たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは1

世界中の似通った神話の起源については、大きく2つの説があるそうな。

1・世界の一点から生まれた神話が、世界全体に伝播したという単一起源の考え方。

1・世界各地で別々の時代に独自に誕生し、偶然似通ったという考え方。

比較神話学の専門用語で、なんていうのか忘れた。。

 

前者の場合で言えば、日本神話は縄文人や近隣の古代中国のみならず、西のシュメール、ギリシャ、東欧、などの神話の流れを受け継いでいるので、西側の神話と一致していて当然のことなのではないかと。

 

 「神話から歴史へ(1)日本の歴史」井上光貞著(初版1973年)によると、たとえば

天の岩戸神話の系統を学問的に裏付けたのは、ドイツ生まれのアメリカの東洋学者のメンヘン・ヘルフェンの「日本─カリフォルニア」であった。彼は「日神が洞窟や箱にかくれ、これをおびきだすという主題の神話は、西はインドのアッサム、東ははるか太平洋のかなたカリフォルニアにおよんでいる」と述べている。」p70

アジア・中東に分布している日本と共通の神話

・天の岩戸神話 太陽神がかくれてしまったので、様々な方法を駆使しておびき出す

ヤマタノオロチ神話(ペルセウス・アンドロメダ型神話) 大蛇などの怪物を撃退して生贄を救う英雄譚

天孫降臨神話 王の祖先が山の上に降臨する

木花咲耶姫型神話 石と食べ物、どちらか1つを選んで、その後の運命が決定する 

・黄泉神話 地上の神が地底世界へもぐって、神と一悶着あってから脱出

 

 こんなふうに。人によれば「日本固有」と決めつけている日本神話は、じつはアジアや世界と共通した骨組みだったとか

 

ということで、「旧約聖書」「日本書紀」の冒頭部分のほうを見てみる。

 旧約聖書・創世記   日本書紀・神代の冒頭 

神による創造の七日間 最初の神と神代七代 (7で一致)

アダムとエバ     イザナギイザナミ (最初の男女)

カインとアベル    三貴子       (最初の子孫)

ノアの方舟      葦舟のヒルコ・天之鳥船(海と船)

バベルの塔      御柱+α

 というふうに、順番は違えども、だいたい当てはまるんですよ。バベルの塔の物語に対応するものは、イザナギイザナミが生み出した「天御柱」だと考えていたのですが、どうもそれだけじゃなかったようです。

バベルの塔の物語から、ちょっとばかり確認してみる。

 

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バベルの塔 - Wikipedia より

 

 バベルの塔の話

聖書の記述
バベルの塔の物語は旧約聖書の「創世記」11章にあらわれる。そこで語られるのは下記のような記述である。位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。

バベルの塔の話
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。

「創世記」11章1-9節

バベルの塔 - Wikipedia

 

つぎにバベルの塔の建設者について。

ニムロド
ニムロド(ヘブライ語: נמרוד)は旧約聖書の登場人物で、『創世記』の10章においてクシュの息子として紹介されている。クシュの父はハム、その父はノアである。

ミドラージュにおけるニムロド

僕(しもべ)たちはアブラハムを捕らえるとニムロドに引き渡した。ニムロドはアブラハムに命じた。「火を崇拝せよ!」。するとアブラハムは答えた。「わたしは水を崇拝します。火は水に消されるではありませんか。」ニムロドはまた命じた。「ならば水を崇拝せよ!」アブラハムは答えた。「わたしは雲を崇拝します。水は雲によって運ばれるではないですか。」ニムロドは命じた。「雲を崇拝せよ!」アブラハムは答えた。「では、わたしは風を崇拝します。雲は風によって散らされるではありませんか」。ニムロドはなおも命じた。「風を崇拝せよ!」アブハラムは答えた。「ならば人間を崇拝します。人間ならば風に耐えられましょう。」するとニムロドは言った。「おまえは同じ言葉を繰り返してばかりだ。見よ、炎を崇拝するこのわたしが、おまえを炎の中に投げ入れてくれるわ。おまえが神を崇拝しているのならば、神がおまえを炎の中から救い出してくれよう。」ところで、その場にはアブラハムの弟ハランも同席していた。彼は思った。「わたしはどうすればいいのか? もしアブラハムが勝利したならば、『わたしはアブラハムの僕です』と言おう。もしニムロドが勝利したならば、『わたしはニムロドの僕です』と言おう。」アブラハムは燃えさかる炉の中に投げ入れられたが無事に救出された。するとニムロドはハランに聞いた。「おまえは誰の僕か?」ハランは答えた。「わたしはアブラハムの僕です。」ニムロドの僕たちはすぐさまハランを捕らえると炎の中に投げ入れた。彼が炎から出てきたときには腸までもが焼け焦げていた。彼は同席していた父テラの目の前で死んだ。それゆえ、『創世記』(11章28節)には「ハランは父テラの前で死んだ」と書かれているのである。

ニムロド - Wikipedia

このニムロドという人、どうもサタンと同一視されるらしく、12月25日にサンタクロースが現れるのは、サンタ=サタン=ニムロドの誕生を祝うためという話があり。そういえばいま世界では悪魔崇拝のほうが力が強いらしいですが。どうりで気持ち悪い世界になっていると思った。

知恵の実を食べたアダムより、知恵の実を与えた蛇(悪魔)こそが人知を超越した存在であり崇拝対象だという信仰があるとか。

ちなみに俺は巳年で水瓶座で1月30日生まれで、運命的に蛇に関係していましたが、悪魔崇拝などはしたことがないです。

ただ、日本の神には古来より悪魔的存在が入り込んでいるようなので、神のことを考える行動が、無意識のうちに悪魔を同時に捉えることにつながってるかもですが・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

さて、ニムロドはひとまず置いておいて、日本語の「塔」について考えてみる。

 

ちなみに「天御柱」については以下の記事で、

淤能碁呂島、天御柱、八尋殿。1

淤能碁呂島、天御柱、八尋殿。2

淤能碁呂島には沈んだアトランティスの情報が含まれるのかもです

アトランティスと淤能碁呂島は同じ島かという話の続き

 過去記事を読み直してみると、適当なところはあったんですが、記紀神話にはバベルの塔の存在がたしかにちらっと出ているのではないかという内容。

 

ところで。

日本語でTowerのことを「塔(とう)」。これって実は呉音・漢音の音読みで、中国発音なのですよね。秦の時代は「学研漢和大字典」によれば、塔:tapといったらしい。

辞書を引いても、「塔」の大和言葉(訓読み)が存在しないようでした。これは日本の単純な漢字の中では珍しい感じ。つまり上古の倭では塔のことを、塔と呼んでなかったことを意味しますね。おそらく弥生時代以前、塔がなかったのでは。

その代わり、昔の日本では「やぐら(楼・櫓)」や「たかどの(高殿)」と言っていたのではないかと。

 縄文時代にも櫓はあったようですが、木の櫓であって、石を積んだ櫓は発見されてませんね。 

 

このやぐらですが、中東の塔をあらわす言葉に似ていました。

ジッグラト - Wikipedia

 ジグラとヤグラ。ちょっと似てる。

 

で、こうした言葉を探ってみると、どうやら日本語の中には「バベルの塔」の存在が封印されているのではないかと。

 

・燎

漢・呉 リョウ

1・かがりび・にわび

2・やく

4・あぶる

[解字]寮は柴や骨をやぐらの形に組み、下から火でもやすさま。(中略)僚(列をなす仲間)と同系のことば。

バベルの塔

>「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った

というふうに、仲間で火を起こして建設を始めたんですよね。

そしてバベルの塔を建設したニムロドは

>「火を崇拝せよ!」

>「見よ、炎を崇拝するこのわたしが、おまえを炎の中に投げ入れてくれるわ。おまえが神を崇拝しているのならば、神がおまえを炎の中から救い出してくれよう。」

と言っているので、ニムロドが火を象徴とする人物で、「火の神」として記録されていておかしくないですね。

 

燎という字を見れば、バベルの塔との共通点がこんなに。

a・燎(あぶる)は火を用いた行動をあらわす。ニムロドは火を象徴。

b・あぶる(aburu)はバベル(babel)やアブラハム(abraham)を包括する。

 あぶる   aburu
 バベル  b-abel
 アブラハム abra-ham

c・「寮は柴や骨をやぐらの形に組み」で、塔を形づくっている。

d・バベルの塔は大勢の仲間で建てたが、燎にも同じく仲間の意味がある。

e・塔とはやぐらであり、ジッグラトに似てる(やぐら、じぐら)

というふうに、日本語のあぶるを当てた漢字の「燎(あぶる)」は、バベルの塔の要素をすべて備えているのでした。まあ、これは偶然でもいいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

これ例外にも、明確にニムロドの姿を発見してしまいました。これは過去に指摘がなかったことですが。では記紀神話のどこに、バベルの塔建設者のニムロドがいるか?という話へ。

2に続く

バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは ぱーと2

 

 
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神功皇后と父親が夫祖(沃沮)から来たならば欠史八代大陸説に信憑性でます

近年は「言葉に穢れを加える風潮」目立ってますね。

たぶん俺が生まれる前から、すでにあったんでは。呪詛ですねこれ。

 

まあ俺自身が、何かと穢れ多い人生になってしまった、あるいは「されてしまった」ことに関連づいて不本意ですが。

俺の人生の不幸が陰謀で出来ているとすれば、「悪玉菌を受け付け毒の注入、または電磁波により人体を狂わす」ような外的要因が、俺の穢れに関係するのかと妄想したりもします。

妄想とは言うけれど、実際に外的要因によって人間を不健康へと貶める陰謀が、存在するという人も大勢いますし。

 

こうした言葉に穢れを加えるという呪詛の行為は、現代日本人同様に、古代の中国人もやっていたことでした。

東夷・・・夷は背が低い、身分も低い未開人という意味

白狄・・・狄は追われて逃げる。逃げる犬

匈奴・・・奴~は奴隷の奴~

降奴・・・新朝の王莽が匈奴を降奴に改名した。降は下る意味

下句麗・・・新朝の王莽が高句麗を下句麗に改名した

濊・・・穢れの意味

沃沮・・・三国時代、夫祖から沃沮に改名された。沮は邪魔する意味

漢族は周辺異民族に下劣で下等な意味がこもった漢字を使ったんですが。呪詛的な用法ですね。まあ漢字自体が意味を封じ込めた呪詛ですが。この字を認識した時点で、瞬時に見下す習慣が付けられてしまうということなんですが。まあ今もやってる人いますね。漢字じゃなくてもjapとかchonとかいう蔑称も、呪詛の類ですよねこれ。俺もいろいろ呪詛かけられてるみたいです。

 沃沮のことを考えてたら、穢れの話になってしまった。

 

