、ある理由から重要性が高いと思われるので、後に登場した時に大注目です。「浮経野」についても。

ではこれらの情報を踏まえて進みます。

 

 

 

エジプトのクヌム神と名前と神格が同一な不思議

 

エジプトにはラーよりも古くから信仰される、クヌムという創造神がいました。

クヌム神は大筋でいうと、以下のような神さまです。

 

クヌム(Khnum, Knum, Chnum, Khunemu)は、古代エジプトから伝えられている創造神の一人。 ナイル川を司る神ともされ、その起源はエジプト神話のラーよりも古いとされる。フヌムとも呼ばれる。

クヌム信仰ではこの神だけが創造神で[要出典]、粘土を捏ねて他の神々や人間などの万物を作り上げたとされる。 また、エレファンティネ(現在のアスワン)の守護神で、そこより南方から来る洪水の管理をしているという。 ナイルの水源には普段、結界が張られており、水位が抑えられているのだが、クヌム神がその結界を破ることによって水が溢れ出し、増水が発生すると信じられていた。 クヌムは人間を創造した神とされ、多産をつかさどるヘケトの配偶者とも言われる。

大ピラミッド建造で知られるクフ王の名前は、クヌム・クフウイ(クフム神は我を守りたまうという意味)である。

主に羊の頭をした人の姿で表される。この羊は角が水平に伸びる種で中王国時代には絶滅してしまっている。

参考文献
ステファヌ・ロッシーニ他『エジプトの神々辞典』矢島文夫・吉田春美訳、河出書房新社(1997年)

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クヌム - Wikipedia

 まあここで、わかったと思いますが。豊斟渟とクヌムの名がにていることが。

まぁ指摘している方もいましたが、国常立・国狭槌・豊斟渟の3点セットがクヌムに関係しているとは思わなかったでしょう。

豊を除いて、名前がにているものを取り上げてみると。

クヌム Khnum Knum Chnum Khunemu Hunum

斟渟 kumu nu

雲野 kumo no

国主 kuni nushi

組野 kumi no

 

クヌムがクムヌになってるのだから、ほとんど大差ない様子。

クムヌクムヌクムヌクムヌクムヌクムヌクヌムクムヌクムヌ

 ↑さてこの中で、クヌムはどこにいるでしょう?紛れてわかりませんね。

 

別の発音で記録が多いのも一致していました。まぁ名前が似てるだけ、それだったら偶然ですね。

でも名前だけじゃなく神さまとしての性格も似た感じがするのです。

・・・その前に気になるのは、クフ王との関係。

 

 

 大ピラミッドの主と言われるクフ王はクヌムの名を持つ

 

ギザの大ピラミッドを作った人はクフ王、そんなふうに習った時代がありました。

クフ王がどうして大ピラミッドの主かと言われるのかは、アラブ人の話が元になっていました。

アラブの伝承の中のクフ

642年、アラブ人がエジプトを征服し、ギーザのピラミッド群に到着すると、彼らも誰がこれを建造したのかという説明を求めた。この時期までにエジプトの住民は誰も古代エジプト語を話せなくなっており、エジプトのヒエログリフを翻訳することができる人間もいなくなっていた。結果、アラブの歴史家達は自分達の説と物語を用意した[13][55]。

クフと彼のピラミッドについて最も良く知られた話は、1430年にムハンマド・アル=マクリーズィー(1364-1442)によって書かれた『街区と遺跡の叙述による警告と省察の書』(Hitat 正式名はal-Mawāʿiẓ wa-’l-iʿtibār fī ḏikr al-ḫiṭaṭ wa-’l-ʾāṯār)に見られるものである。この本はクフについて集められたいくつかの説と神話、特に大ピラミッドについての物が載せられている。クフ自身については滅多に言及しないが、多くのアラブの作家達は大ピラミッド(及び他の物も)はヘルメス神(アラブ名:イドリース、Idris)によって建てられたと確信していた[13][55]。

