たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

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古代天皇大和民族大陸移動について。

 

 天皇皇后両陛下、大和民族の皆様、こんにちは。

わたくし、身辺に異変が起き始めた10代の頃から、古代史の仮説を考え始めました。日ユ同祖論に関連する本をいろいろ読んだのが、きっかけだったでしょうか。

今回は古代天皇大和民族大陸移動についての、一大妄想のまとめです。総集編なので、リンクが多いです。

これは個人的に考えた仮説であって、現在通説の「天皇家は日本列島で生まれてずっと日本列島の支配者である」との話とは、違うものになっていますのでお気をつけください。 

 

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 天皇家の起源。それは遥か古代、はるかかなたの土地、シュメールに遡る。

まず日本列島というのは、ユーラシア大陸の雛形であることを念頭に置きたいところです。

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 これは中央アジアまでの地図ですが、九州が中東に対応していました。

関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論

 

 

A・中東での始まり

シュメール→カナン(イスラエル)→エジプト→カナン→イスラエル王国ユダ王国アッシリア

概ね、天皇家はこういう変遷を辿っているとかんがえられます。ちょうど旧約聖書アブラハム~ヨセフ~モーセダビデ~歴代ユダ王の経路に当てはまっているんですよね。

 

アメ

天皇家の先祖は「天(アメ・アマ)」であり、昔の天皇も「阿毎(アメ」を名乗っていました。現代の日本史研究家は、「天の神だからアメ」と答えます。

実はこれは、シュメールの原初の神「アンシャル(天の中心)」「アヌ(天)」「アヌンナキ(天の多くの神々)」などの「天」のことだった。

日本神話の現初神天之御中主神とは「天の中心の神」であるが、これは「ゴッド・オブ・アンシャル(天の中心の神)」を単純に日本語に訳しただけに過ぎないんですね。

そういえば、古事記の原文を読むと、「神名天之御中主神」となっているので、これは「シュメー天之御中主神」とでも読むのですかね。「神名:シュメー」。そうすると天之御中主神はシュメールの神だってことを、漢字でそのまんま表しているる気がします。

 

スメラミコト

したがって、明治時代以来、色んな日ユ同祖論の本で指摘されてきたように、スメラミコト(天皇)の「スメラ」とはシュメールのことだった。天=アン説についても、すでにあるらしい。

日本における俗説と表記

第二次世界大戦中に、「高天原バビロニアにあった」とか天皇呼称の古語「すめらみこと」は「シュメルのみこと」であるといった俗説が横行した」

シュメール  日本における俗説と表記- Wikipedia

この俗説は合っていたとかんがえられるのですが、個人的に。 

 

・ここにイスラエルのカナンの神である、ヤハウェの三位一体が加わって、造化3神になっているという(「日本の中のユダヤ文化」久保有政著より)。

古代エジプトの太陽神のアメン・アテンを信仰していたことが大きく影響しました。これはカナンのヨセフらがエジプトへ移住して以降。

 シュメールのアン・アヌや、アメン・アテンは、おそらく原初の中東で同じ神なのであり、それがそのまま日本語の「アメ」として合一されて受け継がれてきました。

後に太陽神ミトラを習合。合わせて天照大神(アメ照大神、アミトラス大神)ということになったんでしょう。

 

国常立

エジプトのピラミッドや、ピラミッド状の何かの叡智が、国常立命として記録されることにもなったようですね。あ、この記事の続きは書くの忘れてますね。

国常立尊とエジプトのピラミッド・・・「超古代のある物体」を表現している?

古事記」で最初の神は天之御中主神でしたが、「日本書紀」で原初の神は国常立尊になっていますよね。これは要するに記紀では、一番最初の神について真っ向から意見が食い違っているということで。原初の神はシュメールかエジプトかで、別れたんでしょうかね。

 

イザナギイザナミ

最初の男女という意味で、アダムとエバに対応しているのだが、そんな単純なものでもないです。イザナギというのは、旧約聖書のアダムからモーセまでの役割を果たしている模様。

出エジプトで十の災いが起き、エジプト軍に追いかけられた様子は、イザナギが黄泉を脱出する時に幾つもの試練があり、黄泉大神と黄泉醜女に追いかけられたことに対応します。

 

ウガヤフキアエズ

・神武の父である鵜葺草葺不合命ウガヤフキアエズ)。

この意味不明の名前は実は、「ウジヤ・ヨタム・アハズ」という3世代のユダ王を習合した存在。「葺」の古訓はヲサムであり、ヨタムはヨオサムとも読めるので同じになります。詳しくは以下の私の記事で。

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

 

神武天皇

紀元前7世紀の神武天皇は、同じ紀元前7世紀のユダ王国の「エホアハズ・エホヤキン・エホヤキム」という3人のユダ王を習合した存在。

・磐余とは「イハヨ」と読めるが、これがエホヤに対応している。神武の幼名狭野の「狭」とは3人という意味があり、時代も人数も一致する。

ウガヤフキアエズ神武天皇が、ユダ王国系図の一部を写したものであることによって、ココまでの解釈「記紀天津神神武天皇の舞台は中東」についての証明のひとつになります。

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

 

 ・しかしながら、日本の神々には「縄文人の神」も習合されている。これは後にしるします。

 ・しかしながら2。これに加えて九州に居た、天皇家に近しい有力豪族の物語も、神武天皇の物語の一部になった模様。

 

これら舞台は本来西アジアの中東でしたが、後に日本列島の九州地方に当てはめられているんです。ではBへ続きます。

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B・アレクサンドロス大王の時代

 ユダ(アッシリア・ペルシア)→パルミラ(ヒムカ)→アレクサンドロス大王領→ヒルカニア(ヒムカ)→バクトリア

アレクサンドロス大王の時代に、カナンの土地からユダ王家の末裔が、中央アジアへと向かっているようです。その出来事が、神武東征の記録として日本列島に当てはめられたと考えています。

 

アルダバゾス

アレクサンドロス大王東征記で、アルダバゾスという人物が出て来ます。もしかするとこの人、ユダ王家から出た人かもしれないです。アレクサンドロス大王に従軍し、東のバクトリアへと移動しています。アルダバゾスはカスピ海南の沿岸の、ヒルカニアという土地にいて、ペルシアでもっとも高貴な王族の末裔というふうに、大王から評されているのですね。そうするとイスラエル王朝かユダ王朝の末裔という以外には無いと考えられますので。おそらヒルカニアとは「ヒムカニア」(日向ニア)で、神武天皇出発地の一つになっています。

 

この区間は神武東征では、九州~大阪までの区間として記録が残っています。

アレクサンドロス大王神武天皇説については、

神武天皇を生み出した「ファラオ=アレクサンドロス」伝説の真相: 神仙組外典【新世紀創造理念】天の岩戸開きとニギハヤヒの復活!

飛鳥昭雄・三神たける著で2010年に出てるらしいです。これはまだ読んでませんね。

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・C 烏孫の時代

バクトリア→難兜国→烏孫月氏の土地)→烏孫イシク湖

紀元前2世紀、バクトリアの東にあった難兜国から出た難兜靡王が、東の月氏国へ向かって烏孫を建てました。匈奴に滅ぼされましたが、後継の昆莫が再び烏孫を建て直します。紀元前2世紀の烏孫の昆莫までが、神武天皇として記録されました。

昆莫

・昆莫とはkun-moであり、これが漢風諡号「神武(kan-mu)」の元になっている。諡号の撰進をした淡海三船とは、中央アジアにいた天皇家の真相を知っていたとみられます。また、昆莫一家の名前も一致しています。詳しくは関連記事で。

中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について - たっちゃんの古代史とか

 以下この記事の要約

神武 │ Jin │ Mu │
神武 │ Kan │ Mu │
神武 │ Kan │ Bu │

昆莫 │Kuen│ Mo │
昆莫 │Kon │Bak │

一致していますよね。

 

鞴五十鈴の部分が、劉細君に一致していたんです。

鞴五十鈴 │ Rai │ Su │ zu │
劉細君  │Ryu │ Sai │Kun │

古事記の方を見ると

劉細君   r - iu- sai - kun
良伊須須岐 ra-i- susu -ki
良伊須気  ra-i - su - ki

 

神武の息子 手研 タギシ 突騎施 トゥルギッシュ=テュルク
昆莫の息子 大禄 ダルク=テュルク

 

烏孫の3代目は「軍須靡(クンシュミ)」というんですが、名前比べてみたら、

神渟名 kan-jou-mei日本書紀

神沼  kan-sho古事記

軍須靡 kun-shu-mie(秦・漢時代の音)

 

昆莫は君主号ですが、本名を「猟驕靡」といいました。「漢書」「史記列伝」などに書いてあります。

猟 カサヌ・・・ サヌ  狹野(サノ、サヌともいう)

驕 威張る・・・ イバル 伊波礼(イハレ)

 なびく・・・ ビク  毘古(ビコ)、彦(ビコ)

 

中央アジア烏孫とは、日本列島では大和(奈良)に当てはめられている。だから烏孫の後継国の弓月国と同じ名前の「弓月岳」が奈良にあるなど、地名が一致するわけです。

神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる

 

ちなみに月氏とは葛城氏(月氏→がっじ→がっじょ→葛城)であり、記紀においては「エウカシ・オウカシ(オウ月氏・オウ月氏)」のこと。で、神武東征の終局場面が中央アジアであることが月氏の名で示されていました。

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(2)」 日本史の中の月氏

 

日ユ同祖論系の本で、中央アジアの経路を詳しく書いてる本はあるようですが、烏孫に触れている人はあんまりいないようです。

栗本慎一郎著「シルクロードの経済人類学」は天皇家烏孫起源と言っていますが、昆莫を神武天皇と書いた本はなくて、このブログだけです。

この区間は神武東征における、大阪~奈良盆地区間として記録が残っています。

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D・欠史八代の時代

 烏孫南匈奴の土地を東進→扶余→高句麗馬韓弁韓

欠史八代というのは実在せず、歴史から欠けているので欠史八代天皇なわけですが、これは間違っていました。日本列島には存在しなかったですが、ユーラシア大陸に存在していました。 

第二代天皇綏靖天皇から第5代までの天皇は、烏孫に留まっていましたが、第六代の孝安天皇の時代から、中央アジア烏孫から極東へ移動を開始しました。

 

