たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

侏儒(土蜘蛛)国から分かる卑弥呼の邪馬台国の場所

魏志倭人伝」の「侏儒」から、

女王卑弥呼のいた邪馬台国の位置が分かるかもしれないんです。

 

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ところで侏儒ってなに?というところから始まります。

焦僥人

山海経』の大荒南経には、焦僥、僬僥(しょうぎょう)、海外南経には周饒(しゅうじょう)と呼ばれる小人たちが住んでいると記されている。焦僥・周饒はともに「侏儒」(しゅじゅ)という言葉が変化したものであり、「小人」ということを示す同一の呼び名であると考えられている。この事から焦僥人と周饒人は同一のものであると見られる。『外国図』には、焦僥人たちは強い風に吹かれると飛ばされてしまうことがあったと描写されており、強風が吹くと体をしっかり伏せてこれをまぬがれているという。

小人 (中国の伝説) - Wikipedia

侏儒は、 中国で紀元前からの小人の名称だということ。

 

そういえば倭人の意味は、

背が曲がってたけの低い小人の意。

「学研漢和大字典」より

 なので、倭人も小人で、侏儒の一種だったんですけどね。いまや日本人のほうが、中国人より平均身長で上回っているとか。

 そういえば焦僥の「」は、饒速日命の文字にも似てますね。

 

この侏儒が、「魏志倭人伝」に出てくる。

魏志倭人伝の侏儒

女王国の東、海を渡る千里余、また国あり、皆倭種なり。また侏儒国あり、その南にあり。人の長三、四尺

「中国正史日本伝(1)」岩波文庫より

 三、四尺って、90センチ~120センチてことなわけだが・・・。

女王の千里の東に、侏儒国があるんですよね。

図にするとこうなる。

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こういうことで、女王国の中心都市が邪馬台国です。

 

そして侏儒って、「日本書紀」にも登場します。

神武天皇の時代の侏儒
「高尾張邑(たかをはりのむら)に、土蜘蛛有り。其の為人(ひととなり)、身(むくろ)短くして手足長し。侏儒(ひきひと)と相似(あひに)たり。皇軍(みいくさ)、葛(かづ)の網を結(す)きて、掩襲(おそ)ひ殺しつ。因(よ)りて改めて其の邑を号(なづ)けて葛城と曰(い)ふ。夫(そ)れ磐余(いはれ)の地の旧(もと)の名は片居(かたゐ)。」

日本書紀 岩波文庫」(p236)より

奈良盆地の高尾張邑に土蜘蛛がいて、侏儒と似ていた。神武天皇軍は網を使って襲って殺したとか。その後葛城とか磐余という地名がつけられたと。

ここで土蜘蛛(侏儒)は、襲撃されて抵抗した様子もなく、全滅したんですかね。

とにかく土蜘蛛が侏儒ということが判明。

情報を図に展開してみると、

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日本書紀」の侏儒の位置付けはこうなる。

まあ神武東征の舞台は、個人的にはユーラシア大陸での天皇家の祖先の出来事と、日本列島での卑弥呼軍の東征をあわせているんだろうな、と考えますけど。それはさておき。

 

 ここから重要なのは、この2つの書物の侏儒を結びつけたり、いろんな想起できるものを全部呼び出してみるということ。

神武天皇の出発地は九州の日向である

卑弥呼(ひみこ)の名は日向(ひむか)ににている hi-m-k

・日向とは九州全域を指す名だった(肥前・肥後の元の名は健日向豊久士比泥別)

・女王国の本拠地は邪馬台国である

神武天皇紀では、侏儒は奈良盆地にいる設定

・すなわち魏志倭人伝の「女王国の東の侏儒」は奈良盆地

・「旧唐書日本伝」に「日本国は倭国の別種なり」

・女王国と侏儒国のあいだには、千里と表現されるおおきな海がある

日本書紀饒速日命が向かった先は奈良盆地だった。饒のつくりは侏儒の別名「焦僥・周饒」ににている。

 

こういった細かい情報を集めてまとめる。

すると結論は、なんだかんだでこうなった。

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 侏儒が奈良盆地にいるということが、2つの書物で表されるのだから、女王国の東の海とは瀬戸内海でしかないですね。

すると邪馬台国の位置は、瀬戸内海で隔てられた九州か四国か、という選択に迫られます。が、卑弥呼の名前がひむかであり、九州の名前がひむかであると考えると、女王国と邪馬台国の位置は九州一択で良いのではと。その後邪馬台国は東の奈良盆地へと東遷をしているという、いわゆる「邪馬台国東遷説」支持してますけど。

 

 距離が千里というのは、適当な感じもあり、魏志倭人伝」の距離は、投馬国以降は女王国の国土を、中国に対して大きく見せたいっていう虚栄心が働いてるのかもしれず。

魏志倭人伝は侏儒の位置については、正確に表していましたね。女王国の東(本州の近畿)の南(奈良盆地)と。

 

侏儒という存在からみちびいた場合、女王国の邪馬台国は、九州にあるしかないってことでした。

 

ところが・・・

 

 

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バベルの塔のニムロド ぱーと3 実はニムロドは正義のシュメール王だったかも

バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは1

バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは ぱーと2

 

ネットを見てたら、「トランプ大統領はニムロドを自称してる」とかいう話が出ていました。知らなかったです。ニムロドが、ギリシャ神話ではゼウスやアポロと似たものとされることから?

予期せずニムロドのことを書いてました。まぁ歴史単純な歴史研究ですので。

 

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Nimrod - Wikipediaより

 

バベルの塔は「崩壊した」として有名ですよね。

でも実は「旧約聖書」の原文では、「バベルの塔の崩壊は描かれていない」んですね。一体どういうことか・・。

そしてノア家の内乱とも言えた、アブラハムとニムロドの敵対ですが、その後のニムロドはどうなったんだろう。

実は正と悪の両面で記録が残されるニムロドの探求で、見えてくるものがあり。

 

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アブラハムとニムロドの生きた時代は紀元前2100年頃?

 

とりあえずニムロドが生きていた時代は何時だったか、調べてみました。

 ニムロドの時代を知るなら、同じ時代のアブラハムの実在年代を調べればいいというわけで。ウィキペディア年代記を調べてみる。

紀元前2100年代

紀元前2100年頃

・中国最古の王朝である夏を禹が建国した(紀元前2070年説もある)。 河南省偃師市二里頭遺跡を代表とする二里頭文化I期( - 紀元前1700年頃)が夏の初期に相当するとされている。

ウルク王ウトゥ・ヘガルがエンニギの戦いでグティ王ティリガンに勝利。 グティ時代は終わりグティ人はメソポタミアから駆逐され、以後記録からは消滅する。

・現存する最古の法典「ウル・ナンム法典」が編纂される。 ウル第3王朝のウル・ナンム在位中(紀元前2115年頃 - 紀元前2095年頃)の頃とされる。


紀元前2100-2050年頃

・ウル遺跡のジッグラト「エ・テメン・ニグル」が建設された。

 

紀元前2090年代

紀元前2094年頃

・ウル第3王朝の王シュルギが即位( - 紀元前2047年頃)。 この王によりニップルから出土した粘土板文書『シュルギの自賛』が書かれる。

・紀元前2091年 - アブラハム、イサク、ヤコブによる族長時代が始まった。

 

紀元前21世紀 - Wikipedia

というふうに、アブラハムの実在した年代は、紀元前2100年ころということになってるらしい。日本だと縄文時代といったところ。

あ、この記事の1と2の仮説を踏まえると、「日本の記紀神話は、紀元前2100年以前のことまでも記録してる」に等しいわけなのですが。日本列島だけじゃなく、中東のことまでもごっちゃにして。そう考えると記紀神話ってスゴイと思うわけですが・・・。

アブラハムの実在年代としては、別の説では紀元前18~14世紀頃説もあって、確定しないとか。

ちなみに天地創造正教会では紀元前5508年で、ほかの説でもおおむね紀元前6000~紀元前4000年の間ということになってる。

天地創造 - Wikipedia

 

バベルの塔は崩壊していなかったかも

旧約聖書・創世記」のバベルの塔の物語の後半を、今一度見てみる。
主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
 
つまりバベルの塔は、崩壊してはいなかった。民族拡散の原点として描かれてたわけなんですね。
ただ後の時代の伝承によって、崩壊の場面は付け加えられているようです。この点は以下の翻訳文でう。
 
 
ではニムロドはどうなったか
旧約聖書」ではニムロドのその後については、何にも書いてませんが、英語版ウィキペディアには、ニムロドについてこんな膨大な記述があり。

Nimrod - Wikipedia 

これをグーグル翻訳したので、ちょっと読みづらいですが。(ここはすっ飛ばしていいです)

 

伝統と伝説

Kitab al-MagallまたはRolls Book of Rolls(Clementine文献の一部)として知られている初期のアラビア語の作品は、Hadâniûn、Ellasar、Seleucia、Ctesiphon、Rûhîn、Atrapatene、Telalônなどの町をNimrodが建て、 Reuが163歳の時に王として、そしてPelegが50歳のときにNisibis、Raha(Edessa)、Harranを建てて69年間治世を築いたことを明らかにした。さらにNimrodは黒い布と王冠を空に見た。 "彼は織機を作ったササンに頼んで、そのような王冠を作るように命じました。彼は、王冠を着用した最初の王であると言われています。 "この理由から、それについて何も知らなかった人々は、王冠が天から彼に下ったと言った。その後、ニムロッドが火の礼拝と偶像礼拝をどのように確立したのかを記し、ノアの第四の息子であるバニターとの3年間の礼拝を受けました。

Recensionines(R 4.29)、Clementinesの1つの版では、ニムロッドは、ニネベの創始者であるギリシャの歴史家Ctesiasに最初に登場する伝説のアッシリア王のニーナスと同等です。しかし、別のバージョンでは、ホミ(H 9:4-6)、ニムロッドはゾロマスターと同じように作られています。

(中略)

 

しかし、エフレム・ザ・シリア(306-373)は、ニムロッドが正義であり、タワーの建築家に反対しているという矛盾した見解を関連づけている。同様に、Targum Pseudo-Jonathan(日付不確定)は、Nimrodがメソポタミア南部でシナルを離れ、メゾポタミア北部のアッシリアに逃げたというユダヤ人の伝統を述べている。なぜなら、神が4つの都市で彼に報酬を与えたタワーを建設することを拒否したからです。アッスリヤ、バベルのものを取り替える。

Pirke De-Rabbi Eliezer(833頁)は、ニムロッドがアダムとイブの衣服を父親のクッシュから継承したことで、彼は無敵になったというユダヤ人の伝統を語っています。ニムロッドの当事者はその後、ヤペテ族を敗北させて、普遍的な支配権を獲得しました。後で、エサウアブラハムの孫)は、待ち伏せ、斬首され、ニムロッドを奪った。これらの物語は後に16世紀のシーファー・ハヤシャルを含む他の情報源にも現れます。ニャロッドにはマルドンと呼ばれる息子がいて、さらに邪悪であったと付け加えられています。

9世紀のイスラム教徒の歴史家、アル・タバリによる預言者と王の歴史の中で、ニムロッドはバビルに建てられたタワーを持ち、アッラーはそれを破壊し、その後人類の言語、旧シリア語は72言語に混乱します。 13世紀の別のイスラム教徒の歴史家であるアブ・アル・フィダ(Abu al-Fida)も同じ話をしており、アブラハムの祖先であるアブラハム家父は、この例ではヘブライ語を元の舌にしておくことが許可された10世紀のイスラム教徒の歴史家Masudiは、タムを建てたNimrodを、Shemの息子、Aramの子、Mashの息子にして、彼がNabateansを500年以上支配したと付け加えた伝説を述べています。その後、マズディはニムロッドをバビロンの最初の王とし、偉大な運河を掘って60年を支配したと述べています。他の場所でも、彼は占星術を導入し、アブラハムを殺そうとした人として、カナンの息子ニムロッドを言います。