アル=マクリーズィーは、クフを聖書のアマレク人からとって、サウリド(Saurid)、サルーク(Salhuk)、またはサルジャク(Sarjak)と名付けている。そしてアル=マクリーズィーは、クフは悪夢を繰り返し見た後、ピラミッドを建てたと書いている。悪夢の中で大地は逆さまになって星が堕ち、人々は恐怖で泣き叫んでいた。別の悪夢は、天国から星が堕ちて人々を攫い、二つの巨大な山の麓に連れて行く光景を見せた。クフは、預言者達から大洪水が来てエジプトを破壊するという警告を受け、彼の財宝と知恵の書物を守るために三つのピラミッドをギーザに建てたという[13][55]。

クフ - Wikipedia

ここ十数年の考古学や歴史学によると、今のギザの大ピラミッドは、どうもクフ王が作ったわけでもなく、クフ王の遺骨が見つかったわけでもないし、単なるお墓じゃないという認識が強まっているとか。

まぁ表向き、発掘や探索がぜんぜん進まない、というか発表されないのは変なことですね。

しかし、エジプトの大ピラミッドとクフ王の関係を、完全に否定するのは早いんですけどね。何しろ古代エジプトに居た頃の天皇家の記録を残している「日本書紀」からは、大ピラミッドとクフ王を関連付けているような、そんな情報が出てきてしまったのだから。

 

 

日本のクムヌ神(豊斟渟)とエジプトのクヌム神との一致点

 

エジプトは、古代からエジプトと呼ばれたんじゃありませんでした。

紀元前後にはアイギュプトスであり、ミスルであり、それ以前の大ピラミッドの時代にはケムト、ケメトなんて呼ばれました。

エジプトを漢字変換すると「埃及」で「ホコリが及ぶ」で、まさに砂漠だから砂埃の舞い踊る国を現しているようです。

不思議なのはケムトを日本語解釈すれば「煙た」の「ケムリ」になってホコリとケムリだから、どっちも埃っぽい煙たい感じの関係性を持つこと。運命的なものが感じられました。それはさて置き。

 

豊斟渟尊とクムヌ神を比較すると次のようになります。

1 名前    豊斟渟(クムヌ) クヌム

2 国名    倭        エジプト

3 属性    水        水

4 順位    原初       原初

5 「クフ王」 齧(クフ/古訓)  クフ・クヌム

6 ピラミッド 国常立尊(△)  クフ王の大ピラミッド

7 地下構造  国狭槌尊( □)  大ピラミッドの地下構造

8 「3」   原初の3柱の神  原初の頃の3大ピラミッド

9 羊     豊は「羊羊」   羊頭の神

 上記の1、2、3、4については既述。

 

5「クフ王」 

エジプトのクヌム神が、クフ王の名の中に含まれ「クフ・クヌム」とあるから、クヌム神自体がギザのクフ王の大ピラミッドに関連付けられている、これは明らかです。

では倭の豊斟渟(クムヌ)のほうはどうかといえば、 「日本書紀」一書の豊斟渟の別名に「豊齧野尊(とよかぶののみこと)」が含まれていることがわかりますが、これが実はクフの名を残した名称だったようなのです。

「齧」これは「かぶ」でこの読みから濁点を抜けばクフに似てる(齧=かふ=kaf・クフ=khuf)わけなのです。しかも齧の古訓が「クフ」だったので、無関係というほうが可怪しいなと、自分的にはそう感じました。

 

6、7、についても上記の通り。

 

8「3」

倭の豊斟渟(クムヌ)は、「国常立尊国狭槌尊、豊斟渟」という3柱あわせて1つの存在なのです。「イーグル・シャーク・パンサー」の3体合わせて太陽戦隊サンバルカンみたいな話。

一方でエジプトのクヌム神ですが、ギザのクフ王に関連付けがされてるわけなので、ギザの三大ピラミッドの「3」で一致していました。

先程のアラブの伝承によると、「ギザの三大ピラミッドは知識を保存するために、全てクフ王(クフ・クヌム)が建てた」ことになってました。これは咄嗟に出たデタラメと言われているのですが、もしかするとギザの三大ピラミッドは「クヌムが造った」という話が根底にあったのかもしれません。