天皇諡号には、東夷諸国の名前が暗号化されて残されていました。これはそれぞれの天皇が留まった諸国の名前を表しているのです。あたりはすでに電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け」のなかに書いています。

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2

。( ゚д゚)ポカーン。

歴代 諡号  記紀の和風諡号   含まれる古代国名
       (下段古事記 

07 孝霊天皇 大日本根子彦太瓊  太瓊(フトニ)=扶余・匈奴(フンナ・フンド)
       大倭根子日子賦斗邇 賦斗邇=扶余・匈奴

08 孝元天皇 大日本根子彦国牽  国牽(クニクル)=高句麗
       大倭根子日子国玖琉 国玖琉=高句麗

09 開化天皇 稚日本根子彦大日日 大日日=大半跛(はへ、弁韓の中心国)
       若倭根子日子大毘毘 大毘毘=大半跛

10 崇神天皇 御間城入彦五十瓊殖 御間城=任那、五十=委奴、伊都
       御真木入日子印恵  御真木=任那、印=委奴

 

孝霊天皇については、「ホツマツタヱ」で「孝霊天皇の東征」として記録があり。

ホツマツタヱのなかで、孝霊天皇奈良盆地から出て、富士山のふもとまで進んでいる。しかしそこから奈良へ引き返したという話は出てこない。つまり東へ旅立ったまんま、孝霊天皇の話が終わってるのが不思議。

実は富士というのは大陸の扶余(扶示:ふじ)を言い換えて暗号としてあるのだ。だから、出発地点である昆莫の土地烏孫は、大和国(奈良)となり、孝霊天皇の終着地点は扶余になるということだと考えたのですが。

 

E・崇神天皇弁韓から九州へ移動

 崇神天皇とは卑弥呼と壱与の習合体であることについては、著書「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」に一部を書いています。

邪馬台国の女王壱与(台与)が崇神天皇である理由

 倭国の本拠地の変遷(推定)

魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった

 

 

妄想まとめ画像

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まあこれ以外にもルートはあったことだろう。秦の除福ルートとかね。

 

天津神縄文人神の融合

縄文人の神とは、数万年前に縄文人がアーリアの土地に居た頃から、日本列島に到達した後も、縄文人の信仰のなかに残ってきたようです。その代表的な縄文人の神が、火の神アグニでした。

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火焔土器 - Wikipediaより

縄文人が用いていた土器のなかで、圧倒的に多いのが、炎を模したような形状の火焔土器です。火の神を表現したような釣手土器もあります。

釣手土器 - Wikipedia

こうしたものは実はカグツチなのではないかと考えられるのですよ。

アグニは日本でカグツチとなっているので、カグツチという発音の中に、アグニを見つけることが出来るわけなんです。まあ想像ですが。

ka-gu-tu-ti

a-gu-ni

日本で悪いことは「アク、アク人」というのだが、ここに縄文の神アグニが入っていますね。超古代拝火教の縄文系の人々は、大和民族に悪と断罪され追いやられていました。その場面がイザナギが、カグツチを斬り殺す場面に現れてるではないですか。

ただし縄文系の人々は、大和民族の中にも入り込んで同化しています。記紀神話ではカグツチの子孫、例えば経津主命武甕槌命などが、活躍する場面が多々見られますが。まあこれも中東の出来事を合わせてると見られますが。アイヌって火の神

 

ちなみにカグツチの中には、旧約聖書バベルの塔を建設した、火の象徴たるニムロドが含まれているので、完全に同一じゃないですので。これについては別の記事で。

 

記紀神話は日本列島とユーラシア大陸の神話・出来事・人物の融合

記紀神話とは、舞台が中東・中央アジア・日本という複数で起きた出来事を習合し、日本列島だけで起きたかのようにまとめ上げているものだから、とてもわかりにくいんです。

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日本神話は、おおまかに言うと「日本列島の出来事・神話」と「ユーラシア大陸などの出来事・神話」が合わさっているのが正体なわけで。

中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話

 

 

日本神話には大陸の出来事が習合されてる・・・(一問一答方式)

Q7 騎馬民族征服王朝説は完全に否定されてる状況ですが?

f:id:kl117cr233:20150712073400p:plain学会と学者は、否定するのが早すぎました。多数決で決めたら、どんな変な回答でも多数が正答になってしまうではないですか。豆腐の角で頭をぶつけて死ねるわけがないと、大勢で決めつけるのが早すぎたんです。巨神兵を動かすのが早すぎたのと一緒です。豆腐は氷点下の条件では、コンクリート並みの強度を持つことができて、人間が頭をぶつけて死ぬ可能性は十分なんです。そのことを確かめずに豆腐の角で死ねるわけないと早合点しすぎました。騎馬民族が古代天皇家の根幹にありますし、それは証明できます。豆腐の角の復権から始めたらいいでしょ。

 

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 このあたりまで、電子書籍にまとめたい(希望)。

 

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旧約聖書の登場人物をあらわす漢字と日本語

最近ひとまず体の痛みは殆どなくなってます。リンゴ酢と重曹が効いてるみたいで。

 

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定説の崩壊

 

キリスト教景教含む)は古代中国だけでなく、奈良時代以前の日本に伝わっていました。その証拠は、日本で用いられる漢字だとか大和言葉に残っています。

 

たとえばこんなサイトがありました。

漢字は聖書の真理を表す

漢字になった聖書物語

ということで、確かにこれはアリだなと。 

 

20世紀までに完成していた「従来型の定説」とは、ぶっこれるためにあるみたいなものかもしれないです。最近どんどん新しい事実や仮説が登場していて、定説がどんどんぶっ壊れていますので。宇宙のこと、人体のこと、生物のこと。古代のこと。

これは科学技術の発展や研究の進展のほか、「なにかに気づいて新説を生み出す人」が増えたことに起因するかもですが。

「俺が能無し説」だとか、「俺の不幸は全部自己責任説」も、そろそろ崩壊していていいですね。世の中の陰謀の正体に気づいている人が増えてきているようだし。

 

定説上で、キリスト教が日本にはじめて伝わった時代は何時か。それはイエズス会の司祭であるフランシスコ・ザビエルがやってきた、1549年となっています。

1549年。ちょうど織田信長豊臣秀吉上杉謙信武田信玄らが群雄割拠する戦国時代です。戦国時代のことは、あんまり詳しくないです。

フランシスコ・ザビエル - Wikipedia

この定説を誰が立てたのが誰かは知りませんが。実際のところは間違ってるのではないかと。

 

 

大和言葉になった旧約聖書の登場人物

 

 アダムとイブ(エバ)というのは、誰でも知ってます。旧約聖書の最初の人間。

上記の紹介したサイトでも登場してましたが、アダムとイブを表す漢字や、ほかの主要登場人物は、漢字や大和言葉して残されていました。(学研漢和大字典使用)

 

・頭(あたま)

あたま a-ta-ma

あだむ  a-da-m

音が似ています。意味はどうか。

頭の「頁」

1・人間の頭。首。

2・ページ。書物の紙を数える単位。近代漢語で葉と同じ音であるため、紙を一葉二葉とかぞえるとき、一頁二頁とも書く。

[解字]人間の頭を大きく描き、その下に小さく両足をそえた形(以下略)

なるほ。では「頭」はどうか。

「頭」

1・あたま

2・かしら・かみ。人々の上にたつ人。長。

3・いちばんはじめ。最先端。

まとめると、あたまは「アダム」ににているのは気になるところ。

「いちばんはじめの人」や「人々の上に立つ人」という意味があるので、最初の人アダムに当てはまっていました。

左側の「豆」は高坏のことですが、植物の豆と解釈すると、豆とは土に落ちる命の実であるので、エデンの園にあった「生命の木」を連想するではないですか。

さらに頁=葉も含めると、アダムが登場した時、いちじくの葉っぱ一枚を下腹部に身につけていた状況が重なってくるようです。葉の関連は唐代以降のことらしいですが、それを差し引いても「頭アダム説」は無視できないような。

倭人は頭という言葉を「アダム」として認識してたので、漢字の頭に「アダム=あたま」が当てられているわけなのかもしれません。

 

 

 ・荊(いばら)

1・いばら。木の名。刑罰で、むちうつ時に用いる杖をつくるのに用いた。

3・自分の妻の謙称。

 荊とは「イバ」であり、「妻」であり、「刑罰」なんですね。

アダムの妻イブ(エバ)が、神によって刑罰を受けたことを的確に表しているようでした。倭人はイブを表す言葉として「荊」を選んで、これをいばらと読むようにしたのかもしれません。

 

 

・白(もうす)

白にはなぜか「もうす(まうす)」という読みがあるんですよね。何故なのか。

1・しろ。しろい。

6・収穫や負担がないさま。

8・もうす。内容をはっきり外に出して話す。また、上の人に真実をもうしのべる。

命令形なら「もうせ」で、モーセそのまんまです。

モーセユダヤ人が出エジプトをした時、収穫がなかったですね。収穫がない様子を日本語では「徒白」とかいって、白で表すらしいです。食料に困っていたとき、白いマナという謎の食べ物によって、人々の空腹を満たしたらしい。食料確保に負担がなかったですね。モーセ旧約聖書で、神に内容をはっきり外に出して話し、神に真実をもうしのべる人として描かれていたので、やはり白という漢字はしっくりくるようす。倭人は白という漢字に「もうす」を当て、モーセの意味を込めたかもしれないです。

 

 

・回(たび)

1・まわる・まわす

4・かえる

6・たび 回数を示すことば。

7・イスラム教に関係のあることをあらわすことば。

[解字]回転するさま。または、小さい囲いの外に大きい囲いをめぐらしたさまを描いた象形文字(以下略) 

こじつけます。

ダビデ王を「回」に込めているように発想してみました。ダビデとは古代イスラエル王のこと。

昔の中国人は「回」の1字を、イスラム系のひとに使いました。つまりウイグルなど中東人から来た人を指していたのでした。

神の神器「契約の箱(アーク)」を納める神殿(エルサレム神殿)を、最初に建てたのがダビデでした。「回る(かえる)」という音には、エルサレム神殿や神をあらわす「エル」が含まれているではないですか。