 

アルメニアの伝説では、アルメニア国民の祖先であるHaykは、Van Van近くの戦いでNimrod(時にはBelと同値)を破った。

ハンガリー伝説の「エンチャント・スタッグ」(より一般的にはホワイト・スタッグ(FehérSzarvas)またはシルバー・スタッグ(Silver Stag)として知られています)、ニムロド王(メノルトとも呼ばれ、「ニムロッド・ザ・ジャイアント」または「巨大ニムロドノアの「最も邪悪な」息子、カム(伝説、伝説、いくつかの宗教、そしてカムやカームの名前を持つ人と国の歴史的資料がたくさんあり、圧倒的にその意味は否定的です)は、先祖ハンガリー人の全国と共に、バベルの塔の建設を担う巨人でもあります。その建設は、大洪水の事件の201年後に始まったと思われます(ノアの箱舟の聖書の話を参照)ニムロドはエビラトの地に移り、そこで妻エネは双子の兄弟ハンナーとマジヤールを誕生させました。別名マゴール)。父親と息子は、3人全員が驚異的なハンターだったが、ニムロッドは特に典型的な、有能で伝説的なハンターとアーチャーである。 HunsとMagyarsの歴史的に証明された復活弓と矢は、Nimródに帰属しています。 (SimonKézai、Gesta Hungarorum、1282-85)にあるLászlóKúnの個人裁判所司祭。この伝統はAntal Endrey博士によると、ドイツのものと同様、中世のハンガリー・クロニクル20以上にも見られる。 1979年に出版された記事)。

Nimród、Hunor、Magorの2人の息子がそれぞれ100人の戦士を抱え、Meotis Marshを通ってWhite Stagに続き、彼らは壮大な動物を見失った。ハンナーとマゴールは、アラン人のダル王の二人の娘と、誘拐された仲間たちを見つけました。ハンガリーの伝説ではHunorとMagyar(別名Magor)がそれぞれHunsとMagyars(ハンガリー人)の祖先であった。 Miholjanecの伝説によれば、ハンガリーのスティーブンVは、テンションの前に「Enchediで生まれた偉大なNimrodの孫、Bendeuciの息子、Attila:神の恵みによってHunsの王、Medes、Goths、Dacians、世界の恐怖、神の惨状を訴えています」

ニムロッドは、フリーメーソンの歴史のいくつかの非常に初期のバージョンで、彼は兄弟姉妹の創設者の一人であったと言われています。フリーメーソンの百科事典によると、古い憲法における工芸の伝説は、Nimrodを石工の創設者の一人と呼んでいます。したがって、ヨーク・ミシシッピ州の第1号で、私たちは次のように読んでいます。「あなたがバベルの宮殿を作ったとき、最初にメイソンが大いに尊敬され、ニンロートと呼ばれたバビロンの王はメイソンであり、メイソンを愛していました。しかし、彼は現在の儀式では考えません。

Lemminkäinenの助手としてFinnish Kalevalaで考えている悪魔Nyyrikkiは、いくつかの研究者や言語学者によってNimrodと関連付けられている[11]。

 

悪のニムロッドと正しいアブラハム

 

聖書にはニムロッドとアブラハムの間の会合は言及されていませんが、ユダヤ人とイスラム教の伝統によると、両者の対立が起こったと言われています。いくつかの物語は、善と悪の対立の象徴と見なされる激しい衝突で、そして/または多神教に対する一神教の象徴として、それらを一緒に持っていきます。一方、いくつかのユダヤ人の伝統は、二人の男が会って話し合ったとしか言いません。

K. van der Toornによると、 P. W. van der Horstによると、この伝統はPseudo-Philoの論文で最初に証明されている[12]この物語はタルムードと中世のラビの書物にも見られる。[13]

いくつかのバージョン(Flavius Josephusのように)では、Nimrodは神のものに対する彼の意志を立てる人です。他の人では、彼は自分自身を神と宣言し、その主題によって崇拝されます。時には彼の父親であるセミラミスは、自分の側で女神として崇拝されました。 (Ninusも参照してください。)

星の中の看守はニムロッドと彼の占星術師に、偶像崇拝に終止符を打つアブラハムの差し迫った誕生を伝えます。したがって、ニムロッドはすべての新生児の殺害を命じる。しかし、アブラハムの母親は畑に逃げ出し、秘密裏に誕生する。若い頃、アブラハムは神を認め、彼を礼拝するようになりました。彼はニムロッドと向き合って、彼に偶像礼拝をやめるように顔を合わせると、ニムロッドは彼がステークで燃やすよう命じた。いくつかのバージョンでは、Nimrodは世界で一番大きな焚き火でアブラハムを燃やすために、被験者に木を4年間集めました。しかし、火がついたとき、アブラハムは無傷で歩きます。

いくつかのバージョンでは、ニムロッドはアブラハムに戦いに挑戦します。ニムロッドが巨大な軍隊の頭に現れたとき、アブラハムはニムロッドの軍隊を破壊するガットの軍隊を作ります。いくつかの口座はニートや蚊がニムロッドの脳に入り、彼の心から追い出す(ユダヤ伝統はエルサレムの寺院を破壊するローマ帝のタイタスに割り当てられた神の報復)。

いくつかのバージョンでは、ニムロッドは悔い改め、神を受け入れ、神が拒否する数々の犠牲を提供します(カインのように)。他のバージョンでは、ニムロッドは、アブラハムに譲歩的な贈り物として、いくつかの口座がニムロッドの息子のように描写されている巨大な奴隷エリエザーを与えています。 (聖書はまたエリエゼルをアブラハムのマジョモモと言いますが、彼とニムロッドの間には何の関係もありません)。

 

さらに他のバージョンでは、ニムロッドは神に対する反乱、あるいはそれを再開しています。確かに、メソポタミアを離れてカナンに定着するアブラハムの決定的な行為は、ニムロッドの復讐からの脱出と解釈されることがあります。アブラハムの誕生の前に、多くの世代のタワーの建造物を正式な場所とみなすアカウント(聖書やジュビリーなど)。しかし、他の人たちでは、ニムロッドがアブラハムとの対決で失敗した後で、後の反乱である。さらに他のバージョンでは、Nimrodはタワーが失敗した後も諦めずに、鳥が駆け抜ける馬車で、天国を直接襲撃しようとします。

その物語は、モーセの誕生(殺害を命じられた助産師を持つ無実の乳児を殺す残酷な王)と、火から無傷で現れたシャドラク、メシャク、アベドネゴの功績から、アブラハムの要素に帰属します。したがって、ニムロッドは、2つの典型的な残酷な迫害の王 - ネブカデネザールとファラオの属性を与えられています。いくつかのユダヤ人の伝統はまた、彼の祖父が彼を殺そうとしたポーランド人と一緒に、ヘロドトスによる誕生をしたキュルスと彼を識別しました。

また、Qur'anには、名前で言及されていない王と、預言者Ibrahim(アラブ人、 "Abraham")との間に対立が見られる。イスラム教徒の解説者は、ニムロッドをユダヤ教の資料に基づいて王に任命します。イブラヒムの王との対決では、前者はアッラー(神)が命を与え死を与える者であると主張する。王は死刑判決を受けた2人の人を連れて来る。彼は1つを解放し、他の人を殺す、彼はまた生と死をもたらす点を作ることに貧しい試みとして。イブラヒムは、アッラーが太陽を東から持ち上げることを述べて、彼に反論します。王はそれから困惑し、怒ります。

ニムロッドは、最終的に悔い改めているかどうかにかかわらず、ユダヤ人とイスラム教の伝統に象徴的な悪人、偶像崇拝者と独裁者の象徴であった。現在までのラビの書物では、彼はほとんど常に「ニムロッド・ザ・イヴル」と呼ばれています(ヘブライ語:נמרודהרשע)。

ニムロッドは、Baha'i宗教の主要な神学的研究であるKitáb-i-Íqánを含む、バハイの聖典のいくつかの場所で名前が挙げられています。そこでは、ニムロッドが「夢を夢見て」、彼の執事が天国の新しい星の誕生を意味すると解釈したと言われています。その後、「アブラハムの到来」を宣言する土地にヘルダルが現れたと言われています。バム(バハイ信仰の牧師)の初期の書物の1つにニムロッドも言及されています。神の力の例を挙げて、彼は次のように尋ねる。「過去に、アブラハムはニムロドの力を勝ち抜くために、無慈悲に見えるにもかかわらず、アブラハムに起きたことはありませんか?

アブラハムがニムロッドと対立したという話は、学術論文や宗教論文の枠内にとどまらず、また著名な文化にも影響を与えました。注目すべき例は、カスティーリャ王アルフォンソ王Xの治世の間に明らかに書かれた、ラディーノで最も有名なフォークソングの一つである「クンド・エル・レイ・ニムロッド」(「ニムロッド王」)である。 「ニムロッド王が畑に出たとき/天と星を見たとき/ユダヤ人の四分の一の聖なる光/彼の父アブラハムが生まれようとしていたときの印」歌は残忍なニムロッドと救い主アブラハムの奇跡的な誕生と行為によってもたらされた迫害の詩的な記述を与える。 (完全な原文と英訳はLadino Wikipediaの記事に掲載されています)

 

イスラム語の物語

イスラムの物語によれば、アブラハムはニムロッドと一連の話し合いをしているようです。[19]クルアーンは、「神が王国を授けたので(すなわち、彼は誇りに思っていたので)、アブラハムと主張している人を考えなかったのですか?」[20]アブラハムはこう言います。死を引き起こす。王は答えます、 "私は生命を与え死をもたらす" [20]。彼は一方を解放し、他方を非難する[21]。それでアブラハムは、「確かに、神は東から太陽を上げ、西から持ち上げる」と言いました。[20]これによって王は彼を追い払い、レバントに向かいました。クルアーンではニムロッド氏の名前は明記されていないが、イスラム教徒が「キング」と言及している。ムジャヒッドによれば、「4人が地球、東と西、2人の信者と2人の不信者を支配した.2人の信者はソロモンとダル・カルナインであり、2人の信者はネブカドネザルとニムロッドであった。 "[23]

ミドラシュラバ版のテキスト

次のバージョンのアブラハム対ニムロッドの対立は、ユダヤ人の聖書の主張の主な編集物であるミッドラッシュラバに現れます。これが現れる創世記に関わる部分(第38章、第13章)は、6世紀から現在までに考えられています。

(...)彼は[アブラハム]をニムロッドに渡した。 [Nimrod]は彼に言った:「火を崇拝しなさい!アブラハムは彼に言った:「私は水を崇拝して火を消すか?ニムロッドは彼に言った:水を礼拝する! [アブラハムは]彼に言った:もしそうなら、私は水を運ぶ雲を崇拝するでしょうか? [ニムロッド]は彼に言った:雲を崇拝する! [アブラハムは]彼に言った:もしそうなら、私は雲を散らす風を崇拝するでしょうか? [Nimrod]彼に言った:風を礼拝する! [アブラハムは]彼に言った:そして私たちは風に耐える人間を崇拝するでしょうか?あなたは言葉に言葉を積み重ね、私は火のなかに伏します。私はあなたを捨てて、あなたが弓をあげる者に来て、それからあなたを救いましょう!
 