 ということは、ここでやっぱりクヌム神とは、知識の書=エメラルド・タブレットを隠すために大ピラミッドを建造したと言われている、ヘルメスやエノクと同一人物なのではないか?クヌムとクフは混同されて、ピラミッドはクフ王の墓と呼ばれたのではないか?クフ王はエメラルド・タブレットの秘密を全て見たのでは?という疑問が湧いてくるのですが。

この点まとめているブログが以下。

「ヘルメス思想」の謎

 『エメラルド・タブレット』によれば、“上なるものは下なるものに一致し、下なるものは上なるものに対応する”

「ヘルメス思想」の謎より

エメラルド・タブレット=知識の書については、またなんか湧いてくるものがあるので、記事にする機会がありそうですが。 

 

 最後、

 9 羊

 ひつじはシープ、メ~と鳴く動物で、古墳時代以前の日本にはいなかったそうです。クヌム神は羊の顔をしている、では豊斟渟(クムヌ)はどうか?と調べてみても、当初は豊斟渟(クムヌ)から羊の情報をまったく見つけられませんでした。

困ったときの漢字字典というわけで、「学研漢和大字典」を引いてみました。それで豊斟渟から、羊を見つけたときには驚きました。。

f:id:kl117cr233:20180105002842j:plain

豊の字は、篆書体(紀元前の戦国~秦代)では、「羊羊」の形状を含んでいたのですね。

 

これで豊斟渟(クムヌ)とクヌム神の一致点は全て取り上げました。国常立・国狭槌・豊斟渟の三柱が、なぜかエジプトのピラミッドに関係している、それはわかったのではないかと思います。

しかし国常立・国狭槌・豊斟渟という神々に隠されている真相は、ここに見せているのは一部だけであって、これだけでは留まらないのですけどね。

とりあえず長くなったので、今回はココまで。

 

まぁ想像するのは自由なのです。

 

 

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国常立・国狭槌・豊斟渟の三神が記録したピラミッド構造

 

このブログ、早いもので7年も続けました。

7年も続いたことは、飽きっぽい何も継続できない自分にはスゴイことなんですよね。

そう言えば最近はますます、俺を後押しする勢力より、俺を落とそうとする勢力のほうが勢いが良いみたいですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

以前に書いたピラミッドの記事。

国常立尊とエジプトのピラミッド・・・「超古代のある物体」を表現している?

 

 国常立の続きを、今度書こうと思ってたら、随分時間が経過してしまいました。

 では、日本神話の原初の神の秘密の一部をちょっとだけみてみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

これは俺がたまに読んでる「日本書紀1」(岩波文庫)の最初のほう。f:id:kl117cr233:20171229215744j:plain

 「日本書紀」では原初の神を国常立尊国狭槌尊豊斟渟尊の三柱としており、「古事記」が原初の三柱とする天之御中主神高御産巣日神神産巣日神とは、全く異なるのです。

 

○いつも助かっております

 

 

国常立の正体

 

日本書紀」は原初の太陽系が、細かい岩石とガスが交じって回転していた状態を現し、重い物同士が合わさって惑星を形作ったようなことを書いているようです。そして原初の地球が完成した直後にまず最初にあったのが、国常立尊であると言っています。

ここに登場する国常立尊については、男神と言っているけれど、なにか怪しいことが書いてあります。

国常立尊は「状(かたち)葦牙(あしかび)の如し」なので、葦の芽、犬の牙のようにとんがっていると、昔の人はそう記録していたんですね。

△←これ人間じゃないですが、男神と言って後に人間扱いをしたのです。

そこで国常立尊が何故葦牙なのか、どんな葦牙なのかを調べていくと、こうなるのです。

f:id:kl117cr233:20171229215647j:plain

 大本神論では「国常立尊がこの度に世の立て替えを行う艮の金神である」と、そういうふうなことが書いてあります。

国常立の「常」の字を「学研漢和大字典」で調べると、「布に日月のマークを描いた天子の旗印」とあるから、その後の岡本天明が神降ろしで記した「日月神示」につながっていくのは必然だったようです。

