たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

新居で壁の修復の日々

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新居では、どうも壁の傷みが酷い感じで、壁紙が剥がれているのは劣化や虫食いらしい。そりゃ築年数が長いから、劣化しますね。

 

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そこで修復を試みた。

 

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用意したのは、クレパスと鉛筆。

 

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こんなふうに下塗り。

 

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仕上げに鉛筆で木目の模様を描いて、適当に修復完了。

これ、遠目からだとわからないです。今はもう少しきれいになってる。

あとはニスを塗るだけ。こんど購入。

 

別の場所も

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こうなってたのが、

 

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こんなふうに。ここは我ながら出来栄えがイイ。

 

という感じで、毎日少しづつ自宅をリフォーム。

 

 

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山間部に響き渡るドーンという爆発音の正体はジェット旅客機のソニックブームなのか

俺が最近になって住んでる場所は、富士山がけっこう近いところですが、ようやく生活にも慣れてきました。

といっても、山の中で朝起きて、パソコンで仕事したり掃除をしたり、たまにぶらっと山道を歩くみたいな繰り返し。自宅で一日が 終わる単調な毎日なわけだけど。

まあ普通の人は、気が変になるかもしれない。でも15年以上も都市部で散々な目にあってきた俺としては、もはや隠者みたいな生活こそが良い。

 

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なんか爆発音が聞こえる

 

・引っ越したばかりの4月下旬のドーン

遠くの方で、ドーン!とかボーン!みたいな爆発音みたいなのが聞こえてました。

この音は一体何なのだろう?こんな山の中で?という疑問を持ったわけです。

関東の平野部じゃ、聞いたこともない音です。普通の飛行機やヘリやバイクやたまに聞こえるチェーンソーの音とは全然違う。

しかしニュースをみても、別に近隣で爆発が起きたとか、そういう話はどこにもなかったです。

その後もドーンだのボーンは、遠くの方で聞こえていたのですが、時々のことみたいなので気にならなくなったわけですが。

 

・5月1~2日

おとといから昨日にかけては、自宅に音が直撃して、家が揺れてました。朝の7時から夜の22時くらいまで、時々ドーン!バン!ズドーーン!という轟音が鳴り響いわけなんですよ。

壁を叩くみたいな音が出ていて、わけがわからなかったです。1分間に8連続でバンという音がでたときはビビりました。

ポルターガイストか、なんかの工事中か、新手の集ストか、いよいよアポカリプティックサウンドかと。

喧騒から離れて超絶静かに暮らすことを目的に来たのに、まさか正体不明の大騒音がこんな山中で発生するとは。

 

・5月3日

昨日とは打って変わり、今日は遠くの方で小さくボーン!と鳴っているだけでした。音の発生地点が、バラバラで一致しないんですね。これはなんだろう、何故だろうという疑問がもたげてきて当然でした。

 

似た音の映像

富士の裾野に響き渡る 謎の轟音 2014年8月19日

youtu.be

富士山の演習場では、毎年8月になると陸上自衛隊の「富士総合火力演習」が行われているとか。この演習では当然ドーン!ボーン!という轟音は響くでしょうね。

 

ここには演習場は無いんですが。

爆発事件でもないし、ここは騒音発生禁止地区だから、暴走族なんかも近くにいない。

じゃあ一体、ボーン!だのドーン!は何の音なんだろう。

  

ジェット旅客機のソニックブーム(衝撃波)なのか

 

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旅客機-Wikipediaより

 

この手の話は前例がないようで、ネット検索をしても情報がないですね。平野部ではまずこんな騒音は聞かれないものだし。

しかし、ネット上で掲示板の話題にもならないって、何なのだろう。

ニュースとは人が存在するからこそニュースなんだな、人が騒がなければ、ニュースでも何でもないんだな、とあらためて実感するところでした。

  それで今日はドーン!の映像と音を撮影しようとしてたところ、遠くの方では鳴ってましたが、昨日みたいに家に直撃はしないようで、撮影未遂に終わりました。

 

だめだこりゃと思ってブログも書くのは延期するかと思ってましたが、ふと、この爆発音にはいくつかの特徴があるな、と気づいたんですよね。

 

・この場所は富士山静岡空港から離発着するジェット旅客機が頻繁に通る

・爆発音の場所が一定しない。北だったり西だったり南西だったり我が家直撃だったり

・ひどい時は壁をバンと叩く音と共に、地面と家が揺れた

・ジェット旅客機が上空を飛ぶときに、ゴオオオという音と一緒にボン!という爆発音が聞こえた

・近隣には爆発事件は起きてないし、大騒音の工事もない

・山の地形によって音が増幅される(やまびこ)

・日によって爆発音がする日、しない日がある

 

という情況が見えてきたなと。

この結果から導かれる結論としては、この山で時折聞こえる爆発音は、

上空を飛び交っているジェット旅客機が引き起こしているソニックブーム

であると見れるんじゃないかと。

地元の人なら知っているのだろうか。

 

ソニックブームについて 

 

技術の広場(TechPlaza)
ソニックブームの【デモ】 ~なぜマッハ1で衝撃波が

飛行機がマッハ1(音速)をちょうど越えると、飛行機の音がまとめて一時点に来るため、その膨大なエネルギーで、しばしば地上の窓ガラスが割れるなどの被害がある。

 

このソニックブームの解説を見る限り、この山に鳴り響いていた、ドーン!ボーン!という音の正体は、まさにジェット旅客機のソニックブームが、山の斜面にぶち当たったものと見て良いのではと。

ここは富士山静岡空港がわりと近くなってる山の上。飛行機の進行方向、高度、風向き、いろんな条件が重なることで、この地域にソニックブームが飛んできて、その結果、ドーンと爆発音や振動が起こっている・・・。

 

これ以外に、真の理由があるのだろうか。 

近隣の人は、これについてはどう思うだろう。

 

最初はジェットのエンジンからの衝撃が、そのまま飛んでくるからと考えてたのですが、違いましたね。ジェット旅客機そのものが、騒音発生装置みたいなものになってるわけなんですね。

ちなみにジャンボジェットというのは、ボーイング747だけの愛称らしいです。知らないで、ジェット旅客機はみんなジャンボジェットだと思ってました・・・。 

 

昨日は8連続とか6連続とか、わざとやってるだろみたいに思うほど酷かったのに、今日は全然爆発音が気にならない。

しかし、超絶圧力と覗き見と奇声絶叫騒音から逃避してきたのに、こちらでも思わぬ形で未知の音に出逢うとは思わなかったです。以前のままで平野部に住んでたら、決して遭遇できない情況でもありました。

 

爆発音の映像と音声は、撮影できたらアップしたいと思います。

 

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封じは晴れたり日本晴れ。八に纏わる富士山

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富士山-Wikipedia より

 

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二二八八れ十二本八れ

富士は晴れたり日本晴れ

 

日月神示の最初に出て来る謎の言葉。まあ俺の場合日月神示は参考にしている程度ですけど。

日本の象徴である富士山が晴れれば、日本は晴れているよ的なことなんですかね。

富士は晴れたり日本晴れの意味は、明確ではないですね。

 

そういえば富士って、「封じ」ですよね。

日本は秘密が封じられた国。日本の象徴は封じ。封印されたあらゆるもの。

 

封じは晴れて、本当の日本が姿をあらわすみたいなことば。

封じは晴れたり日本晴れ。

 

 日月神示が全体として言い表していることと、合っているような。もっと「日本の封じ」を晴らして行くことで、日本が晴れ渡るみたいな。

最近はインターネットのブログなんかで、世界の陰謀を暴露する傾向が強まってきています。悪の封じは晴れて、日本が晴れるのはいつですかね。

 

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ところで最近、アルファベットで「富士は晴れたり日本晴れ」の逆読みをしてみた。

FUJIWA HARETARI NIHON BARE

これを逆に書くと、 

 

ERABNO HIN IRATE RAHAWI JUF

選びの  日に 入れて 現い ゆふ(云う)

 

なんか意味深な言葉が出たような・・・。

アルファベットにして逆読みして「選びの日に」なんていうしっかりした日本語、出るものなんですか?