ハラン[アブラハムの兄弟]がそこに立っていた。彼は[自分自身に]言った。私は何をするだろうか?アブラハムが勝利したら、私は言うでしょう:「私はアブラハムの信者です」とニムロートが勝った場合、「私はニムロッドの信者です」と言うでしょう。アブラハムが炉の中に入って生き残った時、ハランは尋ねられました。「あなたは誰ですか?彼は答えました。「私はアブラハムです!」彼らは彼を連れて炉に投げ入れ、腹が開き、彼は亡くなり、彼の父テラッハを前にしていた。
 
[聖書、創世記11:28は、ハランがテラハを前にしていると述べていますが、詳細は記されていません)。

以上、Nimrod - Wikipedia から要点を抜き出してグーグル翻訳した結果でした。

 

ニムロドは、アブラハム側からすれば悪の存在でした。旧約聖書を中心として語られる場合、ことさらにニムロドを悪人と決めつける傾向にあるわけですが。

ニムロドの側からすれば、ニムロドこそが正義だったんですね。このことは、イラクの近隣の諸民族の伝承としても残っていたようです。いろいろ知らないことが多すぎました。

 

 正義と悪は、立場によって変わるもの。

 

日本人からすれば正しい行いでも、中国人から見れば悪いことだと認識されてしまうみたいな。右翼と左翼の対立みたいな。

 

 

ウィキペディアの英語版からわかったニムロドの特徴

 

 上記のウィキペディア英語版からまとめると、ニムロドはこんなふうな人だった。

 

・ニムロドの系譜は、ノア、ハム、クシュ、ニムロド

・ニムロドはバベルの塔の建設者

・ニムロドは悪い人としても正義の人としても記録されている

・ニムロドは神に認められた王だった

・ニムロドはアブラハムと対立した

・ニムロドは神と対立したのでユダヤキリスト教では悪魔と形容される

・ニムロドはシュメールの無数の町を建設し国土を繁栄させた王さま

・ニムロドはシュメール、アッシリアバビロニアなどいずれかの国王

・ニムロドは世界で初めて金の王冠を頭に付けた

・ニムロドは拝火教ゾロアスター教の開祖

ニムロドはアダムとイブの衣服を父親のクシュから継承した

・ニムロドはハンガリー人の祖先の建国者

・ニムロドは巨人だった

 
バベルの塔の物語を知っていても、バベルの塔の建設者のことは、なんにも知らなかったです。日本人でもキリスト教徒でも、ほんとうのニムロドのことを知っている人は、少ないかもしれないです。
 

 ニムロドの正体は、シュメールからバビロニアの複数の王のイメージを習合されている王さまみたいな感じなのですね。具体的に誰かという疑問については、複数の仮説が合ってどれかというのは決められない感じでした。

だから日本の記紀神話カグツチと同じですね。カグツチにも複数の別名があり、複数の神や人物を習合している様子が見られるので。日本神話では、イザナギを絶対的な神として描く必要があり、ニムロドが入ってるカグツチを徹底した悪として描く必要があったのかと。

  

 

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バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは ぱーと2

順調ならば4月に引っ越して、ヒキコモリ生活を始めようというところ。

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日本神話の全てが、中東やヨーロッパ神話の移植とは思わないです。日本固有の神話が、日本列島に色々あるはず。

でも確実に、日本神話の中にはアッチの神話が入っているんですよ。

だから中東神話を、中東からの視点じゃなくて日本視点で見れてしまう。日本神話を解き明かしていくことで、中東や日本の歴史が、多角度的に鮮明に見えてくる、というわけなのではないかと。

この記事が執筆されたタイミングがアレですが、たまたまであって悪意は無いので。

 

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1の続き。

 

バベルの塔の建設者ニムロドは、日本神話の中にも入り込んでいたという話。

これがホントだとすると、おそらく旧約聖書の叡智が、日本へもたらされてることが確定できる要素のひとつになります。「日本書紀」編纂以前の古墳時代飛鳥時代には存在したんですかね。

 

バベルの塔の話を要約すると、

(1)・ノアの方舟の後、バベルの塔の建設のために人が集まった。建設者代表は「火の男ニムロド」。

(2)・煉瓦をつくろう。火で焼こう。石の代わりに煉瓦、漆喰の代わりにアスファルトで建設しはじめた。

(3)・塔の先が天に届くほど高い。

(4)・神がバベルの塔を知って不快に思い、言葉を散らして会話できないようにした(塔の崩壊)。

 

(A)・ミドラージュによれば、火の男ニムロドが、アブラハムの弟ハランを焼き殺した(殺害状況)。

(B)・ということで、ニムロドは神とアブラハムの敵として認識された(敵対)。

 

 これが実は日本神話の中にもあったんですよね。

 

え?こんな話は日本神話に無い?いえ、ありました。

それはどこかというと、「火の軻遇突智神(かぐつち)」のシーン。

 カグツチ

カグツチとは、記紀神話における火の神。『古事記』では、火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)・火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ;加具土命)と表記される。また、『日本書紀』では、軻遇突智(かぐつち)、火産霊(ほむすび)と表記される。 

神話の記述

神産みにおいてイザナギイザナミとの間に生まれた神である。火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまう。その後、怒ったイザナギに十拳剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」で殺された。

カグツチ - Wikipedia

 

カグツチには、ニムロドが習合されてたのですよ。どういうことなのかを解説。

まずカグツチの名前から見てみる。

 カグツチの名前

・火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)古事記

・火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)古事記

火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ・加具土命)古事記

軻遇突智(かぐつち)日本書紀

・火産霊(ほむすび)日本書紀

こんなにあり。

ぶっちゃけ神の別名が多すぎる場合、1人の神に、複数の違う出身の神を習合してるのが明らかではないかと。これが日本神話の構造の一つ。

カグツチの場合も、複数の別の火神が習合しているんではないかと。カグツチを構成する神の1人が、「旧約聖書」のバベルと火の象徴ニムロドということです。

 

でも上記の名前リストに、ニムロドっぽい名前がない、おかしい。

 ではやっぱり漢字の一字一字に、バベルの塔とニムロドの話を込めているのか。と思って「学研漢和大字典」で調べました。

 

・ 軻遇突智の漢字の意味と解釈

 ①むりに押し込んで車の軸をはめる。車がきしるさま。②轗軻とは事の思うように運ばないさま。③軻峨とはごつごつして高いさま。

バベルの塔は「無理に建てたが思うようにいかなかった象徴」であり、「ごつごつして高い」が当てはまっていますね。

遇 ①あう AとBがひょっこりあう。②相手と関係しあう。[解字]逢は両方が近づいて頂点で出あうこと。(逢と同系)

バベルの塔では「大勢が出会って建設を始めた」、「頂点で神と出会ったこと」が当てはまってるようですね。

突 ①つく つき出る。平面から急につき出す。ある部分だけ高くつき出たさま。②ぽんとつき出しているさま。③つき出たもの「煙突」

バベルの塔は「突き出た塔」なのでそのまんま。

智 ①さとい 物事をずばりと会得したり、あてたりできる。知恵や術にすぐれている。

 これは何かと考えたのですが、「ニムロドがバベルの塔を立てる知恵や術にすぐれている」を言うのかと。

全体としてみてバベルの塔のことを表す漢字ばかり並べられていたんですね。

8万字以上あるという漢字のなかで、バベルの塔の特徴に合う漢字だけが4文字並ぶのは、果たして偶然の一致なのですかね。

 

 ・迦具土の漢字の意味と解釈

 火之迦具土

  ①ひ 物を燃やして光や熱を発するひ。⑥火のような怒り。かんしゃく⑦火で焼いたり煮たりすること。[解字]もと𤈦(やけてなくなる)毀(形がなくなる)などと同系のことば。

ニムロドは「火のように怒りハランを焼き殺した」のであり「バベルの塔は形がなくなった」のであるので、あっているのですね。ここまで一致すると、もしかすると「火」という漢字自体、バベルの塔を表したのかもしれませんね。

 接続詞。

 ①行きあう。であう。一説に解脱するさま。【迦・膩色・迦王】西暦2世紀頃、インド北方および中央アジアの一部を領有した王。

バベルの塔では「人々が出会って建設をはじめ」、「神と出会った」んですよね。インド北方の王の名前を出すことで、舞台がユーラシア大陸の西方だったことを印象づけているようです。

 ①そなわる・そなえる おぜんだてがそろう。⑤ともに

 バベルの塔は、「崩壊のお膳立てがそろった場所」なのですね。とするとバベルの塔の崩壊は、最初から決まってたんですね。

 ①つち ⑦五行の一つ。方角では中央、色では黄色、時では夏の土用、味では甘、内臓では肝に当てる。⑧星の名、土星。⑩土盛りをして土地の神をまつったもの。⑪はかる[解字]土を盛った姿を描いた象形文字

 バベルの塔は中央に位置し、黄色い土色であり、夏の時期に完成したんですかね。土星というのは英語で「サタン」のことです。バベルの塔の建設者ニムロドが、欧州ではサタンと呼ばれていたことと、奇妙に一致してますね。「土」という漢字もバベルの塔を元にしている可能性がありそう。

 という風にここでも、バベルの塔に関係する漢字が使われていました。

 

 

 カグツチを斬った武器「天之尾バベルの剣」

 イザナギカグツチを斬ったのですが、「古事記」を読むとその時の剣の名称が出ていました。「天之尾羽張剣(あめのおはばりのつるぎ」。

「羽張(ハバリ)」って羽根を張った剣みたいですが、音だけ取ればバベルですね。

羽張 ha-ba-ri

バベルba-be-l

ニムロドが集合されてるカグツチ神。彼を斬った剣に、バベルの塔の名前をなづけていたのですね 。バベルの塔の場面とわかりやすいように。天はシュメールのアン神や、エジプトのアメン神のこと。 

そしてこの剣は別名を「伊都之尾羽張剣(いつのおはばりのつるぎ」といったのですね。アブラハムの後の世代がイスラエルを建国したので、この伊都とはイスラエルのイス(伊都)のことなのではないかと。

 

 バベルの塔の物語とカグツチの物語を比較

ココまで来たら、バベルの塔の物語がカグツチの物語と、整合しているんではないかと分かってきますね。では最後に両者を比較。

 

1・舟のあとに塔

バベル1・ノアの方舟の後のこと。バベルの塔の建設のために人が集まった。建設者代表は「火の男ニムロド」。

カグツチ1・イザナギヒルコを葦舟で流し、あるいは天の鳥船を生んだ後のこと。バベルの塔の意味を持つ、カグツチが登場。

 

2・塔の材料の提示

バベル2・煉瓦をつくろう。火で焼こう。石の代わりに煉瓦、漆喰の代わりにアスファルトで建設しはじめた。ちなみにバベルの塔では、上まで水を汲み上げた(塔の材料の提示)

カグツチ2・イザナミカグツチを生むと、イザナミは病に陥った。そのときに金山毘古神金山比売神(金・鉄)、波迩夜須毘古神、波迩夜須比売神(土)、ミツハノメノ神(水神)、ワクムスヒ神(瓶神)を生んだ。(塔の材料の提示)

 

3・完成した塔の様子

バベル3・塔の先が天に届くほど高い。(完成した塔の様子)

カグツチ3・迦具土の「土」は「土を盛る」。軻遇突智の「軻」は高い、「突」は「ぽんと突き出たさま」。イザナギが持っていた剣は別名「十拳剣」で、長い剣の意味。「長い剣=高い塔」を示唆する。完成した塔の様子)

 

4・塔の崩壊と部族の拡散

バベル4・神がバベルの塔を知って不快に思い、言葉を散らして会話できないようにした。バベルの塔から、世界に民族と言語が散らばった。(塔の崩壊と部族の拡散)。

カグツチ4・イザナギカグツチを不快に思い、体を3段(あるいは5段)に斬って殺した。カグツチ神の体が散らばり、様々な日本の神が生まれた。(塔の崩壊と部族の拡散)

 

ミドラーシュの要素A・殺害状況

バベルA・火の男ニムロドが、アブラハムの弟ハランを焼き殺した(殺害状況)

カグツチA・火の神カグツチが、イザナギの妻イザナミを焼き殺した(殺害状況)

 

ミドラーシュの要素B・敵対

バベルB・ニムロドは神とアブラハムの敵対者として描かれた

カグツチB・カグツチイザナギの敵対者として描かれた

 

まぁ、こんなふうに、ほとんど完全に一致してたんですよね。世界の民がひとつから多数に分かれていく瞬間を描いた、バベルの塔・ニムロドと、カグツチの神話の内容は。

 