「回」というのは解字によると、「小さい囲いの外に大きい囲いをめぐらしたさまを描いた象形文字で、これがダビデの建てたエルサレム神殿の形状をそのまま表しているんではないかと。

ちなみにエルサレム神殿の形状がこちら。 

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エルサレム神殿 - Wikipedia より

 

通路や城壁の形状が「回」。

こうしダビデに関係する要素を「回」から見出したむかしの日本人は、回という漢字に「たび=ダビデ」という読みを加えたのではと発想しました。「回=たび」は完全に死語になってますけど。

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漢字辞典を読んでいると、家という漢字に対して「いえす」という読みがあることに気づきました。これってあの方と同じですが。

 

・家(いえす)

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家(いえす)

1・いえ

2・いえ。人が住む建物。

4・王朝をたてた王室

5・いえす。家を構えて住む。

[解字]宀(やね)+豚の会意文字で、たいせつな家畜に屋根をかぶせたさま。

古訓・イヘ

それにしても、なぜ家を「いえす」と読むのかと。

(1)これはイエスが「家畜小屋で生まれた」という伝承があり、それを元にすると、家という漢字によって、日本人がイエスの存在を表していた名残なのでは。

 家という字は「大切な家畜に屋根をかぶせた」を表す。昔の家は洋の東西を問わず、家畜と一緒に住んでるのも普通にあったらしいです。それで家という字には家畜の意味が入っているとか。今もお肉は重視されますが、昔から家畜はお金そのもので、家では一番の財産だったのですよね。

家という字の下の部分は豚じゃなくて、家畜のことだそう。だから日本で生誕地が馬小屋だとか厩と言っているより、「家」が表す字義のほうが正確性があるのでは。

それはともかく、6世紀の日本の厩戸皇子聖徳太子)も、きっとイエス・キリストを知っていたから、自らを厩戸の皇子と名乗ったのでしょうし。

 

(2)宀(うかんむり)のウ冠って、王冠ですね。イエスは十字架に架けられたとき、「INRI」という罪状を表す板が掲げられていたとのこと。

「INRI」とは「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という意味。イエスユダヤの王を騙って神を冒涜したことが罪とされて、十字架に架けられたとか。

INRI - Wikipedia

「家」には王朝という意味があるんですが、これはイエス古代イスラエル王家のダビデ王の子孫であって、ユダヤ人の王家の人だったという意味に整合していますね。

だからいろんな意味で、奈良時代以前の頃は「家(いえす)=イエス」を表す言葉だったのでは。

  

こうした漢字に聖書の偉人の意味を加えたのは、昔の日本人でした。

ということで、日本に初めてキリスト教が入ったのは、1549年ではなくて、古墳時代より前のことでした。

 

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世界の文化って均一化が進みまくって

 

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人種のるつぼ - Wikipedia より

 

このブログの歴史研究で、やたら日本文化は実は大陸起源って言ってますが。これは日本を貶めるわけじゃなく、純粋な好奇心で追求した結果なので。

それから、身体的に生活的に頭脳的にツッコミどころ満載のブログ運営者なもので、「またこんなこと書いてるよ~w」みたいに思う方、いらっしゃるでせうね。

まぁ、世の中はハイテク使ったノゾキ見とか、ハッキング泥棒とか、嫌がらせとか、執拗に悪いことしてる人も、みんな堂々と悪びれず生きていますよね。

だから俺も別に、細かいことは気にしなくて良いかと。

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以下の項目でいくつ当てはまっていますか

 

1・住宅はじゅうたん敷きで洋間やベッドがあるなど概ね洋式

2・年間360日以上、西洋発祥の洋服を着ている

3・年間360日以上、西洋人が発明した家電を使っている

4・西洋人が発明したインターネットを毎日使っている

5・パンや肉料理などの洋食を毎日食べる

6・トイレは毎日洋式を使う

7・移動するときは西洋で発明の交通手段(自転車、車、電車)

8・日本文化を誇りつつ日本文化にどっぷり浸るのは年間数日だ

 

全部当てはまってると答える人、9割超。たぶん

部屋の中を見渡してみれば、じゅうたん、カーテン、フローリング、壁紙、電灯、家電、カップ、家具、洋服。道路のアスファルト、コンクリート、電車、車、学校。

あら~不思議。日本はどこ見ても西洋発祥・西洋式ばかり。

なんでだろう。

 

西洋文化70%程度 生活環境と道具全般が支配されている

中国文化10%程度 漢字、中華料理など

日本文化20%程度 神社参拝、料理、日本語使用、生活習慣など

 こんな感じだろうか。表面的だけで見るなら西洋文化90%と言えるかもですが。

 

 あ、そういえば維新志士。近年、なぜか維新志士がやたら持ち上げられていますね。かっこいいですし。

でも一方で、彼らは明治維新を起こして日本伝統文化の7割を、日本の表面から駆逐したんですが。まるで西洋に成り代わって、文化的に日本侵略を完成させたみたいな。そういう観点で見ると、なんか維新志士とか明治維新とか文明開化って罪深い気がする。

 

グローバル化とか言ってますが。

これは今始まったんじゃなくて、日本では弥生時代はすでに大陸文化と融合してグローバル化していたと言えますし。

納豆、醤油、味噌、うどん、天ぷら、洋菓子。こうした日本人が大切にする食文化は、実は大陸発祥が多いですし。

明治時代以前も、大航海時代や世界大戦の時代から、西洋人は日本を含む世界を、自分色に染めて、自分たちの伝統文化は、昔からほとんど変わらないっていう。

日本が急速に伝統を捨て去って西洋化していた中、西洋はずっと伝統的な西洋のままですね。

 日本人は欧州でジャポニズムが影響した~とか誇らしげだったりしますけど、世界の欧州化というユーロイズムのほうが、規模としては地球規模で起きていてすごいんですが。規模に雲泥の差があるので、そう考えると欧州のジャポニズムが誇らしいかどうかは微妙ですね。

 

日本人「日本文化は優れていて世界で独自で、素晴らしい」

俺「そうだね、でも君、いつも洋風の家に住んで洋服着てるよね」

日本人「あ」

俺「いちにち三食、洋食じゃないの、おやつも」

日本人「あ」

 

という感じで。

 

愛国者には、外国文化の侵略は排除しろ!という人もいますね。世界中で(まあ俺は色んな意味でダメ人なので、自分が排除されてますけど・・・)。

世界中の企業が自国製品を、日本で外国で売ろうとしているし、インターネット通販はあるし。もう排除は不可能なところに来たらしいですね。

日本に流通してる道具や食品の半分以上の生産地は、外国なんじゃないですかね。日本はすでに西洋の思想に蹂躙されてますが。世界中同じですが。

変なところでは、集ストだとか、事故に見せかけた作戦ですね。世界中で均一的に同じことやってるんじゃないかと。

 

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もうひとつ、世界の文化が均一化する方法が進んでおり。それは

 

日本文化が世界に浸透することによる、世界文化の均一化

 

日本人が、ブログやツイッターで外国文化受け入れNOとかいう人ですら、日本文化を世界に広めようとすることは、反対しないかもしれません。もしかして積極的に伝播させてるかもしれません。

すると外国人が、日本文化を受け入れていく。素晴らしいものって、勝手に真似されて広まりますから。 

剣道、柔道、ウォシュレット、包丁、寿司、アニメ、コスプレ、猫カフェかつおだし・・・。

 

世界が知らず知らずのうちに日本的なものを受け入れる

世界文化の均一化

 

結局こっち方面でも起こってくるらしい。 

中国人は日本嫌いで知られてますが、中国では何でも日本製品が人気らしいです。中国アニメも、99%日本方式を取り入れて、彼らは日本式が良いって思っちゃってるのですね。

日本で放送されてるアニメが、中国人が描いてるのか日本人が描いてるのか、素人じゃ区別がつきませんけど。

中国の日本アニメ「依存症」 - WSJ

日本のマンガ・アニメ 売上急増の要因は?=中国

まさに中国の日本化→ 日中の文化的な均一化が進んでる。 

 

1・日本の文化に外国の文化が流れ込んで文化の均一化(世界各国で起こる)

2・世界のある国に日本の文化が流れ込んで文化の均一化(世界各国で起こる)

 

この2つは、今の流通システムとインターネットシステムが維持されている限り、もう止まらないんでしょうね。

もう、世界文化の表面的な区別がつかなくなる、と同時に「良い」と「悪い」の区別がないみたいな世界だって、あらゆるところで。

 

人種のるつぼ - Wikipedia

日本も人種のるつぼ化を目指す勢力が強いとか。NWOだとか。東京都心は、すでにそうなってますが。

東京23区 外国人人口と国籍構成グラフ : ぐらふくん

東京都の外国人比率番付 - 都道府県・市区町村ランキング【日本・地域番付】

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに、

縄文人、納豆、醤油、味噌、うどん、天ぷら、和楽器、焼き物、漢字、仏教、神道、仮名文字、天照大神神武天皇

どれも最初は大陸起源だったけど、どれも日本で発展し継承された伝統文化や存在だ。と勝手に思っています。では。

 

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漢字になった「ノアの方舟」

巨大な世間にいじめられつつ、今回もテキトーに発想と連想を繰り返してみました。

使ってる辞書は「学研漢和大字典」。

 

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ノアの方舟 - Wikipedia より

 

○いつも助かっております

 

 

 

ノアの方舟

ノアの方舟(ノアのはこぶね、英語: Noah's Ark)は、旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事。または、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指す。「はこぶね」は「方舟」のほか、「箱舟」「箱船」などとも記される。

クルアーン』にも類似の記述があり、「ヌーフの方舟」と呼ばれる(11章 フード)。

紀元前3,000年にさかのぼるシュメールの「ギルガメシュ叙事詩」に、ノアの方舟と似た話があるとか。どんだけ大昔の話なんだ。

 