 

・ 選びの日に・・・誰を選ぶ、選別するのか、いつどこで、誰が

・入れて・・・何を入れるのか、いつどこで、誰が何を

・現い・・・何が現れるのか、いつどこで

・ゆふ・・・何を云うのか、いつどこで、誰が

  

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ところで富士山の頂上には、八神峰という8つの峰があるらしいですね。富士山は一度も登ったこともないし、登ろうとも思わないし、八神峰のことは知らなかったです。

 

八神峰

 

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八神峰の他にも「富士八峰」や、仏教でいう八葉蓮華から由来した「八葉」という名称で呼ばれることもある[1]。

噴火口(大内院)の縁を形成する峰のうち顕著に高い頂きにそれぞれ命名されている。これら各峰は仏教関連の名称より由来していたが、神仏分離令により名称が変更された。多くは明治7年(1847年)に改称されており[2]、このため同じ峰でも複数の呼称が存在している。 中でも剣ヶ峰は日本最高峰として代表的な存在である。

富士山の絵画で見られる山頂部の突起の描写はこの八神峰である。

 

・剣ヶ峰 3,776m
・白山岳(釈迦ヶ岳)3,756m
・久須志岳(薬師ヶ岳)3,725m 
・大日岳(朝日岳)3,735m
・伊豆岳(観音岳阿弥陀岳)3,749m 
・成就岳(勢至ヶ岳・経ヶ岳)3,733m
・駒ケ岳(浅間ヶ岳)3,722m
・三島岳(文殊ヶ岳)3,734m

 

八神峰-Wikipedia より 

 

 それぞれの峰に名称が2つあるのは、一方が古来よりの本来の名で、もう一方が仏教にまつわる命名ですね。

釈迦、薬師、大日、観音(阿弥陀)、経、文殊。これら仏教関係。富士山の頂上には、「釈迦の割岩」なんていう名所もあるとか。須弥山的な扱いだとすると、富士山は須弥山なのであり、高天原と位置づけられたでしょう。

富士山の山頂には、「安ノ河原」という高天原の地名もあるし。

 

天の逆鉾 

 

剣ヶ峰と駒ケ岳(浅間ヶ岳)は、なぜか仏教の名が付いてないです。

しかも剣ヶ峰は別名がないですが、おそらく剣ヶ峰の場合は最高峰なので、剣ヶ峰の別名が富士山ということで良いんですね。

 

 富士山が「剣ヶ峰」ということは、富士山て「剣」を象徴しているのですね。てっぺんに剣を刺したという話といったら、天の逆鉾

天の逆鉾 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%80%86%E9%89%BE

 

天の逆鉾とは、原初の頃にイザナギイザナミがかき回して淤能碁呂島を作ったという、天沼矛と同じだそう。やはり富士山は日本神話のてっぺんという認識が、昔の人にあったようです。

 

八というのは

 

八百万の神(やおよろず。日本の神々)、大八洲国(おおやしまのくに、日本列島のこと) 、八咫の鏡(三種の神器のひとつ)、八紘一宇神武天皇詔勅)などと、日本を象徴する数字なんですよね。

そういえば太陽系というのも、水星、金星、地球、火星、木星土星天王星海王星で、今は八惑星になってたりします。

 

すると不思議な事に、富士山の山頂に八つの峰「八神峰」があるのは、計算ずくみたいな感じがしませんか。

八百万の神大八洲国、八咫の鏡・・・日本を象徴する神・島・三種神器と、日本を象徴する富士山の八神峰が一致しているのは。

 

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ちなみに富士山は日月神示では「二二」ですが、これは干支でいうと二番目の「丑」が連続している形「丑丑」ですね。富士山は鬼門でもあるのですね。

さらに丑の時刻というのは、丑三つ時なんて言いましたが、別の言い方をすると「夜八つ」ということで、やっぱり富士山は八なんですね。富士山の形状が、末広がりの八の形をしているのも、偶然じゃないみたいです。

 

これはもう、日本は八れ(晴れ)るしかなさそう。 いつ晴れよう。

 

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過去の富士山関連記事

「日月神示で動いてる日本」の痕跡を探す・・・日航機墜落事故の御巣鷹山(高天原山)と俺 

史記の三神山(蓬莱山、方丈山、瀛洲山)は日本にあるのか。富士山の名の由来は方丈山だった? 

さきたま古墳群はパワースポットだと言える理由 

 

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出て行けと言われて出てきた。新たな住処で引きこもり

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4月18日、海に寄った。

 

新たな生活の場に選んだ、新居にやってきた。

兄に出て行けと言われて2年。集ストにおもちゃにされ続ける、かすかべ生活は終わった・・・(表面上)。

 

もう住みはじめて、はや1週間になろうとしてる。

富士山が近くにあるけど、山深くて自宅からは見えない。

この場所は高原地帯で、車がない俺にとって、命綱は今のところ電動アシスト自転車のみ。

 

新居と言っても、俺よりいくらか年上な中古住宅。かなりの年月、ずっと空き家だったらしくオンボロ状態でした。ベランダはぶっ壊れてたから除去、屋根も壊れてるから直さないといけない。

応急処置的なリフォームはしてもらったけど、まあこれから余裕があれば、直して行こうと思っていますが。まあ10年くらい住めたらいいかなと。

10年後は知らない。

カビ殺菌除去、ホコリの拭き取り、昆虫の処置はかなり進んで、一応住みやすくなってきた。あとは「ありの巣コロリ」。

 

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周囲は半径100メートルに10軒未満しか無い。学生の奇声も聞こえないし、咳の嵐もない。うるさくて嫌がらせ脳で思考盗聴の集ストもほとんどいない。

ストレスが激減。不便だけどこんな生活もありだと思った。

 

当然ヒキコモリな俺は、ほとんど家から出ないで仕事したり研究したりで没頭する予定ですが。

基本的にかすかべでも引きこもって仕事と研究していて、コンビニ行くのも支払いのために月に一回程度だったわけだし。山の中に引きこもっていても、あんまり変わらないような。坂道は多いから大変そうだけど。

 

これまで通り、買い物は99%ネット通販、ネットスーパーに頼る予定。

文明が崩壊しなければ、ここで引きこもっていても生きていけそうな気がします。 しかし北朝鮮がミサイルを撃ち込むかもしれないとか、首都直下・東海・南海大地震だとか、第三次世界大戦が始まるだとか大変な世の中らしい。なるようになれ。

 

俺はどうなっちゃうんだろうか。あ、野菜の種も買おう。

 

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倭の古墳時代のギザギザ住宅とバビロンのイシュタル門(日ユ同祖論)

俺はこの家にいらない子・・・。ついに今週は引っ越し週間。

やっと動ける。

 

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倭の古墳時代の形象埴輪について。

 

奇妙な住宅の姿が見られます。

こんなの。

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柵形埴輪 - Google 検索 より

 