誰も気づかなかったのは、名前が違っていることや、表現方法が異なっていたせい。そして「旧約聖書」と記紀神話に共通する要素なんかあるはずない、という先入観のせいでしょうかね。

 

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バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは1

世界中の似通った神話の起源については、大きく2つの説があるそうな。

1・世界の一点から生まれた神話が、世界全体に伝播したという単一起源の考え方。

1・世界各地で別々の時代に独自に誕生し、偶然似通ったという考え方。

比較神話学の専門用語で、なんていうのか忘れた。。

 

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固有じゃなかった

 

前者の場合で言えば、日本神話は縄文人や近隣の古代中国のみならず、西のシュメール、ギリシャ、東欧、などの神話の流れを受け継いでいるので、西側の神話と一致していて当然のことなのではないかと。

 

 「神話から歴史へ(1)日本の歴史」井上光貞著(初版1973年)によると、たとえば

天の岩戸神話の系統を学問的に裏付けたのは、ドイツ生まれのアメリカの東洋学者のメンヘン・ヘルフェンの「日本─カリフォルニア」であった。彼は「日神が洞窟や箱にかくれ、これをおびきだすという主題の神話は、西はインドのアッサム、東ははるか太平洋のかなたカリフォルニアにおよんでいる」と述べている。」p70

アジア・中東に分布している日本と共通の神話

・天の岩戸神話 太陽神がかくれてしまったので、様々な方法を駆使しておびき出す

ヤマタノオロチ神話(ペルセウスアンドロメダ型神話) 大蛇などの怪物を撃退して生贄を救う英雄譚

天孫降臨神話 王の祖先が山の上に降臨する

木花咲耶姫型神話 石と食べ物、どちらか1つを選んで、その後の運命が決定する 

・黄泉神話 地上の神が地底世界へもぐって、神と一悶着あってから脱出

 

 こんなふうに。人によれば「日本固有」と決めつけている日本神話は、じつはアジアや世界と共通した骨組みだったとか

 

ということで、「旧約聖書」「日本書紀」の冒頭部分のほうを見てみる。

 旧約聖書・創世記   日本書紀・神代の冒頭 

神による創造の七日間 最初の神と神代七代 (7で一致)

アダムとエバ     イザナギイザナミ (最初の男女)

カインとアベル    三貴子       (最初の子孫)

ノアの方舟      葦舟のヒルコ・天之鳥船(海と船)

バベルの塔      御柱+α

 というふうに、順番は違えども、だいたい当てはまるんですよ。バベルの塔の物語に対応するものは、イザナギイザナミが生み出した「天御柱」だと考えていたのですが、どうもそれだけじゃなかったようです。

バベルの塔の物語から、ちょっとばかり確認してみる。

 

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バベルの塔 - Wikipedia より

 

 バベルの塔の話

聖書の記述
バベルの塔の物語は旧約聖書の「創世記」11章にあらわれる。そこで語られるのは下記のような記述である。位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。

バベルの塔の話
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。

「創世記」11章1-9節

バベルの塔 - Wikipedia

 

つぎにバベルの塔の建設者について。

ニムロド
ニムロド(ヘブライ語: נמרוד)は旧約聖書の登場人物で、『創世記』の10章においてクシュの息子として紹介されている。クシュの父はハム、その父はノアである。

ミドラージュにおけるニムロド

僕(しもべ)たちはアブラハムを捕らえるとニムロドに引き渡した。ニムロドはアブラハムに命じた。「火を崇拝せよ!」。するとアブラハムは答えた。「わたしは水を崇拝します。火は水に消されるではありませんか。」ニムロドはまた命じた。「ならば水を崇拝せよ!」アブラハムは答えた。「わたしは雲を崇拝します。水は雲によって運ばれるではないですか。」ニムロドは命じた。「雲を崇拝せよ!」アブラハムは答えた。「では、わたしは風を崇拝します。雲は風によって散らされるではありませんか」。ニムロドはなおも命じた。「風を崇拝せよ!」アブハラムは答えた。「ならば人間を崇拝します。人間ならば風に耐えられましょう。」するとニムロドは言った。「おまえは同じ言葉を繰り返してばかりだ。見よ、炎を崇拝するこのわたしが、おまえを炎の中に投げ入れてくれるわ。おまえが神を崇拝しているのならば、神がおまえを炎の中から救い出してくれよう。」ところで、その場にはアブラハムの弟ハランも同席していた。彼は思った。「わたしはどうすればいいのか? もしアブラハムが勝利したならば、『わたしはアブラハムの僕です』と言おう。もしニムロドが勝利したならば、『わたしはニムロドの僕です』と言おう。」アブラハムは燃えさかる炉の中に投げ入れられたが無事に救出された。するとニムロドはハランに聞いた。「おまえは誰の僕か?」ハランは答えた。「わたしはアブラハムの僕です。」ニムロドの僕たちはすぐさまハランを捕らえると炎の中に投げ入れた。彼が炎から出てきたときには腸までもが焼け焦げていた。彼は同席していた父テラの目の前で死んだ。それゆえ、『創世記』(11章28節)には「ハランは父テラの前で死んだ」と書かれているのである。

ニムロド - Wikipedia

このニムロドという人、どうもサタンと同一視されるらしく、12月25日にサンタクロースが現れるのは、サンタ=サタン=ニムロドの誕生を祝うためという話があり。そういえばいま世界では悪魔崇拝のほうが力が強いらしいですが。どうりで気持ち悪い世界になっていると思った。

知恵の実を食べたアダムより、知恵の実を与えた蛇(悪魔)こそが人知を超越した存在であり崇拝対象だという信仰があるとか。

ちなみに俺は巳年で水瓶座で1月30日生まれで、運命的に蛇に関係していましたが、悪魔崇拝などはしたことがないです。

ただ、日本の神には古来より悪魔的存在が入り込んでいるようなので、神のことを考える行動が、無意識のうちに悪魔を同時に捉えることにつながってるかもですが・・・。

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さて、ニムロドはひとまず置いておいて、日本語の「塔」について考えてみる。

 

ちなみに「天御柱」については以下の記事で、

淤能碁呂島、天御柱、八尋殿。1

淤能碁呂島、天御柱、八尋殿。2

淤能碁呂島には沈んだアトランティスの情報が含まれるのかもです

アトランティスと淤能碁呂島は同じ島かという話の続き

 過去記事を読み直してみると、適当なところはあったんですが、記紀神話にはバベルの塔の存在がたしかにちらっと出ているのではないかという内容。

 

ところで。

日本語でTowerのことを「塔(とう)」。これって実は呉音・漢音の音読みで、中国発音なのですよね。秦の時代は「学研漢和大字典」によれば、塔:tapといったらしい。

辞書を引いても、「塔」の大和言葉(訓読み)が存在しないようでした。これは日本の単純な漢字の中では珍しい感じ。つまり上古の倭では塔のことを、塔と呼んでなかったことを意味しますね。おそらく弥生時代以前、塔がなかったのでは。

その代わり、昔の日本では「やぐら(楼・櫓)」や「たかどの(高殿)」と言っていたのではないかと。

 縄文時代にも櫓はあったようですが、木の櫓であって、石を積んだ櫓は発見されてませんね。 

 

このやぐらですが、中東の塔をあらわす言葉に似ていました。

ジッグラト - Wikipedia

 ジグラとヤグラ。ちょっと似てる。

 

で、こうした言葉を探ってみると、どうやら日本語の中には「バベルの塔」の存在が封印されているのではないかと。

 

・燎

漢・呉 リョウ

1・かがりび・にわび

2・やく

4・あぶる

[解字]寮は柴や骨をやぐらの形に組み、下から火でもやすさま。(中略)僚(列をなす仲間)と同系のことば。

バベルの塔

>「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った

というふうに、仲間で火を起こして建設を始めたんですよね。

そしてバベルの塔を建設したニムロドは

>「火を崇拝せよ!」

>「見よ、炎を崇拝するこのわたしが、おまえを炎の中に投げ入れてくれるわ。おまえが神を崇拝しているのならば、神がおまえを炎の中から救い出してくれよう。」

と言っているので、ニムロドが火を象徴とする人物で、「火の神」として記録されていておかしくないですね。

 

燎という字を見れば、バベルの塔との共通点がこんなに。

a・燎(あぶる)は火を用いた行動をあらわす。ニムロドは火を象徴。

b・あぶる(aburu)はバベル(babel)やアブラハム(abraham)を包括する。

 あぶる   aburu
 バベル  b-abel
 アブラハム abra-ham

c・「寮は柴や骨をやぐらの形に組み」で、塔を形づくっている。

d・バベルの塔は大勢の仲間で建てたが、燎にも同じく仲間の意味がある。

e・塔とはやぐらであり、ジッグラトに似てる(やぐら、じぐら)

というふうに、日本語のあぶるを当てた漢字の「燎(あぶる)」は、バベルの塔の要素をすべて備えているのでした。まあ、これは偶然でもいいです。

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これ例外にも、明確にニムロドの姿を発見してしまいました。これは過去に指摘がなかったことですが。では記紀神話のどこに、バベルの塔建設者のニムロドがいるか?という話へ。

2に続く

バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは ぱーと2

 

 

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神功皇后と父親が夫祖(沃沮)から来たならば欠史八代大陸説に信憑性でます

近年は「言葉に穢れを加える風潮」目立ってますね。

たぶん俺が生まれる前から、すでにあったんでは。呪詛ですねこれ。

 

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古代から

 

こうした言葉に穢れを加えるという呪詛の行為は、現代日本人同様に、古代の中国人もやっていたことでした。

東夷・・・夷は背が低い、身分も低い未開人という意味

白狄・・・狄は追われて逃げる。逃げる犬

匈奴・・・奴~は奴隷の奴~

降奴・・・新朝の王莽が匈奴を降奴に改名した。降は下る意味

下句麗・・・新朝の王莽が高句麗を下句麗に改名した

濊・・・穢れの意味

沃沮・・・三国時代、夫祖から沃沮に改名された。沮は邪魔する意味

漢族は周辺異民族に下劣で下等な意味がこもった漢字を使ったんですが。呪詛的な用法ですね。まあ漢字自体が意味を封じ込めた呪詛ですが。この字を認識した時点で、瞬時に見下す習慣が付けられてしまうということなんですが。まあ今もやってる人いますね。漢字じゃなくてもjapとかchonとかいう蔑称も、呪詛の類ですよねこれ。俺もいろいろ呪詛かけられてるみたいです。

 沃沮のことを考えてたら、穢れの話になってしまった。

 

扶余の別種夫祖(沃沮)

夫祖(沃沮)は日本が弥生時代後期の頃、ユーラシア大陸東部のあたりにあった国。

沃沮 - Wikipedia

 住人は扶余の別種だったとか。つまり言語も風習も扶余だったんですね。 沃沮は「肥沃を邪魔する」という意味になっていたり、なんか日本語の汚い意味の言葉が入っていたりしますが。

ちなみに扶余語と倭語が似てる件はこちら。

日本語は夫余語か

沃沮は元々は、「夫祖」といって、日本の異名である「扶桑」とそっくりだったんですよ。2つの理由があって、日本と扶余・沃沮は、無関係ではないですね。

 

これはともかく、神功皇后って応神天皇の母ですが、なにか出自が夫祖に関係しているのではないかと思うところがあり。その辺を考えてみました。

 

神功皇后と家系 

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五社神古墳 - Wikipediaより

 

神功皇后というのは、諱または諡号を「息長帯比売命(気長足姫尊)」といって、「おきながたらしひめのみこと」と言いました。

定説上では、「おきなが」という名に「息長、気長」という漢字を当てたということなんですが。

神功皇后といえば、男装をして新羅に2度出兵したり、百済から七支刀を貰ったりと存在感がやたらあり、奈良県奈良市の五社神古墳なんかでも知られた存在。ちなみに七支刀の「泰■四年」は「太和4年」というふうに当て字したもので、西暦369年説が有力。五社神古墳が4世紀末の年代なので良く合っているよう。