旧約聖書のノアの物語

 むかしむかしあるところに、アダムの子孫で、真面目なノアさん一家がいました。その頃、世は乱れて、悪がはびこっていました。

 ノアの一家だけは神を信仰していましたが、人々はそんなノアのことをからかって、毎日のように馬鹿騒ぎを繰り返していました。ある日、神がノアに話しかけました。

神様「ノアよ、わたしゃ~愚かな人類を大洪水で滅ぼそうと思うw」

ノア「まじっすかw」

 神の言葉を受け、ノアは巨大な方舟を作り始めましたが、人々は口々にノアを罵倒しました。

町人「山のてっぺんに船作ってるwww」

ノア「みんな、神の怒りの大洪水が必ず起こるんじゃよ」

町人「おい、あいつ頭おかしいぞw」

町人「山上船じじいばーかw」

 そうして、ノアに物を投げつけたりするのでした。方舟が完成すると、地上のあらゆる動物のオスとメスを収容し、大洪水に備えました。

町人「船にヒキコモったwww」

町人「こんな山の上で洪水なんか起きるかばーかw」

 やがて雨が振り始めると、豪雨となって40日40夜も降り続け、地上は水で覆われて、なおも150日間も増水を続けました。こうして、ノア一家以外の愚かな人類は滅亡しました。

 やがて水が引き始めると、ノアの方舟アララト山の山頂に乗っかりました。ノアが鳩を放すと、やがてオリーブの葉っぱを咥えて戻ってきました。そうしてアララト山から、人々と動物は地に満ちていったのです。

つまりノアこそが、人類の祖先であるということに。

 

これに関連する漢字を探す旅。

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・船(ふね)

船という漢字は「舟+八+口」であり、これは「方舟の所有者であるノアには八人の家族がいた」ことから出来た漢字だみたいな話。これは有名で、「エホバの証人」が出処だとか。

まあホントかどうか分からない。もう一つの舟の漢字を見てみます。

 

・磐(いわ)

磐とは普通に発音すれば、岩とか石みたいな単純な鉱物の塊みたいに見られてしまいますよね。ところが神社では「磐座(いわくら)」と言って神社の御神体として見ているのですよ。

なぜか神武天皇諡号は「磐余彦」で、「磐」の字が使われてるのは、神武天皇自体がご神体みたいなものだからですが。

 

磐の漢字は「石+舟+動作」 という3つの構造からなっているので、「岩の上に舟を載せた」という行動だから、どうしても岩山の上のノアの方舟を連想してしまいますけど。

 

磐の字を辞書で引くと、

【磐】いわ

1いわ どっしりと平らに大きくすわった石。いわお。

平らに広がる。平らに円をかく。ぐるぐる回る。

あぐらをかいて、どっしりとすわる。わだかまる。ぐるぐると円を描いて回るだけでたち去らない。

古訓に、「チヒキノイシ」とある。

となっていて、なぜ岩なのにぐるぐる回るのかという疑問点が。

磐については過去に記事でまとめたことがあり。

磐座と飛行物体

 

 この記事ではさらに「磐」「の上の部分「般」についても調べていました。

【般】ハン

1 めぐる めぐらす 中心からまるく平らに広がる。円をえがいてまわる。また、そのさま。

2はこぶ 中心に集めた物を円形に広げることから、物を移しはこぶ。

3かえす かえる もとへもどす。また、もどる。

古訓には「オホフネ」とある。大船のこと。

この記事の結論として、 

磐座には、「イザナギが黄泉の国を塞ぐ」「ぐるぐる回りながら天空へ飛翔する」意味があって、「イザナギが黄泉を塞いで高天原へ戻る」という日本神話の行動原理が反映されてたようなのです。

といってましたが、この記事を書いていたらまた気づくことがあり。

神武天皇に磐の漢字を使ったのは、出自がノアの方舟の舞台であることを表すためかも。

まあ天の鳥船とかそういうのも、ノアの方舟に関係していそうです。

 

・天の磐船

鳥之石楠船神ともいう。

イザナギイザナミが産んだ蛭児を、鳥之石楠船に乗せて流したという。

饒速日命が天の磐船に乗って空をとび、大和の地に降ったという。

鳥之石楠船神 - Wikipedia

 

 

・朕(ちん)

始皇帝「朕は始皇帝である」とかいう朕(チン)。

 

辞書で引くと

朕 われ・わが

1・自分が持ち上げた気持ちで、自分自身をさす場合に用いた古代の一人称代名詞。

2・天子だけが用いた一人称代名詞。

3・表面にあらわれたきざし(徴・兆)

[解字]

もと「舟+両手で物を持ち上げる姿」(中略)舟を上に持ち上げる浮力のこと。

要するに朕とは、天空に持ち上げられた舟だった。

なぜ秦の始皇帝は自分を朕といっていたのか、考えると、

「先祖がノアの方舟神話を継承してきたから」なのではと。これは磐座に関係しているようでした。

で、この始皇帝はどう考えても天皇家と関係してましたが。

 

・白(しろ)と皇(おう)

始皇帝は、最初の皇帝だったのでしたが、じつは「皇」の字もノアの方舟に関係してました。そういえば天皇陛下は「上皇」になるらしいですね。

コノ字、「白い王」と書くので、なんかの日ユ同祖論の本でネタになってました。白人の王だったからだと。

 

皇を辞書で引くとこんなことがあり。

 

1・きみ 開祖の偉大な王の意味。秦の始皇帝が自ら皇帝と称したのにはじまる。

2・天上の偉大な王。

[解字]

(前略)人類開祖の王者というのがその原義。上部の白印は白でなく自(鼻の原字)である

秦の始皇帝については白人説は有力で、イラン系というのがもっぱらですが、辞書を引くと面白いことがわかりました。

ここでちょっと、ノアの方舟の主人公の「ノア」さんについて、世界ではどんな認識がされていたかを調べてみると・・・

ノア(ヘブライ語: נוֹחַ Nóaḥ, נֹחַ Nōªḥ、ギリシア語: Νώε, ラテン語: Noe, アラビア語: نوح Nūḥ)は、旧約聖書・『創世記』5章〜10章に登場するノアの方舟(箱船)で有名な人物。創世記の記述に従うならば、すべての人類の祖先ということになる。

キリスト教正教会では「ノイ」と呼ばれ、聖人とされている

ノア (聖書) - Wikipedia

 

ノア=全ての人類の祖先

皇=開祖の偉大な王。人類開祖の王者というのがその原義

 

完全に一致。

 

しかも皇って、発音が「ノウ(noh)」で、これって「ノア(noah)」に通じるじゃないですか。全部正解じゃないですかね。

 

付け加えると、白っていうのは「もうす」という読みがあって、これって命令形なら「もうせ」でモーセだなと。 モーセの子孫という意味も皇に込められてる気がしますね。

  

・嬴(エイ)

 

始皇帝の姓は「嬴(エイ)」といってましたが、これもなんか関係してるのではと直感が働いたので、調べました。

1・あまる・あまり

4・かつ。賭けや競争でかつ。

[解字] 貝+ふやける。瀛(大きい海)と同系のことば。

ここで重視したいのが、「かつ」ですね。

始皇帝は勝つ」ということは、今度は始皇帝を表す「勝」の字を調べる。

 

・勝(かつ)

 辞書を引くと、

まさる

1かつ

2かち 相手を倒して上に出ること

3たえる がんばる。もちこたえる。

[解字] 朕は舟+両手で持ち上げる姿の(中略)舟を水上に持ち上げる浮力。上にあげる意を含む。勝は「力+朕(持ち上げる)」の会意文字で、力を入れて重さに耐え、物を持ち上げること。「たえる」意と「上に出る」意とを含む。 耐え抜いて、ほかのものの上に出るのが勝つことである。

[古訓] アク

ノアは人々にバカにされ見下されていましたが、 人々の罵声に耐え、洪水に耐えて舟はもちこたえ、アララト山の上に出ました。これをノアの勝利と表現せうに、なんと表現すればよいのか。

勝の字自体が舟を持ち上げる意味だったので、完全に整合してますね。それから注目なのが、古訓の一つに「アク」があったこと。

ノアの方舟というのは、西洋では「アーク」と呼ばれるので、日本語の大和言葉のなかに「勝=アク」が入っているのは、どうみても関連が見えてしまうでないですか。 

おそらく昔の日本人が勝に「アク」という音を当てたのは意図的ですよね。

  

 という風に、漢字にはノアの方舟の情報が含まれていました。ほとんど始皇帝関係だったのは、始皇帝がノアの子孫という認識を持ってたからなのでは。

 

 

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アイヌは元々大陸から流れてきたキルギス人(契骨)だった説

アイヌ民族の研究に横ヤリ入れ。

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 北海道-wikipediaより

 

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先住民かどうか

 

近年になりアイヌ民族が、日本の先住民とか言われてますけど。

沖縄人も、先住民なんだだとか主張して国連も同調してるらしいです。

「沖縄の人々を先住民族と認めるように」 国連が勧告 政府「アイヌ以外に存在しない」

 

とか言ってますけど、最新の研究によれば、沖縄人というのは、「日本本土の大和民族から別れて南西に向かった人」が多くを占めるのだそうで。以前は沖縄は東南アジア系だなんて言われてましたが、違ったらしいです。

すると国連の沖縄人は先住民という認識って、どこから来てるんだろ~か。

沖縄の人々、ルーツは「日本由来」 南方系説を否定 | 沖縄タイムス+プラス ニュース |

 

実は、倭人=日本人自体が、2000年以上前から在住している、先住民と言える民族なのですが・・・。

倭人は大陸系の人種を数多く吸収して成り立ってきたとは言っても。倭人とは、倭の島々に住む、縄文系と渡来人と呼ばれる弥生人を総称したものなので。

 

まだ倭の人口が30万人以下だった弥生時代の頃、「後漢書」の「秦からの移住者数千人」といった記録は有名ですね。 

ぶっちゃけ弥生時代古墳時代における渡来人の割合は、全国の遺跡の状況からみても、弥生時代後期には日本列島総人口の60%~80%を占めたと計算されるくらいだけど、

こうした数字は、「ヤマト王権天皇縄文人派」の人たちは直視しないのだろうか。

弥生時代の渡来人の規模

 

話は戻って、なんで沖縄人が先住民と言っておいて、沖縄人の大元である日本人=倭人(縄文系入ってる)は先住民じゃないんだろう。まあ国連は、変な話に首を突っ込んでましまったようです。

前置きはこのへんにして、本題に。

 

 

古代の地名

 

北海道の先住民らしきアイヌですが。近年のアイヌ民族は何か怪しいですね。アイヌじゃない人がアイヌ民族に入り込んで、アイヌの民族衣装を着て商売してるとかいう話も・・・。