「立」の甲骨文字をみても結局ロケットのような△であり、「日本書紀」が言っている国常立は葦牙という話は、「立」の一字に集約されるが如しです。

さてこれらの国・常・立の要素を組み合わせると、以下のような形状が現れてくるのですよ。

f:id:kl117cr233:20171229220854j:plain

右か左か両方か、とにかく国常立尊の正体はこんなピラミッドであり、人型にも変身することができる、そう解釈できそうですが。

 

 

国狭槌(くにのさつち)の正体

 

国常立尊の次に登場するのが、国狭槌尊でした。この神は2番めの神なのに、極めて存在感が希薄です。まるで最初に出てから完全に姿を消しています。

それもそのはず、この神はそもそも表に立たない、本来は秘密のベールで隠蔽されている存在でした。このたびベールを剥がしてしまいましょう。

日本書紀」に書いてある文字を解釈してみると、以下のようになります。

f:id:kl117cr233:20171229223524j:plain

 国狭槌尊は、四角を横から挟み込んでいるので、真ん中が狭まっているんですね。大きい人を小さい人が両側から挟み込むという解釈もあるので、これだと三柱の神を表すようでもありました。

 

国常立尊国狭槌尊をあわせると

 

原初の三柱の神は、三位一体なんですね。だから、組み合わせる必要があるのです。

とりあえず、三番目の豊斟渟は後回しにして、最初の国常立尊国狭槌尊を単純に組み合わせます。すると

f:id:kl117cr233:20171229225745j:plain 

こんな形が出てきます。

これって、なんか金みたいです。金字塔とは昔ピラミッドのことを指して名付けられたそうですが。国常立がなぜ「艮の金神」なのかの答えも、ここに関連づいてしまったようで、偶然なのか何なのか。

上半分が、現代人が良く知るエジプトのピラミッドだとして、下の部分は誰も知らないんじゃないかと。

と思いきや、「なんだ、やっぱアメリカは何でも知ってるんだな」という考えが葦牙の如く湧いてくるのですが。それに以前ブログに書いてましたし。

 

 

ピラミッドとの比較

 

以前にこんな記事書いてました。

エジプトの大ピラミッドの地下構造は既に超最深部まで調査されている

 

 ここにある図と比較すると、国常立・国狭槌が、実際にある地下構造なんじゃないか、そんな気がしてきますが。f:id:kl117cr233:20171229230551g:plain

 Alien Explorations: Zecharia Sitchin's Space Rocketfrom an Egyptian Tombにある画像。

まさに国常立+国狭槌や、金字塔の構造ではないですか。布(スカート)が覆いかぶさっているのは、国常立の下の国狭槌の部分でしたね。

あとそうすると、アメリカのこれですね。

f:id:kl117cr233:20171229230856j:plain

アメリカ合衆国ドル - Wikipedia

 

ピラミッドの下にある、台座がいったい何なのかというのは、何だかわからなかったけれど、この記事を見れば、

アメリカの1ドル紙幣には国常立尊国狭槌尊の関係が、そのまんま描いてある」

事がわかるじゃないですか。

f:id:kl117cr233:20171229232643j:plain

日本神話はココまで書いていたんだ、そう思うと何だかドキドキします。

つまり「日本書紀」は宇宙の創生から地球誕生、最初の神的な存在だったピラミッドのことも書いてたわけですが。しかしこの「日本書紀」の国常立尊国狭槌尊が、「エジプトにあったのか」や「今のエジプトのピラミッドと同じものか」どうかは話が別なんですけどね。何しろ空中を移動する神なわけなので。

 

で、今回の妄想はここまでにして、次回は3番目の「豊斟渟尊」の正体が、とんでもない奴でした、という話をします。

 

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卑弥呼・壱与は徐福の血筋だと漢字で表されてるらしい

以前、女王卑弥呼の「卑」という字は、中国人が蔑んだ意味の漢字を充てたんじゃなく、「卑弥呼が自ら<卑>という漢字を選んだ」との仮説を出していました。

 

しゃもじの女王卑弥呼

崇神天皇に封印された卑弥呼のアナグラム

<前回の続き> 崇神天皇の諡号はそのまんま卑弥呼だった件(崇神天皇=卑弥呼説)