柵型埴輪っていうタイプですが、なんかギザギザとしていて特徴的です。中央に窓がついているので、住居か倉庫兼、塀みたいな役割なのかもです。

当時の住宅自体も、ギザギザとした外観だった様子で、家形埴輪にもまったく同じギザギザつきのものがあります。柵型埴輪は、有名どころでは継体天皇稜といわれる今城塚古墳でも出土しています。

 

ギザギザ+建物=倭の様式

 

これは学校のテストには出ませんが、重要らしいです。

とにかく倭の時代はこんな風景があったなんて、なんか奇妙すぎる。

 

仏教でも、塔婆が連続するとギザギザの形になってたり。あるいは縄文土器でもギザギザ模様の釣手土器が稀にはありますが。

塔婆の場合は人が入る建物ではないし、 縄文土器の釣手土器は香炉や火鉢みたいに、火を灯す役割なので、ギザギザが炎を表しているということだから家屋じゃないみたいです。

 弥生時代のギザギザ建物洋式ですが、アジアでは当時日本だけだったかもしれません。

 

しかし極東を遠く離れた場所では、ギザギザが倭と同様、建物に頻繁に利用されていたみたいなんですよ。

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中東のギザギザ+建物

 

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イシュタル門 - Wikipediaより

イシュタル門


イシュタル門(英語: Ishtar Gate、アッシリア語:ܕܵܪܘܲܐܙܲܐ ܕܥܵܐܫܬܲܪ 音訳: Darwaza D'Ishtar, ペルシア語: دروازه ایشتار、アラビア語: بوابة عشتار)は、バビロンの北域に位置する、8番目の門。

紀元前575年、新バビロニアネブカドネザル2世により建設された。青い釉薬瓦で、バビロンの女神イシュタルと共に、ムシュフシュ、オーロックスの浅浮き彫り(en)などが描かれている。

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イシュタル門 - Wikipediaより

 

ギザギザ+建物=バビロンの様式

だったんですね。

 

古代イスラエル人は、なにかとバビロンとは縁がありましたし。ネガティブな意味でも。

これは「日ユ同祖論」とか「大和民族の中東起源」 から解いてみたほうが、手っ取り早いのではと思ったりします。

つまり倭のギザギザ建築は、バビロンの記憶を受け継いだものなんですかね。他の同祖論的なところにもリンクしてるふうに思います。

 

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「日月神示で動いてる日本」の痕跡を探す・・・日航機墜落事故の御巣鷹山(高天原山)と俺

 「日月神示」は詳しくないですが、たまにチラっとネットで見てました。

日月神示は簡単に言うと、大本から出た岡本天明が、原初の神である国常立尊(くにとこたち)、艮金神(うしとらこんじん)とも言う、の神言を千葉県の麻賀多神社で自動書記したものだとか。

それが終戦間際の1944年(昭和19年)のこと。

 

この内容をひとことで言うなれば、どうやら「ヨハネの黙示録」の日本版みたいなものかもしれません。

「二二八八れ十二ほん八れ(富士は晴れたり日本晴れ)」ではじまり、国常立尊についてや、神界、霊界の話だとか、人は普段から何を食べるべき、こう生きるべきだという指南、それに「御霊を磨いて真当な人間にならないと、これからの苦難を越せない」みたいな啓蒙の意味が凝縮されてます。

 

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三千世界

 

日月神示のなかでこれから来たる苦難とは、「世の建替え」「大峠」「三千世界の大洗濯」みたいに言われる出来事。

その苦難を超えて来るべき世界が「ミロクの世」「三千世界」とか言われています。終末論的な話が根幹にあるみたいなんですよね。この苦難はどうやらまだ来てないらしいです。

この世の建替えというのは、かなり人類にとっては苦痛を伴う道らしいですが、これを乗り越えた三千世界の弥勒の世界とは、

「来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世」

こんな感じが弥勒の世、三千世界らしくて。

まあキリスト教で言うところの理想郷「千年王国」のことに近いです。ほんとにこんな世界になったら人類のこれまでの生活は一変してますね。

 

そういえば近年、なんか見えないものが見え始めたみたいなニュースが増えてるらしい。

 

中国に何度か現れたらしい空中都市。

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Floating "Ghost City" Appears AGAIN Over China Skies? 1/18/17 - YouTube

 

ザンビアに現れたとかいう巨大な人型

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Shoppers Flee As Creepy Shadowy Human-Like Figure Appears In Clouds - YouTube

これはフェイク写真という話も。

 

まったく同じ頃、日本ではこんなのが。

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神戸、大阪で不吉な地震雲が見つかる… - YouTube

妖怪いったんもめん出現。こっちは実際に浮かんでいたとか。

 

なんか世界が異次元と繋がって、あちらの生物が溢れ出すみたいな漫画や映画って、けっこうあります。

映画「ミスト」

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The Mist (film) | Stephen King's The Mist Wiki | Fandom powered by Wikiaより

これは異世界と重なった場合の、悪いパターンですけど。 

 

日月神示で言うところの、「来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世=三千世界」というのが、「この宇宙には別次元の宇宙が重なっている」という宇宙理論に繋がってます。

重なっているけど見ることができなかった「パラレルワールド」と、この世界が融合するみたいなことを言い表すようですね。

つまり別次元の地球では、あんな空中都市が浮かんでたり、いったんもめんが飛んでいるような摩訶不思議ファンタジー世界がリアルなのかもしれませんが。

それがこちらの地球と重なりだしている前兆現象みたいなものが、空中都市だったりいったんもめんだったりするわけですかね。

 

関連してこんな記事が。

現実になった「シュレーディンガーの猫」! やはりこの世界はふたつの現実が重なっていた!

俺もそう言えば、「日本書紀」の記述は、大陸と日本の九州と奈良の状況を、全て奈良に重ねて書いているっていう本やブログ記事書いてますが、似たようなことですね。

そういえば「来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世」的なハリウッド映画は他にもあったけど、何ていう映画か忘れました。

 

2つが重なる

 

別世界との融合はが起こるなんて信じられないですが、日月神示で言うところは「神霊界と現世の2つの世界が重なる」と言い換えることもできるみたいなんです。このモチーフは、実は俺の身近なところにも見られたのです。

 

かすかべで昭和29年(1954年)に制定された旧市章は、2つの円が重なる図案。

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1985年、8歳の時に行った記憶がある、つくば万博のロゴマーク。三角形のプロビデンスの目の上で、2つの円が重なる図案。

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wikipediaつくば万博より

マスコットキャラは「コスモ星丸 」といって、宇宙に関係してた万博だったみたいで、そう言えばつくば市内には高エネルギー加速器研究機構の電子陽電子衝突型加速器SUPER KEKBみたいな宇宙を解き明かす研究施設ありますし。これは有名なスイスのCERNの数十倍の能力を持ってるとか。CERNがやばいやばいと騒いでる人は多いですが、CERNよりヤバイものが東京の近くにあるんですよね。異次元世界を重ねるなんて朝飯前か。

最近太陽系にニビルの楕円軌道が重なってるとかいう話も、なんか2つの円の重なりに関係するのかもしれませんし。

古墳時代の双円墳、数字の8。

 

国常立尊(艮金神)

 

日月神示とは、「国常立尊の言葉そのもの」と言われるわけで、国常立尊が最重要視される神です。遠くない過去に、国常立尊にまつわる気になる大事故が起きていました。

日本航空123便墜落事故 - Wikipedia

この大事故が起きたのは1985年で、ちょうどつくば万博が開催されていた年。この事故の舞台になった群馬県上野村の「御巣鷹山」については、知らない人はいないほど有名になってます。