 

そのアイヌ人やのアイヌ住む地域には、別名がいろいろありました。いろいろ探してみると、 

・毛人(もうじん)関東あたりにいたアイヌの呼称。弥生時代

・日高見(ひだかみ)北海道、東北地方の総称。古墳時代

・東夷(とうい)景行天皇が関東のアイヌをこうよんだ。古墳時代

蝦夷(えみし)景行天皇アイヌをこう呼んだ。古墳時代

・俘囚(ふしゅう)北海道東北の反大和王権勢力から帰属した者。奈良時代

・流鬼(りゅうき)樺太島にいた北方アイヌ奈良時代

・後方羊蹄(しりべし)北海道の呼称。奈良時代

蝦夷ヶ島(えみしがしま)北海道、樺太、千島列島の総称。平安以降

・骨嵬(くぎ)大陸の元朝による呼び名。13世紀

・苦夷(くゐ)上に同じ。15世紀

アイヌ アイヌ自身が呼んだ「人間」を意味する。江戸時代以降から

・北州 江戸時代

・十州島 江戸時代

・北海道 明治時代~

 

ここで気になる名前

・流鬼

・流鬼

・後方羊蹄

蝦夷

・骨嵬

・苦夷

ここにアイヌの正体が隠されてるんではと。

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景行天皇

 

ところで、昔のアイヌ蝦夷)は、大和朝廷からフルボッコにされる扱いでした。景行天皇はこんなことを言ってます。

「いま東国に暴れる神が多く、また蝦夷が全て背いて、人民を苦しめている」

「かの東夷は性凶暴で、陵辱も恥じず、村に長なく、各境界を犯し争い、山には邪神、野には姦鬼がいて、往来もふさがれ、多くの人が苦しめられている。その東夷の中でも、蝦夷は特に手強い。男女親子の中の区別もなく、冬は穴に住寝、夏は木に棲む。毛皮を着て、血を飲み、兄弟でも疑い合う。山に登るには飛ぶ鳥のようで、草原を走ることは獣のようであるという。恩は忘れるが恨みには必ず報いるという。矢を髪を束ねた中に隠し、刀を衣の中に帯びている。あるいは仲間を集めて辺境を犯し、稔の時をねらって作物をかすめ取る。攻めれば草にかくれて、追えば山に入る。それで一度も王化に従ったことがない」

日本書紀 上 全現代語訳」より

 

これ、大陸の前漢後漢が、敵対してる遊牧騎馬民族匈奴に対して、景行天皇とそっくりなことを言ってるんです。

それで、東日本の蝦夷には、匈奴という遊牧民族が含まれるという解釈をしてる記事だったので、一度読んでみてください。

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(1)」 匈奴は来た

 

 

・後方羊蹄 

後方羊蹄っておかしい。何故かと言うと「古代の日本列島には羊がいなかった」のに、なぜか羊さんの登場。

関東には群馬(羊と馬)、羊太夫なんて人もいましたが。

でも倭人は、大陸に羊がいることは分かっていたのですよ。だから、倭人アイヌが元々「羊を扱う遊牧民」だと認識していたからこそ、羊蹄の名前を付けたんではないかと。

つまりやっぱりアイヌは元々、海を超えてきた大陸の遊牧民族出身なんじゃないかとい疑惑が、ここでも出てきました。

 

そういえば、アテルイなんていうアイヌの指導者がいましたが、中央アジアアルタイ山脈の名前を取ってたとすると、しっくりくるのですが。

アテルイ - Wikipedia

 

ところで古代中国では、異民族のことは犬畜生とか鬼みたいな扱いをして蔑んでいました。それで異民族を西戎(犬)とか北狄(逃亡者)とか濊(けがれ)とか変な意味を付けていたんですよね。そのへんは日本でも受け継がれて、「東夷(東の野蛮人」)とか言ってますけど。

 

 ・ 骨嵬と苦夷

 

 歴史上で中国人が異民族名に「骨」を付けたのは3つでした。

1・アイヌを表す骨嵬

2・キルギス人を表す契骨(5世紀)

3・回鶻ウイグル新疆ウイグル自治区トルキスタン

つまり中国人は、同じ特徴を持つ民族に、同じ字を使っていたのでは。そうするとアイヌキルギスウイグルとにているという認識だったんでは。

 

 この頃のキルギスバイカル湖のあたりにあって、5世紀以前は堅昆の名前を持っていました。

別名には堅昆(けんこん)、居勿(きょぶつ)、結骨(けつこつ)、紇骨(こつこつ)、紇扢斯(こつこつし)、黠戛斯(かつかつし),戛戛斯(かつかつし)、吉利吉思、乞力吉思、乞兒吉思、乞里吉思で、大部分がキルギズ、キルギズという発音。

堅昆 - Wikipedia

 

キルギス人の特徴を見てみよう。

結婚・葬式

結婚は新郎側が羊と馬を新婦側に収めて嫁を招く。富裕者ではその数が100〜1,000にもなる。(遊牧民

文字・言語

古代には「丁零の雑種」とされ、イェニセイ川流域に『イェニセイ碑文』を残し、『新唐書』回鶻伝下に「その文字言語は回鶻(ウイグル)と正に同じ。」とあることから、文字は突厥文字を使用し、言語はテュルク系の言語を話していたことがわかる。また『元史』地理六では「その言語は畏吾兒(ウイグル)と同じ」とある。

人種

新唐書』回鶻伝下に「人は皆背が高く、赤い髪、析面、緑の瞳をしており、黒髮は不祥とした。黒瞳の者は必ず李陵の苗裔であるという」とあることから、黠戛斯人は西方系の人種(コーカソイド)であり、東方系(モンゴロイド)ではなかったことがわかる。中には黒髪・黒瞳の人種(モンゴロイド)もいたが、これはかつて匈奴によって右賢王に封じられた漢の降将李陵の後裔だとされていた。また、敦煌出土の『ペリオ・チベット語文書1283番』の中でも、キルギス族は「目は水晶の瞳、赤い髪」と記されている。

キルギス人はトゥルク系でコーカソイドということだから、地中海のあたりから来ているらしい。キルギスという名前はたぶんトルコのキリキア、イスラエルのクルクらへんの関連を伺えるのですが・・・。

 

ところで、「アイヌキルギス人が同じなわけないだろう?」

と考えるかもしれませんが。苦夷の「苦」は「くるしい」なのですよ。

あと、アイヌ人は自分たちの住民や部族のことを「クル」と言ってたのが関係してるんようです。キルギスと同じ言語というウイグルを加えて比較すると、

・キルぎす

・ウイグル

・クルしい(苦夷=アイヌ

・クルアイヌの部族)

 

さらにキルギスの漢字には契約の「契」が使われていますが。この契は「ケイ」で、アイヌの古名(クイ、カイ)と同系じゃないですか。

契骨(ケイ骨) キルギス

苦夷(クイ)アイヌ

蝦夷(カイ)アイヌ

  

最後のトドメにキルギス族とアイヌ民族の 民族衣装を比較。

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アイヌのいろんな模様。唐草模様、迷路みたいな模様が特徴的。模様の入ってない衣服もあり。頭に布を巻いたり帽子をかぶることもあるとか。

アイヌ - Wikipedia

つぎにキルギス人の民族衣装。

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柯爾克孜族 より

アイヌにそっくりな模様があり。

キルギスにはいくつかの部族で構成されていたので、おそらく部族ごとに固有の模様があったんでしょう。同じ模様がキルギスアイヌに保存されていたのは、きっとこの模様がとても大切だったから。 

 

 

アイヌ民族の正体についての結論

これよりアイヌ民族の正体について、想像を膨らませます。

 

日本人の男系Y染色体遺伝子はD型というのが大きな部分を占めるそうです。通説ではこれが縄文人の遺伝子だとされます。

縄文人は、キルギス人がいたバイカル湖付近を、拠点にした時代があったそうです。

そうすると、堅昆・契骨のキルギス人にも、縄文人の遺伝子が、もしかしたら含まれるのかも。

彼らキルギス人の本隊は、地中海方面からやってきた、トュルク系言語のコーカソイド人種でした。

しかし、キルギスのなかには黒髪・黒眼の人々もいました。彼らが弥生時代後期以降に東へ旅立ち、日本列島に入って、それが後にアイヌと呼ばれます。

だから、アイヌには、1万年前からいる日本列島の縄文人の末裔、それに加えてキルギス(堅昆・契骨)からのの分派が入っていました。

詳しく言えば、アイヌとは「キルギスの中に入り込んだ、匈奴によって右賢王に封じられた漢の降将李陵の後裔で黒髪・黒瞳の人種」の末裔が、混ざっているということなのかもです。

アイヌは元々、匈奴の後裔だった者も含まれる部族なので、景行天皇が「日本書紀」でアイヌ蝦夷の特徴を匈奴そっくりに語ってるのは、まったくおかしくないことになるんですよ。キルギス人とは別に、匈奴人自体も日本に入りこんだかもしれません。

そうすると、アイヌの祖先がキルギスから草原と海を超えて、樺太や北海道に入ったのは、おそらく弥生時代後期~古墳時代の頃までのことなのではないかと。

だから実は、日本のY染色体のD型には、1万年以上前からの縄文系D型と、弥生時代以降にキルギス烏孫を含む中央アジアから入ったD型の、2種類がありました。両者は大きな時代差を経て日本列島で融合している、といっても同じD型なので、現時点で区別がついてないのかもしれないのでした。そんなことあるだろうか。

 

なんてい う、アイヌの古名から導かれた、俺の想像ですけれど。

 

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なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源2

なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源1 

の続き。

 

「足」が中東に対応するということは、おそらく倭国は人体で「頭」に対応する場所なのではと考えました。別に中東を貶す意味はなくて、日本語の人体用語に当てはまってるので。

そうすると、足(中東)と頭(倭)の間の胴体は、ユーラシア古代国家のどこなのかと。ヒントになったのは、北東アジア。


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結論から述べると「人体名称大陸古代国家説」 

 

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「人体名称大陸古代国家説」 

倭人は自らのルーツを、人体の部位名として刻み残していたのですよ。

 

おそら弥生時代卑弥呼邪馬台国が倭を支配した頃に、日本語が作り変えられているでしょう。いつしか日本人は、この叡智を忘れ去ってしまったんですよ、俺の世界初の仮説ですが。