扶余の別種夫祖(沃沮)

夫祖(沃沮)は日本が弥生時代後期の頃、ユーラシア大陸東部のあたりにあった国。

沃沮 - Wikipedia

 住人は扶余の別種だったとか。つまり言語も風習も扶余だったんですね。 沃沮は「肥沃を邪魔する」という意味になっていたり、なんか日本語の汚い意味の言葉が入っていたりしますが。

ちなみに扶余語と倭語が似てる件はこちら。

日本語は夫余語か

沃沮は元々は、「夫祖」といって、日本の異名である「扶桑」とそっくりだったんですよ。2つの理由があって、日本と扶余・沃沮は、無関係ではないですね。

 

これはともかく、神功皇后って応神天皇の母ですが、なにか出自が夫祖に関係しているのではないかと思うところがあり。その辺を考えてみました。

 

神功皇后と家系 

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五社神古墳 - Wikipediaより

 

神功皇后というのは、諱または諡号を「息長帯比売命(気長足姫尊)」といって、「おきながたらしひめのみこと」と言いました。

定説上では、「おきなが」という名に「息長、気長」という漢字を当てたということなんですが。

神功皇后といえば、男装をして新羅に2度出兵したり、百済から七支刀を貰ったりと存在感がやたらあり、奈良県奈良市の五社神古墳なんかでも知られた存在。ちなみに七支刀の「泰■四年」は「太和4年」というふうに当て字したもので、西暦369年説が有力。五社神古墳が4世紀末の年代なので良く合っているよう。

五社神古墳 - Wikipedia

 

 神功皇后の「おきなが」ってなんだろう?と考えていました。

息が長い、気が長い。たしかに神功皇后は通常に2倍も妊娠期間が長かったとか伝わっているので、それが関係しているのかと。息が長い。そういえば近年は肺活量を測ってないな。

そんなおきながですが、調べてみたところ、これは神功皇后だけに用いられているわけではないのでした。 

 

息長を持つ人物

神功皇后父親の名「息長宿禰王(気長宿禰王」

神功皇后「息長帯比売命(気長足姫尊)」

神功皇后の弟「息長日子王」

というふうに3人いました。彼らを息長家とでも言いましょう。

定説によれば、神功皇后父親の名「息長宿禰王(気長宿禰王)」は、開化天皇の玄孫だといいますね。

系図

開化天皇彦坐王─息長宿禰王─神功皇后

息長宿禰王 - Wikipedia

 こういうこと。従来の定説では、欠史八代開化天皇は実在せず。または日本列島の奈良県に居たということになってますが。

 

息長は沃沮のことだった

神功皇后や息長宿禰王の息長とは、じつは「沃沮」のことなのではないかと。思い付いたのは何年前のことだったか。これはたぶん歴史上の事実だと思いますけど。

沃沮というのは日本語読みと大陸読みではちがうのですが。

古代日本 沃-沮 よくーそ(呉音・漢音)

上古中国 沃-沮 おくーちょ

これと「息長」を比較検討してみる。

上古中国 沃-沮 おくーちょ

古代日本 息-長 おきーちょう(訓+音)

そっくりな音が出て来るのでした。

 

 つまり息長氏が夫祖(沃沮)の出身であることを、名前に込めている

ということになるんですよね。

 

そうすると以下のことが関係してくる。

電子書籍の拙著「日本の地名の~(下)」では、以下のように書いています。

開化天皇諡号の「大日日(大毘毘)」とは、「弁韓の首都・伴跛(ハヘ)」を表している。

開化天皇 - Wikipedia

これは別に適当なことを言ってるわけでない。

開化天皇の妃の名前をみても、姥津媛(ははつひめ)となっていて、伴跛(ハヘ)を含んでいた。別名を見れば意祁都比売命。

姥津媛(伴跛つ姫)「つ」は接続詞(の)と同じ。

意祁都比売(おけつ姫→おくつ姫→おくちぇ姫→息長姫→沃沮姫)

ここにも沃沮系の人がいました。この姥津媛というかたは、和迩氏だそうで。つまり和迩氏も、朝鮮半島に拠点を持ってたことが分かってきますが。

 

つまり欠史八代とは大陸にいました。

関連記事はこちら

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2

古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

 

開化天皇以前の天皇諡号は、それぞれ東夷の国々の国名に当てはまってたのでした。そうすると開化天皇の玄孫の息長宿禰王が、朝鮮半島の夫祖(沃沮)に居たとして、決しておかしくないことに。朝鮮半島は南北にわずか700キロほどで、日本で言うと九州から中部地方くらいの距離感だったので無理がない。

 つまりこういうことになる。

 

開化天皇(大日日) 倭人領域である弁韓の大伴跛に居た

・姥津媛(意祁都比売)、沃沮(意祁都)出身だが、弁韓の伴跛(姥)に来た人。

・息子(娘)の崇神天皇 御間城(任那)入彦五十瓊(委奴)殖天皇任那から委奴へ)

・息子の彦坐王 坐というのは筑紫の座郡(朝倉郡)のことを言うが、朝鮮半島倭人領域の地名を元にしているか

・玄孫の息長宿禰王 弁韓~沃沮にいた。沃沮から倭へ渡ってきた人。 

息長宿禰王が沃沮出身であることで、開化天皇朝鮮半島の倭の拠点にいたことが補強されるのでした。

 

こんなブログあり

韓国考古学による百済建国以前の韓半島古代史と倭/息長氏結語 ( 人類学と考古学 ) - 民族学伝承ひろいあげ辞典 - Yahoo!ブログ

このブログでは息長氏を朝鮮半島系の「はた族」(ハタ氏?)としている。沃沮とは言っていないが、こんかいの記事と整合していますね。

 

そして神功皇后が夫祖(沃沮)出身、これの証拠は、他にもあったんですよ。それはまたいずれ。

 

 
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(妄想)明治以降の元号って「イエス」を含めている?ブレンド宗教の日本

 日本の元号、それはミステリー。

元号飛鳥時代から始まったとか。 

日本書紀』によれば、大化の改新(645年)の時に「大化」が用いられたのが最初であるとされる。

元号 - Wikipedia

 

この元号ですが、いまみたいに「天皇一代にひとつ」となっているのは明治時代以降のことでした。江戸時代以前の元号は、「1人の天皇に複数」ということも通常のことだったようです。

たとえば江戸時代最後の天皇だった孝明天皇の頃、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応と6つもの元号が使われていたりしますね。

何か大きな出来事が起きるたび、1人の天皇の時代に、元号は幾度も変更されていたということ。

元号一覧 (日本) - Wikipedia

だからぶっちゃけ天皇陛下が「明日から元号変えますよ」 なんて言って変えることは、本来の古来よりの元号の性格からすれば、あっても許されることなんですが。いまは慣例的に、一代に一つで決まってるとか。

でも天皇陛下上皇になると、事実上で「一代で元号複数」になるわけですが。という意味では革命みたいな感じですよね。

 

明治時代以降の元号

 

ここからは、あくまでも個人的な妄想なので、本気で捉えてもらっても困りますが、自由自在に東西南北へ受け流したり、ビフィズス菌と一緒におなかに吸収しても結構です。

この元号ですが、明治時代以前と以降では、どうも毛色が違っている、そんなふうな感じを受けてしまいました。

それは単純に言えば、明治時代以降は「キリスト教的ななにか」を含んでいるような気がしてならないのですよね。

 

・平成

平成とは1989年から使われてる元号。「平らに成る」という意味が込められていて、平和を願った元号だとか。世間的にはそんなふうに言われてるだろう。

でも世間に悪意をぶつけられ計画的にいじめられ過ぎて、ひねくれ過ぎた俺の妄想によれば、、これだけという訳には行かなかった。

 

ツイッターのメモ 

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というふうに妄想してみたんですが。

平成=HEI SEI

これを逆にすると

成平=IES IEH

IES(イエス)IEH(ヤー(神)

というふうに、イエス・キリストと神の名前が呼ばれているのだった。なんでだろう。偶然なのだろうか。ほかも見てみよう。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・昭和

昭和というのは1926年から使われてる。

「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経尭典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)による。漢学者・吉田増蔵の考案。

昭和 - Wikipedia

「和やかに照らす(明るくする)」という意味が込められていて、要するに仲良しこよし感がいっぱいだ。世間的には昭和時代の人なら知ってるかもしれない。

でも世間から寄ってたかってフルボッコにされてきた俺としては、普通に解釈することは不可能だった。

昭和 SHOUWA

逆さまにしても別に何も出てこないが、

昭を分解すると=日召

日召 HISHO →ISH O イーシュ王(イエス王)

という風にナザレの王イエスの名が入っているのだった。古代には場所によってはイーシェと呼ばれたらしい。

日召和なら、「日本のメシワ(召和)」でメシアっぽい。

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・大正

大正というのは1912年から使われた元号

「大正」の由来は『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」(大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり)から。

大正 - Wikipedia

単純にいえば「大いに正す」ことを意味していて正義感たっぷりですだ。世間的にはそれでいいのかもしれない。

だけど人々の悪意と鬱憤の全てを受け止めすぎて普通の発想じゃおさまらなくなった俺としては、他の意味を探るしか無かったですだ・・・。

大正 TAISHO

これを分解してみると、

TA ISH OH  ザ・イーシュ・王

というふうにこれもイエスの名前が入ってるのだった。

 

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・明治

明治は1868年から使われた元号

易経』の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」より。

明治 - Wikipedia

「明るく治める」という意味でポジティブシンキングが感じられる。世間的にはこれ以上の意味は不要なのかもしれない。

しかしネガティブを積み重ねてきた俺としては、ポジティブだけではいられなかったんだ。

明治 MEIJI

逆さまにすると

治明 IJIEM イジェム

Jは「エ(イェ)音」と解釈するとイエイエムで「イエ」が入っている。

明治時代以前、日本語の濁音は省略して表記することは通常だった。

たとえば春日部は「かすかへ」、「越谷は「こしかや」みたいな感じ。

すると明治は「めいし」なのであり、

治明 イシェム イシェ

MEISI MEIISI ISI(イーシ)

ということで、どうしてもイエスが入っているのだった。

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1989年の改元時の最終候補から見る

 

ちなみにこの解釈が俺の中で正解であることを示す要素としては、1989年の「平成元号の次点」となっていた最終候補名を見ても明らかなことでした。

 

・修文

当時の新元号候補だった二文字。

修文 SHU BUN

修 SHU⇔UHS ウーシュ

これだと良く分からないが

亻(ニンベン)+修(SHU)

なので「イSHU」となってイーシュ(イエス)の名前が含まれていた。

 

・正化

当時の新元号候補だった二文字。

正化 SEI KA

化正 AK IES

IES=イエスがそのまんま入っていた。

 

このほか知られざる候補

・文思

文思 BUN SHI 

逆にして思文 IHS NUB

ISH=イーシュ 

 

・天章

天章 TEN SHO

OHSでオーシュだとよくわからないが、

天章 AME AKIRA

とすると キリストのKIRが含まれている

 

・光昭

光昭 KOSHO

日召とするなら、召=メシアの「メシ」が含まれるのであった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

平成31年(2019年)の新元号に含まれるイエス

こんな記事があった。

「新元号」を予言研究家が徹底予想! 「最有力12パターン」を公開、「●成」で決まりか!?

