世界中の似通った神話の起源については、大きく2つの説があるそうな。
1・世界の一点から生まれた神話が、世界全体に伝播したという単一起源の考え方。
1・世界各地で別々の時代に独自に誕生し、偶然似通ったという考え方。
比較神話学の専門用語で、なんていうのか忘れた。。
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○いつも助かっております
固有じゃなかった
前者の場合で言えば、日本神話は縄文人や近隣の古代中国のみならず、西のシュメール、ギリシャ、東欧、などの神話の流れを受け継いでいるので、西側の神話と一致していて当然のことなのではないかと。
「神話から歴史へ(1)日本の歴史」井上光貞著(初版1973年)によると、たとえば
天の岩戸神話の系統を学問的に裏付けたのは、ドイツ生まれのアメリカの東洋学者のメンヘン・ヘルフェンの「日本─カリフォルニア」であった。彼は「日神が洞窟や箱にかくれ、これをおびきだすという主題の神話は、西はインドのアッサム、東ははるか太平洋のかなたカリフォルニアにおよんでいる」と述べている。」p70
アジア・中東に分布している日本と共通の神話
・天の岩戸神話 太陽神がかくれてしまったので、様々な方法を駆使しておびき出す
・ヤマタノオロチ神話(ペルセウス・アンドロメダ型神話) 大蛇などの怪物を撃退して生贄を救う英雄譚
・天孫降臨神話 王の祖先が山の上に降臨する
・木花咲耶姫型神話 石と食べ物、どちらか1つを選んで、その後の運命が決定する
・黄泉神話 地上の神が地底世界へもぐって、神と一悶着あってから脱出
こんなふうに。人によれば「日本固有」と決めつけている日本神話は、じつはアジアや世界と共通した骨組みだったとか。
ということで、「旧約聖書」「日本書紀」の冒頭部分のほうを見てみる。
1神による創造の七日間 最初の神と神代七代 (7で一致)
というふうに、順番は違えども、だいたい当てはまるんですよ。バベルの塔の物語に対応するものは、イザナギとイザナミが生み出した「天御柱」だと考えていたのですが、どうもそれだけじゃなかったようです。
バベルの塔の物語から、ちょっとばかり確認してみる。
バベルの塔の話
聖書の記述
バベルの塔の物語は旧約聖書の「創世記」11章にあらわれる。そこで語られるのは下記のような記述である。位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。バベルの塔の話
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。「創世記」11章1-9節
つぎにバベルの塔の建設者について。
ニムロド
ニムロド(ヘブライ語: נמרוד)は旧約聖書の登場人物で、『創世記』の10章においてクシュの息子として紹介されている。クシュの父はハム、その父はノアである。ミドラージュにおけるニムロド
僕(しもべ)たちはアブラハムを捕らえるとニムロドに引き渡した。ニムロドはアブラハムに命じた。「火を崇拝せよ!」。するとアブラハムは答えた。「わたしは水を崇拝します。火は水に消されるではありませんか。」ニムロドはまた命じた。「ならば水を崇拝せよ!」アブラハムは答えた。「わたしは雲を崇拝します。水は雲によって運ばれるではないですか。」ニムロドは命じた。「雲を崇拝せよ!」アブラハムは答えた。「では、わたしは風を崇拝します。雲は風によって散らされるではありませんか」。ニムロドはなおも命じた。「風を崇拝せよ!」アブハラムは答えた。「ならば人間を崇拝します。人間ならば風に耐えられましょう。」するとニムロドは言った。「おまえは同じ言葉を繰り返してばかりだ。見よ、炎を崇拝するこのわたしが、おまえを炎の中に投げ入れてくれるわ。おまえが神を崇拝しているのならば、神がおまえを炎の中から救い出してくれよう。」ところで、その場にはアブラハムの弟ハランも同席していた。彼は思った。「わたしはどうすればいいのか? もしアブラハムが勝利したならば、『わたしはアブラハムの僕です』と言おう。もしニムロドが勝利したならば、『わたしはニムロドの僕です』と言おう。」アブラハムは燃えさかる炉の中に投げ入れられたが無事に救出された。するとニムロドはハランに聞いた。「おまえは誰の僕か?」ハランは答えた。「わたしはアブラハムの僕です。」ニムロドの僕たちはすぐさまハランを捕らえると炎の中に投げ入れた。彼が炎から出てきたときには腸までもが焼け焦げていた。彼は同席していた父テラの目の前で死んだ。それゆえ、『創世記』(11章28節)には「ハランは父テラの前で死んだ」と書かれているのである。