これいまからずっと前、30歳くらいの時、世間にぶっ殺されそうになってたピークの頃に原案を思い付いて、ファイルに閉じていました。で、最近やっとまとめる気が出たので、組み立ててみました。

 

 

北東アジア諸国との対応

紀元前3世紀~2世紀頃の東アジア情勢に対応しています。

 

・心臓は高句麗

高句麗(ko-ku-ri)はこころ(ko-ko-ro)という言葉に似てますが、心は心臓。

・肺臓は扶余

扶余は(hu-yo)で、肺(ha-i)に似てる。

・胸は匈奴

匈奴の匈(きょう)が胸(きょう)。

・乳はチチハル

人体で肺の上に乳がありますが、扶余にチチハルという紀元前からの都市があり。

・肝臓は漢

肝(かん)は漢(かん)。

・背は鮮卑

鮮卑は北東アジアの北部。背ん卑。

・頸は韓

頭が倭に対応するから、胴体と接続する頸(首)は朝鮮半島

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お腹より下も、同じ時代(紀元前3世紀~2世紀)までは、中央アジアに対応してたみたいですが。

 

中央アジア西アジア諸国との対応

 

・腹=トハラ

トハラとはトカラ、トハリスタン。中央アジア

ペルシア、パルチアのペル、パルも含むのか。

・腰=月氏

月氏→かっし→こっし→こし→腰

・臍=烏孫

烏孫→うそん→へそん→ヘソ→臍。臍は母子がつながるという意味で重要視

・玉\(^o^)/)

タリム盆地。タリムが玉。「史記列伝」か「漢書」にタリム盆地は白玉の産出地とあったと記憶。

・ちん◯\(^o^)/

中国読みの秦(ちん)がちん。マラは不明。縄文語か。

・女陰\(^o^)/

「ほと」はホータン。

・ひざ=波斯(ペルシア)

波斯→はし→ひさ→ひざ。ひじも。

・腿=ペルシア

むかし、中国では桃(もも)の起源をペルシアと言っていたんですよ。そうすると腿(もも)が桃の産出地でペルシアに対応するということに。

そうすると、桃から生まれた桃太郎なんて話にはペルシアから倭へ来たみたいなことで頷けますけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 腕は特殊でした。

 

・腕=ユダ

腕について考えてみますが、これは日ユ同祖論でいえば「ユダ」でしょうね。

ユダがウデ。ユダ、ユデ、ウダ、ウデ、なんか似てます。

ウデというのは考えてみれば、体の足の先から頭のてっぺんまで、まんべんなく移動できる唯一の場所なんですよね。そうするとユダは移動性の民族だから、腕の部分にそう名づけてるって、日ユ同祖論で解釈したら理にかなうわけなのですが。

 ・手=タタール

タタール→おたた→おてて→お手々

ユーラシア大陸のトルコから発祥し日本列島に至るまでアルタイ語族っていわれますが、これに寄り添うようにしてタタールという人々がいました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

倭国というのはユーラシア諸民族の習合体だったのであり、当然ながら頭にもその情報が入っていました。

 

・ かしら=月氏

月氏→かっし→かしら

・おつむ=烏孫

烏孫→うそん→おつん→おつむ。「烏」の中国上古時代の発音は、ウー、オー。

・まなこ=任那

任那→みまな→まなこ

・みか=三韓

耳の古訓は「みか」。三韓→みかん→みか

・はじめ=波斯

鼻の古訓は「はじめ」。波斯→はし→はじめ。

・くち=月氏

月氏→けっし→くっち→くち。

 

つまり倭の中枢には、こうした人々が入っていたんではと。

過去記事にもありましたが、

中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について

中国史書を見る限り倭国の中枢はユーラシア各地からの帰化人だらけ

関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 -

とか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

まあこれを、偶然とか妄想と片付けても良いわけですが。

俺の妄想によれば、倭の真相に近づくには、日ユ同祖論、天皇騎馬民族王朝説、倭人ユーラシア民族習合説、みたいな、大陸レベルで見ていかないといけないんじゃないかと。

遺伝子的にいえば、中東↔中央アジア中央アジア↔東アジア、東アジア↔倭

というふうに接する地域は、相互に関係してるでないですか。

東へ迎えば遺伝子は変容したとしても、先祖の文化やルーツは記憶していたでしょう。その結果が日ユ同祖論の指摘であり、こんかいの、人体名称大陸古代国家説なわけなんですが。

 

いま「縄文語」とされてる倭の言葉の人体用語は、縄文語じゃなくて、弥生時代後期に弥生人がユーラシア諸国名を当てはめて、倭人のなかに普及させたものが多いんですよ。私的な仮説によれば。

だからいま学者によって常識とか通説って言われて出回っている、古代史をはじめとした世の中の知識は、間違ってるかもしれないなと。

歴史とは、個人の信念とか愛国心とか、誰かのゴリ押しが影響して、決定づけられるところがありますからね。

低学歴の思いつきですが。

 

 おわり。

 

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なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源1

2017年最初の思いつき記事。

 

新年めでたいのかどうかは、人それぞれだと思うのですが、おめでたくなくても慣例的におめでとうと言ったり、初詣に足をはこぶ、律儀で不条理な日本の縮図の正月ですね。 世界を変えたいのに思うように変わらなかったのは、こころがけが足りなかったといえばそうでした。今年は変化を足す一年。

 

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足 

 

足をはこぶ、足りなかった、足す。の足。

そういえば人間の人体の一番下の足って、なんで「あし」って言うのか。定説的な語源を調べるとこう。

「足の語源は諸説あり、正確な語源は不詳であるが、体の汚い部分で「悪し(あし)」の意味からという説や「端(はし)」が転じたとする説が有名である」

足・脚・肢(あし) - 語源由来辞典

 

ぶっちゃけ俺はひねくれているし、常識や正義と言われるものに抵抗する勢力なので。こういう「諸説ある」とか言われるものは勿論、定説とされるものですら、疑って見るしか無いと思いますけど。

 

 

足は重要

 

足は「汚い場所」という考えが、長らく日本人の認識にあったらしいです。そういえば旧約聖書でも「足を洗う」場面が出てきますけど、それは置いといて。

中医学が入ってきてからは、足のウラには全身の臓器や部位に対応するツボがあるとかいう考えが広まって、現代では足とは体のなかでも、ツボの集まる重要な場所だという認識になってきてますが。

足裏健康法 - Wikipedia

足は移動の象徴、仕事の象徴みたいなもので、人によれば人体でいちばん重要なのは足だっていうことで。足が健康じゃないと、どこにも行けませんものね。

 

そんなこんなで足について考えていたら、足の部位っていろいろあるなと。

・足(靴を履く部分) 

つま先、つめ(爪)、ゆび(指)、ウラ(裏)、くるぶし(踝)、かぶと(甲)、かかと(踵)、きびす(踵)

・脚(股下すべての部分)

すね(脛)、ふくらはぎ(脛)こむら(腓)、ひざ(膝)、ひかがみ(膝の裏/膕)もも(腿)

 足という漢字の成り立ちから言うと、膝下全体を足と言うとか。いまでは靴を履く部分だけ足とか言うようになってますが、もはや足ってくるぶし以下という認識に変わってますね。

 

 

アシ

 

アシという音だけとれば、俺的には歴史上では葦原の中つ国だとか、アッシリアなんて思い浮かべたりします。

アッシリア

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アッシリア - Wikipedia

 アッシリアはシュメ―ルから出た王国で、紀元前2,000年から紀元前609年の新アッシリアまで続いたんですね。エジプト、イスラエル、トルコのほうなど中東の広域に拡大してたとか。。

 

 

足とアッシリア

 

普通なら、無関係だと頭ごなしに決定づけて、関連性すら見出さずに素通りしますが。

でも自分としては、いろいろ考えてみたら、どうも足と古代の中東は関係するのではと感じ取ってしまいました。

俺が妄想した足とアッシリアの関係

 

・足 アシ→アッシリア

 アシがアッシに対応

・踝 クルブシ→クルク(カルク)(サマリアイスラエルの古名)

 クルがクルに対応

・踵 キビス→アイギュプトス(エジプトの古名)(aegyptus)

 キビスがエジプトのgypts(ギュプトス)に対応

・甲 カブト→アイギュプトス(エジプトの古名)

 カブトがギュプトに対応(k-b-tに対するg-p-t)

裏 ウラ→ウラルツアッシリアの北の国/アッシリア領)

 ウラがウラに対応

・裏 ウラ→ウル・ウルク (シュメール・アッシリアの都市)

 ウラがウルとウルクに対応

・指 ユビ→ユダイスラエルの南部)

 ユがユに対応

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 ここに出てくる古代国家は、ぜんぶ紀元前7世紀頃までに登場しますので。ということは日本語の人体の起源というのは、縄文時代じゃないということになってしまいますが・・・。

そういえば思いつきで、葦原の中つ国がもし「アッシリアの真ん中へんの国」ということなら、古代イスラエルユダ王国あたりなんですけどね。 

 

補足、

イスラエルサマリアは、元々クルクとかカルクと呼ばれていた場所。

日本人とユダヤ人の祖先は 同じ「クル族」

 エジプトの語源はアイギュプトス。

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重要な足、人体の端の足に、中東の古代国家名が凝縮されてたんですよ。

なぜこれらの国々だけの名前がついているのかと考えると、

「古代日本に関係する国だけをセレクトされた」んじゃないか、という発想が浮かんだわけですが。

 

これは単なる偶然の与太話なのか?と思ったら、もっと調べてみると偶然じゃない気がしてきました。

中東は足に当たる部分。じゃあ胴体はどこなのか?と考えてみると・・・。

 

つづく。

 

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(日ユ同祖論)倭と伊蘇国に秘められた日ユ同祖論

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半魚人 - Wikipedia より

 

大摩邇の掲示板で書かれてましたが、べつに俺は在日人じゃないし朝鮮カルトではないし、イスラエル人じゃないし、個人的な好奇心から日ユ同祖論を調べているだけですのでー。まあ従来の歴史観だけじゃ、ほんとの日本史を説明しきれないと勝手に思ってますのでー。

大摩邇(おおまに) : (日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

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・「倭=委」 は何故「ユダ」なのか

 

日本の地名の中には、明らかに日ユ同祖論で解けるものまで含まれているのを、ご存知だったですか。

 

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日本の異名で代表的なのは倭国です。

中国は倭の漢字を当てましたが、倭人自身は自らを「わ」と呼んでました。わの意味わかりませんが。

 「倭」という国名は「委」という文字でも使われていました。

この漢字は大和言葉で言うところの「ユダねる」の「ユダ」なんですよね。なんでこの倭人をあらわす漢字に、「ユダ」が当てられてるのでしょうね。謎すぎる件。倭とは「人委」なのでユダ人じゃないかって思うんですが。

古訓だとユツルとかユタカナリなんかもありましたが。

 

それにしても、弥生時代には膨大に漢字が存在したなかで、なんで「わ国」を表す漢字がよりによって「ユダ」なんですかね?