なんか未来人だとか専門家によると、「成」は入るとか言ってる。すると

・◯成

成 SEI IES

「セイ イエス・・・」

 もうひとつ

・安始

 新元号は、安始になる可能性が根強いとか。なぜかは知らないけど、そういう意向がどこから出てるのか。

安始 ANSHI IHSNA

IHS。イース。やはりそういうことだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

これが偶然かどうか確かめる

これが偶然じゃないことは、以下の調査でも分かるかもしれない。

イエスはYes、Yeshua、IisusというふうにSを基礎の音とするので、S(さ行のシ・ス)がとりあえず入っていることが重要っぽい。だから歴代元号にどれだけSが入っているか、その割合などを調べてみた。

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さしすせその全てを調べてみた。するとこうなった。明らかに近代の明治・大正・昭和・平成の時代は、Sの割合が高い。大正・昭和・平成はSが3連続で入っているのだが、日本の長い歴史で元号に3連続Sが入ったのはこの時代だけだった。2連続すら珍しいことだった。

だから明治時代以降にイエスっぽい名を組み込んだことは、偶然じゃないのかもしれない。すると何のためにこれを入れたのか?という疑問が出てくるんですが。これの理由は、2ちゃんねるのオカルト板で見つかりますが、「日本での救世主の再臨」とかなんとかに関係していそうです。北斗の拳

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日本の偉い人はキリスト教を含むブレンド宗教だから元号キリスト教的なものになってる

 なぜ明治時代以降の元号が、こんなことになってるのか。イエス・キリストを含んでいるのか。その答えを求めてみたいです。これも俺の妄想なんですが。

 

まず事実を前提とすると、日本人がいろんな宗教をブレンドしてる民族なことは、誰でも知っていますよ。

「日本国民は事実上ブレンド宗教を受け入れている状態」なのですよ。

 

花祭り(釈迦誕生祭)、お盆、灯篭流し、葬式などは仏教の行事。

・お盆はもともと盂蘭盆会、火祭りなどはゾロアスター教の行事。

・初詣、七五三、ひな祭り、お神輿祭りは神道の行事。

・バレンタインデー、ハロウィン、クリスマスなどはキリスト教の行事。

 

これは多数の宗教を受け入れているアメリカ人とも違いますよね。アメリカには中国人やインド人が多いにしても、中国やインドの行事を国を上げてやるなんてことないですし。

なぜ日本はこうなったかというと、それは「日本の上層部がブレンド宗教だから」、その意向と意思が国民にも反映された結果なのでしょう。

 

ただでさえ古墳時代の昔から、長い間神道仏教がブレンドされてきた日本ですが。

これに加えて蘇民将来祇園祭、ほか日本の祭りは、ユダヤ教の祭りが含まれるんじゃないかっていう仮説が、まことしやかに囁かれていたり。

 

ということで、偉い人は人生の根幹にも、政治的なものの中にも、キリスト教ユダヤ教をブレンドして取り入れているんじゃないかという疑問は、世間からも汲み取ることができたりします。

庶民の行事にやたらキリスト教の行事が多くなったり、アニメではキリスト教ユダヤ教的な、「ヨハネの黙示録」や「生命の樹」を題材にしたものが頻繁に出てきたりということなんですかね。エヴァンナントカみたいなのが。

 

日本は宗教の自由の国ですが、多くの政治家が、キリスト教系の信仰を持っているのではないかという話は、よくネットで目にしますね。

そして明治維新を起こした維新志士といわれる人たち。この人達は当時のキリスト教の戦争屋の欧米人に、動かされていたんではないかと言われています。実際のところキリシタンみたいな、維新志士もいたんですよね。

維新志士 キリスト教 Google検索

 

明治維新後には、日本の社会全体が一気に西洋文明化してしまったたので、頷ける話ではありますね。

国会議事堂はピラミッド型だし。フリーメイソン的なものが日本の頂点にあるということは、誰でも想像がつくことですし。

 

 

だからこそ、明治時代以降の元号キリスト教的なものを含めているのは、必然的なのではないかと。救世主がどうこうという話も含めて。

全ては単なる偶然かもしれない。妄想を広げる参考にしてください。 

 

 
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かごめ歌を十二時辰で解いたらヤバイ

かごめ歌

籠目籠目

籠の中の鳥は

何時何時出やる

夜明けの晩に

鶴と亀がすべった

後ろの正面だあれ

 

かごめかごめ - Wikipedia

これ、なにかやたら気になりますね。

一説には秘密組織が残した暗号であるとか。

 

さまざまな解釈がありますが。これって、俺の野生の勘でいうと、たぶん、数字に関係していますよね。

そこで適当に数字で解釈してみました。

江戸時代以前の歌なので、当然「十二時辰」が使われていますよね。

十二時辰 - Wikipedia

表し方としては、十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥は一般的で、「名」と呼ばれるもの(夜半、日中、黄昏など)があり、他にも漢数字の四~九で表す時刻があったとか。いろいろあったようですね。

 

【写真あり】江戸時代の斬新すぎる時計10個を紹介。時間の数え方も独特だった | 江戸ガイド

このサイトの十二時辰の表し方が気に入ったので、参考に作ってみました。ほぼパクリであると、予め公表しつつ。

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こんな感じでした。

かごめ歌の遊びでは、大勢の子供が中央の子=鳥を囲って、「囲め囲め」といっている風でもあるので。十二時辰の円盤は、その様子を表しているふうにも見えます。だからこうやって解くのが正しいのかもですよ。

 

ではかごめ歌を数字で解いてみます。

・籠目籠目 

籠目というのはこういうやつです。

籠目 - Wikipedia より

これ、六芒星が一杯ありますが、つまり籠目とは6。

 

・籠の中の鳥は

六芒星の中に鳥がいるらしいです

 

・何時何時出やる

五つ五つなのかもしれない。まあこれは微妙。

 

・夜明けの晩に

先程の十二時辰を見ると、夜明けというのは東の方角の明け六ツのあたりを言います。

十二時辰では、「明け」が付くのは「明け六つ」だけですね。だから夜明けが明け六つであることがわかります。

「明け六つが晩」というのは、明け六つが暗い時期。つまり季節は「秋か冬」ですね。

 

・鶴と亀がすべった

鶴と亀というのも数字になりますね。鶴亀算というのがあり。

孫子算経 - Wikipedia

中国で五世紀に誕生したらしく、これは元々は雉と兎だったのが、日本では江戸時代から鶴と亀になったとか。

鶴は足2本、亀は足4本として計算するわけなんです。

「すべった」を「統べった」で「統一」という意味だとすると、鶴2本+亀4本を統一して、6ですね。

それから、雉と兎は、十二時辰に当てはめると、

雉=酉=暮れ六ツ

兎=卯=明け六ツ

となるというのもポイントでしょうね。

現代の時間に当てはめると、朝6時、夜6時(18時)ですね。

 

なんで全部6なのか?という素朴な疑問が。

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 これを十二時辰の盤に当てはめてみる。

こんな感じになったんですが。

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6が、東西(卯酉)の方角に並ぶという。これがかごめ歌の真髄ですかね。

 

そういえば江戸時代の知識人は、キリスト教と共に、西洋の二四時間の時計も目にしていたのですよね。

 

・後ろの正面だあれ?

十二時辰の円盤では、東西南北どこをとっても正面ということになるので、単純に夜明けの晩=明け六ツの後ろ側をみればいいということに。

・夜明けの晩(明け6ツの後半)に、鶴と亀が統べって6。

・後ろの正面は、明け6ツの反対側ということだから、「暮れ6ツで、酉=6」が答えということに。

しかも「夜明けの晩」=「明け六つが暗い季節」ならば秋か冬なので、

 

「複数の6が並ぶ鳥が、籠の中から出るのが酉年の秋か冬」っていう感じですかね。

 

そういえば、今年って酉年らしいですね。

 

籠目紋=六芒星って、そもそもあの形はアレですし。まあ、思い浮かぶのはアレですけど。想像に任せるっていうことで。

 

 
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古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

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古代天皇大和民族大陸移動について。

 天皇皇后両陛下、大和民族の皆様、こんにちは。

わたくし、身辺に異変が起き始めた10代の頃から、古代史の仮説を考え始めました。日ユ同祖論に関連する本をいろいろ読んだのが、きっかけだったでしょうか。

今回は古代天皇大和民族大陸移動についての、一大妄想のまとめです。総集編なので、リンクが多いです。

これは個人的に考えた仮説であって、現在通説の「天皇家は日本列島で生まれてずっと日本列島の支配者である」との話とは、違うものになっていますのでお気をつけください。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 天皇家の起源。それは遥か古代、はるかかなたの土地、シュメールに遡る。

まず日本列島というのは、ユーラシア大陸の雛形であることを念頭に置きたいところです。

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 これは中央アジアまでの地図ですが、九州が中東に対応していました。

関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論

 

 

A・中東での始まり

シュメール→カナン(イスラエル)→エジプト→カナン→イスラエル王国→ユダ王国(アッシリア

概ね、天皇家はこういう変遷を辿っているとかんがえられます。ちょうど旧約聖書アブラハム~ヨセフ~モーセダビデ~歴代ユダ王の経路に当てはまっているんですよね。

 

アメ

天皇家の先祖は「天(アメ・アマ)」であり、昔の天皇も「阿毎(アメ」を名乗っていました。現代の日本史研究家は、「天の神だからアメ」と答えます。

実はこれは、シュメールの原初の神「アンシャル(天の中心)」「アヌ(天)」「アヌンナキ(天の多くの神々)」などの「天」のことだった。

日本神話の現初神、天之御中主神とは「天の中心の神」であるが、これは「ゴッド・オブ・アンシャル(天の中心の神)」を単純に日本語に訳しただけに過ぎないんですね。

そういえば、古事記の原文を読むと、「神名天之御中主神」となっているので、これは「シュメー天之御中主神」とでも読むのですかね。「神名:シュメー」。そうすると天之御中主神はシュメールの神だってことを、漢字でそのまんま表しているる気がします。

 

スメラミコト

したがって、明治時代以来、色んな日ユ同祖論の本で指摘されてきたように、スメラミコト(天皇)の「スメラ」とはシュメールのことだった。天=アン説についても、すでにあるらしい。

日本における俗説と表記

第二次世界大戦中に、「高天原バビロニアにあった」とか天皇呼称の古語「すめらみこと」は「シュメルのみこと」であるといった俗説が横行した」

シュメール  日本における俗説と表記- Wikipedia

この俗説は合っていたとかんがえられるのですが、個人的に。 

 

・ここにイスラエルのカナンの神である、ヤハウェの三位一体が加わって、造化3神になっているという(「日本の中のユダヤ文化」久保有政著より)。

古代エジプトの太陽神のアメン・アテンを信仰していたことが大きく影響しました。これはカナンのヨセフらがエジプトへ移住して以降。

 シュメールのアン・アヌや、アメン・アテンは、おそらく原初の中東で同じ神なのであり、それがそのまま日本語の「アメ」として合一されて受け継がれてきました。

後に太陽神ミトラを習合。合わせて天照大神(アメ照大神、アミトラス大神)ということになったんでしょう。

 

国常立

エジプトのピラミッドや、ピラミッド状の何かの叡智が、国常立命として記録されることにもなったようですね。あ、この記事の続きは書くの忘れてますね。

国常立尊とエジプトのピラミッド・・・「超古代のある物体」を表現している?