五社神古墳 - Wikipedia

 

 神功皇后の「おきなが」ってなんだろう?と考えていました。

息が長い、気が長い。たしかに神功皇后は通常に2倍も妊娠期間が長かったとか伝わっているので、それが関係しているのかと。息が長い。そういえば近年は肺活量を測ってないな。

そんなおきながですが、調べてみたところ、これは神功皇后だけに用いられているわけではないのでした。 

 

息長を持つ人物

神功皇后の父親の名「息長宿禰王(気長宿禰王」

神功皇后息長帯比売命(気長足姫尊)」

神功皇后の弟「息長日子王」

というふうに3人いました。彼らを息長家とでも言いましょう。

定説によれば、神功皇后の父親の名「息長宿禰王(気長宿禰王)」は、開化天皇の玄孫だといいますね。

系図

開化天皇彦坐王─息長宿禰王─神功皇后

息長宿禰王 - Wikipedia

 こういうこと。従来の定説では、欠史八代開化天皇は実在せず。または日本列島の奈良県に居たということになってますが。

 

息長は沃沮のことだった

神功皇后や息長宿禰王の息長とは、じつは「沃沮」のことなのではないかと。思い付いたのは何年前のことだったか。これはたぶん歴史上の事実だと思いますけど。

沃沮というのは日本語読みと大陸読みではちがうのですが。

古代日本 沃-沮 よくーそ(呉音・漢音)

上古中国 沃-沮 おくーちょ

これと「息長」を比較検討してみる。

上古中国 沃-沮 おくーちょ

古代日本 息-長 おきーちょう(訓+音)

そっくりな音が出て来るのでした。

 

 つまり息長氏が夫祖(沃沮)の出身であることを、名前に込めている

ということになるんですよね。

 

そうすると以下のことが関係してくる。

電子書籍の拙著「日本の地名の~(下)」では、以下のように書いています。

開化天皇諡号の「大日日(大毘毘)」とは、「弁韓の首都・伴跛(ハヘ)」を表している。

開化天皇 - Wikipedia

これは別に適当なことを言ってるわけでない。

開化天皇の妃の名前をみても、姥津媛(ははつひめ)となっていて、伴跛(ハヘ)を含んでいた。別名を見れば意祁都比売命。

姥津媛(伴跛つ姫)「つ」は接続詞(の)と同じ。

意祁都比売(おけつ姫→おくつ姫→おくちぇ姫→息長姫→沃沮姫)

ここにも沃沮系の人がいました。この姥津媛というかたは、和迩氏だそうで。つまり和迩氏も、朝鮮半島に拠点を持ってたことが分かってきますが。

 

つまり欠史八代とは大陸にいました。

関連記事はこちら

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2

古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

 

開化天皇以前の天皇諡号は、それぞれ東夷の国々の国名に当てはまってたのでした。そうすると開化天皇の玄孫の息長宿禰王が、朝鮮半島の夫祖(沃沮)に居たとして、決しておかしくないことに。朝鮮半島は南北にわずか700キロほどで、日本で言うと九州から中部地方くらいの距離感だったので無理がない。

 つまりこういうことになる。

 

開化天皇(大日日) 倭人領域である弁韓の大伴跛に居た

・姥津媛(意祁都比売)、沃沮(意祁都)出身だが、弁韓の伴跛(姥)に来た人。

・息子(娘)の崇神天皇 御間城(任那)入彦五十瓊(委奴)殖天皇任那から委奴へ)

・息子の彦坐王 坐というのは筑紫の座郡(朝倉郡)のことを言うが、朝鮮半島倭人領域の地名を元にしているか

・玄孫の息長宿禰王 弁韓~沃沮にいた。沃沮から倭へ渡ってきた人。 

息長宿禰王が沃沮出身であることで、開化天皇朝鮮半島の倭の拠点にいたことが補強されるのでした。

 

こんなブログあり

韓国考古学による百済建国以前の韓半島古代史と倭/息長氏結語 ( 人類学と考古学 ) - 民族学伝承ひろいあげ辞典 - Yahoo!ブログ

このブログでは息長氏を朝鮮半島系の「はた族」(ハタ氏?)としている。沃沮とは言っていないが、こんかいの記事と整合していますね。

 

そして神功皇后が夫祖(沃沮)出身、これの証拠は、他にもあったんですよ。それはまたいずれ。

 

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(妄想)明治以降の元号って「イエス」を含めている?ブレンド宗教の日本

 日本の元号、それはミステリー。

 

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元号について

 

元号飛鳥時代から始まったとか。 

日本書紀』によれば、大化の改新(645年)の時に「大化」が用いられたのが最初であるとされる。

元号 - Wikipedia

この元号ですが、いまみたいに「天皇一代にひとつ」となっているのは明治時代以降のことでした。江戸時代以前の元号は、「1人の天皇に複数」ということも通常のことだったようです。

たとえば江戸時代最後の天皇だった孝明天皇の頃、嘉永安政、万延、文久、元治、慶応と6つもの元号が使われていたりしますね。

何か大きな出来事が起きるたび、1人の天皇の時代に、元号は幾度も変更されていたということ。

元号一覧 (日本) - Wikipedia

だからぶっちゃけ天皇陛下が「明日から元号変えますよ」 なんて言って変えることは、本来の古来よりの元号の性格からすれば、あっても許されることなんですが。いまは慣例的に、一代に一つで決まってるとか。

でも天皇陛下上皇になると、事実上で「一代で元号複数」になるわけですが。という意味では革命みたいな感じですよね。

 

明治時代以降の元号

 

ここからは、あくまでも個人的な妄想なので、本気で捉えてもらっても困りますが、自由自在に東西南北へ受け流したり、ビフィズス菌と一緒におなかに吸収しても結構です。

この元号ですが、明治時代以前と以降では、どうも毛色が違っている、そんなふうな感じを受けてしまいました。

それは単純に言えば、明治時代以降は「キリスト教的ななにか」を含んでいるような気がしてならないのですよね。

 

・平成

平成とは1989年から使われてる元号。「平らに成る」という意味が込められていて、平和を願った元号だとか。世間的にはそんなふうに言われてるだろう。

でも世間に悪意をぶつけられ計画的にいじめられ過ぎて、ひねくれ過ぎた俺の妄想によれば、、これだけという訳には行かなかった。

 

ツイッターのメモ 

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というふうに妄想してみたんですが。

平成=HEI SEI

これを逆にすると

成平=IES IEH

IES(イエスIEH(ヤー(神)

というふうに、イエス・キリストと神の名前が呼ばれているのだった。なんでだろう。偶然なのだろうか。ほかも見てみよう。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・昭和

昭和というのは1926年から使われてる。

「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経尭典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)による。漢学者・吉田増蔵の考案。

昭和 - Wikipedia

「和やかに照らす(明るくする)」という意味が込められていて、要するに仲良しこよし感がいっぱいだ。世間的には昭和時代の人なら知ってるかもしれない。

でも世間から寄ってたかってフルボッコにされてきた俺としては、普通に解釈することは不可能だった。

昭和 SHOUWA

逆さまにしても別に何も出てこないが、

昭を分解すると=日召

日召 HISHO →ISH O イーシュ王(イエス王)

という風にナザレの王イエスの名が入っているのだった。古代には場所によってはイーシェと呼ばれたらしい。

日召和なら、「日本のメシワ(召和)」でメシアっぽい。

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・大正

大正というのは1912年から使われた元号

「大正」の由来は『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」(大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり)から。

大正 - Wikipedia

単純にいえば「大いに正す」ことを意味していて正義感たっぷりですだ。世間的にはそれでいいのかもしれない。

だけど人々の悪意と鬱憤の全てを受け止めすぎて普通の発想じゃおさまらなくなった俺としては、他の意味を探るしか無かったですだ・・・。

大正 TAISHO

これを分解してみると、

TA ISH OH  ザ・イーシュ・王

というふうにこれもイエスの名前が入ってるのだった。

 

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・明治

明治は1868年から使われた元号

易経』の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」より。

明治 - Wikipedia

「明るく治める」という意味でポジティブシンキングが感じられる。世間的にはこれ以上の意味は不要なのかもしれない。

しかしネガティブを積み重ねてきた俺としては、ポジティブだけではいられなかったんだ。

明治 MEIJI

逆さまにすると

治明 IJIEM イジェム

Jは「エ(イェ)音」と解釈するとイエイエムで「イエ」が入っている。

明治時代以前、日本語の濁音は省略して表記することは通常だった。

たとえば春日部は「かすかへ」、「越谷は「こしかや」みたいな感じ。

すると明治は「めいし」なのであり、

治明 イシェム イシェ

MEISI MEIISI ISI(イーシ)

ということで、どうしてもイエスが入っているのだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

1989年の改元時の最終候補から見る

 

ちなみにこの解釈が俺の中で正解であることを示す要素としては、1989年の「平成元号の次点」となっていた最終候補名を見ても明らかなことでした。

 

・修文

当時の新元号の候補だった二文字。

修文 SHU BUN

修 SHU⇔UHS ウーシュ

これだと良く分からないが

亻(ニンベン)+修(SHU)

なので「イSHU」となってイーシュ(イエス)の名前が含まれていた。

 

・正化

当時の新元号の候補だった二文字。

正化 SEI KA

化正 AK IES

IES=イエスがそのまんま入っていた。

 

このほか知られざる候補

・文思

文思 BUN SHI 

逆にして思文 IHS NUB

ISH=イーシュ 

 

・天章

天章 TEN SHO

OHSでオーシュだとよくわからないが、

天章 AME AKIRA

とすると キリストのKIRが含まれている

 

・光昭

光昭 KOSHO

日召とするなら、召=メシアの「メシ」が含まれるのであった。

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平成31年(2019年)の新元号に含まれるイエス

こんな記事があった。

「新元号」を予言研究家が徹底予想! 「最有力12パターン」を公開、「●成」で決まりか!?

なんか未来人だとか専門家によると、「成」は入るとか言ってる。すると

・◯成

成 SEI IES

「セイ イエス・・・」

 もうひとつ

・安始

 新元号は、安始になる可能性が根強いとか。なぜかは知らないけど、そういう意向がどこから出てるのか。

安始 ANSHI IHSNA

IHS。イース。やはりそういうことだった。

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これが偶然かどうか確かめる

これが偶然じゃないことは、以下の調査でも分かるかもしれない。

エスはYes、Yeshua、IisusというふうにSを基礎の音とするので、S(さ行のシ・ス)がとりあえず入っていることが重要っぽい。だから歴代元号にどれだけSが入っているか、その割合などを調べてみた。

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さしすせその全てを調べてみた。するとこうなった。明らかに近代の明治・大正・昭和・平成の時代は、Sの割合が高い。大正・昭和・平成はSが3連続で入っているのだが、日本の長い歴史で元号に3連続Sが入ったのはこの時代だけだった。2連続すら珍しいことだった。

だから明治時代以降にイエスっぽい名を組み込んだことは、偶然じゃないのかもしれない。すると何のためにこれを入れたのか?という疑問が出てくるんですが。これの理由は、2ちゃんねるのオカルト板で見つかりますが、「日本での救世主の再臨」とかなんとかに関係していそうです。北斗の拳

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日本の偉い人はキリスト教を含むブレンド宗教だから元号キリスト教的なものになってる

 なぜ明治時代以降の元号が、こんなことになってるのか。イエス・キリストを含んでいるのか。その答えを求めてみたいです。これも俺の妄想なんですが。

 

まず事実を前提とすると、日本人がいろんな宗教をブレンドしてる民族なことは、誰でも知っていますよ。

「日本国民は事実上ブレンド宗教を受け入れている状態」なのですよ。

 