でもこの御巣鷹山の本来の名称が違っていることは、あまり知られてないようです。俺はネット検索で学びましたが。

高天原山

これが御巣鷹山の本来の名称です。高天原山の尾根の一部が御巣鷹山と呼ばれてるということらしいです。

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グーグルアースで確認。

 

つまり日航機墜落事故の舞台は、高天原山だったと言い換えることもできました。

 高天原という名の山は日本列島に幾つかあり、その中の1つがここです。

日本の神さま、国常立尊をはじめとした神の集う場所として、「日本書紀」に登場するのが高天原という天界でした。

要するに日航機JAL123は、高天原の天界に突っ込んだ、そんな示唆が含まれていました。

 

これだけじゃなく、御巣鷹山の近くではこんな奇妙すぎる話もあります。

JAL123便の520人の犠牲者: zeraniumの掲示板

このブログで気になる話があったので引用します。

JAL123便の520人の犠牲者

(前略)

 なぜJAL機は、高天原に落ちたのか?
 なぜ123便であったのか?
 なぜ犠牲者は520人だったのか?
 そこには理由があるはずです。

 そこは高天原(たかまがはら)という、特別な名前のついた山でした。
 周知のように、そこは古事記において、天津神(あまつかみ)が住まうとされる神聖な場所を意味します。123=「ひふみ」は、神事を表す特別な数字であり、残酷なまでの情報隠滅作戦にもかかわらず、結果的に524人の乗客のうち4人が生き残り、犠牲者が520人となったことなど、偶然の一致では片づけられない不思議な符号が、本当の理由を教えてくれました。

 この世界には偶然というものは存在しません。
 ですからそこには大きな意味があります。
 行き着いたのは、高天原にある神社の両脇に眠る520体の石仏でした。
 その神社のご神体は、国常立尊(くにとこたちのみこと)です。
 古代日本の王であった国常立尊は優れた人物でしたが、厳格すぎる性格が災いして家臣に恐れられ、暗殺されました。そして、暗殺された国常立尊の首が流されたのが神流川(かんながわ)、胴体を流したのが荒川、暗殺者が返り血をすすいだ時「くまなく血で染まった」のが千曲川(ちくまがわ)、そしてその三つの川の源流こそが、高天原です。

 その神社に国常立尊(くにとこたちのみこと)が生き返るようにと、昔の人たちはコツコツと石仏を納めました。そして納めた520体の石仏に、JAL123便で命を落とした520人の御霊(みたま)が入った瞬間、国常立尊が蘇えるという伝説があります。この伝説を知る地元の人々は、JAL123便の事故のニュースを見た時、犠牲者が520人だったとわかって、「あぁ、この人たちが神様を蘇えらせてくれるのだ」と悟ったそうです。520人は無駄に犠牲になったわけではなかったのです。彼らは国常立尊となり、日本の国を守るために蘇えったのです。

(中略)

「ついに宇宙人が最終戦争後のシナリオを用意しました」
田村珠芳著 徳間書店

 

日月神示を解読したもの=ひふみ神示=123神示=JAL123

御巣鷹山高天原山=神々の集いし場所

国常立尊高天原山に葬られた伝説

国常立尊を祀る神社に、復活祈願のための520体の石仏があった。そこで520人の死亡事故

 

まぁ確かにこれが偶然だったらすごいですね。日航機墜落事故には陰謀説が出てますが、そのへんは置いといて。国常立尊は、これにより蘇ったということ?

 

富士山と神殿

 

高天原山の真南には、富士山があります。

高天原山の北には御巣鷹山

じゃあ西には何山があるかと見れば、八ヶ岳

じゃあ東には何が・・・と見ていたら、なんか変なことに気が付きました。

 

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高天原山御巣鷹山の真東には、俺が住んでる街があって、正確にはこの街にある「首都圏外郭放水路」を指していました。この施設は国土交通省が首都圏の洪水対策のために建設したもの。

計画されたのはJAL123便墜落事故の直後のことで、着工が1992年のことです。

地下の巨大な柱の林立する貯水施設は、通称で「神殿」と言われていて、まるで神が降臨する神籬みたい。しかも「龍Q館」があるんですよね。

龍Q館ていうのは、岡本天明も信仰した大本の、「大本神論」における国常立尊が降臨する場所、変性女子の住まう場所「竜宮館」とおなじですね。

この施設の奇妙な点についてはこの記事で。

この街の特異な地下神殿と竜宮の館

 

 

何か巨大なものに取り憑かれている俺について

 

なにか、色々と嫌な思いばかりの腐った人生なのですが。もう引っ越しも迫ってきていることだし、俺がいったい何に取り憑かれているのか、はっきりさせておきたいです。

なんでここで唐突に、自身のことを書き始めたのかというと、なんかあらゆるものが関連づいてしまうからです。

俺の情報を見て、なんか気づいた人が居たら連絡をください。

 

・昭和52年1月30日生まれ

水瓶座で巳年

・かすかべ

・両親が丑年と寅年(2015年にいっぺんに死んだ)

・名前が達(たち

・子供の頃から体調が狂った

・日本で稀に見る猛烈レベルの大規模集スト

・神殿と龍Q館の街

・真南に寸分の狂いもなく赤坂御用地

俺にまつわる陰謀の証明

皇居宮殿と、この街の市役所が同じ経度上にある謎

 

関係あるかな?

 1892年明治25年)1月30日(辰年旧正月元旦)、56歳のなおは『艮の金神、元の国常立尊』と宣言する神と出会う霊夢を見た

出口なお - Wikipedia

 

H・G・ウェルズの予言 

うららかな 春の日に ももの花 さく
美しく けだかき婦人 そは 富士の山
愛しき 数々の思い出 うましたからの島
ふたたび 見られぬは そなたの顔か?

 

涼宮ハルヒの憂鬱  りょうぐうはるひ・・・竜宮春日

クレヨンしんちゃん 春日部 暮れ夜の神示ゃん・・・終末的な

 

一々俺に関連付きやがって・・・ダメぽ星人の権化みたいな俺に、神さまやら偉い人は、なんか用事があるのかと。

 

というふうに、日月神示で動いてる日本の片鱗は見えてくるような。

ちなみに俺は今月中に死ななければ、何故かわからないけど春日部から富士山の見える場所に移住することになってしまってます。日月神示やウェルズの予言がますます気になるこの頃。

 

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太陽は単なる恒星なんかじゃない気がする件。中に入れる生命体?