古事記」で最初の神は天之御中主神でしたが、「日本書紀」で原初の神は国常立尊になっていますよね。これは要するに記紀では、一番最初の神について真っ向から意見が食い違っているということで。原初の神はシュメールかエジプトかで、別れたんでしょうかね。

 

イザナギイザナミ

最初の男女という意味で、アダムとエバに対応しているのだが、そんな単純なものでもないです。イザナギというのは、旧約聖書のアダムからモーセまでの役割を果たしている模様。

出エジプトで十の災いが起き、エジプト軍に追いかけられた様子は、イザナギが黄泉を脱出する時に幾つもの試練があり、黄泉大神と黄泉醜女に追いかけられたことに対応します。

 

ウガヤフキアエズ

・神武の父である鵜葺草葺不合命ウガヤフキアエズ)。

この意味不明の名前は実は、「ウジヤ・ヨタム・アハズ」という3世代のユダ王を習合した存在。「葺」の古訓はヲサムであり、ヨタムはヨオサムとも読めるので同じになります。詳しくは以下の私の記事で。

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

 

神武天皇

紀元前7世紀の神武天皇は、同じ紀元前7世紀のユダ王国の「エホアハズ・エホヤキン・エホヤキム」という3人のユダ王を習合した存在。

・磐余とは「イハヨ」と読めるが、これがエホヤに対応している。神武の幼名狭野の「狭」とは3人という意味があり、時代も人数も一致する。

ウガヤフキアエズ神武天皇が、ユダ王国の系図の一部を写したものであることによって、ココまでの解釈「記紀天津神神武天皇の舞台は中東」についての証明のひとつになります。

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

 

 ・しかしながら、日本の神々には「縄文人の神」も習合されている。これは後にしるします。

 ・しかしながら2。これに加えて九州に居た、天皇家に近しい有力豪族の物語も、神武天皇の物語の一部になった模様。

 

これら舞台は本来西アジアの中東でしたが、後に日本列島の九州地方に当てはめられているんです。ではBへ続きます。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

B・アレクサンドロス大王の時代

 ユダ(アッシリア・ペルシア)→パルミラ(ヒムカ)→アレクサンドロス大王領→ヒルカニア(ヒムカ)→バクトリア

アレクサンドロス大王の時代に、カナンの土地からユダ王家の末裔が、中央アジアへと向かっているようです。その出来事が、神武東征の記録として日本列島に当てはめられたと考えています。

 

アルダバゾス

アレクサンドロス大王東征記で、アルダバゾスという人物が出て来ます。もしかするとこの人、ユダ王家から出た人かもしれないです。アレクサンドロス大王に従軍し、東のバクトリアへと移動しています。アルダバゾスはカスピ海南の沿岸の、ヒルカニアという土地にいて、ペルシアでもっとも高貴な王族の末裔というふうに、大王から評されているのですね。そうするとイスラエル王朝かユダ王朝の末裔という以外には無いと考えられますので。おそらヒルカニアとは「ヒムカニア」(日向ニア)で、神武天皇出発地の一つになっています。

 

この区間は神武東征では、九州~大阪までの区間として記録が残っています。

アレクサンドロス大王神武天皇説については、

神武天皇を生み出した「ファラオ=アレクサンドロス」伝説の真相: 神仙組外典【新世紀創造理念】天の岩戸開きとニギハヤヒの復活!

飛鳥昭雄・三神たける著で2010年に出てるらしいです。これはまだ読んでませんね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・C 烏孫の時代

バクトリア→難兜国→烏孫月氏の土地)→烏孫イシク湖

紀元前2世紀、バクトリアの東にあった難兜国から出た難兜靡王が、東の月氏国へ向かって烏孫を建てました。匈奴に滅ぼされましたが、後継の昆莫が再び烏孫を建て直します。紀元前2世紀の烏孫の昆莫までが、神武天皇として記録されました。

昆莫

・昆莫とはkun-moであり、これが漢風諡号「神武(kan-mu)」の元になっている。諡号の撰進をした淡海三船とは、中央アジアにいた天皇家の真相を知っていたとみられます。また、昆莫一家の名前も一致しています。詳しくは関連記事で。

中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について - たっちゃんの古代史とか

 以下この記事の要約

神武 │ Jin │ Mu │
神武 │ Kan │ Mu │
神武 │ Kan │ Bu │

昆莫 │Kuen│ Mo │
昆莫 │Kon │Bak │

一致していますよね。

 

鞴五十鈴の部分が、劉細君に一致していたんです。

鞴五十鈴 │ Rai │ Su │ zu │
劉細君  │Ryu │ Sai │Kun │

古事記の方を見ると

劉細君   r - iu- sai - kun
良伊須須岐 ra-i- susu -ki
良伊須気  ra-i - su - ki

 

神武の息子 手研 タギシ 突騎施 トゥルギッシュ=テュルク
昆莫の息子 大禄 ダルク=テュルク

 

烏孫の3代目は「軍須靡(クンシュミ)」というんですが、名前比べてみたら、

神渟名 kan-jou-mei日本書紀

神沼  kan-sho古事記

軍須靡 kun-shu-mie(秦・漢時代の音)

 

昆莫は君主号ですが、本名を「猟驕靡」といいました。「漢書」「史記列伝」などに書いてあります。

猟 カサヌ・・・ サヌ  狹野(サノ、サヌともいう)

驕 威張る・・・ イバル 伊波礼(イハレ)

 なびく・・・ ビク  毘古(ビコ)、彦(ビコ)

 

中央アジア烏孫とは、日本列島では大和(奈良)に当てはめられている。だから烏孫の後継国の弓月国と同じ名前の「弓月岳」が奈良にあるなど、地名が一致するわけです。

神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる

 

ちなみに月氏とは葛城氏(月氏→がっじ→がっじょ→葛城)であり、記紀においては「エウカシ・オウカシ(オウ月氏・オウ月氏)」のこと。で、神武東征の終局場面が中央アジアであることが月氏の名で示されていました。

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(2)」 日本史の中の月氏

 

日ユ同祖論系の本で、中央アジアの経路を詳しく書いてる本はあるようですが、烏孫に触れている人はあんまりいないようです。

栗本慎一郎著「シルクロードの経済人類学」は天皇家烏孫起源と言っていますが、昆莫を神武天皇と書いた本はなくて、このブログだけです。

この区間は神武東征における、大阪~奈良盆地区間として記録が残っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  

D・欠史八代の時代

 烏孫南匈奴の土地を東進→扶余→高句麗馬韓弁韓

欠史八代というのは実在せず、歴史から欠けているので欠史八代天皇なわけですが、これは間違っていました。日本列島には存在しなかったですが、ユーラシア大陸に存在していました。 

第二代天皇綏靖天皇から第5代までの天皇は、烏孫に留まっていましたが、第六代の孝安天皇の時代から、中央アジア烏孫から極東へ移動を開始しました。

 

天皇諡号には、東夷諸国の名前が暗号化されて残されていました。これはそれぞれの天皇が留まった諸国の名前を表しているのです。あたりはすでに電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け」のなかに書いています。

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2

。( ゚д゚)ポカーン。

歴代 諡号  記紀の和風諡号   含まれる古代国名
       (下段古事記 

07 孝霊天皇 大日本根子彦太瓊  太瓊(フトニ)=扶余・匈奴(フンナ・フンド)
       大倭根子日子賦斗邇 賦斗邇=扶余・匈奴

08 孝元天皇 大日本根子彦国牽  国牽(クニクル)=高句麗
       大倭根子日子国玖琉 国玖琉=高句麗

09 開化天皇 稚日本根子彦大日日 大日日=大半跛(はへ、弁韓の中心国)
       若倭根子日子大毘毘 大毘毘=大半跛

10 崇神天皇 御間城入彦五十瓊殖 御間城=任那、五十=委奴、伊都
       御真木入日子印恵  御真木=任那、印=委奴

 

孝霊天皇については、「ホツマツタヱ」で「孝霊天皇の東征」として記録があり。

ホツマツタヱのなかで、孝霊天皇奈良盆地から出て、富士山のふもとまで進んでいる。しかしそこから奈良へ引き返したという話は出てこない。つまり東へ旅立ったまんま、孝霊天皇の話が終わってるのが不思議。

実は富士というのは大陸の扶余(扶示:ふじ)を言い換えて暗号としてあるのだ。だから、出発地点である昆莫の土地烏孫は、大和国(奈良)となり、孝霊天皇の終着地点は扶余になるということだと考えたのですが。

 

E・崇神天皇弁韓から九州へ移動

 崇神天皇とは卑弥呼と壱与の習合体であることについては、著書「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」に一部を書いています。

邪馬台国の女王壱与(台与)が崇神天皇である理由

 倭国の本拠地の変遷(推定)

魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった

 

 

妄想まとめ画像

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まあこれ以外にもルートはあったことだろう。秦の除福ルートとかね。

 

天津神縄文人神の融合

縄文人の神とは、数万年前に縄文人がアーリアの土地に居た頃から、日本列島に到達した後も、縄文人の信仰のなかに残ってきたようです。その代表的な縄文人の神が、火の神アグニでした。

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火焔土器 - Wikipediaより

縄文人が用いていた土器のなかで、圧倒的に多いのが、炎を模したような形状の火焔土器です。火の神を表現したような釣手土器もあります。

釣手土器 - Wikipedia

こうしたものは実はカグツチなのではないかと考えられるのですよ。

アグニは日本でカグツチとなっているので、カグツチという発音の中に、アグニを見つけることが出来るわけなんです。まあ想像ですが。

ka-gu-tu-ti

a-gu-ni

日本で悪いことは「アク、アク人」というのだが、ここに縄文の神アグニが入っていますね。超古代拝火教の縄文系の人々は、大和民族に悪と断罪され追いやられていました。その場面がイザナギが、カグツチを斬り殺す場面に現れてるではないですか。