このニムロドという人、どうもサタンと同一視されるらしく、12月25日にサンタクロースが現れるのは、サンタ=サタン=ニムロドの誕生を祝うためという話があり。そういえばいま世界では悪魔崇拝のほうが力が強いらしいですが。どうりで気持ち悪い世界になっていると思った。
知恵の実を食べたアダムより、知恵の実を与えた蛇(悪魔)こそが人知を超越した存在であり崇拝対象だという信仰があるとか。
ちなみに俺は巳年で水瓶座で1月30日生まれで、運命的に蛇に関係していましたが、悪魔崇拝などはしたことがないです。
ただ、日本の神には古来より悪魔的存在が入り込んでいるようなので、神のことを考える行動が、無意識のうちに悪魔を同時に捉えることにつながってるかもですが・・・。
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さて、ニムロドはひとまず置いておいて、日本語の「塔」について考えてみる。
ちなみに「天御柱」については以下の記事で、
・淤能碁呂島には沈んだアトランティスの情報が含まれるのかもです
過去記事を読み直してみると、適当なところはあったんですが、記紀神話にはバベルの塔の存在がたしかにちらっと出ているのではないかという内容。
ところで。
日本語でTowerのことを「塔(とう)」。これって実は呉音・漢音の音読みで、中国発音なのですよね。秦の時代は「学研漢和大字典」によれば、塔:tapといったらしい。
辞書を引いても、「塔」の大和言葉(訓読み)が存在しないようでした。これは日本の単純な漢字の中では珍しい感じ。つまり上古の倭では塔のことを、塔と呼んでなかったことを意味しますね。おそらく弥生時代以前、塔がなかったのでは。
その代わり、昔の日本では「やぐら(楼・櫓)」や「たかどの(高殿)」と言っていたのではないかと。
縄文時代にも櫓はあったようですが、木の櫓であって、石を積んだ櫓は発見されてませんね。
このやぐらですが、中東の塔をあらわす言葉に似ていました。
ジグラとヤグラ。ちょっと似てる。
で、こうした言葉を探ってみると、どうやら日本語の中には「バベルの塔」の存在が封印されているのではないかと。
・燎
漢・呉 リョウ
1・かがりび・にわび
2・やく
4・あぶる
[解字]寮は柴や骨をやぐらの形に組み、下から火でもやすさま。(中略)僚(列をなす仲間)と同系のことば。
>「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った
というふうに、仲間で火を起こして建設を始めたんですよね。
そしてバベルの塔を建設したニムロドは
>「火を崇拝せよ!」
>「見よ、炎を崇拝するこのわたしが、おまえを炎の中に投げ入れてくれるわ。おまえが神を崇拝しているのならば、神がおまえを炎の中から救い出してくれよう。」
と言っているので、ニムロドが火を象徴とする人物で、「火の神」として記録されていておかしくないですね。
燎という字を見れば、バベルの塔との共通点がこんなに。
a・燎(あぶる)は火を用いた行動をあらわす。ニムロドは火を象徴。
b・あぶる(aburu)はバベル(babel)やアブラハム(abraham)を包括する。
あぶる aburu
バベル b-abel
アブラハム abra-hamc・「寮は柴や骨をやぐらの形に組み」で、塔を形づくっている。
d・バベルの塔は大勢の仲間で建てたが、燎にも同じく仲間の意味がある。
e・塔とはやぐらであり、ジッグラトに似てる(やぐら、じぐら)
というふうに、日本語のあぶるを当てた漢字の「燎(あぶる)」は、バベルの塔の要素をすべて備えているのでした。まあ、これは偶然でもいいです。
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これ例外にも、明確にニムロドの姿を発見してしまいました。これは過去に指摘がなかったことですが。では記紀神話のどこに、バベルの塔建設者のニムロドがいるか?という話へ。
2に続く
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