花祭り(釈迦誕生祭)、お盆、灯篭流し、葬式などは仏教の行事。

・お盆はもともと盂蘭盆会、火祭りなどはゾロアスター教の行事。

・初詣、七五三、ひな祭り、お神輿祭りは神道の行事。

・バレンタインデー、ハロウィン、クリスマスなどはキリスト教の行事。

 

これは多数の宗教を受け入れているアメリカ人とも違いますよね。アメリカには中国人やインド人が多いにしても、中国やインドの行事を国を上げてやるなんてことないですし。

なぜ日本はこうなったかというと、それは「日本の上層部がブレンド宗教だから」、その意向と意思が国民にも反映された結果なのでしょう。

 

ただでさえ古墳時代の昔から、長い間神道と仏教がブレンドされてきた日本ですが。

これに加えて蘇民将来祇園祭、ほか日本の祭りは、ユダヤ教の祭りが含まれるんじゃないかっていう仮説が、まことしやかに囁かれていたり。

 

ということで、偉い人は人生の根幹にも、政治的なものの中にも、キリスト教ユダヤ教ブレンドして取り入れているんじゃないかという疑問は、世間からも汲み取ることができたりします。

庶民の行事にやたらキリスト教の行事が多くなったり、アニメではキリスト教ユダヤ教的な、「ヨハネの黙示録」や「生命の樹」を題材にしたものが頻繁に出てきたりということなんですかね。エヴァンナントカみたいなのが。

 

日本は宗教の自由の国ですが、多くの政治家が、キリスト教系の信仰を持っているのではないかという話は、よくネットで目にしますね。

そして明治維新を起こした維新志士といわれる人たち。この人達は当時のキリスト教の戦争屋の欧米人に、動かされていたんではないかと言われています。実際のところキリシタンみたいな、維新志士もいたんですよね。

維新志士 キリスト教 Google検索

 

明治維新後には、日本の社会全体が一気に西洋文明化してしまったたので、頷ける話ではありますね。

国会議事堂はピラミッド型だし。フリーメイソン的なものが日本の頂点にあるということは、誰でも想像がつくことですし。

 

 

だからこそ、明治時代以降の元号キリスト教的なものを含めているのは、必然的なのではないかと。救世主がどうこうという話も含めて。

全ては単なる偶然かもしれない。妄想を広げる参考にしてください。 

 

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かごめ歌を十二時辰で解いたらヤバイ

かごめ歌

籠目籠目

籠の中の鳥は

何時何時出やる

夜明けの晩に

鶴と亀がすべった

後ろの正面だあれ

 

かごめかごめ - Wikipedia

これ、なにかやたら気になりますね。

一説には秘密組織が残した暗号であるとか。

 

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○いつも助かっております

 

 

 

さまざまな解釈がありますが。これって、俺の野生の勘でいうと、たぶん、数字に関係していますよね。

そこで適当に数字で解釈してみました。

江戸時代以前の歌なので、当然「十二時辰」が使われていますよね。

十二時辰 - Wikipedia

表し方としては、十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥は一般的で、「名」と呼ばれるもの(夜半、日中、黄昏など)があり、他にも漢数字の四~九で表す時刻があったとか。いろいろあったようですね。

 

【写真あり】江戸時代の斬新すぎる時計10個を紹介。時間の数え方も独特だった | 江戸ガイド

このサイトの十二時辰の表し方が気に入ったので、参考に作ってみました。ほぼパクリであると、予め公表しつつ。

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こんな感じでした。

かごめ歌の遊びでは、大勢の子供が中央の子=鳥を囲って、「囲め囲め」といっている風でもあるので。十二時辰の円盤は、その様子を表しているふうにも見えます。だからこうやって解くのが正しいのかもですよ。

 

ではかごめ歌を数字で解いてみます。

・籠目籠目 

籠目というのはこういうやつです。

籠目 - Wikipedia より

これ、六芒星が一杯ありますが、つまり籠目とは6。

 

・籠の中の鳥は

六芒星の中に鳥がいるらしいです

 

・何時何時出やる

五つ五つなのかもしれない。まあこれは微妙。

 

・夜明けの晩に

先程の十二時辰を見ると、夜明けというのは東の方角の明け六ツのあたりを言います。

十二時辰では、「明け」が付くのは「明け六つ」だけですね。だから夜明けが明け六つであることがわかります。

「明け六つが晩」というのは、明け六つが暗い時期。つまり季節は「秋か冬」ですね。

 

・鶴と亀がすべった

鶴と亀というのも数字になりますね。鶴亀算というのがあり。

孫子算経 - Wikipedia

中国で五世紀に誕生したらしく、これは元々は雉と兎だったのが、日本では江戸時代から鶴と亀になったとか。

鶴は足2本、亀は足4本として計算するわけなんです。

「すべった」を「統べった」で「統一」という意味だとすると、鶴2本+亀4本を統一して、6ですね。

それから、雉と兎は、十二時辰に当てはめると、

雉=酉=暮れ六ツ

兎=卯=明け六ツ

となるというのもポイントでしょうね。

現代の時間に当てはめると、朝6時、夜6時(18時)ですね。

 

なんで全部6なのか?という素朴な疑問が。

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 これを十二時辰の盤に当てはめてみる。

こんな感じになったんですが。

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6が、東西(卯酉)の方角に並ぶという。これがかごめ歌の真髄ですかね。

 

そういえば江戸時代の知識人は、キリスト教と共に、西洋の二四時間の時計も目にしていたのですよね。

 

・後ろの正面だあれ?

十二時辰の円盤では、東西南北どこをとっても正面ということになるので、単純に夜明けの晩=明け六ツの後ろ側をみればいいということに。

・夜明けの晩(明け6ツの後半)に、鶴と亀が統べって6。

・後ろの正面は、明け6ツの反対側ということだから、「暮れ6ツで、酉=6」が答えということに。

しかも「夜明けの晩」=「明け六つが暗い季節」ならば秋か冬なので、

 

「複数の6が並ぶ鳥が、籠の中から出るのが酉年の秋か冬」っていう感じですかね。

 

そういえば、今年って酉年らしいですね。

 

籠目紋=六芒星って、そもそもあの形はアレですし。まあ、思い浮かぶのはアレですけど。想像に任せるっていうことで。

 

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古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

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古代天皇大和民族大陸移動について。

 

 天皇皇后両陛下、大和民族の皆様、こんにちは。

わたくし、身辺に異変が起き始めた10代の頃から、古代史の仮説を考え始めました。日ユ同祖論に関連する本をいろいろ読んだのが、きっかけだったでしょうか。

今回は古代天皇大和民族大陸移動についての、一大妄想のまとめです。総集編なので、リンクが多いです。

これは個人的に考えた仮説であって、現在通説の「天皇家は日本列島で生まれてずっと日本列島の支配者である」との話とは、違うものになっていますのでお気をつけください。 

 

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○いつも助かっております

 

 

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 天皇家の起源。それは遥か古代、はるかかなたの土地、シュメールに遡る。

まず日本列島というのは、ユーラシア大陸の雛形であることを念頭に置きたいところです。

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 これは中央アジアまでの地図ですが、九州が中東に対応していました。

関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論

 

 

A・中東での始まり

シュメール→カナン(イスラエル)→エジプト→カナン→イスラエル王国ユダ王国アッシリア

概ね、天皇家はこういう変遷を辿っているとかんがえられます。ちょうど旧約聖書アブラハム~ヨセフ~モーセダビデ~歴代ユダ王の経路に当てはまっているんですよね。

 

アメ

天皇家の先祖は「天(アメ・アマ)」であり、昔の天皇も「阿毎(アメ」を名乗っていました。現代の日本史研究家は、「天の神だからアメ」と答えます。

実はこれは、シュメールの原初の神「アンシャル(天の中心)」「アヌ(天)」「アヌンナキ(天の多くの神々)」などの「天」のことだった。

日本神話の現初神天之御中主神とは「天の中心の神」であるが、これは「ゴッド・オブ・アンシャル(天の中心の神)」を単純に日本語に訳しただけに過ぎないんですね。

そういえば、古事記の原文を読むと、「神名天之御中主神」となっているので、これは「シュメー天之御中主神」とでも読むのですかね。「神名:シュメー」。そうすると天之御中主神はシュメールの神だってことを、漢字でそのまんま表しているる気がします。

 

スメラミコト

したがって、明治時代以来、色んな日ユ同祖論の本で指摘されてきたように、スメラミコト(天皇)の「スメラ」とはシュメールのことだった。天=アン説についても、すでにあるらしい。

日本における俗説と表記

第二次世界大戦中に、「高天原バビロニアにあった」とか天皇呼称の古語「すめらみこと」は「シュメルのみこと」であるといった俗説が横行した」

シュメール  日本における俗説と表記- Wikipedia

この俗説は合っていたとかんがえられるのですが、個人的に。 

 

・ここにイスラエルのカナンの神である、ヤハウェの三位一体が加わって、造化3神になっているという(「日本の中のユダヤ文化」久保有政著より)。

古代エジプトの太陽神のアメン・アテンを信仰していたことが大きく影響しました。これはカナンのヨセフらがエジプトへ移住して以降。

 シュメールのアン・アヌや、アメン・アテンは、おそらく原初の中東で同じ神なのであり、それがそのまま日本語の「アメ」として合一されて受け継がれてきました。

後に太陽神ミトラを習合。合わせて天照大神(アメ照大神、アミトラス大神)ということになったんでしょう。

 

国常立

エジプトのピラミッドや、ピラミッド状の何かの叡智が、国常立命として記録されることにもなったようですね。あ、この記事の続きは書くの忘れてますね。

国常立尊とエジプトのピラミッド・・・「超古代のある物体」を表現している?

古事記」で最初の神は天之御中主神でしたが、「日本書紀」で原初の神は国常立尊になっていますよね。これは要するに記紀では、一番最初の神について真っ向から意見が食い違っているということで。原初の神はシュメールかエジプトかで、別れたんでしょうかね。

 

イザナギイザナミ

最初の男女という意味で、アダムとエバに対応しているのだが、そんな単純なものでもないです。イザナギというのは、旧約聖書のアダムからモーセまでの役割を果たしている模様。

出エジプトで十の災いが起き、エジプト軍に追いかけられた様子は、イザナギが黄泉を脱出する時に幾つもの試練があり、黄泉大神と黄泉醜女に追いかけられたことに対応します。

 

ウガヤフキアエズ

・神武の父である鵜葺草葺不合命ウガヤフキアエズ)。

この意味不明の名前は実は、「ウジヤ・ヨタム・アハズ」という3世代のユダ王を習合した存在。「葺」の古訓はヲサムであり、ヨタムはヨオサムとも読めるので同じになります。詳しくは以下の私の記事で。

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

 

神武天皇

紀元前7世紀の神武天皇は、同じ紀元前7世紀のユダ王国の「エホアハズ・エホヤキン・エホヤキム」という3人のユダ王を習合した存在。

・磐余とは「イハヨ」と読めるが、これがエホヤに対応している。神武の幼名狭野の「狭」とは3人という意味があり、時代も人数も一致する。

ウガヤフキアエズ神武天皇が、ユダ王国系図の一部を写したものであることによって、ココまでの解釈「記紀天津神神武天皇の舞台は中東」についての証明のひとつになります。

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

 

 ・しかしながら、日本の神々には「縄文人の神」も習合されている。これは後にしるします。

 ・しかしながら2。これに加えて九州に居た、天皇家に近しい有力豪族の物語も、神武天皇の物語の一部になった模様。

 

これら舞台は本来西アジアの中東でしたが、後に日本列島の九州地方に当てはめられているんです。ではBへ続きます。

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B・アレクサンドロス大王の時代

 ユダ(アッシリア・ペルシア)→パルミラ(ヒムカ)→アレクサンドロス大王領→ヒルカニア(ヒムカ)→バクトリア

アレクサンドロス大王の時代に、カナンの土地からユダ王家の末裔が、中央アジアへと向かっているようです。その出来事が、神武東征の記録として日本列島に当てはめられたと考えています。

 

アルダバゾス

アレクサンドロス大王東征記で、アルダバゾスという人物が出て来ます。もしかするとこの人、ユダ王家から出た人かもしれないです。アレクサンドロス大王に従軍し、東のバクトリアへと移動しています。アルダバゾスはカスピ海南の沿岸の、ヒルカニアという土地にいて、ペルシアでもっとも高貴な王族の末裔というふうに、大王から評されているのですね。そうするとイスラエル王朝かユダ王朝の末裔という以外には無いと考えられますので。おそらヒルカニアとは「ヒムカニア」(日向ニア)で、神武天皇出発地の一つになっています。

 

この区間は神武東征では、九州~大阪までの区間として記録が残っています。

アレクサンドロス大王神武天皇説については、

神武天皇を生み出した「ファラオ=アレクサンドロス」伝説の真相: 神仙組外典【新世紀創造理念】天の岩戸開きとニギハヤヒの復活!