ただし縄文系の人々は、大和民族の中にも入り込んで同化しています。記紀神話ではカグツチの子孫、例えば経津主命武甕槌命などが、活躍する場面が多々見られますが。まあこれも中東の出来事を合わせてると見られますが。アイヌって火の神

 

ちなみにカグツチの中には、旧約聖書バベルの塔を建設した、火の象徴たるニムロドが含まれているので、完全に同一じゃないですので。これについては別の記事で。

 

記紀神話は日本列島とユーラシア大陸の神話・出来事・人物の融合

記紀神話とは、舞台が中東・中央アジア・日本という複数で起きた出来事を習合し、日本列島だけで起きたかのようにまとめ上げているものだから、とてもわかりにくいんです。

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日本神話は、おおまかに言うと「日本列島の出来事・神話」と「ユーラシア大陸などの出来事・神話」が合わさっているのが正体なわけで。

中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話

 

 

日本神話には大陸の出来事が習合されてる・・・(一問一答方式)

Q7 騎馬民族征服王朝説は完全に否定されてる状況ですが?

f:id:kl117cr233:20150712073400p:plain学会と学者は、否定するのが早すぎました。多数決で決めたら、どんな変な回答でも多数が正答になってしまうではないですか。豆腐の角で頭をぶつけて死ねるわけがないと、大勢で決めつけるのが早すぎたんです。巨神兵を動かすのが早すぎたのと一緒です。豆腐は氷点下の条件では、コンクリート並みの強度を持つことができて、人間が頭をぶつけて死ぬ可能性は十分なんです。そのことを確かめずに豆腐の角で死ねるわけないと早合点しすぎました。騎馬民族が古代天皇家の根幹にありますし、それは証明できます。豆腐の角の復権から始めたらいいでしょ。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 このあたりまで、電子書籍にまとめたい(希望)。

 

 
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旧約聖書の登場人物をあらわす漢字と日本語

最近ひとまず体の痛みは殆どなくなってます。リンゴ酢と重曹が効いてるみたいで。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

キリスト教景教含む)は古代中国だけでなく、奈良時代以前の日本に伝わっていました。その証拠は、日本で用いられる漢字だとか大和言葉に残っています。

 

たとえばこんなサイトがありました。

漢字は聖書の真理を表す

漢字になった聖書物語

ということで、確かにこれはアリだなと。 

 

定説の崩壊

20世紀までに完成していた「従来型の定説」とは、ぶっこれるためにあるみたいなものかもしれないです。最近どんどん新しい事実や仮説が登場していて、定説がどんどんぶっ壊れていますので。宇宙のこと、人体のこと、生物のこと。古代のこと。

これは科学技術の発展や研究の進展のほか、「なにかに気づいて新説を生み出す人」が増えたことに起因するかもですが。

「俺が能無し説」だとか、「俺の不幸は全部自己責任説」も、そろそろ崩壊していていいですね。世の中の陰謀の正体に気づいている人が増えてきているようだし。

 

定説上で、キリスト教が日本にはじめて伝わった時代は何時か。それはイエズス会の司祭であるフランシスコ・ザビエルがやってきた、1549年となっています。

1549年。ちょうど織田信長豊臣秀吉上杉謙信武田信玄らが群雄割拠する戦国時代です。戦国時代のことは、あんまり詳しくないです。

フランシスコ・ザビエル - Wikipedia

この定説を誰が立てたのが誰かは知りませんが。実際のところは間違ってるのではないかと。

 

 

大和言葉になった旧約聖書の登場人物

 

 アダムとイブ(エバ)というのは、誰でも知ってます。旧約聖書の最初の人間。

上記の紹介したサイトでも登場してましたが、アダムとイブを表す漢字や、ほかの主要登場人物は、漢字や大和言葉して残されていました。(学研漢和大字典使用)

 

・頭(あたま)

あたま a-ta-ma

あだむ  a-da-m

音が似ています。意味はどうか。

頭の「頁」

1・人間の頭。首。

2・ページ。書物の紙を数える単位。近代漢語で葉と同じ音であるため、紙を一葉二葉とかぞえるとき、一頁二頁とも書く。

[解字]人間の頭を大きく描き、その下に小さく両足をそえた形(以下略)

なるほ。では「頭」はどうか。

「頭」

1・あたま

2・かしら・かみ。人々の上にたつ人。長。

3・いちばんはじめ。最先端。

まとめると、あたまは「アダム」ににているのは気になるところ。

「いちばんはじめの人」や「人々の上に立つ人」という意味があるので、最初の人アダムに当てはまっていました。

左側の「豆」は高坏のことですが、植物の豆と解釈すると、豆とは土に落ちる命の実であるので、エデンの園にあった「生命の木」を連想するではないですか。

さらに頁=葉も含めると、アダムが登場した時、いちじくの葉っぱ一枚を下腹部に身につけていた状況が重なってくるようです。葉の関連は唐代以降のことらしいですが、それを差し引いても「頭アダム説」は無視できないような。

倭人は頭という言葉を「アダム」として認識してたので、漢字の頭に「アダム=あたま」が当てられているわけなのかもしれません。

 

 

 ・荊(いばら)

1・いばら。木の名。刑罰で、むちうつ時に用いる杖をつくるのに用いた。

3・自分の妻の謙称。

 荊とは「イバ」であり、「妻」であり、「刑罰」なんですね。

アダムの妻イブ(エバ)が、神によって刑罰を受けたことを的確に表しているようでした。倭人はイブを表す言葉として「荊」を選んで、これをいばらと読むようにしたのかもしれません。

 

 

・白(もうす)

白にはなぜか「もうす(まうす)」という読みがあるんですよね。何故なのか。

1・しろ。しろい。

6・収穫や負担がないさま。

8・もうす。内容をはっきり外に出して話す。また、上の人に真実をもうしのべる。

命令形なら「もうせ」で、モーセそのまんまです。

モーセらユダヤ人が出エジプトをした時、収穫がなかったですね。収穫がない様子を日本語では「徒白」とかいって、白で表すらしいです。食料に困っていたとき、白いマナという謎の食べ物によって、人々の空腹を満たしたらしい。食料確保に負担がなかったですね。モーセ旧約聖書で、神に内容をはっきり外に出して話し、神に真実をもうしのべる人として描かれていたので、やはり白という漢字はしっくりくるようす。倭人は白という漢字に「もうす」を当て、モーセの意味を込めたかもしれないです。

 

 

・回(たび)

1・まわる・まわす

4・かえる

6・たび 回数を示すことば。

7・イスラム教に関係のあることをあらわすことば。

[解字]回転するさま。または、小さい囲いの外に大きい囲いをめぐらしたさまを描いた象形文字(以下略) 

こじつけます。

ダビデ王を「回」に込めているように発想してみました。ダビデとは古代イスラエル王のこと。

昔の中国人は「回」の1字を、イスラム系のひとに使いました。つまりウイグルなど中東人から来た人を指していたのでした。

神の神器「契約の箱(アーク)」を納める神殿(エルサレム神殿)を、最初に建てたのがダビデでした。「回る(かえる)」という音には、エルサレム神殿や神をあらわす「エル」が含まれているではないですか。

「回」というのは解字によると、「小さい囲いの外に大きい囲いをめぐらしたさまを描いた象形文字で、これがダビデの建てたエルサレム神殿の形状をそのまま表しているんではないかと。

ちなみにエルサレム神殿の形状がこちら。 

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エルサレム神殿 - Wikipedia より

 

通路や城壁の形状が「回」。

こうしダビデに関係する要素を「回」から見出したむかしの日本人は、回という漢字に「たび=ダビデ」という読みを加えたのではと発想しました。「回=たび」は完全に死語になってますけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  

漢字辞典を読んでいると、家という漢字に対して「いえす」という読みがあることに気づきました。これってあの方と同じですが。

 

・家(いえす)

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家(いえす)

1・いえ

2・いえ。人が住む建物。

4・王朝をたてた王室

5・いえす。家を構えて住む。

[解字]宀(やね)+豚の会意文字で、たいせつな家畜に屋根をかぶせたさま。

古訓・イヘ

それにしても、なぜ家を「いえす」と読むのかと。

(1)これはイエスが「家畜小屋で生まれた」という伝承があり、それを元にすると、家という漢字によって、日本人がイエスの存在を表していた名残なのでは。

 家という字は「大切な家畜に屋根をかぶせた」を表す。昔の家は洋の東西を問わず、家畜と一緒に住んでるのも普通にあったらしいです。それで家という字には家畜の意味が入っているとか。今もお肉は重視されますが、昔から家畜はお金そのもので、家では一番の財産だったのですよね。

家という字の下の部分は豚じゃなくて、家畜のことだそう。だから日本で生誕地が馬小屋だとか厩と言っているより、「家」が表す字義のほうが正確性があるのでは。

それはともかく、6世紀の日本の厩戸皇子聖徳太子)も、きっとイエス・キリストを知っていたから、自らを厩戸の皇子と名乗ったのでしょうし。

 

(2)宀(うかんむり)のウ冠って、王冠ですね。イエスは十字架に架けられたとき、「INRI」という罪状を表す板が掲げられていたとのこと。

「INRI」とは「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という意味。イエスがユダヤの王を騙って神を冒涜したことが罪とされて、十字架に架けられたとか。

INRI - Wikipedia

「家」には王朝という意味があるんですが、これはイエスが古代イスラエル王家のダビデ王の子孫であって、ユダヤ人の王家の人だったという意味に整合していますね。

だからいろんな意味で、奈良時代以前の頃は「家(いえす)=イエス」を表す言葉だったのでは。

  

こうした漢字に聖書の偉人の意味を加えたのは、昔の日本人でした。

ということで、日本に初めてキリスト教が入ったのは、1549年ではなくて、古墳時代より前のことでした。

 

 
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世界の文化って均一化が進みまくって

 

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人種のるつぼ - Wikipedia より

 

このブログの歴史研究で、やたら日本文化は実は大陸起源って言ってますが。これは日本を貶めるわけじゃなく、純粋な好奇心で追求した結果なので。

それから、身体的に生活的に頭脳的にツッコミどころ満載のブログ運営者なもので、「またこんなこと書いてるよ~w」みたいに思う方、いらっしゃるでせうね。

まぁ、世の中はハイテク使ったノゾキ見とか、ハッキング泥棒とか、嫌がらせとか、執拗に悪いことしてる人も、みんな堂々と悪びれず生きていますよね。

だから俺も別に、細かいことは気にしなくて良いかと。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

以下の項目でいくつ当てはまっていますか。

 