日ユ同祖論で言えば、倭は「ユダ」という国だったから、委の字が当てられている。で通用するのですよ。

 

 

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そういえば「後漢書」や志賀島の金印では倭の「委奴國」が登場しています。金印は「漢委奴國(かんのわのなのこくおう)」と読むのですが。

これは「委奴(イド)」と読めますが、これもユダの転訛だったとすればどうですか。

委奴(イド)=ユダなのであれば、倭という国号に「委」が使われた意味や、ユダと呼んで構わない理由が分かってくるじゃないですか。

それとも偶然なんですかね。

 

そういえば奈良時代に日本の国号が大倭国から、一時期「大養徳国」に改称されていましたが。

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これ、大養徳国と書いて「おおやまとのくに」って読ませてるのですが。養徳にやまとって無理矢理感がハンパない件。

養徳って「ようとく」、「よーど」で、「ユダ」を意識しているんじゃないんですかね。なぜこんな国号にしたのかは、やっぱり先祖があちらで、元々の国号が「倭・委(ユダ)」という認識が影響してるからに他ならないんですが。

これも偶然なんですかね。

 

あと、「後漢書」などによれば、倭人は漁の名人だったそうですね。これについては後ほど関連する記述をします。

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・筑紫のI-S

個人的に邪馬台国であって、その後に奈良に邪馬台国が東遷した「邪馬台国東遷説」を支持しているのですが。

邪馬台国だった筑紫のあたりには、イスラエル(ISRAEL)っぽい名の子音「I-S-R」の羅列が残っているのですよ。それを探ってみます。

 

伊蘇国

むかし筑紫国に五十跡手(いとて)という人がいまして、「筑紫国風土記」によればこの人は高句麗人であり天日矛(あめのひほこ)の子孫でした。

五十跡手は仲哀天皇によって「伊蘇志」という名をつけられて、それを元にして五十跡手がいた国は「伊蘇国」と呼ばれたんですね。ここが後の伊都国であり怡土郡であり、糸島郡糸島市の名の元になっていました。これは「日本書紀」や「筑前国風土記」の仲哀天皇の条出て来る記述。

伊蘇志→伊蘇国

イソってI-Sですね。

伊都国 - Wikipedia

 

恪勒国

筑紫国風土記」によれば、五十跡手(いとて)の別名は恪手(いそて)。I-Sですね。

恪手のいた国は恪勒国(いそろ国)とあるのですよね。I-S-Rですね。

 

伊都国の一大率

魏志倭人伝」の伊都国の元の名は伊蘇国ということになるのですが、ここには一大率という監視機関の本部が置かれていました。一大率って、イダ率ですよね。これもユダが転訛したのでは。壱岐国の別名は一大国なので、壱岐も同じ系統かと。

 

漁り火

昔の日本では、漁のことを「漁り(いさり)・漁る(いさる・いざる)」と言いました。これもI-S-Rなのですね。そういえば漁という漢字は、魚が入っているんですよね。

魚といえば

頭文字の符牒

イクテュスはギリシャ語で「魚」という意味を持つが、同時にΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものでもある。

 

聖書の魚に関する記述

エスやその信徒を魚で表すようになった経緯を直接確認できる文献はないが、イクテュスは、聖書の寓話に由来するという説もある。12使徒の中でペテロ、アンデレ、ゼベダイの子ヤコブヨハネの4人が元漁師であり、聖書には魚にまつわる話が多い。
漁師だったペテロが「これからは魚でなく人間を取る漁師になるのだ」とイエスに諭され、弟子になる(ルカ 5章10節)。
2匹の魚と5つのパンをイエスが奇跡をおこして5000人に食べさせたという「パンと魚の奇跡」(ヨハネ 6章5-13節)。
神殿税を請求されて困っているペテロに、「釣りに行けば捕まえた魚の口に税金分の4ドラクマ銀貨が入っているだろう」とイエスが語った箇所(マタイ 17章27節。ガリラヤ湖畔では今もティラピアを「聖ペテロの魚」 (St. Peter's Fish) と呼ぶ。)。

 

イクトゥス - Wikipedia

漁や魚自体が、イスラエルでは神と使徒を表す言葉だったのでした。

だからこそ、日本で漁を「漁り(イスラ)」といったのだとしたら? 

それとも漁や魚がイスラエルの神・使徒に関係する言葉なのは偶然?

イクトゥスについてはまだ書きたいことがありますが、後ほど。

 

鰰(はたはた)

これに関連して、「鰰(はたはた)も取り上げてしまいますが。

鰰というのは見ての通り、編が魚でつくりが神で、魚神なんですが。

一方で秦氏というのは、一説にはローマ帝国とかヒッタイトだとかイスラエルだとか言われますが、ともかく秦氏は中東系出身だとか。

そうすると、鰰という名前には「ハタハタ氏は魚神を崇める土地から来た人々だ」っていう暗号が込められてるんじゃないかと。たぶん秦氏自身がこの読み方を付けたんですが。

魚の神といったら、中東のキリスト。もしくはシュメールのエンキか半魚人のオアンネスかといったとこなんですよね。まさに秦氏の出身とされる土地に、一致するではないですか。

オアンネスはペルシア湾から上陸してきて、ごく短期間に人々に文明を授けたといわれている。

半魚人 - Wikipedia

エンキ - Wikipedia

 

伊蘇国つづき

 もう一回伊蘇国の話がよみがえってしまってすみませんが。

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「よみがえる魚」って、明らかにキリストですよね。

そもそも伊蘇はイソでイーシュとも呼ばれたイエス・キリストの名前そのものなんですよね。おそらく高句麗出身の五十跡手さんは、イスラエルのキリストのことを聞き及んで知っていたのでしょうね。あるいは大陸の西から流れてきた景教徒系統の人なのか。

 

だから日本の古代の国号や地名や名前から、日ユ同祖論的なユダ、イスラエル、キリストの要素が取り出せるのは、全然偶然じゃないっていう話なのですが。

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ここまでまとまってきましたが、これらの全てが「偶然だ」を貫き通したり、これでも「倭人縄文人だ!」を貫くとしたら、それはもう信心深い縄文教みたいなものだと思うので、俺としては何も言えないわけなんですが。

日ユ同祖論というのは、奥が深いってことは、分かったかと。

 

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「古事記」大国主の物語のなかに仏教の八大地獄があるのか

大国主の物語は、あんまり読む機会がないですね。

と思うので「古事記」にある話をわかりやすく、あらすじにしてみました。

 


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大国主の物語のあらすじ

 スサノオが出雲でヤマタノオロチ退治した後、助けたクシイナダ媛とのあいだにオオアナムチ(大国主)が生まれた。

 

大国主の兄軍団(八十神)はいっぱいいるんだけど、みんな美人のヤガミヒメと結婚したいらしい。兄軍団は1番ダメな奴そうな大国主に荷物を持たせて団体で因幡に行った。

大国主因幡の海岸で、死にそうになってるウサギに出会って助けたよ。助けたウサギは、大国主ヤガミヒメを得て、兄軍団はふられるって予言をした。結局ウサギの言うとおりになったので、兄軍団は嫉妬と激怒モードで大国主を殺そうとしているね。

兄軍団が焼けた巨石を落として、大国主は焼死した。

兄軍団が森に罠をつくって、大国主は圧死した。

でもそのたびに母神が大国主を蘇らせてくれる。それを知った兄軍団は、ますます悪の心を増大させて、大国主を追いかけ回すよ。お前らそんなことしてるからフラれるんだよ。母神は大国主に殺される前に逃げなさいと言って送り出したよ。

 

大国主が向かった先は、根の堅州国のスサノオ邸。

スサノオは逃げてきた大国主を試そうとしているね。蛇のいる部屋に寝かせたり、ムカデとハチの部屋に寝かせたり、大国主のいる野原の火を放ったり。大国主はそのたびに妻になったスセリヒメや、ネズミが案内した地下空洞に助けられて難を逃れたよ。

スサノオに認められて、頭のシラミをとってあげるなどで仲直りした大国主だけど、殺されそうになって腹が立ってたので、スサノオを家に縛り付けて石の蓋をしちゃったよ。

これに怒ったスサノオは、逃げる大国主を追いかけた。逆ギレか。だけどスサノオ大国主の力をちゃんと認めて、出雲の支配権を認めたよ。

大国主スサノオにもらった強い武器で、やってきた兄軍団をフルボッコにしてやった。ざまあみやがれ。

 

スクナヒコナとの出雲の国作りが始まった。出雲は大国主のはたらきで、農業や医療のある豊かな国に成長した。宮殿を建てたけど、これが初代の出雲大社大国主は妻を何人もめとって、子供がいっぱい生まれたよ。

しばらくして天照大神が出雲の国に目をつけて、出雲国を譲れと迫ってきた。大国主天照大神を支配者と認めて、出雲の支配権を譲ったよ。無血開城ってやつだ。その後大国主は隠居生活になりましたとさ。

 

こんな話だったのですが、大国主って集ストに追いかけられて苦労ばっかり。

気になったのが、大国主が受けた仕打ちについて。なんかどこかで見たような気がすると思ったので。

考えてみたら、仏教のアレだった。

 

八大地獄

八大地獄 - Wikipedia

衆生が住む閻浮提の下、4万由旬を過ぎて、最下層に無間地獄(むけんじごく)があり、その縦・広さ・深さは各2万由旬ある。その上の1万9千由旬の中に、下から大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄・等活の7つの地獄が重層しているという。