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太陽の塔 - Wikipedia より

 

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お天道さまはお見通し

 

体調が悪くて、あと何年間生きられるのかとう考えるこの頃です。

しばらく重曹水をやめていたら、各所の痛みが悪化。重曹水を本格的に再開してみたら、痛みも消えてきているので、やっぱり重曹水は効くんではないかと実感。生きている限り、ずっと毎日飲み続けようかと。

それにしても。

俺の人生にとっては、人間付きあいの大部分は、傷つくためにあるみたいなものでした。ただでさえダメな人なのに、集ストされて俺じゃないのに俺のせいにされたり罵声を浴びる日々。

差別やイジメが蔓延るこの世界で、人間関係でのデメリットを感じてしまう人は、少なからず居るのが実情になっているし。

攻撃的な人とは会わずに生活。人間関係は最小限に留める。好きなことをして生きていきたい。この本音を実現するというわけで、山奥の森の中に住むことになりました。

俺が死ぬときは、葬式・戒名不要で、遺骨は散骨だから墓も不要。。死ぬ前に個人葬(火葬式)を予め業者に依頼しよう。これは何年後か分かりませんが。

 

ひとまず2017年は、4月の引っ越し旅行は目前となってきました。俺と一緒に世界も様変わりすることは確実ですが。戦争が始まる、大災害が起きるなんて言われますが。

「おてんとう様は全部お見通し」なんて、悪人に対しては昔から言うらしいです。みんなが太陽を見ているように、人類の個々もずっと太陽に見られているんだろうか。人類の悪事や営みもすべて。

 

お天道様・・・太陽は意志を持ち、宇宙だけでなく個々の地球人を眺めているんですよ。昔のひとはそんなふうに認識していたみたいです。

太陽光線を浴びることで、見られてしまうなんて言う想像してみました。そもそもこの世界は光が存在しなかったら、真っ暗で何も見えないということを踏まえると、光こそが視覚の根源というのは当然なんですよね。「旧約聖書」の「創世記」神は最初に「光あれ」といって光が満ちましたが。光が、太陽という生命体の目や感覚の一部なのかもしれないってことで。

そのへんは古代エジプトのアテン神の姿でもわかりますね。太陽円盤から太陽光線が降り注いでいる姿。人間に腕を伸ばすかのようにして干渉する太陽の姿。

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アテンを崇拝するファラオアメンホテプ4世と彼の家族。アテン - Wikipediaより

 

プロミネンスがうねりを上げては大爆発したり、黒点やコロナホールを変化させて見せたり、地場の細胞分裂みたいな現象が起こるとか。ほんとにまるで生命体のように、変化にとんだ活動をするのが太陽です。

実際に太陽が生命体という見方は、大昔からあるらしいです。地球という惑星が1個の生命体であるという「ガイア理論」は、1960年代にはすでに提唱されていたそうです。地球の親分である太陽という恒星にも、ガイア理論と同じものが当てはまっていて当然かと。

古代エジプトでは太陽円盤は蛇で表現されていたし、日本では神武天皇の御宇以来、熊野の八咫烏は太陽の中のカラスで表されました。太陽は生命体であることを、太陽の蛇やカラスで表したのですかね。

 

イソップ童話の「北風と太陽」の物語は知られてますが、元々は「太陽神アポロンと北風の神ボレアスの話」で、紀元前のギリシャ神話だということなんです。

この物語では太陽が擬人化されて、顔が描かれてるのですが。やっぱり太陽は人に影響を与える存在として、古代から認識されていたんですね。

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北風と太陽 - Wikipedia より

 

太陽はおひさまで「日」の1字であらわされるけれど、これに「生きている」を加えたのが「星」。

だから、日=太陽は生きているのが古代中国人の宇宙観だったのですね。これも古代エジプトと一緒じゃないですか。

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そう言えば 筒井康隆の小説で「星は生きている」なんてのがあったと思い出しました。星が1個の生命だという題材の小説はいくつか覚えています。

 

太陽の塔の秘密

 

1970年に大阪府吹田市で開催された大阪万博

芸術は爆発だ」とか言って、奇抜な芸術作品を生み出すことでおなじみだった故・岡本太郎制作の「太陽の塔」が、この万博のシンボルになっていたとか。

太陽の塔は高さ70メートルと巨大で、太陽をあらわす顔が上、前、後、地下に4つあり、それぞれの太陽には意味が込められていました。

 

太陽の塔の顔の意味

黄金の太陽の顔 正面最上部 未来

・白い太陽の顔 正面中央 現在

・黒い太陽の顔 背面 過去

・地下の太陽の顔 地下 太古

 

こんな感じで1つの塔は時間をあらわすんだとか。太古の太陽の顔は、すでに失われてしまったらしいのは、何か意味深。

太陽の塔は翼を広げた鳥みたいですが、実際にモデルになっているのは岡本太郎が飼ってたカラスだそうです。太陽の中の八咫烏のイメージが、この塔に関連付けられて採用されているみたいです。

太陽の塔の内部には、高さ45メートルの「生命の樹」が下から上に伸びていて、エスカレーターが設置されて上に登れるとか(いまはどうかわからん)。内部では動物と自然の展示があるということです。

youtu.be

 

太陽の塔とは太陽そのものであり、いうなれば、

・太陽の内部に入ることが出来る

・太陽は生命を宿す生命体である

・太陽は時間を超越する

こんな驚天動地の示唆が、塔に込められているみたいな妄想をしてしまいますが。

 

あと、黄金とか生命の樹とか、なにか宗教的な思想が入っているようです。黄金の未来というのは日月神示生命の樹ユダヤ教ですかね。ペルーのインカ帝国時代の太陽神殿は、黄金によって埋め尽くされていたとか。日本では八咫烏と同一視もされる「金鶏」の伝説が「日本書紀」にありますし。

太陽の塔に顔が4つあったように、日本の太陽神は天照大神をはじめとして、蛭子(昼子)、大日孁貴(おおひるめのむち)だとか、太陽の名を持つ神は多くいました。 

ところで、日本人はとかく日本史ばっかり研究してる人は、日本を中心に見ていく傾向がありますね。

日本人はたとえば味噌や納豆や豆腐は日本固有の伝統食なんて言いますが、実際のところ味噌や納豆や納豆は東南アジアや中国にもあって、あちらのほうが原産地じゃないかって言われています。

だから物事を日本中心に見てる人は、本来最初にあった大陸のものを知らずに見過ごしたり、軽視しがちになったりするのではないかと。

神社の由来についても、日本発祥だとは言うけど、どうして神社では狛犬というライオンが守り神なのか?日本にはそもそもライオンが生息していなくて、ライオンがいたのは遠くアフリカなのに、なんで神社を守るのがアフリカのライオンなのか?という疑問点にすら届かなかったりするのですよ。

日本の神社は遠く大陸のはるか果ての文化を集合しているからこそ、ライオンが守り神になってるんですよ。

だから視点を自分視点から切り離して、遠い場所の第三者目線を拾っていくことは、重要ではないかと。まあ俺もなかなかできないことなんですが。

 

太陽の塔の中に入れる。このこともなんか「太陽の中に入れることの示唆」かと。内部に空洞でもあるのか、

それとも一部で言われてるように、恒星とは異次元ポータルとして機能をしていて、別世界へ行ける入り口だったりするのか。だから太陽の塔には太古、過去、現在、未来の4つの顔があるんだなんて考えると、自分で納得してたりしますが。

だから太陽の塔と太陽の存在を踏まえると、タイムマシンはあって然るべきだなんて思いますし。

 

太陽の塔が着工したのは1968年のこと。俺が太陽の塔のことを調べて妄想記事を書いたのが2017年。・・・岡本太郎は49年以上前に、太陽の凄さや本当の機能(生命体であることや異次元ポータルであること)を知っていたのですかね。まあここに書いてあることが事実とすればですが。

とにかく謎ばっかりの太陽は意外と好きです。

 

関連記事

天照大神は古代オリエントの太陽神の習合だったってことで

 

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近所の子供が十数年間も不快なほど叫び続けた相手はほとんど飛行機だった

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Roller coaster - Wikipedia より

 

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俺を苛立たせるのが仕事の1つらしい、防犯パトロール兄軍団が、たまにバイクの音をブンブン出しているが、

 

バイクと飛行機の音は全然ちがう。

 

飛行機の騒音がするたび、ジェットコースターみたいに絶叫する子供ってなんなの?

「叫べ」って指示されて叫んでるの?