1・住宅はじゅうたん敷きで洋間やベッドがあるなど概ね洋式

2・年間360日以上、西洋発祥の洋服を着ている

3・年間360日以上、西洋人が発明した家電を使っている

4・西洋人が発明したインターネットを毎日使っている

5・パンや肉料理などの洋食を毎日食べる

6・トイレは毎日洋式を使う

7・移動するときは西洋で発明の交通手段(自転車、車、電車)

8・日本文化を誇りつつ日本文化にどっぷり浸るのは年間数日だ

 

全部当てはまってると答える人、9割超。たぶん

部屋の中を見渡してみれば、じゅうたん、カーテン、フローリング、壁紙、電灯、家電、カップ、家具、洋服。道路のアスファルト、コンクリート、電車、車、学校。

あら~不思議。日本はどこ見ても西洋発祥・西洋式ばかり。

なんでだろう。

 

西洋文化70%程度 生活環境と道具全般が支配されている

中国文化10%程度 漢字、中華料理など

日本文化20%程度 神社参拝、料理、日本語使用、生活習慣など

 こんな感じだろうか。表面的だけで見るなら西洋文化90%と言えるかもですが。

 

 あ、そういえば維新志士。近年、なぜか維新志士がやたら持ち上げられていますね。かっこいいですし。

でも一方で、彼らは明治維新を起こして日本伝統文化の7割を、日本の表面から駆逐したんですが。まるで西洋に成り代わって、文化的に日本侵略を完成させたみたいな。そういう観点で見ると、なんか維新志士とか明治維新とか文明開化って罪深い気がする。

 

グローバル化とか言ってますが。

これは今始まったんじゃなくて、日本では弥生時代はすでに大陸文化と融合してグローバル化していたと言えますし。

納豆、醤油、味噌、うどん、天ぷら、洋菓子。こうした日本人が大切にする食文化は、実は大陸発祥が多いですし。

明治時代以前も、大航海時代や世界大戦の時代から、西洋人は日本を含む世界を、自分色に染めて、自分たちの伝統文化は、昔からほとんど変わらないっていう。

日本が急速に伝統を捨て去って西洋化していた中、西洋はずっと伝統的な西洋のままですね。

 日本人は欧州でジャポニズムが影響した~とか誇らしげだったりしますけど、世界の欧州化というユーロイズムのほうが、規模としては地球規模で起きていてすごいんですが。規模に雲泥の差があるので、そう考えると欧州のジャポニズムが誇らしいかどうかは微妙ですね。

 

日本人「日本文化は優れていて世界で独自で、素晴らしい」

俺「そうだね、でも君、いつも洋風の家に住んで洋服着てるよね」

日本人「あ」

俺「いちにち三食、洋食じゃないの、おやつも」

日本人「あ」

 

という感じで。

 

愛国者には、外国文化の侵略は排除しろ!という人もいますね。世界中で(まあ俺は色んな意味でダメ人なので、自分が排除されてますけど・・・)。

世界中の企業が自国製品を、日本で外国で売ろうとしているし、インターネット通販はあるし。もう排除は不可能なところに来たらしいですね。

日本に流通してる道具や食品の半分以上の生産地は、外国なんじゃないですかね。日本はすでに西洋の思想に蹂躙されてますが。世界中同じですが。

変なところでは、集ストだとか、事故に見せかけた作戦ですね。世界中で均一的に同じことやってるんじゃないかと。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

もうひとつ、世界の文化が均一化する方法が進んでおり。それは

 

日本文化が世界に浸透することによる、世界文化の均一化

 

日本人が、ブログやツイッターで外国文化受け入れNOとかいう人ですら、日本文化を世界に広めようとすることは、反対しないかもしれません。もしかして積極的に伝播させてるかもしれません。

すると外国人が、日本文化を受け入れていく。素晴らしいものって、勝手に真似されて広まりますから。 

剣道、柔道、ウォシュレット、包丁、寿司、アニメ、コスプレ、猫カフェ、かつおだし・・・。

 

世界が知らず知らずのうちに日本的なものを受け入れる

世界文化の均一化

 

結局こっち方面でも起こってくるらしい。 

中国人は日本嫌いで知られてますが、中国では何でも日本製品が人気らしいです。中国アニメも、99%日本方式を取り入れて、彼らは日本式が良いって思っちゃってるのですね。

日本で放送されてるアニメが、中国人が描いてるのか日本人が描いてるのか、素人じゃ区別がつきませんけど。

中国の日本アニメ「依存症」 - WSJ

日本のマンガ・アニメ 売上急増の要因は?=中国

まさに中国の日本化→ 日中の文化的な均一化が進んでる。 

 

1・日本の文化に外国の文化が流れ込んで文化の均一化(世界各国で起こる)

2・世界のある国に日本の文化が流れ込んで文化の均一化(世界各国で起こる)

 

この2つは、今の流通システムとインターネットシステムが維持されている限り、もう止まらないんでしょうね。

もう、世界文化の表面的な区別がつかなくなる、と同時に「良い」と「悪い」の区別がないみたいな世界だって、あらゆるところで。

 

人種のるつぼ - Wikipedia

日本も人種のるつぼ化を目指す勢力が強いとか。NWOだとか。東京都心は、すでにそうなってますが。

東京23区 外国人人口と国籍構成グラフ : ぐらふくん

東京都の外国人比率番付 - 都道府県・市区町村ランキング【日本・地域番付】

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに、

縄文人、納豆、醤油、味噌、うどん、天ぷら、和楽器、焼き物、漢字、仏教神道、仮名文字、天照大神神武天皇

どれも最初は大陸起源だったけど、どれも日本で発展し継承された伝統文化や存在だ。と勝手に思っています。では。

 

 

 
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漢字になった「ノアの方舟」

巨大な世間にいじめられつつ、今回もテキトーに発想と連想を繰り返してみました。

使ってる辞書は「学研漢和大字典」。

 

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ノアの方舟 - Wikipedia より

 

ノアの方舟

ノアの方舟(ノアのはこぶね、英語: Noah's Ark)は、旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事。または、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指す。「はこぶね」は「方舟」のほか、「箱舟」「箱船」などとも記される。

クルアーン』にも類似の記述があり、「ヌーフの方舟」と呼ばれる(11章 フード)。

紀元前3,000年にさかのぼるシュメールの「ギルガメシュ叙事詩」に、ノアの方舟と似た話があるとか。どんだけ大昔の話なんだ。

 

旧約聖書のノアの物語

 むかしむかしあるところに、アダムの子孫で、真面目なノアさん一家がいました。その頃、世は乱れて、悪がはびこっていました。

 ノアの一家だけは神を信仰していましたが、人々はそんなノアのことをからかって、毎日のように馬鹿騒ぎを繰り返していました。ある日、神がノアに話しかけました。

神様「ノアよ、わたしゃ~愚かな人類を大洪水で滅ぼそうと思うw」

ノア「まじっすかw」

 神の言葉を受け、ノアは巨大な方舟を作り始めましたが、人々は口々にノアを罵倒しました。

町人「山のてっぺんに船作ってるwww」

ノア「みんな、神の怒りの大洪水が必ず起こるんじゃよ」

町人「おい、あいつ頭おかしいぞw」

町人「山上船じじいばーかw」

 そうして、ノアに物を投げつけたりするのでした。方舟が完成すると、地上のあらゆる動物のオスとメスを収容し、大洪水に備えました。

町人「船にヒキコモったwww」

町人「こんな山の上で洪水なんか起きるかばーかw」

 やがて雨が振り始めると、豪雨となって40日40夜も降り続け、地上は水で覆われて、なおも150日間も増水を続けました。こうして、ノア一家以外の愚かな人類は滅亡しました。

 やがて水が引き始めると、ノアの方舟アララト山の山頂に乗っかりました。ノアが鳩を放すと、やがてオリーブの葉っぱを咥えて戻ってきました。そうしてアララト山から、人々と動物は地に満ちていったのです。

つまりノアこそが、人類の祖先であるということに。

 

これに関連する漢字を探す旅。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

・船(ふね)

船という漢字は「舟+八+口」であり、これは「方舟の所有者であるノアには八人の家族がいた」ことから出来た漢字だみたいな話。これは有名で、「エホバの証人」が出処だとか。

まあホントかどうか分からない。もう一つの舟の漢字を見てみます。

 

・磐(いわ)

磐とは普通に発音すれば、岩とか石みたいな単純な鉱物の塊みたいに見られてしまいますよね。ところが神社では「磐座(いわくら)」と言って神社の御神体として見ているのですよ。

なぜか神武天皇諡号は「磐余彦」で、「磐」の字が使われてるのは、神武天皇自体がご神体みたいなものだからですが。

 

磐の漢字は「石+舟+動作」 という3つの構造からなっているので、「岩の上に舟を載せた」という行動だから、どうしても岩山の上のノアの方舟を連想してしまいますけど。

 

磐の字を辞書で引くと、

【磐】いわ

1いわ どっしりと平らに大きくすわった石。いわお。

平らに広がる。平らに円をかく。ぐるぐる回る。

あぐらをかいて、どっしりとすわる。わだかまる。ぐるぐると円を描いて回るだけでたち去らない。

古訓に、「チヒキノイシ」とある。

となっていて、なぜ岩なのにぐるぐる回るのかという疑問点が。

磐については過去に記事でまとめたことがあり。

磐座と飛行物体

 

 この記事ではさらに「磐」「の上の部分「般」についても調べていました。

【般】ハン

1 めぐる めぐらす 中心からまるく平らに広がる。円をえがいてまわる。また、そのさま。

2はこぶ 中心に集めた物を円形に広げることから、物を移しはこぶ。

3かえす かえる もとへもどす。また、もどる。

古訓には「オホフネ」とある。大船のこと。

この記事の結論として、 

磐座には、「イザナギが黄泉の国を塞ぐ」「ぐるぐる回りながら天空へ飛翔する」意味があって、「イザナギが黄泉を塞いで高天原へ戻る」という日本神話の行動原理が反映されてたようなのです。

といってましたが、この記事を書いていたらまた気づくことがあり。

神武天皇に磐の漢字を使ったのは、出自がノアの方舟の舞台であることを表すためかも。

まあ天の鳥船とかそういうのも、ノアの方舟に関係していそうです。

 

・天の磐船

鳥之石楠船神ともいう。

イザナギイザナミが産んだ蛭児を、鳥之石楠船に乗せて流したという。

饒速日命が天の磐船に乗って空をとび、大和の地に降ったという。

鳥之石楠船神 - Wikipedia

 

 

・朕(ちん)

始皇帝「朕は始皇帝である」とかいう朕(チン)。

 