飛鳥昭雄・三神たける著で2010年に出てるらしいです。これはまだ読んでませんね。

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・C 烏孫の時代

バクトリア→難兜国→烏孫月氏の土地)→烏孫イシク湖

紀元前2世紀、バクトリアの東にあった難兜国から出た難兜靡王が、東の月氏国へ向かって烏孫を建てました。匈奴に滅ぼされましたが、後継の昆莫が再び烏孫を建て直します。紀元前2世紀の烏孫の昆莫までが、神武天皇として記録されました。

昆莫

・昆莫とはkun-moであり、これが漢風諡号「神武(kan-mu)」の元になっている。諡号の撰進をした淡海三船とは、中央アジアにいた天皇家の真相を知っていたとみられます。また、昆莫一家の名前も一致しています。詳しくは関連記事で。

中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について - たっちゃんの古代史とか

 以下この記事の要約

神武 │ Jin │ Mu │
神武 │ Kan │ Mu │
神武 │ Kan │ Bu │

昆莫 │Kuen│ Mo │
昆莫 │Kon │Bak │

一致していますよね。

 

鞴五十鈴の部分が、劉細君に一致していたんです。

鞴五十鈴 │ Rai │ Su │ zu │
劉細君  │Ryu │ Sai │Kun │

古事記の方を見ると

劉細君   r - iu- sai - kun
良伊須須岐 ra-i- susu -ki
良伊須気  ra-i - su - ki

 

神武の息子 手研 タギシ 突騎施 トゥルギッシュ=テュルク
昆莫の息子 大禄 ダルク=テュルク

 

烏孫の3代目は「軍須靡(クンシュミ)」というんですが、名前比べてみたら、

神渟名 kan-jou-mei日本書紀

神沼  kan-sho古事記

軍須靡 kun-shu-mie(秦・漢時代の音)

 

昆莫は君主号ですが、本名を「猟驕靡」といいました。「漢書」「史記列伝」などに書いてあります。

猟 カサヌ・・・ サヌ  狹野(サノ、サヌともいう)

驕 威張る・・・ イバル 伊波礼(イハレ)

 なびく・・・ ビク  毘古(ビコ)、彦(ビコ)

 

中央アジア烏孫とは、日本列島では大和(奈良)に当てはめられている。だから烏孫の後継国の弓月国と同じ名前の「弓月岳」が奈良にあるなど、地名が一致するわけです。

神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる

 

ちなみに月氏とは葛城氏(月氏→がっじ→がっじょ→葛城)であり、記紀においては「エウカシ・オウカシ(オウ月氏・オウ月氏)」のこと。で、神武東征の終局場面が中央アジアであることが月氏の名で示されていました。

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(2)」 日本史の中の月氏

 

日ユ同祖論系の本で、中央アジアの経路を詳しく書いてる本はあるようですが、烏孫に触れている人はあんまりいないようです。

栗本慎一郎著「シルクロードの経済人類学」は天皇家烏孫起源と言っていますが、昆莫を神武天皇と書いた本はなくて、このブログだけです。

この区間は神武東征における、大阪~奈良盆地区間として記録が残っています。

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D・欠史八代の時代

 烏孫南匈奴の土地を東進→扶余→高句麗馬韓弁韓

欠史八代というのは実在せず、歴史から欠けているので欠史八代天皇なわけですが、これは間違っていました。日本列島には存在しなかったですが、ユーラシア大陸に存在していました。 

第二代天皇綏靖天皇から第5代までの天皇は、烏孫に留まっていましたが、第六代の孝安天皇の時代から、中央アジア烏孫から極東へ移動を開始しました。

 

天皇諡号には、東夷諸国の名前が暗号化されて残されていました。これはそれぞれの天皇が留まった諸国の名前を表しているのです。あたりはすでに電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け」のなかに書いています。

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2

。( ゚д゚)ポカーン。

歴代 諡号  記紀の和風諡号   含まれる古代国名
       (下段古事記 

07 孝霊天皇 大日本根子彦太瓊  太瓊(フトニ)=扶余・匈奴(フンナ・フンド)
       大倭根子日子賦斗邇 賦斗邇=扶余・匈奴

08 孝元天皇 大日本根子彦国牽  国牽(クニクル)=高句麗
       大倭根子日子国玖琉 国玖琉=高句麗

09 開化天皇 稚日本根子彦大日日 大日日=大半跛(はへ、弁韓の中心国)
       若倭根子日子大毘毘 大毘毘=大半跛

10 崇神天皇 御間城入彦五十瓊殖 御間城=任那、五十=委奴、伊都
       御真木入日子印恵  御真木=任那、印=委奴

 

孝霊天皇については、「ホツマツタヱ」で「孝霊天皇の東征」として記録があり。

ホツマツタヱのなかで、孝霊天皇奈良盆地から出て、富士山のふもとまで進んでいる。しかしそこから奈良へ引き返したという話は出てこない。つまり東へ旅立ったまんま、孝霊天皇の話が終わってるのが不思議。

実は富士というのは大陸の扶余(扶示:ふじ)を言い換えて暗号としてあるのだ。だから、出発地点である昆莫の土地烏孫は、大和国(奈良)となり、孝霊天皇の終着地点は扶余になるということだと考えたのですが。

 

E・崇神天皇弁韓から九州へ移動

 崇神天皇とは卑弥呼と壱与の習合体であることについては、著書「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」に一部を書いています。

邪馬台国の女王壱与(台与)が崇神天皇である理由

 倭国の本拠地の変遷(推定)

魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった

 

 

妄想まとめ画像

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まあこれ以外にもルートはあったことだろう。秦の除福ルートとかね。

 

天津神縄文人神の融合

縄文人の神とは、数万年前に縄文人がアーリアの土地に居た頃から、日本列島に到達した後も、縄文人の信仰のなかに残ってきたようです。その代表的な縄文人の神が、火の神アグニでした。

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火焔土器 - Wikipediaより

縄文人が用いていた土器のなかで、圧倒的に多いのが、炎を模したような形状の火焔土器です。火の神を表現したような釣手土器もあります。

釣手土器 - Wikipedia

こうしたものは実はカグツチなのではないかと考えられるのですよ。

アグニは日本でカグツチとなっているので、カグツチという発音の中に、アグニを見つけることが出来るわけなんです。まあ想像ですが。

ka-gu-tu-ti

a-gu-ni

日本で悪いことは「アク、アク人」というのだが、ここに縄文の神アグニが入っていますね。超古代拝火教の縄文系の人々は、大和民族に悪と断罪され追いやられていました。その場面がイザナギが、カグツチを斬り殺す場面に現れてるではないですか。

ただし縄文系の人々は、大和民族の中にも入り込んで同化しています。記紀神話ではカグツチの子孫、例えば経津主命武甕槌命などが、活躍する場面が多々見られますが。まあこれも中東の出来事を合わせてると見られますが。アイヌって火の神

 

ちなみにカグツチの中には、旧約聖書バベルの塔を建設した、火の象徴たるニムロドが含まれているので、完全に同一じゃないですので。これについては別の記事で。

 

記紀神話は日本列島とユーラシア大陸の神話・出来事・人物の融合

記紀神話とは、舞台が中東・中央アジア・日本という複数で起きた出来事を習合し、日本列島だけで起きたかのようにまとめ上げているものだから、とてもわかりにくいんです。

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日本神話は、おおまかに言うと「日本列島の出来事・神話」と「ユーラシア大陸などの出来事・神話」が合わさっているのが正体なわけで。

中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話

 

 

日本神話には大陸の出来事が習合されてる・・・(一問一答方式)

Q7 騎馬民族征服王朝説は完全に否定されてる状況ですが?

f:id:kl117cr233:20150712073400p:plain学会と学者は、否定するのが早すぎました。多数決で決めたら、どんな変な回答でも多数が正答になってしまうではないですか。豆腐の角で頭をぶつけて死ねるわけがないと、大勢で決めつけるのが早すぎたんです。巨神兵を動かすのが早すぎたのと一緒です。豆腐は氷点下の条件では、コンクリート並みの強度を持つことができて、人間が頭をぶつけて死ぬ可能性は十分なんです。そのことを確かめずに豆腐の角で死ねるわけないと早合点しすぎました。騎馬民族が古代天皇家の根幹にありますし、それは証明できます。豆腐の角の復権から始めたらいいでしょ。

 

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 このあたりまで、電子書籍にまとめたい(希望)。

 

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旧約聖書の登場人物をあらわす漢字と日本語

最近ひとまず体の痛みは殆どなくなってます。リンゴ酢と重曹が効いてるみたいで。

 

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定説の崩壊

 

キリスト教景教含む)は古代中国だけでなく、奈良時代以前の日本に伝わっていました。その証拠は、日本で用いられる漢字だとか大和言葉に残っています。

 

たとえばこんなサイトがありました。

漢字は聖書の真理を表す

漢字になった聖書物語

ということで、確かにこれはアリだなと。 

 

20世紀までに完成していた「従来型の定説」とは、ぶっこれるためにあるみたいなものかもしれないです。最近どんどん新しい事実や仮説が登場していて、定説がどんどんぶっ壊れていますので。宇宙のこと、人体のこと、生物のこと。古代のこと。

これは科学技術の発展や研究の進展のほか、「なにかに気づいて新説を生み出す人」が増えたことに起因するかもですが。

「俺が能無し説」だとか、「俺の不幸は全部自己責任説」も、そろそろ崩壊していていいですね。世の中の陰謀の正体に気づいている人が増えてきているようだし。

 

定説上で、キリスト教が日本にはじめて伝わった時代は何時か。それはイエズス会の司祭であるフランシスコ・ザビエルがやってきた、1549年となっています。

1549年。ちょうど織田信長豊臣秀吉上杉謙信武田信玄らが群雄割拠する戦国時代です。戦国時代のことは、あんまり詳しくないです。

フランシスコ・ザビエル - Wikipedia

この定説を誰が立てたのが誰かは知りませんが。実際のところは間違ってるのではないかと。

 

 

大和言葉になった旧約聖書の登場人物

 

 アダムとイブ(エバ)というのは、誰でも知ってます。旧約聖書の最初の人間。

上記の紹介したサイトでも登場してましたが、アダムとイブを表す漢字や、ほかの主要登場人物は、漢字や大和言葉して残されていました。(学研漢和大字典使用)

 

・頭(あたま)

あたま a-ta-ma

あだむ  a-da-m

音が似ています。意味はどうか。

頭の「頁」

1・人間の頭。首。

2・ページ。書物の紙を数える単位。近代漢語で葉と同じ音であるため、紙を一葉二葉とかぞえるとき、一頁二頁とも書く。

[解字]人間の頭を大きく描き、その下に小さく両足をそえた形(以下略)