これらを総称して八大(八熱)地獄という。これらの地獄にはそれぞれ性質があり、そこにいる衆生の寿命もまた異なるとされる。

また、八熱地獄の周囲ないし横に八寒地獄があるともいわれる。

阿含経の説

阿含経(じょうあごんきょう)は原始仏教の経典とされ、それによると地獄は、八熱地獄と十地獄に大別され、八熱地獄に付随する小地獄は全て共通の十六種類であるという。

須弥山世界(仏教における、人間界を含む宇宙の全て)の一番外側を輪のように取り囲む鉄囲山(てっちせん)は内と外の二重構造であり、その間に地獄や閻魔王宮があるとしている。つまり、現在の通説である地獄=地下世界とは異なり、いわゆる「世界の果て」にあるとしている。

二重鉄囲山の間は太陽や月の光が届かない暗黒世界で、僧佉(そうきょ)という大風が常に吹き荒れている。この風はもし人間界に吹いてきたら全てのものを吹き飛ばし粉々にしてしまう威力を持ち、さらに超高熱の炎と悪臭を伴っている。人間界の物に例えるなら、大型爆弾などの爆風や炎、衝撃波あたりがイメージとして適当かと思われる。

現在と異なり、八熱地獄は階層構造ではなく、十地獄ともども世界をぐるりと取り囲む形で配置されている。その名は第一地獄から順に、 (1) 想地獄、 (2) 黒縄地獄、 (3) 堆圧地獄、 (4) 叫喚地獄、 (5) 大叫喚地獄、 (6) 焼炙(しょうしゃ)地獄、 (7) 大焼炙(だいしょうしゃ)地獄、 (8) 無間地獄である。想地獄は現在の等活地獄、焼炙・大焼炙地獄は焦熱・大焦熱地獄に対応していると思われるが、具体的な内容は不明。

 

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地獄 (仏教) - Wikipedia より

八大地獄は犯した罪の内容によって送り込まれる場所だとか。以下の理由で死後に送り込まれる。

(1) 想地獄(等活地獄) 殺生

(2) 黒縄地獄 殺生、盗み

(3) 堆圧地獄衆合地獄殺生、盗み、邪淫

(4) 叫喚地獄 殺生、盗み、邪淫、飲酒

(5) 大叫喚地獄 殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語(うそ)

(6) 焼炙地獄 殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見(仏教の教えとは相容れない考えを説き、また実践する)

(7) 大焼炙地獄 殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見、持戒人(尼僧・童女などへの強姦)

(8) 無間地獄 殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見、犯持戒人、父母・阿羅漢(聖者)殺害

 

らしいですが。

とりあえず殺人事件を起こしてなければ、これらの地獄に落ちる心配はないという感じみたいですが、人を死追いやるイジメの場合や、間接的や偶発的に殺してしまった場合はどうなるのだろう。

 

 それぞれの地獄がどんな内容なのかを見ていくと、

(1) 想地獄(等活地獄

殺人に加え、虫を殺した者もここに来る。鉄の爪や刀剣で殺し合う。死ぬと蘇らせられ、また殺し合いとなることを繰り返す。

(2) 黒縄地獄

切り裂かれ削られ、焼かれたり、鉄の山に登って落とされると湯に落ちて煮られたり

(3) 堆圧地獄(衆合地獄) 

美人が誘惑してくるが、鉄の山や象の足などに押しつぶされる

(4) 叫喚地獄 

熱湯の大釜で煮られたり、鉄の室で焼かれたり

(5) 大叫喚地獄 

焼かれたり煮られたり(10倍)

(6) 焼炙地獄 

焼かれたり煮られたり(大叫喚地獄の10倍)串刺しにされたり

(7) 大焼炙地獄 

上記の地獄ぜんぶ(焼炙地獄)の10倍

(8) 無間地獄 

まっさかさまに地の底へ落ち続けて2000年、たどり着くと大焼炙地獄の1000倍やられる。

(以下ウィキペディア)背丈が4由旬、64の目を持ち火を吐く奇怪な鬼がいる。舌を抜き出されて100本の釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下りさせられる

 

 このほかに

・八寒地獄

十六小地獄 (無間地獄) - Wikipedia

 とかいうのがあるらしい。後から付け加えてみた感がすごいのですが。

基本的になるのが八大地獄ということでした。内容は斬殺、圧殺、焼殺、熱殺みたいなかんじなので、そんなに種類は豊富ではない様子。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ここで大国主の物語に出てきた、ひどい状況を思い返してみると、

・美人の誘惑

・焼けた巨石で圧殺、焼殺

・兄軍団と殺し合い

・殺されて蘇ってまた殺されてまた蘇ってる

・蛇

・ムカデやハチの部屋

・火を放たれ危うく焼死

・地下空洞

 なんか八大地獄にあるすべての要素が入っているような。

大国主の物語は、仏教の地獄の概念を取り入れているみたいなのですよ。

 

とすると疑問が湧いてきました。

日本神話というのは、弥生時代にはすでに原型があったのではないか、ということは言われていることなのです。

ところが日本に八大地獄を書いた仏教が伝来したのは6世紀の欽明天皇の時代というのが、定説になっているのですよ。

仏教公伝 - Wikipedia

 

仏教成立 紀元前5世紀インド

弥生時代(紀元前)日本神話は存在したとされる

仏教伝来 6世紀

古事記成立 712年

 

もし仮に大国主の神話が、仏教の八大地獄を取り入れているのが事実としたら。

しかも弥生時代にすでに存在したことも事実ならば。

 

中央アジアに仏教が伝播したのが紀元前250年。東アジアに入ったのが西暦100年頃。

大国主神話に八大地獄が含まれるのが本当ならば、

おそらく1世紀から4世紀までの間に、元々あった大国主の神話のなかに、仏教の八大地獄が取り入れられていることになるかもですが。その理由は関連記事で。

個人的には日本神話はユーラシア神話の寄せ集めで、日本列島では4世紀以降に一緒くたにまとめられたと見ているわけなのですが。真相はどうなのか。

 

関連記事

神武天皇紀になぜか仏陀と仏教の教えが登場する意味とは

美豆良(みずら)の正体はユーラシア大陸の奥地に見つかる

中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話

 

 

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金の意味 迷いうさぎの意味

今年の漢字は「金」だとか。

 

今年の漢字に「金」…五輪イヤー、3回目 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

表向きでは、「オリンピックの金メダル、政治と金の出来事」などが、金が選ばれた理由らしい。普通の人は、これで納得してしまうに違いないですね。

しかし俺の場合は酷い人生を過ごしてきたせいか、心がひねくれているので、ほかの意味を探してしまう。

 

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うさぎ

 

そう言えば忘れてましたが、迷いうさぎは保護団体に預けることに成功しました。11月1日に迷い込んできているのを見つけ、預けたのが18日ということで。良かったです。それと同時に、新居も一気に決まってしまったのだが、うさぎパワーらしい。

不思議の国のアリスは、うさぎを追いかけて不思議の国へとたどり着きました。これからますます、不思議の世界のスタートなんでしょうか。

うさぎ、ラビット、トビラ、扉。わずかに滞在したうさぎによって、扉が開かれてしまったよ・・・。

 

さて、いつものように「学研漢和大字典」で「金」を引いてみる。

すると金属だとかおかねという意味のほかに、「方角では西、季節では秋、星では太白星(金星)」という意味がありました。

気になったのは、金の「解字」に

「今はおさえたふた+一からなる(中略)何かを含んでおさえたさまを示す(中略)土の中に点々ととじこもって含まれた砂金をあらわす(中略)禁(おさえてとじこめる)含、などと同系のことば」

 とあるところだろ~か。

つまり金という文字は、「何か価値あるものを封印したさま」を現す漢字であり、それが現れたのが2016年というふうにも読み解けますね。

だからこそ2016年に金を選んだ、ということかもしれないのだ。何が現れたんだろうか。

「抑えて閉じ込めると金が生まれる」というのは、金という物質の生成過程を昔の人もそう考えたからだと思うんですが、人間に当てはめてたら何か実験の被験者みたいですかね。

そういえば2012年も金だったとか・・・。

 

 それから金といえば俺的にはこれが思いつきました。

金人

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金神(こんじん)とは方位神の1つである。

金神の在する方位に対してはあらゆることが凶とされ、特に土を動かしたり造作・修理・移転・旅行などが忌まれる。この方位を犯すと家族7人に死が及び、家族が7人いない時は隣の家の者まで殺される(これを七殺(ななさつ)という)と言われて恐れられた。

金神の中でも、「うしとらの金神」は「久遠国」という夜叉国の王である巨旦大王の精魂とされる。巨旦大王の眷属の精魂も(普通の)金神と呼ばれる凶神となっている。

 

金神は人々に大変恐れられており、江戸時代の末には岡山県地方では、「金神封じ」と称して祈祷を行う修験者もいたり、後述するが、「出雲屋敷」と称して出雲の神々に家を供え、金神から守ってもらおうとした家も多数あったが、金神を強力な神として迎え信仰した者も多い。

 

金神 - Wikipedia より

つまり破壊と滅亡をつかさどる、地獄の羅刹といった具合の金人ではないか。 

 

関連して、こんなのがあり。

 「日月神示・黄金の巻」第59帖

「金で世を治めて金で潰して、地固めして みろくの世と致すのじゃ」

 

「大本神論」を見るとこうある。

「とどめに艮(うしとら)の金神現れて、世の立替えを致すぞよ」

 

艮の金神とは、原初の神さま「国常立尊(くにとこたちのみこと)」と同一の神だとか。最初の神である国常立尊と、終わりの神である艮の金神は同一ということだから、立替えというのは恐ろしいことですね。

まあ「弥勒の世」とか「世の立替え」というものの正体が一体何なのかというのは、これから分かってくるかもですが。

 

そういえば以前に国常立尊に関係してこんな記事かいた。

国常立尊とエジプトのピラミッド・・・「超古代のある物体」を表現している?

アトランティスと淤能碁呂島は同じ島かという話の続き

 

扉は入口と出口で、始まりと終わりの象徴。

金はゴールド、GOLD、GOAL-D。

2016年の年末、日本は何らかのの扉とゴールを、見すえたのだろうか。

 

 

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