辞書で引くと

朕 われ・わが

1・自分が持ち上げた気持ちで、自分自身をさす場合に用いた古代の一人称代名詞

2・天子だけが用いた一人称代名詞

3・表面にあらわれたきざし(徴・兆)

[解字]

もと「舟+両手で物を持ち上げる姿」(中略)舟を上に持ち上げる浮力のこと。

要するに朕とは、天空に持ち上げられた舟だった。

なぜ秦の始皇帝は自分を朕といっていたのか、考えると、

「先祖がノアの方舟神話を継承してきたから」なのではと。これは磐座に関係しているようでした。

で、この始皇帝はどう考えても天皇家と関係してましたが。

 

・白(しろ)と皇(おう)

始皇帝は、最初の皇帝だったのでしたが、じつは「皇」の字もノアの方舟に関係してました。そういえば天皇陛下は「上皇」になるらしいですね。

コノ字、「白い王」と書くので、なんかの日ユ同祖論の本でネタになってました。白人の王だったからだと。

 

皇を辞書で引くとこんなことがあり。

 

1・きみ 開祖の偉大な王の意味。秦の始皇帝が自ら皇帝と称したのにはじまる。

2・天上の偉大な王。

[解字]

(前略)人類開祖の王者というのがその原義。上部の白印は白でなく自(鼻の原字)である

秦の始皇帝については白人説は有力で、イラン系というのがもっぱらですが、辞書を引くと面白いことがわかりました。

ここでちょっと、ノアの方舟の主人公の「ノア」さんについて、世界ではどんな認識がされていたかを調べてみると・・・

ノア(ヘブライ語: נוֹחַ Nóaḥ, נֹחַ Nōªḥ、ギリシア語: Νώε, ラテン語: Noe, アラビア語: نوح Nūḥ)は、旧約聖書・『創世記』5章〜10章に登場するノアの方舟(箱船)で有名な人物。創世記の記述に従うならば、すべての人類の祖先ということになる。

キリスト教正教会では「ノイ」と呼ばれ、聖人とされている

ノア (聖書) - Wikipedia

 

ノア=全ての人類の祖先

皇=開祖の偉大な王。人類開祖の王者というのがその原義

 

完全に一致。

 

しかも皇って、発音が「ノウ(noh)」で、これって「ノア(noah)」に通じるじゃないですか。全部正解じゃないですかね。

 

付け加えると、白っていうのは「もうす」という読みがあって、これって命令形なら「もうせ」でモーセだなと。 モーセの子孫という意味も皇に込められてる気がしますね。

  

・嬴(エイ)

 

始皇帝の姓は「嬴(エイ)」といってましたが、これもなんか関係してるのではと直感が働いたので、調べました。

1・あまる・あまり

4・かつ。賭けや競争でかつ。

[解字] 貝+ふやける。瀛(大きい海)と同系のことば。

ここで重視したいのが、「かつ」ですね。

始皇帝は勝つ」ということは、今度は始皇帝を表す「勝」の字を調べる。

 

・勝(かつ)

 辞書を引くと、

まさる

1かつ

2かち 相手を倒して上に出ること

3たえる がんばる。もちこたえる。

[解字] 朕は舟+両手で持ち上げる姿の(中略)舟を水上に持ち上げる浮力。上にあげる意を含む。勝は「力+朕(持ち上げる)」の会意文字で、力を入れて重さに耐え、物を持ち上げること。「たえる」意と「上に出る」意とを含む。 耐え抜いて、ほかのものの上に出るのが勝つことである。

[古訓] アク

ノアは人々にバカにされ見下されていましたが、 人々の罵声に耐え、洪水に耐えて舟はもちこたえ、アララト山の上に出ました。これをノアの勝利と表現せうに、なんと表現すればよいのか。

勝の字自体が舟を持ち上げる意味だったので、完全に整合してますね。それから注目なのが、古訓の一つに「アク」があったこと。

ノアの方舟というのは、西洋では「アーク」と呼ばれるので、日本語の大和言葉のなかに「勝=アク」が入っているのは、どうみても関連が見えてしまうでないですか。 

おそらく昔の日本人が勝に「アク」という音を当てたのは意図的ですよね。

  

 という風に、漢字にはノアの方舟の情報が含まれていました。ほとんど始皇帝関係だったのは、始皇帝がノアの子孫という認識を持ってたからなのでは。

 

 
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アイヌは元々大陸から流れてきたキルギス人(契骨)だった説

アイヌ民族の研究に横ヤリ入れ。

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 北海道-wikipediaより

 

近年になりアイヌ民族が、日本の先住民とか言われてますけど。

沖縄人も、先住民なんだだとか主張して国連も同調してるらしいです。

「沖縄の人々を先住民族と認めるように」 国連が勧告 政府「アイヌ以外に存在しない」

 

とか言ってますけど、最新の研究によれば、沖縄人というのは、「日本本土の大和民族から別れて南西に向かった人」が多くを占めるのだそうで。以前は沖縄は東南アジア系だなんて言われてましたが、違ったらしいです。

すると国連の沖縄人は先住民という認識って、どこから来てるんだろ~か。

沖縄の人々、ルーツは「日本由来」 南方系説を否定 | 沖縄タイムス+プラス ニュース |

 

実は、倭人=日本人自体が、2000年以上前から在住している、先住民と言える民族なのですが・・・。

倭人は大陸系の人種を数多く吸収して成り立ってきたとは言っても。倭人とは、倭の島々に住む、縄文系と渡来人と呼ばれる弥生人を総称したものなので。

 

まだ倭の人口が30万人以下だった弥生時代の頃、「後漢書」の「秦からの移住者数千人」といった記録は有名ですね。 

ぶっちゃけ弥生時代古墳時代における渡来人の割合は、全国の遺跡の状況からみても、弥生時代後期には日本列島総人口の60%~80%を占めたと計算されるくらいだけど、

こうした数字は、「ヤマト王権天皇縄文人派」の人たちは直視しないのだろうか。

弥生時代の渡来人の規模

 

話は戻って、なんで沖縄人が先住民と言っておいて、沖縄人の大元である日本人=倭人(縄文系入ってる)は先住民じゃないんだろう。まあ国連は、変な話に首を突っ込んでましまったようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前置きはこのへんにして、本題に。

 

 

北海道の先住民らしきアイヌですが。近年のアイヌ民族は何か怪しいですね。アイヌじゃない人がアイヌ民族に入り込んで、アイヌの民族衣装を着て商売してるとかいう話も・・・。

 

そのアイヌ人やのアイヌ住む地域には、別名がいろいろありました。いろいろ探してみると、 

・毛人(もうじん)関東あたりにいたアイヌの呼称。弥生時代

・日高見(ひだかみ)北海道、東北地方の総称。古墳時代

・東夷(とうい)景行天皇が関東のアイヌをこうよんだ。古墳時代

蝦夷(えみし)景行天皇アイヌをこう呼んだ。古墳時代

・俘囚(ふしゅう)北海道東北の反大和王権勢力から帰属した者。奈良時代

・流鬼(りゅうき)樺太島にいた北方アイヌ奈良時代

・後方羊蹄(しりべし)北海道の呼称。奈良時代

蝦夷ヶ島(えみしがしま)北海道、樺太、千島列島の総称。平安以降

・骨嵬(くぎ)大陸の元朝による呼び名。13世紀

・苦夷(くゐ)上に同じ。15世紀

アイヌ アイヌ自身が呼んだ「人間」を意味する。江戸時代以降から

・北州 江戸時代

・十州島 江戸時代

・北海道 明治時代~

 

ここで気になる名前

・流鬼

・流鬼

・後方羊蹄

蝦夷

・骨嵬

・苦夷

ここにアイヌの正体が隠されてるんではと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ところで、昔のアイヌ蝦夷)は、大和朝廷からフルボッコにされる扱いでした。景行天皇はこんなことを言ってます。

「いま東国に暴れる神が多く、また蝦夷が全て背いて、人民を苦しめている」

「かの東夷は性凶暴で、陵辱も恥じず、村に長なく、各境界を犯し争い、山には邪神、野には姦鬼がいて、往来もふさがれ、多くの人が苦しめられている。その東夷の中でも、蝦夷は特に手強い。男女親子の中の区別もなく、冬は穴に住寝、夏は木に棲む。毛皮を着て、血を飲み、兄弟でも疑い合う。山に登るには飛ぶ鳥のようで、草原を走ることは獣のようであるという。恩は忘れるが恨みには必ず報いるという。矢を髪を束ねた中に隠し、刀を衣の中に帯びている。あるいは仲間を集めて辺境を犯し、稔の時をねらって作物をかすめ取る。攻めれば草にかくれて、追えば山に入る。それで一度も王化に従ったことがない」

日本書紀 上 全現代語訳」より

 

これ、大陸の前漢後漢が、敵対してる遊牧騎馬民族匈奴に対して、景行天皇とそっくりなことを言ってるんです。

それで、東日本の蝦夷には、匈奴という遊牧民族が含まれるという解釈をしてる記事だったので、一度読んでみてください。

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(1)」 匈奴は来た

 

 

・後方羊蹄 

後方羊蹄っておかしい。何故かと言うと「古代の日本列島には羊がいなかった」のに、なぜか羊さんの登場。

関東には群馬(羊と馬)、羊太夫なんて人もいましたが。

でも倭人は、大陸に羊がいることは分かっていたのですよ。だから、倭人アイヌが元々「羊を扱う遊牧民」だと認識していたからこそ、羊蹄の名前を付けたんではないかと。

つまりやっぱりアイヌは元々、海を超えてきた大陸の遊牧民族出身なんじゃないかとい疑惑が、ここでも出てきました。

 

そういえば、アテルイなんていうアイヌの指導者がいましたが、中央アジアアルタイ山脈の名前を取ってたとすると、しっくりくるのですが。

アテルイ - Wikipedia

 

ところで古代中国では、異民族のことは犬畜生とか鬼みたいな扱いをして蔑んでいました。それで異民族を西戎(犬)とか北狄(逃亡者)とか濊(けがれ)とか変な意味を付けていたんですよね。そのへんは日本でも受け継がれて、「東夷(東の野蛮人」)とか言ってますけど。

 

 ・ 骨嵬と苦夷

 

 歴史上で中国人が異民族名に「骨」を付けたのは3つでした。

1・アイヌを表す骨嵬

2・キルギス人を表す契骨(5世紀)

3・回鶻ウイグル新疆ウイグル自治区トルキスタン

つまり中国人は、同じ特徴を持つ民族に、同じ字を使っていたのでは。そうするとアイヌキルギスウイグルとにているという認識だったんでは。

 