 

大型プロペラ機

youtu.be

 

自衛隊輸送機

www.youtube.com

 

セスナ機

youtu.be

 

 

youtu.be

 

 

自衛隊ヘリコプター

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youtu.be

 

チェーンソー

youtu.be

 

 

こういう音が聞こえるたびに、

住宅地で大絶叫する子供が大勢いるんだが。

 

ほか、爆音の車、バイク、バックホー(ショベルカー)など重機 

彼らは何百回と飽くことを知らず、叫びまくっていた。

 

人間は、濡れ衣を着せて、他人を不条理に責め立てるものらしい。

人間は、自分の大声の迷惑には、気づかなかったりするものらしい。

そこに理性はなかった。

 

騒音の正体を見分ける、聞き分けるができない人々は、音の聞き分けをやってみてほしい。親も先生も教えてくれませんし。

 

以前の記事 2012年12月12日

騒音発してないのに騒音源だと決めつけられ罵声を浴びる

 

 

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桃太郎は卑弥呼にとって弟かそれとも分身か

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Momotarō - Wikipedia より

 

日本を代表する昔ばなしの桃太郎って、とことん倭の女王卑弥呼に関係してたんですね。妄想を極限に膨らませてみました。

 

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 桃太郎と桃そ姫

 

桃から人が生まれた桃太郎の話を簡略化。

むかしむかし、婆さんが川上から流れてきた桃を拾った。婆「ポケ桃ゲット」。桃から男の子が生まれた。爺と婆は桃太郎と名付けた。桃太郎は大きくなると、村を荒らす鬼を退治すると言うので、婆がこしらえた黍団子持って出ていった。途中で犬、猿、雉をお供にして鬼ヶ島へ。悪い鬼を根こそぎ退治して、鬼の財宝を持ち帰って幸せに暮らしたんだとさ。めでたしめでたし。

桃太郎ってなんなんですかね。

梨太郎、柿太郎、葡萄太郎、蜜柑太郎、パイナップル太郎なんていうのはなくて果物では、桃太郎だけ。

 

桃の名前を持ってる歴史的人物は、いたかなと考えると、

モモずきん、ももぼんはゆるキャラだし、桃パイパイ、剣桃太郎は漫画だし。

で調べたら、

 ・歴史上の人物の名前で「桃」の字がある人っていますか? - 【... - Yahoo!知恵袋

いました。

桃井直常、桃井氏、仙桃院桃園天皇、後桃園天皇などなど。でもみんな、中世以降のひとで、古代にはいなかったんですかね。

 

あ、「日本書紀」にいました、イザナギが黄泉の国から逃げ帰るとき、黄泉醜女(ヨモツシコメ)を撃退するため、投げた桃。この桃、イザナギに誉められて、大神実命(おおかむづみ)の名を頂いているのだから、桃の界隈では英雄的な桃だとか。まあこれは桃だし・・・。

 

と駿巡を重ねていたら、

「百(もも)」なら、古代には居たなと、思い付いたのでした。

 

倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめ)。百襲姫。

もしかして百襲媛って、桃そ姫なのでは?

という連想をすると、「桃が襲う姫」だから、イザナギが投げた桃の役割そのままな印象があります。

ももそひめ、このかたは長らく卑弥呼と同一視されている巫女で、恐らく「卑弥呼の巫女人格が独り歩きした存在」なのではという話は、拙著にもあります。

倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼説の新説 -

 

この桃太郎と桃そ姫は、かなり緊密な関係があったようです。そのへんをちょっと詳しく見てみます。

 

桃太郎は吉備津彦だったのか

 

桃太郎が吉備津彦だとの説は、熱心に信じる人もいますが、それだけの信憑性はありました。

日本書紀」では紀元前の天皇である第七代の孝霊天皇と、妃だった倭国香媛とのあいだに、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)と吉備津彦命(きびつひこのみこと)という子供ができました。

倭迹迹日百襲姫命卑弥呼説があり、百(もも:桃)の名を持っています。

吉備津彦は黍(きび)団子のキビの名があり、桃の弟だということ。

それで、吉備津彦は桃太郎なのではないかと。

 

この仮説を裏付ける話があり、

伝承・信仰

吉備津神社岡山県岡山市備中国一宮)の縁起として、吉備津彦命が吉備平定にあたって温羅(うら・うんら・おんら)という鬼を討ったという伝承が岡山県を中心として広く知られる。これによると、温羅は鬼ノ城に住んで地域を荒らしたが、吉備津彦命は犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来とともに討ち、その祟りを鎮めるために温羅の首を吉備津神社の釜の下に封じたという。この伝説は物語「桃太郎」のモチーフになったともいわれる。吉備地域には伝説の関係地が多く伝わっているほか、伝説に関連する吉備津神社の鳴釜神事は上田秋成の『雨月物語』中の「吉備津の釜」においても記されている(詳細は「温羅」を参照)。

この伝承では、温羅は討伐される側の人物として記述される。しかし、吉備は「真金(まかね)吹く吉備」という言葉にも見えるように古くから鉄の産地として知られることから[10]、温羅は製鉄技術をもたらして吉備を繁栄させた渡来人であるとする見方や[11]、鉄文化を象徴する人物とする見方もある[12]。また、吉備津神社の本来の祭神を温羅と見る説もあり、その中でヤマト王権に吉備が服属する以前の同社には吉備の祖神、すなわち温羅が祀られていたとし、服属により祭神がヤマト王権系の吉備津彦命に入れ替わったと指摘されている[13]。

吉備津彦命 - Wikipedia

ということで、桃太郎と吉備津彦は共に鬼退治をしているのです。だから同一人物だという話は、信じても良いかもしれません。

しかし個人的に、もうひとつの仮説も浮かんできました。

 

桃太郎は男装した女性だったとしたら

 

桃太郎が男装した女?そんなわけあるかと、思われるかもですが。桃太郎については、こんな伝承があるとか。

香川県では桃太郎が女の子だった、とする話がある(生まれてきた女の子があまりにも可愛らしいので鬼にさらわれないように桃太郎と名づけた)。

桃太郎 - Wikipedia

というふうに、香川県では、桃太郎は女の子でした。

 

香川県に見られる桃太郎の土地
田村神社 (高松市)
・桃太郎神社 (高松市)
・女木島 (鬼ヶ島)
・鬼無

 

香川県はうどんと共に桃太郎関係の土地が集中していて、しかも「桃太郎女の子説」が出ているというのは、何か無視できない状況が揃っています。 

ヒーローが実は男装した女の子っていう話は、日本の漫画でも良く見られるモチーフだったりします。古典的なアニメでいうと「リボンの騎士」とか「ベルサイユのばら」ですかね。男だけど子供の頃にハマって毎回見てました。

歴史上だと、西洋ではジャンヌ・ダルク、日本だと天照大神神功皇后あたりが男装の記述があります。

個人的には天照大神と同一視している卑弥呼も、男装をしていたはずではないかと。卑弥呼と同一視できる崇神天皇は、じつは卑弥呼が男装した姿ではないかという話で、本を書いてました。

卑弥呼は男装して出歩いてた・・・複数の記録に分断された卑弥呼

さらにそれ以前から、卑弥呼崇神天皇説を提唱してました。

 

これで気付いたのですが、桃太郎の「桃太郎女の子説」と、「卑弥呼男装説、卑弥呼崇神天皇説」は、イコールか≒(ほとんど等しい)になりうるのではないかと。

桃そ姫も桃太郎も、「男女の性別の区別がつかない」共通項があったのだと、自分のなかでは納得です。

 