 こういうことが関係して。

 

それで、やっぱり卑弥呼という字は、卑弥呼自身が選んだ漢字なのではないか、そう思わされる情報がまだありました。

ひとまずは、紀元前4世紀の段階で、倭人の中で徐福の民の存在がいかに大きかったかについて。

 

○いつも助かっております

 

 

倭人の中に溶け込んだ「徐福の民」

 

どうやら倭人の中には秦の始皇帝の元からわかれた、徐福の民がいるらしい。それが分かるのが「後漢書」でした。

会稽の海外に東鯷人あり、分れて二十余国と為る。また、夷洲および澶洲あり。伝え言う、「秦の始皇、方士徐福を遣わし、童男女数千人を将いて海に入り、蓬莱の神仙を求めしむれども得ず。徐福、誅を畏れ敢て還らず。遂にこの洲に止まる」と。世世相承け、数万家あり。人民時に会稽に至りて市す。会稽の東治の県人、海に入りて行き風に遭いて流移し澶洲に至る者あり。所在絶縁にして往来すべからず。

後漢書」(中国正史日本伝(1)より

 

弥生時代後期は、西暦1世紀の段階でも、日本列島の人口はわずか30万人以下だったそうな。徐福の民は数万家にも増えていたとあるから、当時倭人東鯷人と言われた頃の人口は、3割から半数近くが、徐福の民の末裔だった可能性がありますね。

近代以前の日本の人口統計 - Wikipedia

日本人の遺伝子を見れば、中国大陸の遺伝子が出てくるのは当然なことでした。

中国では「小指の爪が割れているのは真の漢人だ」という言い伝えがあるそうですが、日本人でもこの特徴持ってる人はいっぱいいますね。俺もそうですけど。

厳密にいうと漢人とは「殷人・周人」あたりのことでしたが、漢人は漢代の頃以降に匈奴など遊牧民族と融合しているので、本来の漢人と言えない遺伝子になっていたりするようですね。現代の中国人も嘆いていました。

漢民族 - Wikipedia

 

倭人こと東鯷人は、夷洲(倭)および澶洲(朝鮮)という2つの地域に住んでいました。これら2つの地域に、徐福の民が上陸したというわけです。

徐福の民の流れが、倭の当時の王権に入って、邪馬台国王家に受け継がれている、これも必然ですね。

 

安帝の永初元年、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願う。

後漢書」(中国正史日本伝(1)より

 ここに登場している帥升については、以前こんな記事かいてました。

 

後漢書の倭人帥升は徐福の子孫でもおかしくなかった

・お酒を入れる容器   徐福の「畐(とっくり)」

・お酒を飲む・測る容器 帥升の「升(ます)」

徐福の「畐」はお酒を入れるとっくり、帥升の「升」はお酒を入れる容器、

それで徐福の子孫が帥升であるという、血縁関係を表しているのだと、そういった解釈でした。倭国王帥升帥升等)は、自らが徐福の末裔と名乗ったんですね。それを反映させた漢字が用いられたと見ることができますよね。

 

女王卑弥呼の中の徐福

 

では卑弥呼の中に除福がいるのか?と考えました。いました。

「呼」これは人に声をかける時の言葉ですが、「学研漢和大字典」によると古訓は「ヨハフ」「ヨフ」なので、徐福を「余福」と表記した場合に対応していたのです。

・余(ヨ)福(フク)

・呼(ヨ) フ

 同字典による「除」の解字を見れば、「余」は「↑型のスコップ+ハ印(左右に開く)とあるじゃないですか。古代にも鋤というスコップみたいな農具はあったんです。

だから卑弥呼がしゃもじ、徐福がスコップということで、ここでも似た役割の道具で合わせていることがわかりました。

 「福」は祭壇に畐(お酒)をささげる様子を描いた漢字で、さいわいを表しているわけなのですが、「酒」と書いて「み」と名のりで読めるわけなので、卑弥呼の「み」にはお酒の意味もあるのかもしれないです。

 