 この頃のキルギスバイカル湖のあたりにあって、5世紀以前は堅昆の名前を持っていました。

別名には堅昆(けんこん)、居勿(きょぶつ)、結骨(けつこつ)、紇骨(こつこつ)、紇扢斯(こつこつし)、黠戛斯(かつかつし),戛戛斯(かつかつし)、吉利吉思、乞力吉思、乞兒吉思、乞里吉思で、大部分がキルギズ、キルギズという発音。

堅昆 - Wikipedia

 

キルギス人の特徴を見てみよう。

結婚・葬式

結婚は新郎側が羊と馬を新婦側に収めて嫁を招く。富裕者ではその数が100〜1,000にもなる。(遊牧民

文字・言語

古代には「丁零の雑種」とされ、イェニセイ川流域に『イェニセイ碑文』を残し、『新唐書』回鶻伝下に「その文字言語は回鶻(ウイグル)と正に同じ。」とあることから、文字は突厥文字を使用し、言語はテュルク系の言語を話していたことがわかる。また『元史』地理六では「その言語は畏吾兒(ウイグル)と同じ」とある。

人種

新唐書』回鶻伝下に「人は皆背が高く、赤い髪、析面、緑の瞳をしており、黒髮は不祥とした。黒瞳の者は必ず李陵の苗裔であるという」とあることから、黠戛斯人は西方系の人種(コーカソイド)であり、東方系(モンゴロイド)ではなかったことがわかる。中には黒髪・黒瞳の人種(モンゴロイド)もいたが、これはかつて匈奴によって右賢王に封じられた漢の降将李陵の後裔だとされていた。また、敦煌出土の『ペリオ・チベット語文書1283番』の中でも、キルギス族は「目は水晶の瞳、赤い髪」と記されている。

キルギス人はトゥルク系でコーカソイドということだから、地中海のあたりから来ているらしい。キルギスという名前はたぶんトルコのキリキア、イスラエルのクルクらへんの関連を伺えるのですが・・・。

 

ところで、「アイヌキルギス人が同じなわけないだろう?」

と考えるかもしれませんが。苦夷の「苦」は「くるしい」なのですよ。

あと、アイヌ人は自分たちの住民や部族のことを「クル」と言ってたのが関係してるんようです。キルギスと同じ言語というウイグルを加えて比較すると、

・キルぎす

・ウイグル

・クルしい(苦夷=アイヌ

・クルアイヌの部族)

 

さらにキルギスの漢字には契約の「契」が使われていますが。この契は「ケイ」で、アイヌの古名(クイ、カイ)と同系じゃないですか。

契骨(ケイ骨) キルギス

苦夷(クイ)アイヌ

蝦夷(カイ)アイヌ

  

最後のトドメにキルギス族とアイヌ民族の 民族衣装を比較。

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アイヌのいろんな模様。唐草模様、迷路みたいな模様が特徴的。模様の入ってない衣服もあり。頭に布を巻いたり帽子をかぶることもあるとか。

アイヌ - Wikipedia

つぎにキルギス人の民族衣装。

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柯爾克孜族 より

アイヌにそっくりな模様があり。

キルギスにはいくつかの部族で構成されていたので、おそらく部族ごとに固有の模様があったんでしょう。同じ模様がキルギスアイヌに保存されていたのは、きっとこの模様がとても大切だったから。 

 

アイヌ民族の正体についての結論

これよりアイヌ民族の正体について、想像を膨らませます。

 

日本人の男系Y染色体遺伝子はD型というのが大きな部分を占めるそうです。通説ではこれが縄文人の遺伝子だとされます。

縄文人は、キルギス人がいたバイカル湖付近を、拠点にした時代があったそうです。

そうすると、堅昆・契骨のキルギス人にも、縄文人の遺伝子が、もしかしたら含まれるのかも。

彼らキルギス人の本隊は、地中海方面からやってきた、トュルク系言語のコーカソイド人種でした。

しかし、キルギスのなかには黒髪・黒眼の人々もいました。彼らが弥生時代後期以降に東へ旅立ち、日本列島に入って、それが後にアイヌと呼ばれます。

だから、アイヌには、1万年前からいる日本列島の縄文人の末裔、それに加えてキルギス(堅昆・契骨)からのの分派が入っていました。

詳しく言えば、アイヌとは「キルギスの中に入り込んだ、匈奴によって右賢王に封じられた漢の降将李陵の後裔で黒髪・黒瞳の人種」の末裔が、混ざっているということなのかもです。

アイヌは元々、匈奴の後裔だった者も含まれる部族なので、景行天皇が「日本書紀」でアイヌ蝦夷の特徴を匈奴そっくりに語ってるのは、まったくおかしくないことになるんですよ。キルギス人とは別に、匈奴人自体も日本に入りこんだかもしれません。

そうすると、アイヌの祖先がキルギスから草原と海を超えて、樺太や北海道に入ったのは、おそらく弥生時代後期~古墳時代の頃までのことなのではないかと。

だから実は、日本のY染色体のD型には、1万年以上前からの縄文系D型と、弥生時代以降にキルギス烏孫を含む中央アジアから入ったD型の、2種類がありました。両者は大きな時代差を経て日本列島で融合している、といっても同じD型なので、現時点で区別がついてないのかもしれないのでした。そんなことあるだろうか。

 

なんてい う、アイヌの古名から導かれた、俺の想像ですけれど。

 

 
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なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源2

なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源1 

の続き。

 

「足」が中東に対応するということは、おそらく倭国は人体で「頭」に対応する場所なのではと考えました。

別に中東を貶す意味はなくて、日本語の人体用語に当てはまってるので。

そうすると、足(中東)と頭(倭)の間の胴体は、ユーラシア古代国家のどこなのかと。ヒントになったのは、北東アジア。

 

結論 

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「人体名称大陸古代国家説」 

倭人は自らのルーツを、人体の部位名として刻み残していたのですよ。

 

おそら弥生時代卑弥呼邪馬台国が倭を支配した頃に、日本語が作り変えられているでしょう。いつしか日本人は、この叡智を忘れ去ってしまったんですよ、俺の世界初の仮説ですが。

これいまからずっと前、30歳くらいの時、世間にぶっ殺されそうになってたピークの頃に原案を思い付いて、ファイルに閉じていました。で、最近やっとまとめる気が出たので、組み立ててみました。

 

北東アジア諸国との対応

紀元前3世紀~2世紀頃の東アジア情勢に対応しています。

 

・心臓は高句麗

高句麗(ko-ku-ri)はこころ(ko-ko-ro)という言葉に似てますが、心は心臓。

・肺臓は扶余

扶余は(hu-yo)で、肺(ha-i)に似てる。

・胸は匈奴

匈奴の匈(きょう)が胸(きょう)。

・乳はチチハル

人体で肺の上に乳がありますが、扶余にチチハルという紀元前からの都市があり。

・肝臓は漢

肝(かん)は漢(かん)。

・背は鮮卑

鮮卑は北東アジアの北部。背ん卑。

・頸は韓

頭が倭に対応するから、胴体と接続する頸(首)は朝鮮半島

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

お腹より下も、同じ時代(紀元前3世紀~2世紀)までは、中央アジアに対応してたみたいですが。

中央アジア西アジア諸国との対応

 

・腹=トハラ

トハラとはトカラ、トハリスタン。中央アジア

ペルシア、パルチアのペル、パルも含むのか。

・腰=月氏

月氏→かっし→こっし→こし→腰

・臍=烏孫

烏孫→うそん→へそん→ヘソ→臍。臍は母子がつながるという意味で重要視

・玉\(^o^)/)

タリム盆地。タリムが玉。「史記列伝」か「漢書」にタリム盆地は白玉の産出地とあったと記憶。

・ちん◯\(^o^)/

中国読みの秦(ちん)がちん。マラは不明。縄文語か。

・女陰\(^o^)/

「ほと」はホータン。

・ひざ=波斯(ペルシア)

波斯→はし→ひさ→ひざ。ひじも。

・腿=ペルシア

むかし、中国では桃(もも)の起源をペルシアと言っていたんですよ。そうすると腿(もも)が桃の産出地でペルシアに対応するということに。

そうすると、桃から生まれた桃太郎なんて話にはペルシアから倭へ来たみたいなことで頷けますけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 腕は特殊でした。

 

・腕=ユダ

腕について考えてみますが、これは日ユ同祖論でいえば「ユダ」でしょうね。

ユダがウデ。ユダ、ユデ、ウダ、ウデ、なんか似てます。

ウデというのは考えてみれば、体の足の先から頭のてっぺんまで、まんべんなく移動できる唯一の場所なんですよね。そうするとユダは移動性の民族だから、腕の部分にそう名づけてるって、日ユ同祖論で解釈したら理にかなうわけなのですが。

 ・手=タタール

タタール→おたた→おてて→お手々

ユーラシア大陸のトルコから発祥し日本列島に至るまでアルタイ語族っていわれますが、これに寄り添うようにしてタタールという人々がいました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

倭国というのはユーラシア諸民族の習合体だったのであり、当然ながら頭にもその情報が入っていました。

 

・ かしら=月氏

月氏→かっし→かしら

・おつむ=烏孫

烏孫→うそん→おつん→おつむ。「烏」の中国上古時代の発音は、ウー、オー。

・まなこ=任那

任那→みまな→まなこ

・みか=三韓

耳の古訓は「みか」。三韓→みかん→みか

・はじめ=波斯

鼻の古訓は「はじめ」。波斯→はし→はじめ。

・くち=月氏

月氏→けっし→くっち→くち。

 

つまり倭の中枢には、こうした人々が入っていたんではと。

過去記事にもありましたが、

中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について

中国史書を見る限り倭国の中枢はユーラシア各地からの帰化人だらけ

関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 -

とか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

まあこれを、偶然とか妄想と片付けても良いわけですが。

 

俺の妄想によれば、倭の真相に近づくには、日ユ同祖論、天皇騎馬民族王朝説、倭人ユーラシア民族習合説、みたいな、大陸レベルで見ていかないといけないんじゃないかと。

遺伝子的にいえば、中東↔中央アジア中央アジア↔東アジア、東アジア↔倭

というふうに接する地域は、相互に関係してるでないですか。

東へ迎えば遺伝子は変容したとしても、先祖の文化やルーツは記憶していたでしょう。その結果が日ユ同祖論の指摘であり、こんかいの、人体名称大陸古代国家説なわけなんですが。

 

いま「縄文語」とされてる倭の言葉の人体用語は、縄文語じゃなくて、弥生時代後期に弥生人がユーラシア諸国名を当てはめて、倭人のなかに普及させたものが多いんですよ。私的な仮説によれば。

だからいま学者によって常識とか通説って言われて出回っている、古代史をはじめとした世の中の知識は、間違ってるかもしれないなと。

歴史とは、個人の信念とか愛国心とか、誰かのゴリ押しが影響して、決定づけられるところがありますからね。

低学歴の思いつきですが。

 

 おわり。

 

 
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