 桃太郎(卑弥呼)の鬼退治

 

すると、「桃太郎の鬼退治」とは、もしかすると「卑弥呼の鬼退治」なのではないかという発想が出ました。

戌、申、雉をお供にしたというのは、卑弥呼が倭の豪族を味方につけて、鬼門の方角の島に攻め入ったということです。

ちょうど記紀神話で、天照大神が、武甕槌命経津主命大国主のところに送り込み、国譲りを成し遂げた話に重なるんではと。または、卑弥呼と狗奴国との対立構造の後、おそらく卑弥呼軍が狗奴国を攻め滅ぼしたことにも。

狗奴国(クナ)は「鬼ノ国」と解釈できるのですし。

 

桃太郎のお供になった戌はいぬで、福岡の委奴(いぬ)国人、猿は道案内の猿田彦の一族、雉は鬼人(きじ)か鬼島(きじ)で、元は鬼の一種だろうか。だから道案内には長けていたわけなのか、などど想像してみたり。 

 

桃太郎と方位

 

桃そ姫=卑弥呼=天照大神だと仮定すると、卑弥呼がいたのは日向=九州で、すると鬼門の鬼ヶ島とは、卑弥呼のいる九州から見た、秋津島(本州)かもしれないてことになるわけですよ。そこに鬼ノ国(狗奴国)があったと。

この桃太郎の昔ばなしですが、明らかに東西南北の方角に関係してるのは気づいてました。調べてると、こんな記事が。

【衝撃】昔話 桃太郎は陰陽道の話だった - NAVER まとめ

 

これは本当のことなのでは。

戌、申、酉(雉)は西をあらわし、牛の角と虎のぱんつを履いた鬼が北東を表す、というのは。桃太郎は西から出発して、東へ向かって鬼を退治したというのは。

 

西海道・・・昔の律令時代の、九州のなまえは西海道

だから、九州に桃太郎(卑弥呼)がいて、対岸の鬼門の島といったら、本州か四国…。

 

などと書いてたら、カラパイアからこんな記事が出ました。

karapaia.com

 

何故か猫に群がるニワトリ・・・。

俺に群がる人々を表現する状況かと思ったり。

 

そういえば猫って、十二支に入ってない動物なんですよね。猫はネズミに騙されて、遅刻して十二支に入れなかったとか。つまり猫とは13番目の干支なんですよ。

俺の想像によると、実は十二支のサークルの横には、1つ小さな猫サークルがあるのです。こんなふうに、北の子(鼠)の横に猫が配置されます。

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 猫の自由奔放な感じからすると、十三番目の席というのは居心地は悪くなさそうですね。

 

そうそう、四国をわすれていました。四国というのは、鬼の島かもしれないわけなんですよ、古代には。

本州と四国で、「鬼」がつく地名はかなりあって、要するに本州と四国中が、鬼ヶ島だったんではないかと。

どうやら鬼地名は、九州は少ない模様です。

 

いわば桃太郎の鬼とは、縄文系統の毛深い倭人かもしれないなと。弥生系統は体毛の毛並みが薄くて、だから平安貴族の絵画では、のっぺりした顔でヒゲも生えそうにない弥生顔が主流になっていて、毛深い貴人は少ないでしょう。 

かつて東日本に住んでいた人々は蝦夷とか東夷と呼ばれたほか、「毛人」と呼ばれていました。それは顔を広範囲まで毛で覆われた、昔のアイヌ民族みたいな風貌の人が大勢を占めたからでしょう。

 

倭人蝦夷はいつも対立関係にあって、蝦夷が鬼と呼ばれる人々だったわけで。大和に抵抗したアテルイも、当時は鬼と呼ばれていたし。

蝦夷(えみし)を討伐しようと、ヤマト王権から歴代の征夷大将軍が誕生して、東方の征伐に躍起なっていました。

征夷とは、それは桃太郎(吉備津彦・百襲姫)という、天皇家の人々による 鬼退治から始まっていると言えるものかもです。

 

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福岡県の珍敷塚古墳はエジプトからの民族移動を示す大陸地図だった件

何ということでしょう。毎日の膨大なストレスで、若干ハゲが加速してきました。

 

さて、前回の記事は鳥取県だったんですが、今回は福岡県の古墳から、古代地図を引き出して見たいと思います。

 

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ちんしきつか

 

屋形古墳群

珍敷塚古墳、原古墳、鳥船塚古墳、古畑古墳の4基の円墳で構成される。現在、墳丘が残っているのは、古畑古墳と原古墳のみである。昭和61年(1986年)2月25日に国の史跡となった。

珍敷塚古墳(めずらしづかこふん)

奥壁と壁の腰石のみが残り、墳丘は古い時代に破壊されたと考えられる。壁画には点と線を多様に使った絵が書かれている。

屋形古墳群 - Wikipedia

 最初は誰でも「ちんしきつか」と読んでしまうのが通過儀礼らしき珍敷塚古墳。ちんしきちんしき・・・とリズミカルに何度か口ずさんでいると、シーチキンになってきました。この古墳の年代は、古墳時代後期(6世紀)だとか。

何が一体珍しいのかというと、古墳石室の壁画です。

 

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3時間くらいかけて描いた、壁画の写し。

 

これに何が描かれているのか、一般的な解釈を捉えてみたら、こんな感じ。

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左から、太陽、船をこぐ人、烏(からす)、靫(ゆき)、靫、靫、蕨(わらび)、蛇、兵、盾、蛙、猪、太陽、烏、船着場

一般的にはこんな解釈がされています。

 

これはこの古墳被葬者にとって、思い入れの深いもの、動物、何らかの物語を描いたと言われています。いずれにしても昔の倭人が、倭の筑紫(福岡)あたりの思い出の光景を描いた、そういう認識が一般的。

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ところで、一番左側のここについては、別の解釈があります。

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エジプト考古学の吉村教授が、珍敷塚古墳の壁画は、エジプトのセン・ネジェム古墳の壁画と全く同じテーマで描かれていると述べています。

『ファラオと死者の書古代エジプト人の死生観 (小学館ライブラリー1994/05)吉村作治

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 『ファラオと死者の書』 吉村 作治 | 考えるための書評集 より

 

確かに全く同じように太陽、船、右側の舳先の鳥という題材がすべて揃っているわけなので、納得できるところはあります。

 

じゃあ、

「珍敷塚古墳の左端は、エジプトなんだ」

と考えて、壁画を見ていったらどうですかね。ここからは珍敷塚古墳の左の船と太陽の部分はエジプトだという前提で話をススメます。

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珍敷塚古墳の壁画で気になるのは、登場する人や動物の進行方向が、全部足並みを揃えて右向きという点にもあります。進行方向を矢印で示してみました。

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こんな風に。船の人、船の烏、船の方向、蛇、兵、蛙、猪、船着き場の烏・・・すべてが右向きなんですよね。

左側の太陽と船の位置を出発地として、船着場のある場所が到着地であると考えていけば、壁画全体で何を表しているかは朧気に見えてきました。

 

つまり壁画の中で、太陽の船のある場所はエジプトです。

壁画の一番右側が到着した土地であり、現在の珍敷塚古墳の位置であるということ。

途中の靫(ゆき)は、ユーラシア大陸の途中の中継地点、国を起こしたのか、とどまったのかということです。弓矢や点々が、国に満ちた人の数を表しているでしょうね。

全ての人や動物が、右方向を向いているということは、左のエジプトが「西」であり、右の船着き場の到着地が「東」で、船着き場は倭の筑紫(福岡)の珍敷塚古墳のあたりなことを、意味していると読み取れますね。