ちなみに卑弥呼の墓説のある箸墓古墳も、徐福に関係していました。なぜなら「除」の古訓に「ハシ」があるから。とすると箸墓とは「徐墓」で、徐福の技術を継承した意味なのか、それとも徐福の末裔としての卑弥呼を崇め、墓に名付けたのですかね。

 

女王壱与の中の徐福

 

女王壱与は本来の漢字を壹與と書いて、これは臺與と書くこともあり、簡略化して台与と書いています。要するに

壹與・壱与 いよ

臺與・台与 とよ

女王壱与の漢字と読みには2種類の解釈があり、いよ、とよ、どちらが正しいかの結論は、学会では出ていません。

 こちらの女王についても、徐福の存在を取り出すことができました。

 「学研漢和大字典」によると、「壹」とはもと「壷+音符の吉」で「口を結んでなかにいっぱいに詰めた壷」のことだとか。

すると容器だから、徐福の畐(お酒)のとっくりの容器繋がりですね。お酒というのは「水+酉」で、「酉」は「酒壷」のことだそう。

そうするとやはり壱与の「壹」と徐福の「畐」は、容器とお酒の繋がりがあるようでした。

臺=台は「うてな、見晴台」という意味になるので、徐福とは関係なくなってしまいますね。だから徐福との関連を考慮すると、本来は「壹與=壱与」が正解な気がしました。しかし「いよ・とよ」は両方共使っていたというのが当方の見解です。

「與=与」は解字によると、2人がいっしょに物をもちあげるさま、神輿を担ぐみたいな意味合いで使われるようです。すると「もち上げる」はスコップの「すくい上げる」や、しゃもじの「すくい上げる」機能に通じていることがわかります。

壹與という名前はお酒の壷を担ぎ上げる、神事に関係しているように見えます。

 徐福の「福」が、「祭壇に畐(お酒)をささげる様子を描いた漢字」なのと、ぴったり同じですね。これは偶然じゃなく、意図的に壱与の中に除福の情報が込められている、そう考えて差し支えないことです。

 

 

女王壱与の中の徐巿(じょふつ)

 

もう一つ気になること。それは徐福の別名が「徐巿(じょふつ)」なことからも、壱与との関係が見えることでした。

巿(ふつ)は市(いち)との見分けがつかない漢字です。

巿 ふつ

市 いち

拡大しても差異がわからず。ちょっと、ふつのほうが小さいようです。

巿市←(左がふつ、右がいち)

これらの読みをみれば、何故壱与と徐巿は繋がるのかは明らかです。

壱与→壱 いち

徐巿→市 いち

要するに、徐巿の巿(ふつ)の字を市(いち)に置き換えて、壱与の壱(いち)と読みを合わせているという、まどろっこしいことをして、徐福との関係性を持たせているのですね。

これは同時にですね、紀元前4世紀の段階で、市という漢字にたいして「いち」という訓読みが充てられていた可能性が出てくるのですが。漢字を使いこなして倭語も知った、徐福の民の成せる技ですよね。

(1)・壹與を「巿與(ふつよ)」と漢字を当てて書く

(2)・徐巿を「余巿」と書く

(3)・余巿(よふつ)を逆から読めば「ふつよ」になる

(4)・余巿(よふつ)⇔巿與(ふつよ)で相対的な関係になっている

こんな感じで、壱与と除巿は切っても切れない水みたいな関係になってたんですね。

 

 

 まとめると

 

こうなる。

f:id:kl117cr233:20171224190049j:plain

 今回は分かりやすかったほうだと思いますが、理解不能だったらすいません。

 これも拙著「封印された叡智の回復」の続巻に、加えたいと思いますので。

 

とすると最初に紹介した、

しゃもじの女王卑弥呼

崇神天皇に封印された卑弥呼のアナグラム

<前回の続き> 崇神天皇の諡号はそのまんま卑弥呼だった件(崇神天皇=卑弥呼説)

 同じようにして解いている、このへんの仮説も、あんまり無視できないと思いますが。

 

 ちなみに、以上は「天皇家大和民族の大陸起源説」というかんじで、ぶっ飛んだ仮説に含まれたごく一部という感じはしています。

 ・古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

このへんに詳しいです。

 

 

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