なるほ。では「頭」はどうか。

「頭」

1・あたま

2・かしら・かみ。人々の上にたつ人。長。

3・いちばんはじめ。最先端。

まとめると、あたまは「アダム」ににているのは気になるところ。

「いちばんはじめの人」や「人々の上に立つ人」という意味があるので、最初の人アダムに当てはまっていました。

左側の「豆」は高坏のことですが、植物の豆と解釈すると、豆とは土に落ちる命の実であるので、エデンの園にあった「生命の木」を連想するではないですか。

さらに頁=葉も含めると、アダムが登場した時、いちじくの葉っぱ一枚を下腹部に身につけていた状況が重なってくるようです。葉の関連は唐代以降のことらしいですが、それを差し引いても「頭アダム説」は無視できないような。

倭人は頭という言葉を「アダム」として認識してたので、漢字の頭に「アダム=あたま」が当てられているわけなのかもしれません。

 

 

 ・荊(いばら)

1・いばら。木の名。刑罰で、むちうつ時に用いる杖をつくるのに用いた。

3・自分の妻の謙称。

 荊とは「イバ」であり、「妻」であり、「刑罰」なんですね。

アダムの妻イブ(エバ)が、神によって刑罰を受けたことを的確に表しているようでした。倭人はイブを表す言葉として「荊」を選んで、これをいばらと読むようにしたのかもしれません。

 

 

・白(もうす)

白にはなぜか「もうす(まうす)」という読みがあるんですよね。何故なのか。

1・しろ。しろい。

6・収穫や負担がないさま。

8・もうす。内容をはっきり外に出して話す。また、上の人に真実をもうしのべる。

命令形なら「もうせ」で、モーセそのまんまです。

モーセユダヤ人が出エジプトをした時、収穫がなかったですね。収穫がない様子を日本語では「徒白」とかいって、白で表すらしいです。食料に困っていたとき、白いマナという謎の食べ物によって、人々の空腹を満たしたらしい。食料確保に負担がなかったですね。モーセ旧約聖書で、神に内容をはっきり外に出して話し、神に真実をもうしのべる人として描かれていたので、やはり白という漢字はしっくりくるようす。倭人は白という漢字に「もうす」を当て、モーセの意味を込めたかもしれないです。

 

 

・回(たび)

1・まわる・まわす

4・かえる

6・たび 回数を示すことば。

7・イスラム教に関係のあることをあらわすことば。

[解字]回転するさま。または、小さい囲いの外に大きい囲いをめぐらしたさまを描いた象形文字(以下略) 

こじつけます。

ダビデ王を「回」に込めているように発想してみました。ダビデとは古代イスラエル王のこと。

昔の中国人は「回」の1字を、イスラム系のひとに使いました。つまりウイグルなど中東人から来た人を指していたのでした。

神の神器「契約の箱(アーク)」を納める神殿(エルサレム神殿)を、最初に建てたのがダビデでした。「回る(かえる)」という音には、エルサレム神殿や神をあらわす「エル」が含まれているではないですか。

「回」というのは解字によると、「小さい囲いの外に大きい囲いをめぐらしたさまを描いた象形文字で、これがダビデの建てたエルサレム神殿の形状をそのまま表しているんではないかと。

ちなみにエルサレム神殿の形状がこちら。 

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エルサレム神殿 - Wikipedia より

 

通路や城壁の形状が「回」。

こうしダビデに関係する要素を「回」から見出したむかしの日本人は、回という漢字に「たび=ダビデ」という読みを加えたのではと発想しました。「回=たび」は完全に死語になってますけど。

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漢字辞典を読んでいると、家という漢字に対して「いえす」という読みがあることに気づきました。これってあの方と同じですが。

 

・家(いえす)

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家(いえす)

1・いえ

2・いえ。人が住む建物。

4・王朝をたてた王室

5・いえす。家を構えて住む。

[解字]宀(やね)+豚の会意文字で、たいせつな家畜に屋根をかぶせたさま。

古訓・イヘ

それにしても、なぜ家を「いえす」と読むのかと。

(1)これはイエスが「家畜小屋で生まれた」という伝承があり、それを元にすると、家という漢字によって、日本人がイエスの存在を表していた名残なのでは。

 家という字は「大切な家畜に屋根をかぶせた」を表す。昔の家は洋の東西を問わず、家畜と一緒に住んでるのも普通にあったらしいです。それで家という字には家畜の意味が入っているとか。今もお肉は重視されますが、昔から家畜はお金そのもので、家では一番の財産だったのですよね。

家という字の下の部分は豚じゃなくて、家畜のことだそう。だから日本で生誕地が馬小屋だとか厩と言っているより、「家」が表す字義のほうが正確性があるのでは。

それはともかく、6世紀の日本の厩戸皇子聖徳太子)も、きっとイエス・キリストを知っていたから、自らを厩戸の皇子と名乗ったのでしょうし。

 

(2)宀(うかんむり)のウ冠って、王冠ですね。イエスは十字架に架けられたとき、「INRI」という罪状を表す板が掲げられていたとのこと。

「INRI」とは「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という意味。イエスユダヤの王を騙って神を冒涜したことが罪とされて、十字架に架けられたとか。

INRI - Wikipedia

「家」には王朝という意味があるんですが、これはイエス古代イスラエル王家のダビデ王の子孫であって、ユダヤ人の王家の人だったという意味に整合していますね。

だからいろんな意味で、奈良時代以前の頃は「家(いえす)=イエス」を表す言葉だったのでは。

  

こうした漢字に聖書の偉人の意味を加えたのは、昔の日本人でした。

ということで、日本に初めてキリスト教が入ったのは、1549年ではなくて、古墳時代より前のことでした。

 

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世界の文化って均一化が進みまくって

 

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人種のるつぼ - Wikipedia より

 

このブログの歴史研究で、やたら日本文化は実は大陸起源って言ってますが。これは日本を貶めるわけじゃなく、純粋な好奇心で追求した結果なので。

それから、身体的に生活的に頭脳的にツッコミどころ満載のブログ運営者なもので、「またこんなこと書いてるよ~w」みたいに思う方、いらっしゃるでせうね。

まぁ、世の中はハイテク使ったノゾキ見とか、ハッキング泥棒とか、嫌がらせとか、執拗に悪いことしてる人も、みんな堂々と悪びれず生きていますよね。

だから俺も別に、細かいことは気にしなくて良いかと。

・・・・・・・・・・・・・・・
○いつも助かっております

 

 

以下の項目でいくつ当てはまっていますか

 

1・住宅はじゅうたん敷きで洋間やベッドがあるなど概ね洋式

2・年間360日以上、西洋発祥の洋服を着ている

3・年間360日以上、西洋人が発明した家電を使っている

4・西洋人が発明したインターネットを毎日使っている

5・パンや肉料理などの洋食を毎日食べる

6・トイレは毎日洋式を使う

7・移動するときは西洋で発明の交通手段(自転車、車、電車)

8・日本文化を誇りつつ日本文化にどっぷり浸るのは年間数日だ

 

全部当てはまってると答える人、9割超。たぶん

部屋の中を見渡してみれば、じゅうたん、カーテン、フローリング、壁紙、電灯、家電、カップ、家具、洋服。道路のアスファルト、コンクリート、電車、車、学校。

あら~不思議。日本はどこ見ても西洋発祥・西洋式ばかり。

なんでだろう。

 

西洋文化70%程度 生活環境と道具全般が支配されている

中国文化10%程度 漢字、中華料理など

日本文化20%程度 神社参拝、料理、日本語使用、生活習慣など

 こんな感じだろうか。表面的だけで見るなら西洋文化90%と言えるかもですが。

 

 あ、そういえば維新志士。近年、なぜか維新志士がやたら持ち上げられていますね。かっこいいですし。

でも一方で、彼らは明治維新を起こして日本伝統文化の7割を、日本の表面から駆逐したんですが。まるで西洋に成り代わって、文化的に日本侵略を完成させたみたいな。そういう観点で見ると、なんか維新志士とか明治維新とか文明開化って罪深い気がする。

 

グローバル化とか言ってますが。

これは今始まったんじゃなくて、日本では弥生時代はすでに大陸文化と融合してグローバル化していたと言えますし。

納豆、醤油、味噌、うどん、天ぷら、洋菓子。こうした日本人が大切にする食文化は、実は大陸発祥が多いですし。

明治時代以前も、大航海時代や世界大戦の時代から、西洋人は日本を含む世界を、自分色に染めて、自分たちの伝統文化は、昔からほとんど変わらないっていう。

日本が急速に伝統を捨て去って西洋化していた中、西洋はずっと伝統的な西洋のままですね。

 日本人は欧州でジャポニズムが影響した~とか誇らしげだったりしますけど、世界の欧州化というユーロイズムのほうが、規模としては地球規模で起きていてすごいんですが。規模に雲泥の差があるので、そう考えると欧州のジャポニズムが誇らしいかどうかは微妙ですね。

 

日本人「日本文化は優れていて世界で独自で、素晴らしい」

俺「そうだね、でも君、いつも洋風の家に住んで洋服着てるよね」

日本人「あ」

俺「いちにち三食、洋食じゃないの、おやつも」

日本人「あ」

 

という感じで。

 

愛国者には、外国文化の侵略は排除しろ!という人もいますね。世界中で(まあ俺は色んな意味でダメ人なので、自分が排除されてますけど・・・)。

世界中の企業が自国製品を、日本で外国で売ろうとしているし、インターネット通販はあるし。もう排除は不可能なところに来たらしいですね。

日本に流通してる道具や食品の半分以上の生産地は、外国なんじゃないですかね。日本はすでに西洋の思想に蹂躙されてますが。世界中同じですが。

変なところでは、集ストだとか、事故に見せかけた作戦ですね。世界中で均一的に同じことやってるんじゃないかと。

 

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もうひとつ、世界の文化が均一化する方法が進んでおり。それは

 

日本文化が世界に浸透することによる、世界文化の均一化

 

日本人が、ブログやツイッターで外国文化受け入れNOとかいう人ですら、日本文化を世界に広めようとすることは、反対しないかもしれません。もしかして積極的に伝播させてるかもしれません。

すると外国人が、日本文化を受け入れていく。素晴らしいものって、勝手に真似されて広まりますから。 

剣道、柔道、ウォシュレット、包丁、寿司、アニメ、コスプレ、猫カフェかつおだし・・・。

 

世界が知らず知らずのうちに日本的なものを受け入れる

世界文化の均一化

 

結局こっち方面でも起こってくるらしい。 

中国人は日本嫌いで知られてますが、中国では何でも日本製品が人気らしいです。中国アニメも、99%日本方式を取り入れて、彼らは日本式が良いって思っちゃってるのですね。

日本で放送されてるアニメが、中国人が描いてるのか日本人が描いてるのか、素人じゃ区別がつきませんけど。

中国の日本アニメ「依存症」 - WSJ

日本のマンガ・アニメ 売上急増の要因は?=中国

まさに中国の日本化→ 日中の文化的な均一化が進んでる。 

 

1・日本の文化に外国の文化が流れ込んで文化の均一化(世界各国で起こる)

2・世界のある国に日本の文化が流れ込んで文化の均一化(世界各国で起こる)

 

この2つは、今の流通システムとインターネットシステムが維持されている限り、もう止まらないんでしょうね。

もう、世界文化の表面的な区別がつかなくなる、と同時に「良い」と「悪い」の区別がないみたいな世界だって、あらゆるところで。

 

人種のるつぼ - Wikipedia

日本も人種のるつぼ化を目指す勢力が強いとか。NWOだとか。東京都心は、すでにそうなってますが。

東京23区 外国人人口と国籍構成グラフ : ぐらふくん

東京都の外国人比率番付 - 都道府県・市区町村ランキング【日本・地域番付】

 

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ちなみに、

縄文人、納豆、醤油、味噌、うどん、天ぷら、和楽器、焼き物、漢字、仏教、神道、仮名文字、天照大神神武天皇

どれも最初は大陸起源だったけど、どれも日本で発展し継承された伝統文化や存在だ。と勝手に思っています。では。

 

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