 

前回は

鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録

で、壁画のイクトゥスから古代天皇家大和民族が中東から移住してきた、そんな結果を読み取れました。

今回のこの壁画も「珍敷塚古墳に葬られた倭人(の先祖)の移動を示しているユーラシア大陸の地図だ」っていうことが、なんとなく見えてくるわけなんですよ。

では1つ1つの要素を細かく見て行っちゃいます。

 

・蛇

蛇というのは古来から世界中で信仰対象となっていた動物でした。古代エジプトでは、ハヤブサの頭部を持って、図上に太陽円盤を乗せた太陽神ラー。太陽円盤を取り巻くのは蛇なのであり、蛇とは古代エジプトでは太陽と権威の象徴たる動物で、ファラオは王冠にヘビの頭のウラエウス(蛇型記章)を取り付けていました。

 蛇形記章 - Wikipedia

 日本のイザナギイザナミは元々は蛇神だったのではないかという説があり。ナガとは蛇であり、ナミとはギザギザの波形(~~~~)だし、ミは巳ということで蛇を表しています。原初には天の沼矛をかき回し、天御柱の周囲を回転する様子があって、これらがギリシャの2匹の蛇がからまった蛇ケリュケイオン、シュメールのニンギシュジッダ、中国の伏儀・女媧と共通するモチーフでもあるのですよね。

参考記事

本来は「翼ある蛇」だった斐陀国は、金印の委奴国と同一の民。のちに匈奴の攣鞮氏が入り込み飛騨になったかも

 ということで蛇神信仰は、西のエジプトから、東の倭へ到達している可能性は、この壁画から見えるかもしれないことです。蛇の進行方向は西のエジプトから、東の倭となっているわけなので。

そういえばこんな記事も

・極論だけど日本の神様の起源はエジプトの神にあると思った件

 

 ・靫

弓矢を入れて背負う、ランドセルやリュックサックみたいな道具、それが靫。ゆぎ、うつぼ、箙(えびら)、矢筒(やぐない)ともいうとか。

壁画の中では3つの靫があって、東へと進むにしたがって靫の大きさも弓矢の数も点々の数も増しているようです。これは東へ進むごとに、エジプトから出発した勢力が増していったことを意味するでしょう。

エジプトから出発した民というと、やっぱりモーセ出エジプトをした、古代イスラエルの民ってことなんじゃないかと。だから珍敷塚古墳の一族の先祖はやっぱりアッチ系なんじゃないかと思ったりしますが。

靫の形状は何故か漢字の「月」形をしているのは、「月氏の土地を通った」ことを表しているようです。月氏は大陸の中央から漢の近くにまで、進出していました。

中央アジアバクトリア(のちの大月氏の地)、タリム盆地の西域諸国(歴史的に月氏の地)、甘粛省青海省土地(のちの小月氏の地)を経ていることが、壁画の靫=月で表されてるのではないかと。

そういえば思い出した。

 

日本の奈良県と、神武東征記録に月氏系の地名や人物名が、とにかく多いことについての記事はこちら。

神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる

 

 ・蕨

蕨は縄文時代からある植物で、倭人アイヌの絵柄にもよく使われています。蕨文、蕨手文と言われます。これは倭固有ではなくて、エジプトや中央アジアでも古くから用いられたデザインで、蕨文の模様は古代から世界共通だったのですよ。

で、この壁画に描かれているのは、実際には蕨じゃなくて、中央アジアの国を表すものかもしれません。

渦はウズで突厥烏孫を呼んだ音が「ウズ」だったので、2つのウズがあることは、2つの烏孫を表していますね。烏孫は歴史上で、少月氏の土地に難兜靡が建てた烏孫が最初にあって、後にキルギスのイシク・クルのほとりに昆莫が烏孫を建てたということで、2つの渦がここで表されているのがひとつ。

もうひとつは、この蕨手文みたいな地形が、中央アジアに実在することから、正体が見えてくるのではないかと。これについてはまた今度。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

それで、出た結論がこれ。 

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(1)まずセン・ネジェムの壁画によって、珍敷塚古墳の被葬者の部族が、古代エジプトから出てきた(モーセ率いる古代イスラエル人の「出エジプト」の出来事?)ことをあらわしている。

(2)全ての人や動物を右向きにすることで、西のエジプトが出発地点であり、東へ向かったことを意味している。 

(3)月の形をした靫により、月氏の領域=中央アジアに拠点を持ったことをあらわしている。

(4)渦によって烏孫(ウズ)をあらわしている。また蕨文の形状は中央アジアタリム盆地天山山脈、バルハシ湖の領域を表している。

(5)蛇は長い道のり。

(6)盾はトンであり、中国の唐(トン)と同じ。だから中国大陸を渡ってきたことを示している。またはトルコ系の遊牧民で、極東まで到達したタタルが倭まで来ているから、それを表している。盾の古語は「たた」なので、タタルを表すのに丁度よい。

(7)蛙は、中国に「月に蛙がいる」との神話があり、中国を通ったことを意味する。または扶余の金蛙王のことで、蛙は水棲だから海を泳いで渡ってきたことを意味する。

(8)猪は「いぬしし」で、倭の最初の国「委奴国」(いぬ国)に到着したことを示す。

(9)輪(◎)により「倭」をあらわしている。

(10)八咫烏が出発地点から船人の道案内をし、到着地である倭の船着き場にもいることで、はるかエジプトから渡ってきた民であることを表している。個人で渡ってきたというより、先祖代々を経ての記憶を描いているのだとおもう。

(11)セン・ネジェムの古墳の年代は、ラムセス2世(紀元前1314頃 - 紀元前1224年)の頃。月氏は紀元前3世紀から西暦1世紀。烏孫は紀元前2世紀から西暦5世紀。扶余は紀元前2世紀から西暦5世紀。委奴国は西暦1世紀。珍敷塚古墳は6世紀。

 

月氏烏孫、扶余、委奴国と通ってきたとすると、紀元前5世紀~西暦1世紀頃の移住で、やはり居住期間に、かなり世代を重ねているのでは。

 

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というふうに、珍敷塚古墳の壁画から、色々な情報を読取ることができたわけなんです。

重要なのは、この珍敷塚古墳と全く同じテーマの壁画が、他にも複数存在しているということ。倭人のかなり多くがエジプト方面から端を発し、中央アジアを経て来ていることを、表していますね。

どうして古代エジプトのセン・ネジェム古墳の壁画を、左端に描いたのかの理由が分かってくるではないですか。壁画の真ん中と右側を、見るべきだったのであると。考古学の先生も、この壁画全体を見直してほしいですね。

 

遺伝子として残っていないのは、東アジアでの交配が、かなり進んだからということなのですね。あるいはよく言われるように、Y染色体のD系というのが中東系の遺伝子であるから、いま「縄文人の遺伝子」といわれているものが、実は「紀元前5世紀から弥生時代末期・古墳時代にかけて移住してきた倭人モーセ古代イスラエル人→烏孫人・月氏人)の遺伝子」なんじゃないですかね。

とすると何で、弥生時代の大陸奥地から渡って来た遺伝子が、縄文時代に大陸から渡ってきた遺伝子だという風に言われているのか?という疑問が出てきてしまいますが。

まあ低学歴の仮説ですけど。

 

この記事と完全に整合する内容の記事を、先日書いてた。

古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

こちらも合わせて読むと理解が早いです。

 

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